ねぶくろ
2025-03-26 19:01:59
11615文字
Public 一次創作
 

昇れ、明星。

ハイパーウルトラなハッピーエンドの短編です。



『連絡ブッチしててすみません! 今お時間いいですか?』
 仕事用のスマートフォンにかかってきた電話を取れば、そんな言葉が鼓膜を震わせた。行方の声だ。謝罪さえも明朗なのか、と無関係なことを考えながらスケジュールを確認する。津釣は「大丈夫です。そちらは大丈夫ですか?」と言葉を返した。
『心身ともに健康でめっちゃ大丈夫です! プロットについて、あれからすげ~考えてたんですけど、俺の意見を聞いてもらってもいいですか?』
……はい」
 わずかに身構えてから頷けば、彼はいつも通りに明るい声で言葉を続けた。
『俺、プロットこのままで書きたいです』
……はい?」
 思わず怪訝な声が零れ出る。卓上カレンダーに視線を向け、思考を回した。スケジュールを気にして、妥協しているのだろうか。或いは、自棄になっているのだろうか。いずれにせよ、クオリティの低いものを出すわけにはいかない。何とか考え直してもらおうと言葉を考えていれば、彼は『俺の考えなんですけど、』と言葉を重ねた。
『小説は、現実に負けないと思うんですよね! だから、何を書いても最終的には地に足がつく!』
 はい? と、もはや声にならない疑問符が頭に浮かぶ。彼はなぜだか嬉しそうに、自信満々に言い切った。
『現実は小説よりも奇なり。なら、小説の中でハイパーウルトラなハッピーエンドを書いたら、現実にもっとハイパーウルトラでミラクルな一発逆転のハッピーエンドを実現させられるって思うんですよ!』
 だって、と息を継ぐ隙間もないまま断言する声が耳朶を打つ。視界に星が散る。荒唐無稽で馬鹿げていて、だからこそ心惹かれる希望の言葉が脳髄に叩き込まれた。
『俺たちは希望を売ってるんだから! ハッピーすぎて薄っぺらくて地に足のつかない、だからこそ人生を牽引してくれる言葉を書かなきゃ、俺の名が廃るでしょ!』
「名が廃るって……
 なんですか、と掠れた声で尋ねれば、彼が『ゆくえは進んで行く先っすよ!』と即答する。
『前途を名乗る俺が、暗いことばっか書いてちゃ気が滅入るっしょ! 大丈夫! 俺はデビューの野望を忘れてません!』
 俺とあなたで天下を取りましょう。──出会った時とは異なる声音で唆されて、津釣は小さく笑った。
 軽薄で、具体性なんて一つもなくて、だからこそ理性が及ばない部分で心が振れる。あの日網膜に焼き付いた彼の姿が消えてくれないから、それ以外の選択肢など見えなかった。
 津釣は強張った笑みを保ったままで、強く腹の底から声を押し出した。
「分かりました。……どんな茨の道でもお供します」

***

 来週発売の本が完成したので、献本用に段ボール箱に梱包しながら息を吐く。津釣はメモに書き留めた冊数と箱に詰めた数に間違いがないことを確かめて、送り状に『書籍』と書き込んだ。
 持ち重りのする箱をコンビニで宅配に出し、社に戻る。エレベーターホールで腕時計を確かめて、今日の仕事の消化率に思いを馳せた。メールを返して、ゲラをチェックしないと、と相変わらず慌ただしい毎日に苦笑しながら、エレベーターに乗り込む。津釣は軽い足取りで編集部へと帰還した。

「奏多? 本、届いたよ」
 母に声をかけられて「はいは~い」と段ボール箱を受け取る。奏多はカッターナイフで封を切り、箱の中を覗き込んだ。梱包材を取り出せば、下から帯を巻かれた完成品の自著が顔を出す。
『祝! アニメ化決定!』
 デザインチェックで何度も目にした帯の文字に目を通し、頬が緩む。奏多はそのうちの一冊を手に取って、こぶしを高くつき上げた。