riririnf
2025-04-05 11:06:19
23595文字
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とある晴れた秋の日に~リプライズ~

ヌヴィフリ逃亡書いてみた⑦
エピローグ

 
 空は澄んで晴れ渡り、馬も食欲が増して逞しくなる。況んや、秋高くして塞馬肥ゆ。
 少々肌寒さはあるものの、旅立つに相応しい今日という日に、鍾離は遺瓏埠にいた。
 フォンテーヌやスメールとの交易を主とする港に鍾離が足を運んだ理由はただ一つ──フォンテーヌに一時帰国するフリーナの見送りである。
「鍾離先生!これも追加で頼んでみないかい?清心の花パイ!」
 斜向かいの椅子に座るフリーナが、品書きを片手に弾んだ声で問いかけてくる。
 既に良茶満月──卵黄が入った茶葉の餡菓子が机に置かれているのだが、これには少々塩気も混じっている。甘いものに目がない彼女としては、不完全燃焼に終わったのだろう。
 今は九略茶館で休憩しながら定期船を待っている状態で、出港時刻までは、まだもう少し余裕がある。追加注文をしても充分に味わう時間はあるだろう。
「ああ、いいと思うぞ。清心の花パイは朝露を含む清心の花びらで作った餡を、何層にも重ねた生地で包み、焼き上げたものだ。焼きたてが一番美味く、一口食べれば、口いっぱいに花々が咲き誇るだろう」
「うわあ……っ、早く食べたくなってきたよ……っ」
 鍾離が頷きながら解説すると、フリーナはきらきらと目を輝かせる。
「鍾離先生も一緒に食べよう?僕の奢りさ!」
 いや、俺は……、と返事をする前に、机向こうから険を孕んだ声が飛ぶ。
「フリーナ、君がこの男の分まで支払ってやる必要性を感じない。彼の分は、彼自身に支払わせるべきだ」
 眉間に皺を寄せ、露骨に不愉快だと示す相手──ヌヴィレットに、フリーナはなんら構うことなく首を振る。
「駄目だよ。僕が薦めたんだから、僕が支払うべきだ」
「ならば君の分も含め、私が支払おう」
「なんでそうなるんだい?以前からキミは頑なに僕の分を支払おうとするけど、そういう気遣いは不要だよ」
 フリーナが微かに眉を顰める。
「僕の分は、僕自身が払う。キミだって、そう言っていたじゃないか」
 『彼の分は、彼自身に』──つまりは、自分の分は自分で。確かにそういう理屈だ。
「それは違う。私は君の恋人だ。ならば、君の分を支払うのは当然のことだ」
「え……っ?あ……
 しかしヌヴィレットは堂々と否定した。その勢いと……台詞自体にもか。フリーナは目を見開き、言葉に詰まる。
……い、いや!その理屈はおかしい!それなら僕がキミの分を支払ったっていい筈だ」
「私の方が君よりも遥かに収入がいい。ならば私が支払う方が合理的だ」
「収入を出すなんて、ずるいぞ!その理屈だと、今後もずっと払いはキミになってしまうじゃないか……!」
「勿論そのつもりだが」
 何か問題が?と首を傾げるヌヴィレットは、とぼけている様子ではない。心の底から疑問なのだろう。
「それは……、だって……
 対するフリーナは押され気味だ。ヌヴィレットの言は理にかなっているようで、その実、彼の希望を押し通されているだけなのだが、だからこそ反論しづらいのだろう。惚れた弱み、とはよく言ったものだ。
「仲がいいことで、何よりだ」
 鍾離は沈玉茶の淡く上品な口当たりを味わいながら、二人の関係をそう結論づけた。
 かつての二人の姿は知らない。だが三年間で拗れに拗れた関係が、たった一日で随分と解れたものだと思う。ヌヴィレットが璃月に現れてから昨日までの、七日間の騒動を知っているから、尚のこと。
 元々数百年来の付き合いだ。唯一無二のパズルの欠片のように、噛み合うものがあったのだろう。
 そうした思考からの感想だったが、ヌヴィレットは眉を顰めて睨みつけてくる。
 悪いことは言っていない筈だが、何を言われたところで彼の神経は逆立つのだろう。互いを巡る因果や立場を考えれば、それも仕方の無いことだ。
 一方フリーナは「い、いや……別に……」と言葉を濁しながら俯いた。その頬はほんのり赤い。照れが七割、気まずさ三割といったところか。
 実のところ、璃月港から遺瓏埠に着くまでの道すがら、フリーナは今よりもっと気まずそうに表情を強張らせていた。そしてその理由にも、勿論察しがついている。
 自分とヌヴィレット──フリーナ曰くの俗な言葉を用いるならば、元カレ、今カレと道中を共にする。客観的に見れば、それは所謂修羅場というものだろう。
 鍾離としては一向に構わないのだが、聡明で気遣い屋のフリーナに、気にするな、というのは中々に困難なことであるらしい。
 道中、景色や自然、建築物の知識を語って観光ガイドのようなことをしたり、様々と話題を振る中で、幾分表情が和らいだと思っていたが、今のやり取りで気まずさを思い出させてしまったようだ。
 当然それは本意ではないため、鍾離はまた別の話題を口にする。
「そういえば、堂主から伝言を頼まれていた。『特別な舞台を準備しておくから、戻ってきたら、そこでお披露目会ね』……とのことだ」
 鍾離には何のことだか仔細は分からなかったが、フリーナは即座に内容を理解したようで、ひえ……っ、と上半身を仰け反らせた。
 鍾離に言伝を頼んできた時の胡桃の表情から察するに、意趣返しの類なのだろう。胡桃は予定が合わず、フリーナの見送りが出来ないことを大層残念がっていたから。

