riririnf
2025-04-05 11:06:19
23595文字
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とある晴れた秋の日に~リプライズ~

ヌヴィフリ逃亡書いてみた⑦
エピローグ



 フリーナとヌヴィレットを見送り、璃月港へと戻ってきた鍾離は、勤労に往生堂へと向かう──ことはせず、そのまま自宅の扉を開けた。
 迷うことなく椅子に腰を降ろし、目を閉じる。

 ──終わったぞ。

 声には出さず、一言。

 ──あら、本当?

 頭の中に直接響く少女の声に目を開けると、そこはもう自宅の景色ではなくなっていた。
 眼前に広がるは、色とりどりの草花が咲き誇る庭園。
 本来ならば生息域が異なるのであろう風体の花々が、そんな垣根は些末なことだと言わんばかりに調和している。その光景に全くの違和感を抱かせないのは、この空間を創り出している主のセンスの良さに尽きるだろう。
 庭の中央には、花を思わせる華麗な造形の噴水が柔らかな音を立て、空間に潤いを与えている。周囲には燐光を帯びた草晶蝶が飛び交い、淡い翠色の軌跡が美しい。
「相変わらず見事なものだな」
 花弁のように広がる椅子に腰を下ろしながら、鍾離は感嘆を漏らした。
 漂う花の香りが穏やかに鼻腔をくすぐり、目の前の円卓に並べられた菓子からも、甘やかな香りがほのかに漂う。異なる甘さはこれまた見事に調和して、心地のよさすら感じさせてくれる。
 鍾離はこの菓子の味を知らない。だが口にすれば、その“知らぬ味”すら堪能出来るのだろう。
「ええ、実に素晴らしいです」
 推測の答えは、もう一人の招待客から齎された。同席者である彼女は、優雅に菓子を頬張っている。
 武人の心得だと、常日頃冷静たらんと心がけている静かな語り口の彼女だが、今その声は僅かに弾んでいた。
「ふふっ、あなた達を招くから、少し張り切ってしまったの」
 気に入ってくれてよかったわ、とこの空間──夢境の創造主たる少女は、ふわりと笑みを浮かべた。
「こうして連絡が入ったということは、物語は無事ハッピーエンドを迎えたようね?」
 ぺたぺたと裸足の足音を鳴らしながら鍾離たちと同じ円卓に座した少女は、いといけな容姿に理知の光を宿して訊ねてくる。
「ああ。これもお前たちの協力のおかげだ」
 鍾離が肯定と感謝を表すと、少女はふるふると首を振った。
「いいえ。私はこうしてあなたたちの『夢』を繋げて、対話の場を用意したに過ぎないわ」
「いや、十二分の働きだ。俺は『夢枕』を用いて他者の夢に現れることは出来るが、それでも距離などの環境にも左右される。誰の夢にも、という訳にはいかない」
 だから鍾離は、夢境を操る権能を持つ“草神”に最初に協力を仰いだ。夢の専門家たる彼女なら、距離に関係なく鍾離の夢を拾うことが出来る。
 それはこの場に同席するもう一人の彼女に繋いでもらう為だった。“雷神”は夢を操る力を持たず、鍾離から連絡を取る術がない。
 もっとも草神曰く、日頃一心浄土に精神を置き瞑想に励む彼女は、眠りに左右されないこともあり、他の神々よりは連絡を取りやすいらしい。
「三年前『夢』を通じて、あなたから連絡を頂いた時は驚いたものです」
 菓子を食べ終えた雷神が、紫電の瞳をこちらに向けた。
「まさか『人形』の作り方を教えてほしいだなんて」
 ──『人形』。それこそが三年前の鍾離が草神の手を借りてまで、雷神と連絡を取った目的だ。
 彼女は肉体を捨てるにあたり、雷神としての役目を自身に代わって果たすための『人形』を作り出した。その精巧さと性能の高さは旅人の折り紙付きだ。
「“彼”への備えは万全にしておきたかったからな」
