eclipsis
9189文字
Public ミホペロ
 

導火線はそこらじゅうに

学パロバレンタイン。 この話の続き。※サン←プリ要素有り


 本校舎の隣にひっそりと建つ旧校舎は人々から置き去りにされた場所だ。使い込まれた末に草臥くたびれた木造の建物は、生徒たちが賑わう昼休みでも人影は無い。喧騒がただ遠くで響いて聞こえるのみである。それ故におれはここを気に入り、己の休息地、根城と決めた。そして今日の昼休みはすぐこの根城へ行くと決めていた。
 鍵すら掛かっていない校舎の扉を開け、廊下を通り一角にある教室へ入る。中へ進むと窓際にいくつか置いてある椅子のひとつへ座った。ここは陽当たりも良く冬の時期でも何とか過ごせる。窓から射し込む日光の行方を見ると、床に薄ら積もる埃を照らしてキラキラと白く光らせていた。
 埃の中におれの靴跡と、もう一人分の小さな靴跡があった。歩幅も小さいそれのちょこまか歩く様が浮かんだら、少し目を閉じてみた。今にも足音が聴こえてきそうだ。いや、軽やかなあの娘は飛んで来るかもしれない。

 
 事の始まりは、昨日不意に来たゴースト娘のメッセージだった。

『明日のお昼っていつもの場所にいる?』

 いつもの場所とは当然旧校舎のことだ。我が根城はいつ頃からか、ゴースト娘にも馴染みの場所になっていた。今まで断りも無く自然と集まっていたので、このように問われる事は初めてだったと思う。おれは少々違和感を覚えつつも、特に何も考えず『居る』と簡潔な返信をした。 
 翌朝は日課の剣道部の稽古から始まった。校内の練習場で後輩たちと剣を交えていく。そして皆の素振りを見るために一旦稽古の輪から抜けた。辺りを見渡す位置についた時、視界の先に普段とは違うものがチラついた。
 それは練習場の開け放した扉に佇む女子の群れだった。見学するにしても冬の冷たい朝にわざわざ集まるのは不可解である。後輩たちの素振りを見るついでに群れの挙動を見据えていると、何人かがこちらに気づいた。女子たちは何やらヒソヒソ喋りながら扉の影に引っ込んだ。皆一様にカラフルな包みを持っていた。
 
 不可解な挙動、カラフルな包み。その組み合わせでピンと来た直後、おれはげんなりとして思わずため息を吐いた。女子たちが群れる原因――今日はバレンタインとか云う日なのだ。
 そう気づいたら昨年も群れが出来ていたと思い出す。あの包みは全てチョコで、女子たちは七面倒臭いことに渡すタイミングを窺っている訳だ。確か後輩のロロノアが練習後に貰っていたと思う。おれに渡そうとした者もいたが、顔は覚えていない。興味が無い上におれは甘いものは好かなかった。
 
 些細な出来事でほんの少し気が削がれたせいか、今朝の稽古はいつもより早めに終わらせてしまった。今日が何の日であれ、あの群れには極力関わりたくなかった。さっさと道着を着替えて支度をしていく。するとその最中、ふとある事に気づいた。――不可解な挙動の女子といえば。昨日、おれへメッセージを送ってきた娘もそうだろう。はっきりとおれの事を窺っていた。つまり、余程の勘違いでもなければ、ゴースト娘はおれにチョコを渡そうとしている。
 
 何だか見事な数式を導き出して解いたような気分になり、頭がたちまち冴え渡った。甘いものは好かない。だがゴースト娘のものならば欲しい。おれの答えは迷いなく出た。バレンタインとやらが一気に重要だと思えた。
 支度を終えて練習場を去るときに、女子たちがおずおずと構えていたが、それには一瞥もくれなかった。


 じっと座り待つ教室の中は、静けさがゆるりと満ちていくようだ。窓から入る陽射しは変わらず明るい。閉じた瞼越しにそう感じる。普段ならば微睡みに誘われて眠るところだったが、軽い足音が静けさを押し退けこちらへ近づいてくるのが聴こえた。目を開けて教室の扉を見れば、ゴースト娘が丁度ひょこりと頭を出すところだった。ピンクの髪が元気に揺れている。

