riririnf
2025-04-05 11:06:19
23595文字
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とある晴れた秋の日に~リプライズ~

ヌヴィフリ逃亡書いてみた⑦
エピローグ



 二人の論争は、ヌヴィレットが問答無用で支払いを済ませたことでケリがついた。こういうことは行動した者勝ちなので、彼の戦法は実に正しい。
「まったく、ヌヴィレットめ……!あんなの卑怯だよ……
 桟橋の上、フリーナはいまだ悔しげな様子で腕を組み、頬を膨らませている。
 出し抜かれた直後も「次こそ僕が払うからな……!」と息巻いていたが、先程までの二人のやり取りを見るに、今後もこの件で彼女が勝ち星を拝むことはないだろう。
……ごめんよ、鍾離先生。ヌヴィレットってば、失礼なことばかり言って……。気分を悪くしていないかい?」
 ふとトーンを落としたフリーナは、眉尻を下げ、窺うような視線を向けてくる。
「俺は気にしていない。ヌヴィレット殿の言動も、フリーナ殿を想ってのことだろう」
 首を横に振り、安心させるように微笑むと、フリーナはホッと表情を和らげた。その胸元には夜泊石のネックレスが秋風に揺れている。
 五日前にフリーナと街歩きをした際も良い品だと思ったが、やはりこの目に狂いはなかった。彼女にネックレスを贈ったであろう彼の意図は、間違いなく鍾離とは異なるのだろうが。
「鍾離先生は本当に『出来た』人だね。あっちの誰かさんとは大違いだよ」
 フリーナは船着場に停泊する定期船をちらりと見遣った。ヌヴィレットは既に乗り込んでいて、甲板からこちらをじっと見つめてくる。
 フリーナに「もうキミは先に乗ってて!これ以上、鍾離先生に失礼なことを言わないでくれ!」と叱られた彼は、渋々ながらも彼女に従った。
 鍾離に向けてくる視線の鋭さを考えると、まるで納得していなさそうではあるが、変なところで聞き分けのいい龍である。引き際を心得ているのも、数百年の付き合いの成せる技なのかもしれない。
 ……分からないものだな。
 最初、予言という決められた運命に対抗する為とはいえ、水の龍王を懐に招くという「水神」の計画を知った時は、なんの冗談かとも思った。
 龍と神の確執は、もはや龍にとって裁きの使命として刻まれるほどなのだ。ある時代の己が聞けば、荒唐無稽の夢物語だと笑い飛ばしもしたかもしれない。
 だが、現実とは虚構よりもなお離奇なり──龍は「水神」を認め、「人」に寄り添い、ただ一人を選んだ。夢物語としては、最高の結末であるだろう。
 そして、そんな荒唐無稽を成し遂げた「正義の神」。“彼女”の「正義」によってなされる全てを、鍾離は尊重する。それほどに高く評価している。
 だからこそ璃月に移住してきたフリーナを出来る限りに支援してきたし、来たるべき時に備えもしてきた。旅人とパイモンにも伝えたが、フリーナには功績に見合う成果が与えられて然るべきであるからだ。
 そしてそうした根回しもついに実を結び、フリーナは己の「幸せ」を掴み取った。
 そう──あくまで彼女自身の力で成したこと。鍾離は彼女が上がる岩の舞台に、多少の手を加えこそしたものの、根本的には彼女の脚本を見守る観客の一人に過ぎなかった。
 しかし舞台の外から眺める観客だからこそ、見えてくることもある。例えば一つの舞台を終えた演者達の、次なる舞台は何処であるかなど。
「──寂しくなるな」
 そう確信を持って伝えれば、色違いの青い瞳が揺れ、それを透明な膜が覆い隠す。途端、全身に刺すような圧を感じたが、それには気付かない振りをする。
「もう……っ、一週間で戻ってくるって言ってるのに」
「ああ、そうだったな」
 ふるふると首を振って雫を追い払うフリーナにも、同じく気付かない振りをして、鍾離は口の端を上げた。
「そうだよ」
 真似るように口の端を上げたフリーナの瞳に、もう膜は無い。五百年間、神を演じ続けた彼女の切り替えは、いつ見ても素晴らしいものがある。
……僕さ。この街、ずっと苦手だったんだ」
 フリーナはぽつりと呟いた。鍾離は答えず、先を促す。
「ここ、フォンテーヌが見えるだろう?」
 フリーナの視線が横に滑る。視線の先には水の国より流れ落ちる純水。
「この街には舞台があるから、仕事上避けることも出来なかった。どうしてもの時は最低限しか滞在しないようにしていたし、海なんて絶対に見ないよう気をつけていた」
 多くの者にとっての絶景は、彼女にとっては長らく異なる意味を持っていた。
「交易上フォンテーヌに詳しい人も多いし、とにかく気が抜けなくて」