 短時間ならば鍾離の術のみでも、龍に気配を悟らせないようにすることは出来る。実際、以前彼が唐突に沈玉の谷を訪れた時──あれは彼なりの休暇だったらしいが──には、術で気配を隠して対応した。
 また彼は龍王としてはかなり穏健な気質のようで、闇雲に武力を行使して、璃月の民を傷つけるような真似もしなかった。
 しかし三年前、フリーナが璃月へ移住したことから、些か事情が変わった。
 フリーナは彼の“特別”だ。どのような目的であれ、次に龍がこの地を訪れる時は、必ずやフリーナを中心として嵐が吹き荒れるであろうことを、鍾離は予感した。
 だから万全を期すべく、術に加えて『人形』技術を頼ることにした。鍾離の全てを完璧に再現するような──それこそ「雷電将軍」のような完成体を作り出すには、途方もない時間と労力がかかるだろうが、気配を隠す一点特化に絞ったならば、そう難しいことではなかった。
 かくして鍾離は一切の抜かりなく、ヌヴィレットを出迎えたのだ。
「『人形』はお役に立てたでしょうか?」
「ああ。気配の隠匿に一役買ってくれた」
 ゆったりと首を傾げる雷神に頷きを返す。『人形』があったからこそ、八日前の対面時には正体を看破されることなく、その後も概ね自由に動くことが出来た。
 詳細に述べるのであれば、月を肴に花を眺めたあの夜に、すっかり露見してしまったが、そこまで伝える必要はないだろう。
 彼は生命を司る龍だから、生命の気配にはとりわけ敏感だ。人の肉体……否、そもそも肉すらない器で、彼を誤魔化しきれるとも思ってはいなかった。長い接触には耐えられないことも承知の上で、鍾離はあの夜、酒の席を用意したのだ。
 最初から分かっていたことを態々伝え、この穏やかな『夢』の場を曇らせたくはない。
「それはよかったです」
 雷神は鍾離の言葉を受け、満足そうに頷いた。
「当時立ち会った私としても、その言葉を聞けて安心したわ」
 草神もまた笑顔で同調する。世界樹という知識の保管庫を管理する彼女は『人形』の限界も当然知っているのだろうが、口を挟んでくることはなかった。
 知識とは使い時こそが重要で、徒にひけらかし、場を弁えぬ者は愚者である。流石は知恵の神、知識の扱い方をよく心得ている。
「あの日蒔いた種は立派に育って、素敵な花を咲かせたようね」
 草神は感慨深げに目を閉じた。
「その花びらは何色で、葉っぱはどんな形かしら。香りも知りたいわ。きっといい香りなのでしょうね」
 空想にふけるように、彼女は語る。彼女の瞼の裏には萌木のような淡い想像が、枝葉を伸ばして広がっているのだろう。
「ねえ、詳しく教えてくれないかしら?彼女は世界の運命を変えるほどに賢い人だもの。そんな彼女が紡いだ物語なら、きっと素敵なお話に違いないわ」
 ゆっくりと瞼が開く。再び現れた萌黄の瞳は期待に輝いている。
「私も聞きたいです。神に比肩する意志を持つ彼女は、どんな「戦い」を繰り広げたのでしょう?」
 そう語る紫電の瞳は、興味深げな色を宿している。今日はよく二人分の視線を浴びる日らしい。
 二人とも決してそのような身分ではないのだが、子から御伽噺の続きをせがまれているような、そんな不可思議な気分にもなる。
「そうしたいのは山々だが、俺はこれから仕事に戻らなければならない」
 鍾離は苦笑を返した。逃げのようにも聞こえてしまう台詞だが、両方、本心であり事実である。
 彼女たちは鍾離と同様、人の身でありながら五百年に渡って神を演じ抜き、見事責務を果たしたフリーナを称賛している。だから鍾離がフリーナの「幸せ」の為に巡らせた、ささやかな企てに賛同し、協力してくれた。
 なればこそ、僅かばかりの報酬として、彼女たちは『物語』を望み、楽しむ権利がある。
