ねぶくろ
2025-03-26 19:01:59
11615文字
Public 一次創作
 

昇れ、明星。

ハイパーウルトラなハッピーエンドの短編です。



 現役高校生ライトノベル作家、行方ゆくえ。津釣が担当する作家のひとりで、現在は学園ファンタジーのライトノベルシリーズを執筆している。
 活動のスタイルはWeb掲載が中心だ。毎月一日の更新日に編集部の運営しているWebノベルサイトに最新話を掲載し、一定期間ごとにまとめた原稿を書籍化して発売している。書籍の発売と同時にサイトに掲載された内容を非公開にすることで、本の購入を促している。

 津釣は先月末に発売されたシリーズ最新刊の売り上げ動向をプリントアウトし、紙ぺら一枚に収まった折れ線グラフを眺めていた。発売日から三日の間は売上の調子が良いが、そこからすぐさま動く冊数が低空飛行になっていく。
 発行前に試算した売り上げに届かないその動向に目を細めてため息を吐き、津釣は重い気持ちでデスクのパソコンを操作した。立ち上げたのはオンライン上でミーティングができる通話アプリだ。画面の隅に表示された時計を確認して、行方ゆくえの番号に発信する。
 打ち合わせの時間より数分早い発信だったが、相手は既に通話の準備を終えていたらしい。ツーコールで通話が繋がり、画面に行方のアイコンが表示された。すぐに耳に挿したイヤホンから『お疲れ様です! 行方です』という快活な青年の声が聞こえてくる。津釣は編集部内に響かないよう、抑えた声で「お疲れ様です。津釣です」と言葉を返した。
「早速ですが、新刊の売り上げ動向についてお伝えさせていただきますね」
 気の重い話題はさっさと済ませよう、とデスクに置いた紙に視線を落とす。声が暗くならないように気を張って、津釣は「発売後の三日間は想定以上の売り上げを上げています」と声を発した。
……ですが、その後の経過が芳しくないです。僕としては、ここらで少しテコ入れをした方が良いかと思っています」
 おっかなびっくり放った言葉に、行方は『ほぉ』と曖昧な相槌を打った。感情の見えない反応に、心臓が小さく痛むほどに早鐘を打っている。
『具体的には何をするんですか?』
「えぇと……、新刊に絡めた番外編のショートショートを書いていただきたいなぁ、なんて、考えてます……
 売り上げの伸びが悪いことを相談したところ、同期の編集者から「おまけで釣ってみるのはどうか」という提案があった。彼が担当している案件では、特典をつけて書籍を発売するほか、SNSでキャラクターの小話を投稿したり、サイトで公開している冒頭部分の紹介をしたりと、積極的に新規顧客を開拓する施策を行っているらしい。
 学生作家ばかり担当している津釣は、これまでそうしたおまけコンテンツの発信をしたことがない。作家たちはみな未成年で、当然社会経験に乏しい。スケジュールを含めた自己管理を完璧に求めることは不可能だ。そうでなくとも彼らの本業は学業で、作家業との両立は本人の努力に依存している。
 どんな会社にも言えることだが、出版社は作家本人の人生の責任を取ることはできない。だから、津釣は学生相手に余計な負担を増やすことは極力避けてきた。──売るための努力をするのは編集者の仕事だ。そのしわを作家に寄せるのは大人として忸怩たる思いがある。
 津釣は固唾を飲んで行方の反応を待った。行方は何も言わない。秒針が一周するほどの間、無音が鼓膜を貫く。津釣は堪らない気持ちになって言葉を続けた。
「あの、無理のない範囲で大丈夫ですし、スケジュールが厳しいのであれば他の案も考えます。……あくまでも一案ですので」
 撤回する方向に話を転がそうとしていれば、不意に行方が『大丈夫です!』と言葉を返した。
『購買意欲をあれするためのショートショートですよね? どれくらいネタバレしていいかな~って考えてただけなんで、全然書けます!』
 明るい声に、「そうですか」と面喰いながら相槌を打つ。この短い時間でそこまで思考を巡らせていることに動揺しながら、津釣は安堵に声を緩めた。
「それでは、スケジュールについてですが、少し急ぎで書いていただきたくて……。来週の月曜日までにプロットをメールでいただくことはできますか?」
『りょーかいです! それじゃあ、その先のスケジュールとかも軽く確認しときましょ!』
 彼が明朗な声で次回更新分の原稿締め切りを確認し、内容についての最終的なすり合わせも行う。Webサイトに公開するとはいえ、文章の校正などは行うので締め切りは絶対厳守だ。行方は最後まで一分の曇りも見せずに『オールオッケーです! それじゃあ、お疲れ様でした!』と通話を終了した。アイコンの表示が消えたことを確認して、津釣もオンライン上のミーティングルームから退出する。
 行方は毎月一日に三千字程度の最新話を公開している。ショートショートの文字数は二千字前後が多いとされており、これは行方の最新話と大差のない分量だ。つまり、津釣の提案は行方の仕事を倍増させたに等しい。
 ──そんな打診をあんな軽く、『オールオッケーです』なんて言葉で引き受けるとは。
 若いってすごいな、と遠い目をして天井を見遣る。津釣は重く軋んだ首を回すと、深くため息を吐いてイスに深く背をもたれた。