「あれ、もう居んのかよ! 私が一番乗りだと思ったのに」
……フン、気にすることか? ここには我らしか居ないのだぞ」

 開口一番に不満げな声を出したゴースト娘へお返しをする。すると娘は「そ、そうだけど……ウン」と口を少しまごつかせながら呟いた。華奢な肩がほんのり縮こまって妙に落ち着かない空気を纏っている。扉から教室へ足を踏み出すと、微妙にふわふわした足取りをしておれの隣に置いてある椅子へ浅く腰掛けた。手には小さなトートバッグを持っていて、おれからは見えづらい娘の身体の陰へさり気なく隠した。

アッ、そうだ、お昼ってもう食べた?」
「まだだ。すぐここへ来たから買っていない」
「そ、そっか……

 浮ついた口調でゴースト娘が話しかけてきて、おれは率直に答えた。照れ隠しで出た話題なのはゴースト娘のそわそわした態度で明白である。それを見て焦れるような気分になった。ゴースト娘はおれの答えに少し目を丸くさせてから、頬を嬉しそうに赤く染めた。焦れる気分がより強くなって、ゴースト娘の頬を触りたいと一瞬思った。
 このままだと曖昧な探り合う空気がお互いの間に流れ始めそうだ。己の焦れを確信しながらもゴースト娘をただ見つめると、娘は小さく息を呑む仕草をした。そして決心するかのように大きな両目を一度瞑る。再度目を開くのと同時に手が動き、隠されたトートバッグからピンクの包みが取り出された。

「はい」

 先程の落ち着きない態度とは打って変わって、ゴースト娘はとても大人しい声と共に包みをおれへ差し出した。ピンクの包みに深い朱色のリボンがすでに好ましく感じた。手に取ってみると、包みの中は一つではなく幾つか入っているのを察した。

「お前が作ったのか」
……うん。そ、その、甘さは控えめに作ったんだ。だから、えっと気に入ってくれると……う、嬉しいんだけど…………

 ゴースト娘は喋りながらどんどん声を小さくして縮こまっていった。顔がずっと赤くて終いには蒸発して消えていきそうだった。また頬に触りたいと思ったが、今は手中にあるものを開封した方が良い。おれは丁寧に、頬を触る感覚で、包みを開封していった。
 中にはガトーショコラが二つと、チョコが三つ入っていた。あまり菓子を食べた経験は無いが、このゴースト娘のものは見劣りしない出来に見える。まずはガトーショコラを食べてみることにした。ラッピングされた透明のフィルムから取り出し、包み紙を少し破る。そしてひと口頬張った。
 しっとりした生地は噛みごたえが良く、ほろ苦い味が口内へ広がる。チョコ菓子は大体甘いという先入観が良い意味で裏切られた。これは好きな味だ。ひと口だったのを追加する。食べていくとほろ苦い味の他に、果物に似た芳醇な風味が口内を満たす。それが心地良く鼻から抜けていって、とても美味い。あっという間にガトーショコラのことが気に入った。

「美味い」

 黙々と味わっていたのを一旦飲みこんで、開口一番にそう告げた。消え入りそうだったゴースト娘はおれの感想を聞くと、縮こまっていた身体を一気に伸びやかにしてみせた。

「ほ、本当?!」
「ああ。まさにおれが好きな味だった。この菓子ならいくらでも食いたい」
「お、お前ッ!! そ、そそ、そんなに気に入ってくれたのか?! う、嘘じゃないよな……あぁ、ヤバい…………う、嬉しい……

