もち粉
2025-07-01 10:36:17
5460文字
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歌えカナリヤ、告げよヒバリ 下


再び、パッタドルの話
そんなつもりはなかったんだけど、ミスシスっぽいかもしれないです
エルフの成人の儀文化を捏造してます

 
 誰かに背中を支えられる。知らない隊員だった。

――っ、なっ、なっ……

 事態が把握できずに、尻もちをついて辺りを見回す。パッタドルは船室からの出口前の甲板にへたり込んでいた。
 
 周囲はパッタドルを見ていない。変わらず宙を見上げて立ち尽くしている。

「隊長……!」
 パッタドルを支えた隊員がそう叫ぶ。リシオンが宙を指差している。「おいおいーっ!」フレキの青ざめた声がする。ミスルンを呼んできたらしき彼らのその様子にようやく状況を理解する。
 今、隊旗に包まれるようにして頭から落下しているのは、転移術で自分と位置を入れ替えたミスルンだと。
 
 先程までの自分があんな体勢で落ちていたことに気づき、パッタドルはぞっとする。あれでは、冷静だったとしても、何の呪文も紡げなかっただろう。
 
 それは無詠唱の転移術を誇るミスルンも同じだ。あれから転移術について勉強した彼女は知っている。転移術は自分と他との接触面が多いと発動できない。
 
 シスヒスは落下するミスルンを見上げて息を呑む。
 
 隊長。どうして。あんな小娘の為に。
 
 とっさに鈴を掲げたが、幻覚術などこんな時に何の役にも立ちはしない。
 パッタドルが落ちて水面か甲板に叩きつけられた所で、いい気味だっただろう。治療術の使い手も多いこの船だ。死ぬことはないはずだ。
 そう、即死さえしなければ死ぬ事はないはずだ。なのに、喪失の予感に足がすくむ。
  
 その横を、風のようにパッタドルが駆け抜けていった。
 
「隊長!」
 甲板の手すりにぶつかるようにして飛びついたパッタドルは叫ぶ。ミスルンはもうマストの半分近くまで落下していた。それでも風に煽られて大きく放物線を描いているので常より遅い。
 この時ばかりは強風に感謝して、使える魔法を検討する。
 水上歩行? 遠すぎる。物理結界を海面に張る? 駄目、隊長が叩きつけられる。考えろ。考えろ――
 
 ミスルンは、落下する自分の体が何か粘性のある幕のようなものをドブンと通過したのを感じた。
 ほんの少し、落下のスピードが緩まった。なるほど、誰かが魔力結界を張ったらしい。この魔力はパッタドルか。魔力結界は、術者が認めたものならば結界の幕を通って出入りできる。その時の抵抗を利用して落下の勢いを殺そうとしているのだろう。
 ドブン、ドブン。
 続いて二枚の結界を通過したところで、ミスルンは隊旗の端を掴んで勢いよく振り抜いた。
 海面が近い。
 
 わあっと周囲から歓声があがる。
 意識を失っているかのように海面に背を向けて落下していたミスルンが、旗からくるりと飛び出るように体勢を立て直したのだ。
 その足に、水上歩行の魔術が光る。
 高く上がった波を蹴ると、トンボを切って、そのまま甲板に転移する。
 ふわりと舞って、ミスルンの肩に掛かった隊旗が、沈みゆく太陽の最後の光に照らされて金色に光る。
 それはまるで、自ら籠に戻ったカナリアの羽が震えるようでもあり、今飛び立たんとするヒバリの羽ばたきのようでもあった。
 
 すたんと軽い音を立てて甲板に降り立ったミスルンの背中を認めて、シスヒスはへなへなと膝をついた。

 ――失うところだった。この人を。
 
 わあわあと騒ぐ周囲はどこ吹く風と、近寄ってきた者に隊旗を預けたミスルンは、何事もなかったかのように船室に向かって歩き出す。
 その後ろでは、性も根も尽き果てたように座り込むパッタドルが「やるじゃないか!」「すげぇな、おい!」と隊員たちにもみくちゃにされている。
 
 途中膝をついたシスヒスの前で足を止める。
 珍しいものでも見るように、小首を傾げてこちら見やるミスルンに、シスヒスはこの人に見下ろされるのは初めてだと感じた。
 つい先ほど死にかけたとは思えないほどに、黒い瞳は静謐だった。
 
 ミスルンが、少しかがんで、すいとシスヒスの右耳の上に手を運ぶ。かさりと鳴った感触に、花を挿したままだったと思い出す。
 慌てて取ろうとしたが、耳の上にわずかな魔力の反応を感じて動きを止めた。
「白の方が、似合う」
 どことなく満足気なミスルンは、そのまま常のようにふらりと船内に入っていった。
 
 思わず頭に手をやって、花を外してみる。潮風に萎れかけていただろう紫のはずが、夜目にもぼうと光る、真っ白なものへと変わっていた。
 
 ――白が似合うね。
 
 シスヒスはゆっくりと立ち上がると、もう一度それを髪に挿して、ゆったりとミスルンを追いかける。あえかに光る純白が、シスヒスの横顔をほのかに照らす。
「隊長、そろそろご飯にしませんか?」
 鈴は鳴らさず、声を掛けた。

 
 その夜、パッタドルは帰船したフラメラに、指示も仰がず危険な行為に及んだとして、しこたま怒られた。
 優等生人生を歩んできたパッタドルにとって、こんなに怒られたのは初めてだったが、どこかせいせいとした気分でもあった。
 そして最後にフラメラは、ニッと笑ってパッタドルの頭を撫でた。フラメラの背丈では、前髪を乱すようになっただけだったが。

「だがな。お前の怒りは理解する」