氷紀
2025-03-12 18:29:06
10415文字
Public 迷い込んだ彼らの話 番外
 

留守番とないしょ話

時間軸は本編その後。みんなが出かけて、留守番をしている沢くんとちいさいののお話。高沢です。



 やや動揺を引きずったまま昼食を終え、二人で食器を洗い終えると、縁側でカラスの呼ぶ声がした。手紙を届けに来たらしい。ありがとうと言って受け取ったら、カァ、と一声ないて、カラスはすぐに飛び立っていった。……報酬は先払いだったんだろう。
 手紙は墓のからだった。
 『こちらのカラスたちの都合で、帰りが明日の朝になりそうです スミマセンがお願いします』
 明るい昼の光の中、白い一筆箋に浮かび上がる筆跡は万年筆のものだ。随分慌てて書いたらしく、最後の“す"はかなり掠れてしまっている。とはいえ、カラスたちの都合というなら、特に何か危険な事態に巻き込まれたというのでもなさそうだ。
「ゲタ吉にいさん、たち、かえってくる、の……あした、の、あさ?」
 僕の横合いから手紙を覗き込んだちいさいのが、ぽつりと呟いた。
 少し不安そうな声音だった。
「そうみたいだ。……カラスのみんなが、間に合わなかったみたい」
「うん……
 ちいさいのが、左手首にある黒白の組紐を、右手でぎゅっと握るように押さえた。ゲタ吉と離れているのが不安なんだろう。
「ちいさいの、さみしい?」
「ううん、さみしく、は、ない……沢にいさん、いる。でも、なん、だか……そわそわ、する」
「いつもいる仲間がいない、って落ち着かないね」
「うん、そう」
 こくりとうなずく顔を見て、ああまただ、と思う。
 僕とちいさいのは根元が同じだからか、ちいさいのの言いたいことが、僕には勝手に分かってしまうことがある。ちいさいのが『うん、そう』とだけ返事をするときは、だいたいこれだ。
 悪いことではないだろうし、楽といえば楽なんだけど、ちいさいのの感じ方を歪めたり、言葉を奪うことになったりしていないか、それがどうしても気に掛かる。いくら根元が同じでも、完璧に同じと言えるのは、生まれてから五年分くらいの記憶だけだ。そこから先は、全く違う。
 ちいさいのは父さんと水木さんを失い、本来生きるべきだった世界に背を向けて、ゲタ吉を選んだ。僕とそっくりだけど、違う道を歩き出しているんだから、その心を勝手に決め付けちゃいけない。――これはゲタ吉が言っていたこと、でもある。
「だい、じょう、ぶ。……ゲタ吉にいさん、かえって、くる。墓にいさん、も、高にいさん、も」
 黒白の組紐を握ったまま、ちいさいのは縁側の縁に腰を下ろした。ちいさいのの足はまだ、宙に浮いてしまう。
「ぼくの、ところ……ゲタ吉にいさん、かえって、くる。だいじょう、ぶ」
 僕が隣に座るのも構わず、ちいさいのは祈るように繰り返す。何度も、何度も。
 その姿に、ちいさいのが失ったものの大きさを感じて、僕は思わずその肩を抱き寄せた。
 ちいさな肩。その形は、確かに昔の僕と同じだった。
……沢にいさん?」
「大丈夫だよ、大丈夫」
 やがて、ちいさいのがそっと寄りかかってくる重みを感じた。
「うん……沢にいさん、……と、ゲタ吉にいさん、そっくり」
「墓のにもよく言われるよ。僕はゲタ吉ほど大きくないけどね……
 単純に体の大きさが違うのも事実だけど、それ以上に、積み上げてきた時間の量が全然違う。
 ゲタ吉は自分の過去をほとんど語ろうとしないけど、元の世界で何があったのかは、ほぼ確実と言えるくらいの推測ができている。できてしまった、といってもいい。墓のから、世界と時間軸の関係について教わったとき、ゲタ吉の世界のことを仮説として教えてもらったからだ。戦争が起こり、父さんに助けられ――という、一連の流れ。そこを生きたゲタ吉の気持ちは、……過去を語りたくないその気持ちまでも、分かってしまう。
「ゲタ吉にいさん、と、沢にいさん……いっしょ、おちつく。しずか、で……やさ、しい。お、つき、さま、みたい」