***

 オンラインでの打ち合わせから二日。週明けを待たずにメールで送られてきたプロットを確認して、津釣はメール制作画面を立ち上げた。細部についての確認をしたいので、またオンラインで打ち合わせがしたいという打診を丁寧な文体で書きこんで、誤字脱字がないことを確認してから送信する。それから、画面を閉じて別の作業に移った。
 行方と同い年の女子高校生作家から入った、『締め切りを伸ばせないか』という電話に対応して、書籍化を控えた作家のゲラを確認する。書籍化作業の進行が少し遅れているので、ゲラチェックは今日中に確認を終えなければならない。赤ペンを片手に文字を目で追いかけていく。
 原稿に目を通している内に立ち上げたままだったパソコンの画面にポップアップが表示され、メールが返ってきた。件名のテンションでわかる。行方だ。津釣はキリの良いところまで原稿を読み進めてから顔を上げた。ワンラリーで日程調整を終えて、打ち合わせ日時が確定する。ふと時計を見れば、時刻は午後三時前だった。昼食を食べそびれていることに気が付いて、一気に空腹感がおし寄せる。
 津釣はため息交じりに目元を揉んで、折り返しまで読み進めた手元のゲラに目を戻した。

「ショートショートのプロット、拝見しました」
 翌日の夕方、津釣は社内の会議室でノートパソコンの画面に向けてそう言った。広い空間の片隅で、委縮したように首を縮めて液晶に表示されたアイコンと向き合う。行方はいつものように元気よく、『お疲れ様です! 細部の確認ってどのあたりですか?』と快活に問いを返した。邪気のないその言葉に目を伏せて、「あ、はい……、あの、」と口ごもりながら、手元にプリントアウトしたプロットへ目を落とす。
 人に指摘をする時は、まず良いところを褒めた後で。いきなりミスや改善点を指摘するのはやめましょう。
 後輩が入社したばかりの頃に買い込んだ実用書の一節が脳裏をよぎる。津釣が言い淀んでいれば、行方が曇りのない声で『あれ、回線重いですか?』と言葉を重ねた。
『もしあれなら、チャットでも大丈夫ですよ。時間限られてるんで、ちゃきちゃき進めましょう』
 ダメ押しのようにそんな言葉が耳朶を打つ。津釣は表情を歪め、マイクに乗らないように軽く息を吐いてから、そっと言葉を続けた。
「音声は大丈夫です。確認したかったのは起承転結の結の部分で、……その、さすがにちょっと、ハッピーエンドすぎると、思いました」
 短い沈黙。すぐさま、『ハッピーエンドすぎる?』と、キョトンとした声が返ってくる。目を丸めて小首をかしげる行方の顔が浮かぶような声音だ。津釣は苦渋の表情で「はい」と相槌を打ち、言葉を重ねた。
「あまりにうまくいきすぎると、薄っぺらな印象を受ける読者がいるかもしれませんし、……もう少し地に足つけた終わり方にしませんか?」
 津釣の指摘を受けて、行方はすぐさま反応を返した。
『編集さん、俺の作品あんまり好きじゃないっすよね。超慎重』
 その一言に肝が冷える。津釣が青い顔で「すみません……」と口走れば、彼は慌てた様子もなく『いや、めっちゃありがたいっすよ!』と若者らしい雑な口調で謝罪を拒否した。
『賛否両論、両方知ったうえで一番面白いもの書くのが俺の仕事なんで!』
