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2025-01-06 22:11:04
6533文字
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太陽の側には

うちの子、海さんのある日のこと。友人の王子殿と話すのは当たり前になった日常の一場面。また笑っておくれ。

太陽の側には


 いつもの昼下がり、青い空にギラギラと輝く太陽が憎らしく感じる。薄いレースのカーテンは少しだけ開けているが、その光から暑さを感じてしまう程だ。
 カランと氷が溶ける音が部屋に響く。つぅーと結露したグラスの縁の水滴が一筋の道をつくるころ、大きな手が掴んだ。少し血色の良い唇がグラスに触れると琥珀色の炭酸水が渇ききった喉を潤す。
「ふふ、今年の梅も美味しくできたな。藍椛姉さんが自慢しただけある」
 顔まで持ち上げたグラスには碧眼を映しだしていた。まるで太陽の瞳のような色に染っている。目を細め、華やかな香りを楽しんでいると……コンコンコン。固いものを叩く音が聞こえる。カランと鳴らしながら、手に持っていたグラスを机の上に置いた。じっと耳を澄ます。
 ……コンコンコン。同じ音が目の前の扉からした。
「はい、どうぞ」
 声をかけると一人の男性が扉を開けて部屋へと一歩中に入る。
「失礼いたします。海様、お客様をお連れいたしました。今よろしいでしょうか」
「予定はなかったはずだが?」
「王子殿様でございます」
 深緑の瞳を細め、にっこりと口の端をあげる。
「なるほど、いつもありがとう。そのまま通してくれ」
 かしこまりましたとお辞儀をした後、先程の彼は部屋へと出ていく。少し扉から声が聞こえてきたかと思うと、バン!と勢いよく両扉が開いた。
「海——ッ! 新曲が出来たぞ——!」
 瞳をきらきらと輝かせた王子殿が高い音を響かせながら部屋を闊歩していく。ヴァイオリンケースを片手に慣れた手つきで中央にあるソファーへと向かい、丁寧にケースを置く。
「はは、君は相変わらずだな」
 思わず口元を押える海は、席を立つ。王子殿へと向かいながら両手を広げた。
「いらっしゃいませ。お客様」
「ああ!」
 跳ねるように振り向いた王子殿と海は抱擁をかわす。頬への挨拶も終わり、ふと海は思い出したように口を開いた。
「今日はいつもの入口ではなく正面玄関を使ってくれたんだね」
「ああ、壁が熱された鉄板のようだった……
 どこかの遠い景色を見るような王子殿。その仕草に言葉が漏れた。
「挑戦したのか、君は……
 あの炎天下の中を……と驚きと笑いを隠せずに奥歯を噛み締める海。そんな海を横目に王子殿が彼の両肩を掴むと、目を輝かせて言葉をかける。
「うむ!」
 はっと顔を上げると。
「それより海! 早く新曲を聴くんだ! いつもながら完璧な旋律を一番に聴ける幸運に感謝するんだな!!」
「そ、そうだね。君の一番になれた私はどれ程の幸運を支払ったんだろうか」
「ああ! そうだろう! そうだろう!」
 満足気に頷いていた王子殿は一度止まる。そして、彼が真っ直ぐな瞳を海に向けながらそうだったと言葉を続ける。
「俺の一番はゆうちゃんだがな!」
……ふふ、そうだね。彼がいたね」
 一歩足を引くと、まるで踊り出すような動きで手を目の前の海に手を差し出す。
「もちろん、海は俺の一番の友人だがな! いや、俺が海の一番の友人だ!!」
 ここは物語の一場面なのではないかと見違える程だった。
 ただ微笑ましい光景とは別にある想いが頭をよぎる。
 彼と私は似ている。似ているが似ていない。
 声に出すことはなかったが……越えられない壁を目の当たりにしたような海は目をゆっくりと瞬いた。
「ははは、友人には変わりないね」
「そうだぞ!」
「うん。私もだよ」
