camellia57
2025-03-19 23:32:41
5233文字
Public
 

片桐320の日小話まとめ

今までに書いた片桐さんが出てくる話をまとめました(作家アリス時空です)
火村とアリスも出てきますがどの話も2人は付き合っていません。


「では、原稿をお待ちしていますよ。締め切りより前の提出でも構いませんからね」
「はは、頑張りますよ」
「それにしても有栖川さん、もうすっかりオンライン通話に慣れましたね」
 パソコン画面の向こうで担当編集の片桐がしみじみと言う。

 東京と大阪、500キロ近く離れていてもこうやって顔を見ながら打合せができるのだから便利な世の中になったものだ。話だけならメールでも電話でも出来るが文字よりも声、声よりも顔へと伝わる情報は付加される。とは言っても実は人はそれほど他人の話を正確に理解できているわけではないので思ったようには伝わっていないことも多い。まだ付き合いの短い相手なら本意ではない受け取られ方をしていないか不安になるところだがデビュー以来七年越しのパートナーである片桐と私の間にはそんな問題はない……はずだ。寧ろ表情から伝わりすぎていないかが心配なくらいである。

 リビングのソファによりかかりコーヒーを飲みながらはじめてビデオ通話をしたときのことを思い出す。あのときは片桐の根気強い指導により無事に繋がったのだったな。

「その節は片桐さんに大変お世話になりました。火村も俺が文明の利器を覚えたことを喜んで片桐さんにえらい感謝しとったわ」
 火村の名に反応して「感謝……と言うことは次にお会いするときは執筆のお願いを前向きに聞いてくれますかね?」と冗談めかして言う。
「それとこれとは違うんちゃう?」
「そうですよねぇ。でも僕は諦めませんよ。いつかそんな気分になるかもしれませんからね」
 目をぎょろりと剥いて片手の拳でガッツポーズを作っている。やる気が有って結構なことだが目の前の――画面越しの――担当作家にも熱心になってもらいたいものだ。原稿の催促以外のことで。

「そう言えば有栖川さん、インスタは登録してます? あ、インスタグラムのことですけどわかりますか?」
 やれやれ、私も舐められたものである。
「おじさん扱いせんといてや、片桐さん。一つしか変わらんのに。インスタね、登録はしてませんけど流石に知ってます」
「はは、そうですよね、失礼しました。英都大のアカウントで今日の夕方に火村先生がインライをするとストーリーにあがっていたことをふと思い出しまして」
 …………はて?
……片桐さん、インライってなに? すとーりー? インスタって若い子が映え〜な写真を載せるものやないの? 小説の投稿もできるん?」
 平静を保ちながら聞いたつもりだが、頭上にハテナマークがぽんぽんぽんと浮かんでいるようにでも見えたのだろう。まったく有栖川さんは仕方がないなあとでも言いたそうな顔で笑っていた。

 インライとはインスタライブのことでインスタを使ってする生配信の略称、だそうである。どうやら火村は聴講している生徒向けに講義への質問に答えるインライをするということらしい。そうすることになった事情を察してしまい気の毒に思う。学生が。
「今回はアーカイブしない、つまり配信を残さないそうなのでリアルタイムで見るしかないようですね」
「それって誰でも見られるん? 俺でも?」
「インスタの登録は必要ですけど配信自体は誰でも見られますよ」
「へぇ……
 お互いの予定が合わないことが続いて、しばらく火村の顔を見ていない。仕事の丁寧な私に要らない気を遣っているのかフィールドワークへのお誘いもご無沙汰である。久しぶりに顔を見てやるのもいいかもしれない。


「ほんまに、俺の顔映ったり聞こえたり、俺が見てるってバレへんよね?」
 ウェブ打合せを終えた後、アカウント作成までは無事にできたのだがそこからインライ視聴まで辿り着けずに片桐に電話をしてしまった。そうなることを予想していたのか疑問に丁寧に答えてくれる。持つべきものは面倒見のいい担当編集者だ。
「大丈夫ですよ。その赤線で囲われたアイコンを押してください」
 言われた通りにすると画面が変わった。
「あ、なんか、見ていることがわかる、みたいな通知でてきたんやけどほんまにこれ同意してええの?」
「後から視聴者を全員分確認するわけでもないでしょうから大丈夫ですよ」
「わ、わかった」

 灰色の画面が切り替わりノートパソコンに火村の顔が映る。思わず声が出そうになり、こちらの声が聞こえていないと知っていても片手を口にあててしまう。火村は投稿された質問を読みながらそれに答えていて目線が正面を向かない。対学生に向けるときのクールな姿だったが、何を目にしたのかフッと表情が緩むと目尻に薄く皺が浮かんだ。すぐに元の表情に戻ったが次の瞬間、書き込まれるコメントの勢いが増してとても追いきれないほどになる。

『今、火村先生が笑ったの見た?』
『なんか優しい顔してた』
『誰か面白いこと書いたの?』
『見逃したんだけど誰かスクショ撮ってない!?』
『先生あんなにかわいく笑うんだ、意外』

 怒涛の勢いで文字が流れていく。

「か、片桐さん、なんやえらいことになってるんやけど」
「火村先生が微笑んだことが衝撃だったみたいですね、ハートが飛び交ってます」
 コメントを追っていた火村が真顔で正面を向いて、目が合ったかのように感じた次の瞬間、画面が切り替わった。表示されているのは『ライブ配信は終了しました』の文字。

「え、えっ!? インライ、終わってしもたんやけど……
「ええ? 僕のところではまだ続いていますよ。質問以外はコメントしないように火村先生が言っています。学生さんたちもちょっと落ち着いてきたようですね」
 どういうことだ?
「なんで俺は見られへんの!?」
……火村先生に追い出されたのかと」
「な、なんで!? なんで俺ってわかったんや!?」
 わからないはずではなかったのか?
「ちなみに確認ですが、有栖川さんのアカウント名はなんですか?」
「alice.a」
……それが原因かと。視聴者の一覧は誰でも見れるので有栖川さんが特定されるのを防ぐために退出させたんじゃないですかね。アカウントを作るとき前に一言お伝えしておけばよかったなぁ」
 わざわざそんなことをする必要あるか?
「納得いかんけど理解はした。まあ相変わらずそうで安心したわ」
「まああんな顔見せられたら騒ぎたくなる気持ちもわかりますけどね」
「あんな顔って?」
「火村先生の笑顔ですよ。ああいう風に笑ったりするんですね、はじめて見ました」
「そうなん? 割りかしあんな顔はよくしてると思うけどなぁ? そんなに珍しかった?」
…………有栖川さん……
 無自覚って怖いですね、と聞こえたが何のことだろうか?



 なお、インライを画録していた生徒による闇取引が行われたり、その瞬間を収めた画像が出回ったり、『alice』の正体を探るものが現れたりしたけれどそのすべてがいつの間にか消滅していた。
「火村先生の恋人は『アリス』らしい」と言う噂だけを残して。
 その噂が本当になる日はもうすぐ、かもしれない。