「目覚めておくれ
……天翔る小さき子
……」
黄昏の荒天のように陰気で低い声が、リトル・ガーベラの意識を覚醒させた。
鏡状の地面が広がる暗い空間は、闇の嵐の中心
―『原罪』で全ての光を捧げた後に訪れる場所と酷似している。
だが、立ち上がって最奥に目を向けたガーベラは、思わず息を呑んだ。というのも
……
「ご機嫌よう、花のように儚い星の子よ。かの子に授けた我が祝福を“交信”と名付けたのは、貴公であったな?」
そこには“独りぼっちのあの子”ではなく、草原や捨てられた地の巨躯の大精霊たちを思い起こさせる程の、大きくて真っ黒な影が立っていたからだ。
ガーベラとは異なり、地面にその姿は映っていない。
このひとは大精霊様たちと同等か、それ以上の存在だ。
ガーベラの内なる火が、真っ先にそう告げていた。
大きな影は不定形で、黒く煌めくノイズを纏い、灰色の長髪を靡かせ、刺々しい八芒星型の青黒い仮面で顔を覆っている。仮面の中央に嵌められた一つのダイヤ石が『目』に相当するようで、小さな星の子を見据え、闇夜の一等星の如く青白い輝きを放っていた。
ある種の畏怖と、それ以上の好奇心が湧いたガーベラは、この異形の傍に駆け寄り、見上げ、尋ねた。
「私の名前はガーベラ。あなたが、私の友達
―ネモフィラに力をくれたひと?」
「その通りだ
……かの子の夢で現れた時とは些か姿が異なるがな」
「あなたは誰? なんてお名前なの?」
「名前? そんな物はとうの昔に捨ててしまった」
大きな影はそっけなく答える。
「まあ、影でもなんでも好きに呼んで構わん。別に我は気にせんぞ」
「じゃあ
……影さん、どうして、私の前に現れたの?」
「それは、貴公の強い願いに応じたからであって
……ん、待てよ?」
“影”は暫し首を傾げていたが、「ああ、そういう事か!」と納得した。
「貴公
……危機に瀕している故に我が夢と繋がった。その事を忘れておるな?」
その一言で、ガーベラはこれまでの出来事を、助けるべき精霊の事を思い出した。
「そうだ、私、深海で砲手さんを見つけて、巨大な闇の怪物から逃げようとして
……大変、アレから脱出して帰らないと!」
「これこれ、そう慌てるでない。貴公がこの夢から醒める前に、問わねばならぬ事がある」
“影”は身をかがめ、八芒星の顔をガーベラに近づけた。青白い『一つ眼』を瞬かせながら問いかける。
「貴公は
……あんな意地悪で傲慢な精霊でも、助けようと思うか?」
「助けるに決まってるでしょ!」ガーベラは間髪入れず、力強く答えた。
「私は星の子、使命の子。そういう悪い面を持つ精霊がいたとしても、精霊たちに失望はしていない!」
そう語るかの子の目には、豪快に笑う砲手の行方を心配し、無事を願うスカベンジャー達の姿が焼き付いていた。
「確かに砲手さんは、集めたお宝の数の事で威張ってきたり、嫉妬してきた事もあった。でも、あのひとは彼らの大切な仲間なの」
深淵の案内人から授かった臙脂色のケープの裾を、小さな両手で強く握りしめる。
「私はあの海で、王国の過去の秘密を垣間見た。光の生き物たちを捕らえて、彼らの光を金属の器に詰め、ダイヤ石で蓋をして機械の動力源を作っていた事を知った。あの怪物を閉じ込めて何かしていたらしい事も知ったわ」
秘宝の環礁の遺跡の壁画や、大魚追いディノの手記の記述、そして、捨てられた地の大精霊との会話を思い返し、小さな星の子は言葉を紡ぐ。
「それでも、これから何を知ろうとも、私のするべき事は変わらない。私は滅んだ王国の歴史を追い求めるし、生き物たちも救うし、地上に取り残された精霊たちも