 そう思ってはいるのだが、如何せん「鍾離」は凡人として生きている。凡人は日の明るいうちは労働をするものだ。
 特に今は上司に仰せつかった任──フリーナの見送りについて、完了報告をする義務を負わされている。それよりも彼女たちへの報告を優先したのは、元の肉体に戻るためと、こちらの話はそう長くはならないだろうとの算段からだった。
「仕事……。そうね、あなたは今、人の循環の中にいるのよね」
 予想の通り、卓越した英智を持つ草神は、感情に依らず理知的で、鍾離の真意を裏なく受け取った。
「そういうことならば、仕方ありませんね」
 続くように雷神も大人しく引き下がる。彼女は昔から、こういう場ではあまり主張のない性分だった。
 一方で、真っ先に物分りの良さを見せた草神は、けれども今は人差し指を口元に運び、思考を巡らせるように視線を落としていた。
 それは数瞬のことだったが、知の象徴たる彼女の思索の速さは、常人には遠く及ばぬものだろう。一体何を考えているのか。期待を込めて、鍾離は続く言葉を待った。
「──私は、あなたの物語も聞いてみたいわ」
「俺の?」
 予想外の提案に聞き返す。ええ、と草神は胸に手を当てた。
「私は知恵の神。“識る”ことは何にも勝る喜びなの。世界樹から無限の知識を得ることは出来るけれど、それだけでは見識は深まらない」
 だからね、と言葉は続く。
「あなたの……、他国に暮らす者の話も、聞いてみたいの。そんな機会、なかなかないでしょう?」
 無邪気なおねだりだ。しかし、彼女は知恵の神。この言葉は決して思いつきなどではなく、深謀深慮の末の発言であるのだろう。
 事実あどけなさを装ってはいるが、その瞳は不安げに揺れている。
 ずっと話を切り出す機会を窺っていたのだろう。三年前──否、もしかすると、もっと前……スメールの混乱が落ち着き、彼女が長い幽閉から解放された頃から、ずっと。
 俗世の七執政はかつて定期的に酒を飲み交わしていたが、この場においては彼女だけが、その頃を“識らない”のだ。
 さて、どうしたものか。これが「鍾離」に「岩神」を見ての招きであるならば、考えるまでもなかったのだが。
「──いいですね」
 鍾離の思考に天鼓を差し込んだのは、意外な人物だった。影に徹する彼女が、かつての酒席で発言をすることは、非常に珍しかったと記憶している。
「私も聞きたいこと、そして話したいことが多くあります。例えば我が国を代表する甘味の一つ、団子牛乳を知っていますか?甘くてもっちりとした食感の、とても美味しい飲み物です」
 そう言って、彼女は柔らかな笑みを浮かべた。それは彼女の素なのだろうが、少なくとも鍾離には馴染みのない顔だ。
 すべての意志は時によって磨かれる。彼女はかつて「永遠」を追い求め、己の肉体すらも捧げてみせたが、今の彼女が目指す 「永遠」は、当時とはまた異なるのかもしれない。……少し、興味が湧いた。
「あら、素敵ね。一度、強く思い浮かべてくれるかしら?次から用意しておくわね」
「ええ、お願いします」
 二人は「団子牛乳」なる甘味を共有し、花々が咲き誇る庭園にそぐわしい、はなやかな笑みを浮かべている。どうやら昨今の神々の話題は、酒から甘味へと移り変わりをみせているらしい。
 そして“次”があることも、もう確定のようだ。
 まあ仕方がないだろう。まだ彼女達にせがませれた物語を語れていない。
 そしてこの招きが『酒席』ではなく、所謂『早茶』、もしくは『お茶会』であるならば、もう一人招かなければならない者がいる。
 更に言うなら、その者は人間なのだから、そこにもうひとり凡人が紛れこもうとも、そういうことも有り得よう。
「──分かった。丁度近いうちに、茶会が開かれることだしな」
 主役自ら、物語を語ってもらうのもいいだろう。

