氷紀
2025-05-21 13:26:16
12594文字
Public 迷い込んだ彼らの話
 

それでも愛と呼べるなら 01

『迷い込んだ彼らの話』第二部。
CPは高沢+ゲタ墓です。
相変わらずの特殊設定が山盛りですのでご注意ください。



 今日はゲタ吉とちいさいのが留守で、体調を崩した沢城には高山がついていてくれる。留守を託せる相手がいるのは、悪くない――あの寺で、独りで暮らしていたころには持ちようもなかった感覚が、今更のように身に染みた。

 寺から歩いて十五分ほど、町の西の一角に建つ稲荷社の社務所の縁側に、僕は腰を下ろしている。この社務所に暮らしているのは、玄藤という名の神使の狐が一匹だけ……というか、一人だけというか。
 そろそろ昔なじみといっていいくらい長い付き合いの相手だが、今回はただ茶飲み話に来たのではない。頼まれた薬を渡しに来たのだ。
「四の、五の……うん確かに、墓場殿。ありがとうございます」
「土蔵にあるだけ全部、持ってきましたヨ」
 玄藤は僕の目の前で薬袋を数え直すと、隙のない手つきで木箱にフタをする。箱は僕が片腕で抱えられる程度の大きさで、もうすっかり古びて黒くなっているが、とにもかくにも頑丈ではあった。
「神使の子狐に飲ませても大丈夫な鎮静の薬、でしたっけネ。お役に立てば良いんですが」
「助かります、本当に。さっそく飯綱の社に回しましょう……件の子狐、相変わらずひどい癇癪で、親狐が難儀していると、先日も便りがあったのです。地気がひどく乱れているときに生まれた子なので、仕方ないのですが」
 玄藤の口調はいつも通り、穏やかだ。
 人間に混ざれば、六十代くらいの男性と言って全く違和感はないだろう顔つき――狐目というにはやや垂れ目が過ぎる、温和な栗色の目が改めて僕を見る。髪は、元々真っ黒だったのが、今は白髪が交ざって灰色だ。
 目の色と揃えたような、栗色の着流しの裾を軽く整えて座り直しつつ、玄藤は続ける。
「唯一効いてくれたこの調合、私らではどうしても、霊力の都合で再現できませんで……もし必要なら、またお願いできますか」
「エエ、作り方も残ってましたから。追加がいるなら言ってください。ただ、材料の万年朗が……去年の長梅雨で、木が傷んじまいまして。あまり量はできねェんですけど、必要なら何とか融通しますンで」
「ああ、万年朗は、雨が多すぎるとダメなんでしたっけ」
「雨そのものより、虫ですネ。一番大きい木が虫の餌になっちまいまして……挿し木で次のを増やしてますが、同じだけ採れるようになるには、しばらくかかりそうなんですヨ」
「大変ですねえ。寺の裏の畑、ただでさえあの面積でしょう……
 言いながら、玄藤は二人分の湯呑みの茶をつぎ足した。ありがたくもらい受けて、応じる。
「マアそれなりに……でも父さんの残したモンだと思えばネ。それに、最近じゃゲタ吉とちいさいのが頑張ってくれるんで、だいぶ楽になりましたヨ」
「それはそれは。あのちいさい子も、畑仕事を?」
「草取りは、ほぼあの子に任せっきりですネ。ゲタ吉はそれをほっとけなくて、結局一緒に畑に出てる、って感じです」
 そうなんですか、という笑み混じりの返答。
 その声に、僕はいつも救われてきた……と言うと、言い過ぎだろう。でも以前、父さんがいなくなって、手がかりを探して、どうやら時空干渉の術で何かあったらしい……というところで引っかかっていた僕に、『仮構の地獄』のしくみを詳しく教えてくれたのは、この玄藤だった。