 その声に咄嗟に目を伏せる。彼の眩しさを直視できずに口ごもっていれば、行方は『本来の締め切りまでもうちょいあるんで、月曜までに練り直して再送します!』と言葉を重ねた。
「そうですか、ありがとうございます」
 安堵に頬を緩めて、息を吐く。打ち合わせはごく短い時間で終了し、津釣は先日と同じようにミーティングルームを退出した。アイコンが消え、暗くなった画面に向けて息を吐く。
 行方ゆくえは、非常にポジティブで明るい人間だ。湿っぽいところがなく、何事にも常に前向き。こちらの提案に対してポンポンと更なる提案を重ねて、より良いものを追求することに余念がない。アクティブで生命力に溢れ、行動力がある。約束は守るし、レスポンスは早くて締め切りを破らない。進捗状況が思わしくない時には早い段階で向こうから連絡を寄越すので、大きなトラブルが起きる前に対処が出来る。
 津釣はぼんやりと気の抜けた表情で天井を見上げて、息を吐いた。
「ホント、助かるなぁ……
 行方が相手だと、こちらが申し訳なくなるほどにやり取りがスムーズに進む。相手が未成年の高校生だなんて忘れてしまうほどにするすると、川の流れのように淀みなく物事が決定し、そのどれもがこちらの意に沿う形をしている。彼との打ち合わせはいつでも不気味なほどに順調で、言葉を選ばずに言うのなら都合がいい。
 津釣は軽く顔をしかめて、視線をノートパソコンの画面へ向けた。タッチパッドに指を滑らせてカーソルを動かし、開いたのは自社で運営しているWeb小説の投稿サイトだ。賑やかに画面を飾るバナーをクリックして、行方の連載している作品へ飛ぶ。一話目のサブタイトルをクリックしてページを開き、津釣は内容に目を滑らせた。
 一文目から会話で始まる、軽い語り口の文章。平易な言葉選びに、具体的な比喩表現。個性豊かで生き生きと描かれるキャラクターたち。短い時間で満足を得られるように、内容をぎゅっと詰め込んだシリーズの第一話。三千字程度のそれを十分ほどで読み終えて、津釣は小さく表情を綻ばせた。
 行方の小説は、思わず笑ってしまうくらいに希望に満ちた終わり方をしている。ヒーローは必ず勝つし、ヒロインは絶対に本人が望んだ幸せを掴む。悪はうち滅ぼされて、世界は新しい一日を迎える。
 誰もが子供の頃に夢見たような景色を恥じることなく全力で書ききる彼の作品は、一定の需要と支持を得ている。──けれど、その評価は未だ盤石ではない。
 もっと、彼を高みに連れて行かなくては。
 編集者に出来ることは、作家に提案をすることだけだ。行方が何を書くのかを制限することはできない。だからこそ、津釣は彼が間違った方向へ進まないように目を光らせ、意見を述べてその軌道を修正する必要がある。
 もっと多くの人の目に触れるには、──的になるほど高い位置にのぼるためには、もっと多くの人に認められるようなものを書いてもらわなければならない。ハッピーエンド一辺倒では、飽きられてしまうのも時間の問題だ。
 津釣は軽く息を吐いて席を立った。会議室のドアを押し開けて、部屋の電気を消していく。編集部に戻って未読メールのチェックを始める。『締め切りを伸ばしてほしい』という再三の訴えに丁寧な返事を送り、別の作家が来週更新する分の原稿を受領する。慌ただしく一週間を乗り越えて、迎えた月曜日。
 行方からのメールは来なかった。