◇◆◇◆

 ──目を開ける。眼前に広がるは見慣れた天井。上体を起こすと、木材が僅かに軋む音がする。
 視界は良好、聴覚も正常。その他知覚も問題なし。強いて言えば、八日振りに動かす肉体は少々重い……かもしれない。その程度だ。
 視線を横に移せば、椅子に座る我が身そのものの人形。
 気配を隠すことに特化している分、出力が抑えられており、使いどころは限られる。しかし使い道が無い訳でもないので、当分何処かで保管しておくのもいいだろう。
 ともかくも、そんなことを考えるのは、また後でいい。今は上司にフリーナ見送りの完了報告が先だ。人との縁を大切にする胡桃に対して、この手を報告を遅らせると、しばらく臍を曲げるに違いない。
 立ち上がり、自宅の扉をくぐった。 璃月の街は今日も賑やかで、根を張る者、移ろう者、その他様々な者たちが活気を伝えてくる。

 そんな中、ふわりと秋にそぐわぬ麗らかな風が吹く。

「おやあ?これはこれは……上は天文、下は地理、昔のことから今のことまで、な~んでも知ってる鍾離先生じゃないか」

 そよ風と共に現れた自由気ままな吟遊詩人は、軽やかな口振りで微笑んだ。
「フォンテーヌの最も輝かしい演者の凱旋を、満喫してきたんだってね?」
 しかし、その翡翠の瞳は笑っていない。
「まったく驚いたよ。まさか“彼女”が璃月に来ていたなんてさ。ボクだってこの三年間、何度か璃月を訪れたことはあったのに、ちっとも気が付かなかった」
 彼は風に運ばれる羽のように軽快な足取りで、こちらに近寄ってきた。
「よっぽど彼女の隠れ方が上手かったのか、それとも水の気配を誰かさんが隠していたのか……
 鍾離の目の前で立ち止まった彼は、唇の弧を保ったままに半眼を向けてきた。
「ははっ……璃月は広く、出入りする者も多い。特に彼女はこちらでは裏方に徹していたからな。知らなかったのも無理は無い」
 まったく煩い奴が来たものだ。鍾離は思わず眉を寄せそうになるのを堪え、素知らぬ顔で璃月の街に目を向ける。
「アハハッ、なるほどね。どうりでボクらの友人、旅人とパイモンは、彼女のことを知っていた訳だ」
 詩人は歩き出した鍾離の隣に並び、当然の如くについてくる。
「ここに来る前、石門の辺りで二人に会ったんだ。そこで彼女のことを聞いてね。もう璃月を発つ頃だろうとは聞いたけど、もし見送りに間に合ったら嬉しいなあと思ってさ」
 フリーナより先に璃月を発った二人に、このタイミングで出会うとは。これまた奇縁もあるものだ。
「残念ながら結果はこの通り、入れ違いだったんだけどね」
 ふう、と彼は溜息を一つ。
「でも代わりに、今度は胡堂主に出会ってね?往生堂の誇る優秀な客卿殿が、お見送りの大任を仰せつかったことを教えてくれたんだ」
「ああ、丁度これから堂主に報告に行くところだ」
 吟遊詩人らしい穏やかな口調ではあるものの、その語りの裏は明白だ。当然鍾離は無視をして、言葉そのものだけを拾って返した。
 捕まってしまったのは面倒だが、せめて人形の状態ではなくてよかったと、そう考えるべきだろう。このうえ他の二柱にも会っていたと知られれば、もっと面倒なことになる。
 近いうちに開かれるお茶会に向けて、草神が他の神々にも夢を通じて声をかけると言っていたから、結局は時間の問題なのだろうが、こういうことは先送りにしたとて、さしたる問題はない。今この時を凌げるならば、寧ろ大いに意味がある。
「そうだねえ、ならボクはこの後フォンテーヌに向かおうかな?璃月に来てたのなら、次はモンドに来るのはどうかな、ってお誘いしてみようと思うんだ」
 風花祭で一緒に公演してみたいんだよね、とマイペースに笑う昔馴染みに、鍾離はついに眉を寄せた。
「やめておけ。馬に蹴られても知らないぞ」
 つい、そう口を挟んでしまう。
「んー、ちょっとだけ惜しいかな」
 詩人は笑みを絶やさずに、のんびりと空を見上げた。
「そこは“龍”に、って言うところさ!」