―砲手さんも救いたい。私は、その為に生まれたから!」
「成程、成程」“影”は何度か頷き、更に問いかける。
「貴公は、何がなんでも、業に塗れたあちらの世界に戻りたいのだな?」
「そうよ。そんな世界でも、私は星の子として冒険を続けたい。それに、いつもネモや友達に心配かけてばかりだから
……戻って、安心させてあげなくちゃ」
その答えを聞いた“影”は満足げに頷き、胴からノイズ塗れの右腕をのばす。
真っ黒な腕と手は、巨躯の大精霊たちと比べて幾分細っそりとしていた。が、それでもかなり大きい。もし叩かれたら一溜りも無いと想像し、ガーベラは後ずさる。
「良かろう。ならば、我のするべき事は一つだ」
“影”は自身の胸元に右手を突っ込み、暖かく眩しい光の塊を引き抜いて、ガーベラに差し出した。光の翼をくれる子どもと同じくらいの大きさだ。
「この祝福を受け取るがいい。現在貴公が陥っている危機に、多少役立てられるかもしれん」
ガーベラは頷き、光の塊に手を伸ばす。
祝福はほろほろと崩れ、小さな星の子の体内に取り込まれていった。
「そのまま、下を見てみよ」
鏡状の地面に映るガーベラの姿は、リトル・ガーベラではなく、“白イタチのガーベラを模した二足歩行の獣”に変わっていた。
ガタイの良い精霊より一回りも、二回りも大きい。いや、孤島の火の預言者と同じか少し大きい位、という表現が適切だろう。
全身と長い尻尾を覆う、ふさふさな純白の体毛。イタチめいた頭部。口から覗く鋭い牙に、金色に燃える瞳。
モヒカン三つ編みヘアは鬣の如くぼさぼさで、手脚の5本指から伸びる金色の爪は、さながら三日月のよう。
ケープは元の色や形状が分からなくなる程に黒ずみ、ズタボロであった。
だが、すらりとした胴長の体と、それを支える長い腕と短い脚は、容易く谷を跳び渡り断崖を駆け上がれる程の、逞しくしなやかな筋肉を備えていた。
「おお、これは珍しい。この類の祝福を授かって、我が予想と異なる姿に変身する子は、滅多に居ない」
“影”は驚嘆し、興味深げに語る。
「それが、貴公の望む『形』なのだな。実に強固なものだ」
星の子ガーベラは、自身の身体と鏡像の獣の身体を見比べ、“影”を見上げて問いかける。
「これが、私の祝福
……私の望む『形』って、どういう事?」
「貴公の在り方は使命の子らしいものだが、それだけではない。檻を破り抗う、獣のような面も併せ持っているという事だ」
「抗う、獣」
そう呟いて再び地面を見ると、そこに映るのはリトル・ガーベラの姿だった。
「間もなく夢の終わりが訪れる。本当の目覚めの後、貴公の火を待ち望む者が、暗闇を切り開くであろう」
“影”がそう告げた直後、鏡状の地面がぐらりと揺れ、ガーベラの足元にピシリとひび割れが走った。
「そして、然るべき時が来たら。その変身の力で貴公の友を守り、運命に抗ってみせよ。ま、できるか否かは貴公次第だがなぁ」
「まって、まだあなたに聞きたいことが山ほど
……うわっ?!」
地面のひび割れの数は次第に増えていき、バリンと音を立てて粉々に砕け散った。
「ぎゃああああああああああ?! 上に落ちていくうううううううううううううううう!!!!」
悲鳴を上げながら昇天するリトル・ガーベラを見上げ、“影”は厳かに呼び掛けた。
「さらばだ、神秘を愛する不屈の残り火、抵抗の獣よ。いずれまた、何処かで相見えようぞ」
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