kanaco
2025-05-16 23:49:37
7235文字
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【九信】九信SS(単作)まとめ(フセッター時代)

P1~P3【幸せを数える】幸せの数を数えたい男たちの話。




今がどういう有様なのか地に倒れて動けぬ信一には伺うことはできなかった。血の匂いが辺りを充満している。自分のものが鼻につくのか、それとも十二?四仔?そうじゃないといい。先ほどまで奮闘していた2人の声はもう聞こえない。自分と同じように、既に地に伏しているのかもしれない。どうなってしまうのだろう。でもどうなったって2人が生きていてさえいてくれればそれで良かった。信一はもうこれ以上誰も失いたくはない。しかしそれを祈ることくらいしか手立てもない。

洛軍は逃がせた。
たった一つ、それだけが。
3人が、そして命を賭したあの人が繋いだ光だ。

でももう、それ以上のことは何も望めやしなかった。

仰向けに転がされた信一はそのまま空を見上げる。体中に巡る激しい痛みはとうに通り過ぎた。自分の体だとは思えぬ、ただただ無感覚な傀儡と化した気分だった。視覚と嗅覚、そして聴覚だけがまだ辛うじて機能していた。でもそれだけだ。

月。

「ずっとあんたの傍にいるもの」

それは、そう龍兄貴に告げた日に窓から覗いた月に似ていた。明るさを放ちながらも、それでも包むように優しい光を帯びていたあの満月。あの大切な人を思い起こさせる、じんわりと自分を照らす温かいな光。無性にその 灯りが恋しくなって信一は右手を伸ばそうとした。しかしその腕はピクリとも動かなかった。

月に、アンタになんて届きやしない。
信一は心の中で切なげに笑う。

ああ、でも。
この無くなった指たちだけは、あなたに縋りたくて月まで飛んでいったかも。

感傷に浸っていた信一の目の前から、突然に月が消えた。その月の場所を覆ったのは、信一の最も大切な人を奪った“憎しみ”などという言葉では形容できないような、かの男の顔だった。

「よぅ、色男。さっきぶりだなぁ」
芝居がかった仕草。勝ち誇ったような表情をした男が、満足そうに自分の顔を覗き込む。真っすぐに見つめる信一の瞳を見て饒舌に何かを喋っている。しかし信一の耳にはただの雑音として届き、流れていく。王九の顔の遠く後ろにあるだろう月を、ただただ想う。

(アナタと逝きたいなぁ)
「可哀想になァ、パパがいなくなっちまって」

(それでも、あなたは俺に生きることを願うのだよね)
「可哀想だから俺が拾ってやるよ、お人形さん」

(あなたがそれを願うなら)
「幸せを数える指はまだ片方残してやっただろ?」

(あなたからもらった幸せを数えて生きるから)
「これからは俺と数えようぜ」

(その幸せを抱いて生きていくから)
「お前の大好きな幸せってやつをさァ」

(ねぇ、哥哥)
(だから大丈夫だよ)

信一の青ざめた唇をもったいぶるようにゆっくりとなぞった。そこで初めて、信一は自分を見つめる優悦に満ちた残酷な瞳を自分の目に捕えた。瞳の奥。コイツが本当に求めているものは。

……ああ、そうか。そういえばこいつと見たのもこんな月だった。

「俺にシアワセってやつを教えてくれよ」
王九が足を振り上げる気配がした。額の上に靴の裏が見える。
「それじゃぁ、一緒に行くとしようぜ」
頭の方から鈍く大きい音。


「ようこそ、人形のお姫さん」


視界がブラックアウトする。その刹那でも最後まで聞こえてきたのは、あの耳をつんざくような笑い声。嗤っているのか狂っているのか、やはり今でもそれは嘆きに近く信一には聞こえるのだ。狂気と歓喜の狭間で膨れ上がったけたたましい男の愛憎が、これ以上の奈落へと信一自身を蹴り落とすだろう現実は、薄れゆく意識とともに溶けて消え去ってしまった。