 キラキラと目を輝かせて喜ぶゴースト娘に、おれはまた率直な感想を告げた。特段喜ばせようとして出た言葉ではなく、嘘偽りのない本心だった。こちらへ食い入って来そうな伸びやかさを見せたゴースト娘は再び縮こまった。真っ赤になった顔を両手で覆い隠して声も小さくなる。その手の隙間から「良かった」や「ありがとう」といった独り言染みた震える声が漏れ出ていた。
 分かりやすく喜びに打ちひしがれて、盛大に照れるゴースト娘を目の前にすると胸が温かく満ちてきた。口内に残るガトーショコラの味がより鮮明に、美味く感じてきた。歯痒いような、そそられる感覚のままに残りのガトーショコラを頬張った。

「ゴースト娘には菓子作りの素養があったのだな」

 この場の浮ついた雰囲気がおれにも伝染したようだ。綻んだ口が他愛ないことを言う。ゴースト娘は溶けそうになっているらしい。緩む頬を手で押さえるポーズをして可愛らしく耳を傾けていた。不覚だがおれの満ちた胸も溶けそうになった。

「え、エヘヘ……そうか? いや、まぁ、でも全部自力で作った訳じゃないんだ。実はちょっと手伝ってもらって作ったんだよ」

 ゴースト娘は素直な調子で話した。照れる素振りも控えめになり、本当に誰かに手伝ってもらったようだ。ふと、おれの頭にその様子が浮かんだ。エプロンをつけたゴースト娘が知らない女子と菓子を作っている。ゴースト娘は可憐なフリルのエプロンをつけて、隣の女子はへのへのもへじの顔だ。

「偶然調理室で出会ったヤツだったんだけど」

 ゴースト娘が続きを喋っている。おれの頭に浮かぶへのへのもへじがぼやけていく。ガトーショコラを咀嚼する口がややゆっくりと動いた。何故かおれの直感が俄かにさざ波立っている。

「すごく料理に詳しくて、色々コツとか教えてくれて助かったな」

 食べていたガトーショコラを全て飲み込んだ。そしてわずかな直感が確信した形になった。頭の中のエプロンをつけたゴースト娘の隣に金髪の男が並んで立っている。この時期になると女子の群れで名前が挙がる男だ。そいつに頼れば間違いないやら、すこぶる優しく教えてくれるやら。その軟派な噂がロロノアと喧嘩をしている姿を見たときに、チグハグに感じて印象に残っていた。
  
 直感の閃きが強く働くと普段気にも留めない思考が繋がっていく。手伝ってもらったというのは、二人っきりだったのだろうか。いや、例えそうだとしてもゴースト娘がおれのために菓子を作ったのは変わりない。……菓子は作るとなればどれくらい時間がかかるのだろう。……どれくらい一緒にいた? 二人っきりで?

「? 鷹の目? もう食べないのか?」

 束の間惚けていた。ゴースト娘の声で、おれはまだ手に残りのガトーショコラたちを持ったままだったと気づいた。ひたすら胸を満たしてくれた菓子たち。それらに全く不満は無いが、それとは別で今は少々喉に何か引っかかった心地がある。

……放課後に取っておく。気に入ったからな」

 おれはそう言いながら菓子たちを丁寧に包み直した。ゴースト娘が頬を染めてまた照れた。それを見ると、可愛いと思う心の片隅でジリジリとした火が着いた。こういう顔も例の男は見たのだろうか? おれだけのものであってほしい。

「菓子を食うとコーヒーが飲みたくなるな。ゴースト娘、購買に行くぞ。お前も何か飲むだろ」
「え、それってお前の奢りか?! ホロホロ♪ 珍しー! 私ホットココアな!」

 昼休みも程々に経った。この教室を去るには丁度良い時間だろうし、ゴースト娘の頭をさり気なくひと撫でして購買へ誘った。娘は小さな口元をニッコリと上げて機嫌よく椅子から立ち上がった。足取りも軽く教室の扉へ向かう。おれはその後に続いた。
 購買へのささやかなデート成功、と云ったところか。まぁ、それはともかく。金髪の男はサンジと呼ばれていたと思う。直感で未だ冴えた頭はその男の情報を記憶の底まで素早く探っている。
 さて、今日の放課後が非常に楽しみだ。