 少し左に頭を傾けにっこりと微笑む。いつもの顔でいつもの声で話せるように。
「海はな! 忙しそうだからわざわざ俺が足を運んでいるんだ! それは友人だからだ!」
 もちろん俺も忙しいんだがと言いながら腕を組み頷いている王子殿。
「ふふふ、ありがとう。ただ忙しい時は大事な人との時間を何より大切にした方がいい。……独り身は自由であるからこそ時間を持て余してしまうからね」
 海は眉を下げ少し困った様な顔をする。
「私はこうだから……つい時間が過ぎるのを忘れて過ごしてしまうよ」
 少し目を伏せていると影が足元に落ちる。王子殿の声が聞こえたかと思うと、バンバンと肩を叩かれた。
「ははは! 海、行き遅れたら俺が貰ってやるから安心しろ!」
——え?」
「引く手数多のこの俺だがそんな寂しそうな友人を置いて何処かに行きやしない」
 何が起きたのかと呆然と友人の顔を見つめる海。そんな彼をよそに続けて高らかに言う。
「心が広いからな! 一人や二人、ともにするのは一緒だ!」
「いや、その?」
「なんて優しいんだ」
「一緒とは?」
「うん? つまり俺が海と一緒に過ごすんだ! 良い案だろう!!」
 まるで断わられるとは微塵も思っていない王子殿の満面の笑みが目の前にあった。さも当然の様に。
「な! 海!」
 時が止まったかの様な静けさが一瞬広がる。その静けさの中、ふふ……あは、はははと海の口から笑いが零れだした。
「か、海?」
 まるで止まらない笑いを堪えようとするが、咬み殺すことも出来ず緩んだ顔になる。海は何とか答えようと、王子殿の顔の前に手をかざした。少し待ってくれと示す様に。そして一つ大きく深呼吸した。
……っ、はぁ——、落ち着いてきたよ」
「そうか! 突然どうしたのかと心配したぞ?」
「あ、いやふは——、いやすまない。思ったより君の言葉に心が、触れたようで——
 思わず頬を抑える海に王子殿が首を傾げる。
「何も面白い事など話してはいないが?」
「君はくっ、ははは」
 はぁ、とひと通り笑うと前髪をかきあげて、少し火照る頬を手の甲で冷やす。
「君は……王子殿はいつも私を笑顔にしてくれる。素晴らしい特技を持っているよ。確かに君のような友人想いはなかなかいない」
 うむと得意気に頷く王子殿。
「私はひとりの時間も好きだが楽しい時間はもっと好きなんだ。気の合う人じゃないと過ごせない時間だ」
「それはそうだな!」
「だから先程の言葉は本当に嬉しいよ。君から声をかけてくれたんだ」
 彼の肩に掛かる白銀の髪をひと房掴むと、海は軽く口元に持っていく。
「君が喜んでくれるなら」
 彼の髪に口元に触れるか触れないか程に近づくと少し目を伏せてすっと目を合わせる。そして碧眼を細めてにっこりと微笑んだ。すると、王子殿は胸を張りより響く声で笑う。
「ハーハッハッハ! さすが海! よく俺を解っているな!!!」
「ああ、いつでも王子殿は元気をくれる。君とはいつも新しい経験ができた」
「うんうん」
「どんな時でも顔を見せに来てくれてくれた。これは凄いことで私にとってはとても大切な時間だった」
「それほど俺の音楽を楽しみにしてくれていたのか!!」
 ふふふと笑みを零しながら、頷く海。
「ああ、だから一緒にいようか。今だけとは言わずに。これからも」
 サラサラと流れる白銀をこぼれ落ちないように指に絡める。……何だが先程より距離が近くなったような感じがするが、気のせいかと振り払うように手を胸の前におく王子殿。
「その言葉、そのまま返そう!! 俺も同じように想っているぞ! 海!!!」
 王子殿の声と共に彼の髪を絡めていた指を名残惜しそうに離す。ただ嬉しそうにでも驚くように海は静かに笑う。
「それはとても嬉しいよ。君は人気者で演奏はまさに天才だ。その天才の名に恥じない努力も苦にせず、何より楽しそうにしている。威張りもせず只管に音楽に向かう姿は本当に素敵なところだ。その心に恥じない透き通る様な菫色の瞳や丁寧に手入れが行き届いた手と、君の姿全てが素晴らしい」