 俯き気味に、フリーナはくすりと微笑んだ。そこに自嘲の色はない。ただ過去をそっと抱きしめるような、そんな響きだけがある。
「勿体ないことをしたよね。こんなに素晴らしいところなのに」
 フリーナは目を細め、遺瓏埠をぐるりと見渡す。鍾離も同じ景色を追った。
 ルミドゥースハーバーと程近いこの港は、かの国との交流が特に活発だ。例えば家屋の外壁沿いに、フォンテーヌ産の植物を植えた鉢植えが置かれていたりする。
……それに気付けたのは、鍾離先生のおかげだ」
 色違いの青い瞳がこちらに戻ってくる。そこに三年前から続いた翳りはもうない。ただ懐かしい輝きだけが宿っている。
 彼女が神の座を降りて、まだそう経っていない頃。翹英荘で初めて鍾離と出会った時の、自由を噛み締め、人生という舞台を楽しんでいた頃の、あの輝きが。
「清心の花パイも、とっても美味しかったしね。流石、美食の国と言われるだけはある」
 花の味わいを思い出したのか、それこそ花が咲き誇るようにフリーナは笑った。
 ──もう彼女は大丈夫だろう。
 そして同時に、したたかになってきたことだとも思う。
 この三年間、彼女はことにつけ、謝罪と礼を繰り返していた。元々の性分もあったのだろうが、璃月に移住してからは特に、その傾向が顕著になった。
 それは彼女の善良なる心から生まれる、深い自己嫌悪と罪悪感に端を発するものだ。故郷を離れて一人暮らす女性に対して、周囲が気をまわせばまわすほど、彼女の心は泥砂に足を絡み取られたかの如くに、重く沈みこんでいく。
 だからこそ鍾離は己の行いでフリーナを潰してしまわないよう、常に気を配ってきた。
 手を差し伸べるのは、彼女が本当に行き詰まっている時の最低限。程度を越えた謝辞は受け流した。
 どんな美しい宝石も泥にまみれてしまえば、その輝きは失われる。過度なへりくだりは汚泥となって、フリーナ自身が己の輝きを見失ってしまうから。
 しかし、それは決して一方的な施しなどではなかった。
 フォンテーヌの「神」として、そして「大スター」として、彼女の持つ知見や見識は非常に興味深く、時に斬新で、鍾離を感心させた。
 フリーナがフォンテーヌについての話題を避けていることには気付いていたから、その点にこそ配慮はしたが、彼女と過ごす時間は有意義で楽しいものであったのだ。
 俺も楽しんでいる、と伝えたこともあったが、自己評価が低いきらいのある彼女は、決して己の価値を信じなかった。なんとか鍾離に礼を受け取らせようと躍起になっていることも気付いていたが、それもやり過ごしてきた。
 そして、そんなやり取りを繰り返す中で、彼女もついに攻め口を変えてきた。
 鍾離個人への礼ではなく、璃月という国そのものを褒められてしまっては、もう受け流す術などない。それは自分への最大の賛辞であるからだ。
「気に入ってもらえて何よりだ。フリーナ殿の言う通り、璃月は素晴らしい国だからな」
 だから鍾離は、ただ素直に彼女の言葉を受けとめた。
「うん。本当に、教えてくれてありがとう」
 それにまたフリーナが嬉しそうに顔を綻ばせ、注がれる視線の鋭さが増す。
 こちらを立てれば、あちらが立たず。なんともままならないものである。
……だから今度は、鍾離先生にフォンテーヌの素晴らしさを知ってもらいたいな」
 フォンテーヌ観光ガイドが実現するまでは、もう少し時間がかかるだろうから、と彼女は苦笑する。
「一週間後、またこっちに戻って来た時に、フォンテーヌのティーセットを持ってくるよ。今度は僕が紅茶を振る舞おう」
 フリーナはそこで言葉を切った。一度視線を下げ、そして意を決したように鍾離を見る。そうして、そっと片手を差し出してきた。
「つまりは璃月で言うところの早茶……お茶会のお誘いさ。僕たち、もう“恋人”ではなくなったけれど、これからも“茶飲み友達”のままだろう?」
 想定を超えた提案に、鍾離は目を見開いた。
 八日前、自分は言った。『恋人という名の茶飲み友達が出来たと思ってくれればいい』と。
 確かに「契約」により恋人関係は終了したが、茶飲み友達については、なにも言及していない。
 恋人という名前のつかない、ただの“茶飲み友達”。……契約に反することはない。
 流石、審判の国の神を五百年間務めあげた彼女は、契約の穴──つまりは法の抜け道をよく理解している。
 契約に反しないのならば、鍾離に断る理由はない。……本当に、したたかになったものだ。
「──ああ、よろしく頼む」
 鍾離は差し出された手を握る。
 フリーナが満面の笑みを浮かべる一方で、突き刺す視線は破天の如く。水元素の高まりまでもを感じたことは、言うまでもない。