……そっか」
「高にいさん、は、おひさま。ひまわり。ぽかぽか、あったか、くて、ちょっと……まぶ、しい。……墓にいさんは、よる、の、かぜ。いつも、ひるより、すこし……つめ、たい。けど……ほっと、する。すこしとお、く、から、いろん、なこと、おしえて、くれる……
 ちいさいのの言葉を聞きながら、僕は二人の姿を思い浮かべる。
 お日様、向日葵。夜の風。――あまりにもその通りすぎて、僕は少し笑ってしまった。ちいさいのは本当に、よく見てる。
「僕もそう思うよ、ちいさいの」
「みんな、すき。……でも、ゲタ吉にいさん、は、とくべつ。だい、すき。いっぱい、ぎゅ……って、して、くれる。おおきい、て……やさしく、て、せなか、……なでて、くれる。あった、かい。ぼく、まもって、くれ、る。いっ、しょ、いて……くれ、る」
 ぽろぽろとこぼれてくる言葉を、僕はただただ聞いていた。
 ちいさいのが喋れるのは、僕とゲタ吉の前だけだ。先輩や墓のや、他の人間や妖怪たちがいる場所では、ちいさいのの声は出なくなってしまう。
 それでも、話したい気持ちは、ちゃんとあるんだ。
「だ、けど……ね、……ゲタ吉にいさん、たまに、かなし、そう。よる、ぼく、を、ぎゅ……ってして、ない、てる……ことある。くるしそう、な、ことも」
……そうだろうね」
「ゲタ吉にいさん、へいき、だいじょうぶ、って、いう。でも、……おまもりが、ないてて、かなしい、とか、もっと……くるしい、かんじ、の……とき、ある」
 おまもり、というのは、ちいさいのがさっきから右手で押さえっぱなしの、組紐のことだ。ゲタ吉のご先祖様の黒い霊毛と、ゲタ吉自身の白い髪を合わせて編んだ組紐は、ちいさいのへの愛(と言うしかないような情念)が込められている。
 ただ、その黒い霊毛は、怒りや悲しみのような暗い感情の方に反応しやすいものだ。ちいさいのの手にあったとしても、ゲタ吉のソレを拾ってしまうんだろう。
……ぼく、……どう、したら、いい? ゲタ吉にいさん、……どうした、ら、くる、しく……なく、なる、かな?」
「そうだなあ……
 ちいさいのの肩をそっと撫でて、僕はしばらく考えた。
 僕の想像が正しければ、ゲタ吉の過去は、凄惨の一言でも足りないだろう。破壊と死と憎しみを避けがたく浴びるように生きて、最後は文字通り、自分自身以外の全てを失ったんだ。そんな記憶に対して、外から生半可に手を突っ込んでも、どうにもならないだろう――かつて、戦争の夢にうなされて飛び起きる水木さんが、そうだったように。
 そうして僕の口から出てきたのは、ありきたりな一言だった。
「ちいさいのは……一緒に、いてあげたらいいと思う」
「いっしょ?」
 そう、とうなずいてから、僕はゆっくり続ける。
「もちろん、ゲタ吉が一人にしてほしい、って言ったら、少しの間、離れてあげた方が良いけど。でもそうじゃないなら、……一緒にいて、抱きしめ返してあげたら、いいんじゃないかな。大好きだよ、ここにいるよ、って気持ちを込めて」
……いつも、そう、してる。……それで、いいの?」
「それで充分だよ。……だって、ちいさいのも、ゲタ吉に抱きしめてもらって、楽になったこと、あるでしょう? 辛いのや悲しいのが、一回で全部は消えないのも、……もう、知ってるよね」
「うん……うん。そっか……!」
 ちいさいのの声が、ぱっと跳ねる。頭の中で何かが繋がったらしい。
 僕はちいさな肩をそっと撫でながら、続けた。……墓のに言われたことの受け売りだけど。
「少しずつ、進めたらいいんだよ。少しずつ……ね」
「沢にいさんも……そう、だよね? べん、きょう、高にいさん、と、いっしょ……に、いたい、から」
「そう。……やる、って決めたんだ。少しずつでも、絶対に、って」
「ぼく、も。いつか、ぜったい、つよく、なる、って……きめた」
 穏やかな昼下がりの縁側で、僕とちいさいのは微笑み合った。