「そ、そうだな!!」
「話していてこれ程笑顔になる時間はあっただろうか……私は本当は独りだったんだとわかるほどに君と過ごすことで変わっていった」
「か、海」
 止まらない友人からの言葉に王子殿が声をかける。
「今日は饒舌だな」
 一呼吸つければと、何も無かったような顔で髪を後ろに流す王子殿。だがなんの事だと言わんばかりに海は言葉を紡ぐ。
「ふふ、いつも通りだと伝わらないと思ったからだよ。言葉にすることは大事だ」
 一歩、王子殿へ足を踏み出す。
「王子殿には飾らない言葉が一番だからね」
 思わず一歩足を引く王子殿だが、少しずつ近くなる二人。
「太陽のような君。照らしてくれる君の笑顔に私は心を奪われてばかりいる」
 じっと見つめる瞳に思わず息を飲む。後ろに下がろうとするが、ソファに足が当たりストンと座ることしか出来ない。
……かい?」
 いつの間にか背もたれの端まで体を寄せる。これ以上後ろにはいけない。
「輝く君が側に居てくれたらどれ程喜ばしいことだろうか」
 顔近くに置かれたソファを掴む海の手に思わず意識がいく。
「銀河に輝く星のような髪……熱意が消えないでも神秘的な瞳……色もまるで君に身につけてもらうために作られた様だ」
 揺れる赤い髪が視界に入る。近過ぎる距離に思考をまとめることが出来なかった。胸の音が頭に響いている。
…………ッ」
 今、自分がどんな顔をしているのかも分からないが、思わず手で顔を覆った王子殿。音にならない言葉が虚しくも漏れる。
……君のもとに行くには資格が足りないと思っていた。月のように太陽の光がないと輝けない存在が私なのだからと」
 それでもと、身を乗り出すように海は彼との距離を詰める。
「君も同じ想いだと。とても嬉しい」
 今までにないくらい何かがおかしい。そして顔が熱くてどうにかなりそうな王子殿はただ口を開けたり閉じたりしている。
「愛しい君へ。私だけの太陽になって欲しい。全てを君に捧げるよ」
 前髪の隙間から刺す光に照らされた碧い瞳はきらきらと揺らめく。……まるではじめてみたような表情に固まる王子殿。
……!?!!?!!?!」
 首まで赤に染る王子殿は目を見開く。言葉が驚きに埋め尽くされる。何を言葉にして、どの様に言えばいいのかと考える余裕もない。
……——
 手が微かに震えている海。
「くっ……
 やはり何かがおかしい……それに気づいたのは少し遅かった様だ。
「はははっ——!」
 海は大きな声で笑い出す。お腹を押えて潤んだ瞳を閉じたり開いたりしながら、涙がこぼれ落ちるのを我慢する。
「はは、王子殿、ごめんな……じょ、冗談だ……
 どうにか息を吸い込み言葉を続ける。
「だ、だから、はは……そんな身構えないでおくれ」
 訳が分からず止まったままの王子殿。
 はぁと一つ大きく息を吐く。落ち着けと自分に言い聞かせるように。
「私は君のことが大好きだが」
 ふむと、手を顎に添えて、困った様に微笑む。
「そんなに反応がいいと色んな意味で心配になってきたよ」
 海の言葉にまだ分かっていない彼は疑問符を頭に浮かばせている。ふふと笑いながら海が手を差し出すと王子殿は恐る恐る握り返し、体を背もたれから起こした。
「なんだ??? ど、どうした???? 海??? うれ、うれしいが、いや」
 じっと海を見る。グッと眉間に皺を寄せて、部屋によく通る声で叫んだ。
「俺も同じだ!! 海が大切だああ!!!」
 腕を広げて目の前の相手に抱きつく王子殿。ごめんごめんと繰り返しながら腕の中の友人に声をかけた。
 いつもと変わらない……いや、友人にはちょっと変わった日となった。ただ、昔からの自分として過ごせた事に目頭が熱くなったのは内緒にしておこうと思った、ある夏の日だった。