 フリーナの一時帰国は、今朝突然に知らされたことだった。
 聞けば昨日、今後について言葉を重ねた二人だが、たった一日では結論が出なかった。しかしヌヴィレットは、遅くとも今日の午後には璃月を発たなければならない。
 そこで丁度スケジュールが空いていたフリーナが、話し合い継続のため、ヌヴィレットと共にフォンテーヌに向かうことになったらしい。
 期間は一週間。本来フリーナは映影撮影のアドバイザーとして活動している期間だったが、四日前に魔物に襲われ、彼女が一時行方不明になったことを受け、状況が変わった。
 ロケーションやスケジュールを練り直すため、撮影はしばらく休止となった。それに伴い、フリーナの予定も白紙となったのだ。
 あの日の魔物の襲撃は鍾離も予想外のことで、当時フリーナは心身共に辛く苦しい思いをしたことであろう。
 しかし、あの出来事がヌヴィレットとの再会を促し、物事を動かす契機となり、そして今こうして二人に対話の時間を齎していることも、また事実。
 つまりは運も二人の味方をした、という見方も出来る。運とは、持つべくして持つ者の許に集うもの。是即ち、必然也。
「フリーナ、舞台に上がるのならば、私も是非観賞したいのだが、生憎と当分はフォンテーヌを離れられないだろう。故に、誰かに撮影を頼むことは可能だろうか」
「だめだめだめ!キミが期待しているような立派なものじゃないんだ!」
 期待と悔しさが入り交じった様子のヌヴィレットのおねだりに、フリーナは大仰に両手を振って拒絶の意を示す。
「規模の大小は関係ない。君が立つ舞台ならば、必ずや素晴らしいものになるだろう」
「そ……れは、嬉しいけど……っ、とにかくだめ!」
「何故?君のパフォーマンスを片時も目を離さずに見つめていたいと、昨日も述べたと思うのだが」
「わー!そういうことを、こんな所で言わないでっ!」
 フリーナが両手をヌヴィレットに伸ばす。おおかた、咄嗟に口を塞ごうとでもしたのだろう。しかしヌヴィレットはその手を掴み、更に『何故だ』とフリーナに詰め寄る。──本当に、仲のよいことだ。
 この様子を、ヌヴィレットを璃月に導き、フリーナと再会させた当人達──旅人とパイモンが見たら、どう思うだろうか。蒔いた種が実ったと喜ぶか、それとも。
 旅人とパイモンは、フリーナ達より一足早くに璃月を発った。
 フリーナとヌヴィレットが和解を果たした時点で、旅人達の中での二人の物語は帰着に至ったらしい。
 テイワット全土にその名を轟かせる旅人とパイモンは、それこそテイワット中に縁があり、用がある。
 二人が求めるのか、呼ばれるのか。どちらにせよ、きっと今頃新たな物語に挑んでいることだろう。
 一応、鍾離からフリーナの見送りについて訊ねてもみたのだが、「オイラ達、馬に蹴られたくはないぞ!」とはパイモンの言で、それについては心底同意できるところではある。
 しかし「私の代わりに見送り頼んだよ!」と上司命令を受けてしまっては、部下としては従わざるを得ないのだ。
「だーかーら!鍾離先生には僕が奢るんだ!璃月で散々お世話になった人なんだから、これくらい当然なんだよ!」
「君が世話になったというのならば、やはり恋人である私が代わって礼をするのが筋だろう」
「そんな筋あるもんか!もうヌヴィレットは口を挟まないでくれ!」
「では、これから延々と彼に支払い続けるつもりか?それでは健全な関係とは言えない。この件について、私は口を噤む気はない」
 いつの間にか、二人の議題はどちらが自分に奢るかに移っていた。当人である鍾離の意思を無視してヒートアップしている。
「二人とも、落ち着いてくれ」
 鍾離はすっと片手を上げて、二人を制止した。鋭い薄い紫色の瞳と、半ば意地を宿した色違いの青い瞳が、同時に向けられる。
「この件についてはヌヴィレット殿の言う通りだ。俺の分は俺が払う。それが当然の道理だろう」
 鍾離は最初から、こう答えるつもりだった。答える前にヌヴィレットに遮られてしまっただけで。
 ヌヴィレットは当たり前だ、と言わんばかりに鼻を鳴らし、フリーナは表情を曇らせた。