 かつてあった馬鹿な戦争のお陰で、この時間軸の地獄は閻魔大王ごと崩壊した。
 父さんは、己の友たる閻魔大王が最後の力で残した輪廻の継ぎ目を、使える手段を総動員して補い、再構築した。それが『仮構の地獄』だ。そしてある夜、父さんはかつて黄泉平坂と呼ばれたその場所を見回って――翌日、姿を消した。他の全てをそのままに。

 玄藤が僕に力を貸してくれるのは、閻魔大王と父さん、双方の知己であったから……というのも事実だが、それだけではない。『仮構の地獄』が、玄藤の役割と深く関わるものでもあるからだ。
 あの馬鹿な戦争で、日本の神格と呼べるものたちが力を減じたり消滅したりした中で、一番マシな状態で踏みとどまっているのは、稲荷神とも呼ばれる宇迦之御魂神とその勢力だ。稲荷は元々豊穣と商売の神だが、担えそうなのが他に誰もいないという理由で、少々無理をしながら、本業以外の領域も担当しているのが現状だった。その中で、主に『人の魂の道』を守る役割を稲荷神から仰せつかった神使の一体が、玄藤――いきおい『仮構の地獄』に関わらざるを得ない、というわけだ。

 その役割の性質上、ゲタ吉とちいさいの、沢城と高山、というこの時間軸に対する来訪者のことも、玄藤はほぼ全てを知っている。以前襲ってきた巨大な卵型西洋妖怪のことも、それから――僕がゲタ吉とちいさいのを、この世界に括り付けてしまったことも。

……そうだ。今日、沢城が時空越えの夢知らせを成功させましてネ。こっちに影響はないかと思いますが、一応、伝えておきますヨ」
「ああ、さっきほんの少し揺れたなと思ったのですが、あなたのところでしたか。お知らせありがとうございます、……やはり、彼はゲタ吉さんとは違う道に踏み出したのですね」
「ごく近い魂ですけどネ、抱える記憶が違えば別人です。ちいさいのも……ただやっぱり、ゲタ吉と沢城はそっくりですヨ。力の使い方も、願いの方向性も」
「それでいて選ぶ道は違った、ということですね。帰るのか、ここに留まるのか」
 僕は一口茶を啜ってから答えた。
「確かに選択としては正反対です。でも内実は、やっぱり同質ですヨ。あいつらを動かしてるのは、『大切だと思える相手と一緒に居たい』って感情です」
 ゲタ吉がこの世界に留まることを選んだのは、ちいさいのを守る為、それ以外の何者でもない。仲間も家族もいない、焦土と化した自分の世界へ帰るより、ちいさいのの手を握っていてやりたい、と――奴のちいさいのに対する情は、もはや子連れの親熊のソレだ。
 沢城の、高山に対する情とは、種類が違う。しかし深さと強さという点では、ゲタ吉と沢城は本当に『同じ』だった。
「そこまで分かっていて、あなたは……と、」
 言いかけた玄藤を遮るように、大きな羽ばたきの音が一つ。
 縁側に下りてきたのは、大きなカラスだった。随分慌てた仕草で近寄ってくると、くちばしの先で、折りたたんだ薄茶色の紙切れを差し出してくる。
「あなた宛ですね。一体……
 僕がその紙切れを受け取っても、カラスはそこに留まったままだ。今すぐ返事が必要な手紙、ということか。
 畳んだ紙を開いたら、そこには青いクレヨンの筆跡がある。

『はか にいさん へ
 ゲタきちにいさん が さらわれた たすけて』

 よく見れば、その薄茶色の紙切れは、街で一番大きいショッピングモールに入っている書店兼文具屋の紙袋を、破って一枚紙にしたものだった。
 そして、その薄茶色の紙からはらりと落ちたのは、何かの符の切れ端――縦長の符を引き千切った下半分、そこに残った文字だけでも、それが鬼道衆の流れを汲む流派の封印符であることが読み取れる。
 顔色を変えた僕に、玄藤は黙ったまま、懐から紙とペンを取りだして、差し出してくれた。