もち粉
2025-07-01 10:36:17
5460文字
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歌えカナリヤ、告げよヒバリ 下


再び、パッタドルの話
そんなつもりはなかったんだけど、ミスシスっぽいかもしれないです
エルフの成人の儀文化を捏造してます

 甲板に出ると、強風がシスヒスの長い髪をはためかせた。いつの間にか風が強くなり、湾の中なのに波も高い。
 暮れ始めた空が桃色がかってきている。 
 
 集まった者たちが、メインマストを見上げてザワザワしている。見やれば、この強風の影響か、掲揚されていた隊旗がマストのロープに絡まってしまっている。それは哀れに縛られた小鳥のようだった。

 船にとって、所属を表す旗をあんな状態で放置するのは恥だ。港で所属を示していない思われ、その港で余計な猜疑を呼ぶことになる。
 魔法での解決が試されたがうまく行かず、結局は誰かが直接登って解かなくてはいけないのではと、その「誰か」を押し付けあっているようだ。
 
 お前が身が軽いから行って来いと、看守から命じられた小柄な囚人が抵抗している。

「冗談だろ? こんな風の強い時に、無茶言うなよ。じきに日も暮れて暗くならぁ。明日風がおさまってからでもいいだろう!?」
「恐れ多くも、女王陛下から下賜された隊旗だぞ。あんな状態で一晩放っておけというのか?」
「人より旗が大事かよ!? あんなとこから落ちでもしろよ、タダじゃ済まねぇよ!!」

 悲鳴のように言い募る囚人の言葉に、ほかの囚人も頷き「大体お前ら看守は何時もそうだ、俺らのことなど何とも思っちゃいねえ」と不満の声が湧き上がり、囚人対看守で一触即発の雰囲気になりかけた時、若く力強い声が上がった。

「私が行く!!」

 声の主が、最年少のパッタドルである事に気付いた周囲がざわつく。

「おい、止めとけよ。お嬢様の出る幕じゃねぇ」
「登攀訓練も受けてないだろう」

「私たちは、女王からの要請により迷宮調査に従事する、女王直属の国家機関だ。その誇りである隊旗をあんな状態で放置するわけにはいかない。誰も行かないなら、私が行く!」

 決然と言い放つパッタドルに、止めようとしていた囚人たちどころか、看守たちまでが冷めた目を向けた。
 まるで若さ故の世間知らずを冷笑するように。

「止めときなさいよ」
 思わずシスヒスは声をかけた。
「お若いお嬢様に何ができるの? 貴女が意気がってマストに登って落ちたところで、何にもならない。国は貴女に何もしてくれない。せいぜいがあなたの生家にいくばくかの見舞金が出る程度よ」

 誰か囚人が吐き捨てる。「俺たちなんざ、見舞金すら出やしねぇ。打ち捨てられるだけさ」
「そうさ、俺らは所詮、使い捨ての『カナリア』だ」

「違う! 私たちはカナリアじゃない!」

 叫ぶや否や、パッタドルは梯子に飛びつき、続く縄梯子へと手をかけてマストに登り始めた。
 ざりざりしたロープが柔らかい皮膚を容赦なく刺す。靴底越しに感じるのは、頼りない足場の不安定さ。腕に力を込めて、己の体を引き上げていく。
 
 甲板上では、そんなパッタドルを見上げて「危ないぞ!」「戻ってこい!!」と声が上がる。

 パッタドルは聞こえないかのように、グイグイと登っていくが、その姿は三点支持と呼ばれる両手両足のうち三点で常に体を支えるという登攀の基本すらできていない、なんとも危なっかしいものだった。

「おい、誰か隊長呼んでこい!」「あの人じゃ駄目だろ、副長のフラメラ様の方が」「フラメラ様はまだ帰船されておられない」

 甲板の騒ぎを下にして、パッタドルは縄梯子を登っていく。風が強くて梯子ごと煽られる。その度に全身をこわばらせてロープにしがみつく。風が収まったら、また登りだす。
 黄昏の光が赤みを帯びる。西の雲の端が茜色に染まり始める。

 白い船の船首に飾られた小鳥像が紅く照らされる。誰もがカナリアだと思っているあの鳥は、ヒバリだ。 
 パッタドルは新人研修でそう教わった。フラメラの訓示にだってあった。「我らは春を告げる雲雀である」と。
 
 ――カナリアじゃない。
 
 今、パッタドルを突き動かしているのは怒りであった。
 

 どうせ自分たちは「カナリア」だと諦めている落ちこぼれたる囚人たちに――なぜ、そこから抜け出す努力をしないのだ、と。
 規律を守らず、囚人にへつらう同僚たちに――なぜ、毅然と囚人たちに対処しないのだ、と。
 周囲と上手くやれない自分に――なぜ、私が孤立しなければならないのだ、と。
 

 上に登るほど、空気が冷える。びょうびょうと耳元で鳴る風に、あっという間に体温を奪われて手がかじかむ。
 見張り台を越えて、更に上に登る。もう腕も足も限界だ。がくがく震える足を叱咤して、さらに体を上に運ぶ。
 
 自分が世間知らずなのは、充分に自覚した。
 この船で見たものだけでも、人生観はひっくり返された。 
 不具の者、麻薬に意識を飛ばす者、自ら望んで己の身体を獣人に改造する者――。そんな人間たちは今までパッタドルの周囲にはいなかった。
 彼らのそれぞれの人生など、知りもしない。
 語れる言葉など、まだ何もない。
 
 でも。
 それでも。
 
 最後の力を振り絞って体を引き上げる。
 マストの一番高い横木に立ち、弾む息を整えながら、落日を見下ろす。
 内陸育ちのパッタドルには信じられないくらい大きく見える熟れた太陽が西の海にゆっくりと沈みゆく。世界は赤と金色に染まって、東の空は透明な群青色だ。一番星だけが光っている。
 
 きっと人生は、生きるに足るものだと思うから。
 
 パッタドルは細くなったマストの先端を片腕で抱くようにして、絡まった隊旗に近づいた。
 薄暗くなり始めた視界で丁寧に解いていくのも難しい。一方から力任せに引けば、布が裂ける恐れもある。まずは掲揚用の金具から、隊旗を外す。
 強風の中、体を支えながら、片手で固く締まったロープに絡まった旗を解くのは至難の業だった。ロープに指を引っかけ爪が割れる。業を煮やし、マストから手を離して両手で作業に取りかかる。
 
 ――取れた!
 
 バサリと隊旗を広げた瞬間に、突風に旗ごと煽られて足が宙に浮いた。
 
 
 何が起こったか、一瞬分からない。
 遠くで悲鳴が聞こえる。

 自分が旗に包まれるように落ちていると理解したのは、バタバタと激しく体を叩く厚い布の隙間から、朱金に輝く水面が見えた時だった。
 

 落ちる。
 このままでは、まずい。
 魔法、
 

 切れ切れの思考の中、あんなに子供の頃から叩き込まれたはずの呪文は、一つとして思い出せない。
 

 死ぬのか。
 

 そう思った瞬間、足の下に床の感触が現れ、急激にかかった体重を支えきれずに後ろに倒れ込んだ。