「ああほら、ここが間違っているだろう」
座るパーシヴァルの肩越しに、バーソロミューの紅を塗った爪がノートを指さす。計算間違いを指摘されるにもかかわらず、頭頂部に当たる柔らかく温かい感触に、パーシヴァルは顔を真っ赤にさせてそれどころではなかった。が、バーソロミューは気にした様子もない。
「聞いているのかい、少年」
肩からぐっと身を乗り出し、パーシヴァルの顔を覗き込んでくる。
「~~~~~~~ッ聞いています!」
慌てて声を上げれば、魔女のくつりとした笑いが耳を打つ。
「それは良かった。そのかわいい耳は飾りかと」
カッと、今度は羞恥と悔しさからパーシヴァルは耳を赤く染めた。
「ほら、やっぱり止めたが良くないかい」
バーソロミューはそら見たことかとパーシヴァルを窘めるが、パーシヴァルもこればかりは素直に聞き届けることができない。小さく頭を振って気を引き締めると、改めて目の前の問題へ食らいついた。
結論から言おう。魔女と出会ったパーシヴァルは館から逃げ出した。まだ十歳の少年である、咎める方が酷であろう。
逃げて逃げて、家令に見とがめられ、我に返ったパーシヴァルは涙をその空色の目いっぱいに溜めてあれは何だと家令を問い質した。どう見てもあれは良くないものだろうと、正義感の強い少年はそう思ったのだ。
すべてを悟った家令は、パーシヴァルを父親
——ド・ゲール家当主の執務室へと連れて行った。
家令から事情を聴いた父はこめかみに手を当てると深く息を吐き、妻を
——パーシヴァルの母を呼ぶよう家令に告げた。
パーシヴァルの母は、それは優しく美しい人である。彼の穏やかで心優しい性格は、多分に母によるところが大きい。その母が部屋へ駆けこんでくるのをパーシヴァルは初めて見た。
母は、自身の夫と息子へ視線を何度か往復させると、身の置き所をなくしているパーシヴァルをぎゅっと抱きしめた。それだけでパーシヴァルは安堵した。と同時に、城の一角にあれほど恐ろしいものがいることを思い出し、それを父母が受け入れていることに身震いした。
「あれは何ですか」
少年の糾弾するかのような硬い声に、父は肺から息を押し出すように吐き、誤魔化すことを諦めて口を開いた。
曰く、あれは海の魔女だと。
「うみのまじょ」
口の中で飴を転がすように鸚鵡返すパーシヴァルへ、母が「そうです」と頷く。
「あなたにも話したでしょう?」
「あれは、寝物語りではないのですか?」
幼い頃に聞かされた海の魔女の物語。海に愛され、呪われ、海に入れなくなった「魔女」の話。海の魔女は、出会った者に富をもたらすが、ひとつ間違えれば破滅を呼ぶ
————
「まさか」
察しの良いパーシヴァルがはっと父と母の顔を見比べる。二人の首が縦に振られたのを見て、パーシヴァルは目を見開いた。
「
あれは、本当にあったことなのですよ」
「おまえの曾祖父様が手に入れた、我が家の宝なのだ」
その宝は、魔法で金銀財宝を出すだとか、敵対勢力を呪い殺すだとか、そういうことをしてくれるわけではなかった。
「本来なら、十二歳を超えたところで家の歴史を習うだろう? そこできちんと説明がされるはずだったのさ」
女性が足を組むところを初めて見たパーシヴァルは、ふくらはぎが露わになっていることを指摘すべきか、視線をそらして見ぬふりをすべきか迷った。
例の館で、パーシヴァルは海の魔女ことバーソロミューから授業を受けていた。
「呪いで不老不死となろうが、残念ながらこの身は腹も減れば喉も乾く。魔女といえどもそれは名ばかり。ではどうするか? 王侯貴族の皆様に保護していただくのが一番良いとね」
そう嘯くバーソロミューは、粗末な木の椅子に腰かけ、組んだ膝に肘をついた。身を前屈みにするものだから、大きく開いた胸元が協調される。
彼女の目の前に座るパーシヴァルは、今度こそさっと目をそらした。その小さな紳士ぶりに、バーソロミューは満足気に目を細める。
「私が君に教えるのは、家を盛りたて、海から富をもたらすための
術だ」
星を読む術、風を読む術、航海の際に波を読む技術、取引の際の駆け引きの方法
——そういったことを魔女は、バーソロミューは授けてくれるという。曾祖父の代から、これまでも、これからも。
「ただ、私の授業はなかなか厳しいと評判でね。だから十二歳を過ぎてから、ということだったのだが。それでも君は受けるのかい?」
挑発するように言われては、パーシヴァルの自尊心が納得するはずもない。
そうして少年と魔女の授業は始まったのだが、宣言通り内容は難しく、間違いをたびたび指摘される。そのたびに悔しくて悔しくて、パーシヴァルは唇を嚙みながら授業へ挑むのだった。
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2話
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