……でも……、鍾離先生、財布、持ってるかい……?」
 
 心配そうな声音。鍾離は瞬き、懐を探る。……そして。

……ないな」
 
 ありのままを知らせた。
「財布を持っていない?まさか、最初からフリーナを当てにしていたのではあるまいな」
 対面の龍が、剣呑に眦を釣り上げる。
「違う、そういうんじゃないよ、ヌヴィレット。鍾離先生はいつもそうなんだ。悪気がある訳じゃないんだよ」
 フリーナは慌てた様子でヌヴィレットの袖を掴んだ。
「いつもだと?」
 しかし、彼女の言葉は裏目に出た。ヌヴィレットの声に険が増す。
「くくっ……、いや失礼、少々取り乱した。人間社会に身を置きながら、それは如何なものか。『先生』とも呼ばれている者がその有り様とは、あまりにも滑稽だったものでな」
 ヌヴィレットは口の端を上げて嗤う。こちらを向く薄い紫色の瞳には、明確な嘲りが宿っている。
 俺は、と口を開く前に、怒気を孕んだ声が飛ぶ。
「言い過ぎだ、ヌヴィレット!誰にだって欠点の一つや二つくらいあるものだろう!」
 先程から掴んだままだった彼の袖を、フリーナは今度こそ思いっきり引っ張った。当然その程度ではヌヴィレットはびくともしない。
「確かに誰しも欠点はあり、互いに寛容になるべきことではあるが、中には決して許されるべきではない欠点も存在する」
「許されるよ!鍾離先生は他が完璧なんだから、これくらいで丁度いいんだ!」
「フリーナ、それは欲目が過ぎると思われる。もっと冷静にものを見るべきだ」
 まさに喧々諤々。またしても当事者でありながら蚊帳の外へと追いやられた鍾離は肩を竦め、そして店員へと声をかけた。
「清心の花パイを三人分頼む」
 そろそろ注文しておかなければ、味わう時間がなくなってしまうだろうから。