山城まつり
2025-03-09 17:36:39
23006文字
Public 【馬子軸スーリニ】レヴリの紅玉
 

【馬子軸スーリニ】レヴリの紅玉#05(Epilogue)

レヴリの紅玉・完結!!!!
長らくお付き合いくださってありがとうございました!無事に完結しました~~~~!!!

これを機に拙宅にも興味を持ってくださったら嬉しいな、馬子軸にも興味を持ってくださったら嬉しいなとダブルで布教するつもりでおります。ルン────。

感想くださると飛んで喜びますがその ご無理は なさらず




レヴリの紅玉 シリーズ▼
https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=66492

前回#04▼
https://privatter.me/page/67c6e50eb1dd1


アスナショウコ様宅【レゾン・デートル】から四宮椿さん、市ノ瀬咲良さん、大河カレンさんをお借りしております。お貸しくださって本当にありがとうございます。
重大な設定を拝借しております。使用許可をくださって本当にありがとうございました。

本作は自創作【suicidal/leniency(スーサイダルリニアンスィ)】を「馬子軸」(現代ファンタジー)に落とし込んだ作品です。作者自身、馬子軸に関してど素人中のど素人ですので、間違った解釈などあるかもしれません。本当にすみません。
また、本シリーズ、特に#03以降は【suicidal/leniency】本編のネタバレを含みますので、「ネタバレNG!」という方は閲覧をお控えください。作者的にはスーリニはネタバレありきの方が面白いと思っております……。

スーリニ原作が気になってくださった方におかれましては、以下に本編リンクを載せておきますのでよろしければご覧ください。現在Prologue~Karte03まで読めます。

▼suicidal/leniency本編
https://novel.daysneo.com/works/3870c9c909042fb07a363f371caeee59.html


それでは、皆様にとって良い時間になりますように。


気付けば、朝が訪れようとしていた。
深い藍から紫へ、そして橙へと移り変わる山際は黄金に染まり始め、太陽が昇る気配を周囲に知らしめている。結局、今日も一睡もしなかった。2徹だ。だが今は、眠気などという野暮な欲求は沸き起こってはこなかった。

シメリス中央病院、集中治療室────ICU。
バイタルの波が引いては寄せてを繰り返している。一定のリズムを保つ電子音と、彼が紡ぐゆっくりとした呼吸音がこの室内を占めていた。室内には俺や椿クレマリー……彼を手術した面子と、大河にルミエールやオリヴィエ先生も同席している。スアサイダル症候群怪死事件に関わった一同が、事の終焉を見届けようとしていた。
────俺達に見守られた瞳が、微かに震える。


……イアサント」


クレマリーが、静かにそう声を掛けた。
その言葉は憂いと不安を含んでおり、彼女が心から彼を心配している事を物語っている。マルシャン院長はゆっくりと瞳を開くと、ぼんやりと天井を映して────その視界に、確かに彼女を映した。


……レ、マリー……

……良かった」


酸素マスク越しに、掠れた声が聞こえた。彼は視線を彷徨わせ、私は、と低く告げた。急に意識を失ったのだ、記憶が上手く繋がらなくても仕方ないだろう……そう思案する。オリヴィエ先生が「マスク取るぜ」と微笑んで、彼の酸素マスクを取り外した。暫しの空咳の末、院長は再び「私は」と問い掛ける。どう答えたらよいか迷いながら、俺がゆっくりと口にした。……彼には、訊かねばならない事があった。


……運ばれたんです。スアサイダル症候群の発症で」

「私が、ですか。どうして────」

……それは、」

「私が、お前を殺そうとしたからだ」

「クレマリー……お前、」


俺に代わってそう答え、罪を一身に引き受けたクレマリーは、その紅玉の瞳に彼を映した。彼が自身を呪う事を許した。……クレマリーが彼に感染し、あの場を凌いだ。クレマリーが彼を瀕死にまで導いた。それは事実だ。だがそれでも、彼女一人を巨悪だと言うのは、あまりにも────あまりにも残酷な答えだ。思わず眉間に皺が寄る。
それに気付かないイアサントは、彼女を睨みつける。その瞳には、嫌悪がありありと浮かんでいた。


「貴方は、また……ッ」

……恨みたいだけ恨め。私の罪は、許されるべきではない」

「恨みますよ。恨みましたよ。そして、貴方を裁こうとした。『レヴリカ』を用いて裁こうとした。だけど捕まるのは私で、貴方は庇護された」

……。」

……これ以上私に、どうしろと、言うんですか」


そこからは、沈黙が続いた。
電子音だけが規則正しく鳴り続ける、久遠に感じられる休止符。
……訊かねばならない。何が彼を囚えているのか。何が彼を突き動かしているのか。そして、何が彼とクレマリー・ルーヴィルを結び付けているのか────全て。
休止符を破って、静かに口にする。


「────マルシャン院長。あんたは、何が目的だったんですか。クレマリー・ルーヴィルに、一体何を……奪われたんですか」

……それを聞いて、どうするつもりです」

「ただの、俺の興味です。あんたは莫迦じゃない。何も理由なしに罪を犯すような人じゃない。ある筈だ。あんたを凶行に駆り立てた、理由が」

……


イアサントは瞳を伏せる。深いブラウンの睫毛の下で、グレーの瞳がゆらゆらと揺れている。そこには彼しか知り得ない過去があり、同時に鎖で雁字搦めにされた悲劇があった。

「私を狂わせた記憶です」と。彼はそう小さく零した。
「思い出したくない記憶です」、そう悲し気に吐き出した。
言ってください、と小さく告げて。俺は、彼の唇が開かれる事を信じた。窓の外では太陽が、山の際から輪郭を覗かせ始めていた。


……数年前です。あの頃は今ほど、スアサイダル症候群が流行してはいませんでした。それでもこの病が医学会で問題視されている事には変わりません。私は所長として、イリュソリア・クリニックを任されました。その時────私には、妻が居ました」

「奥さんが……

「はい。もう、亡くなっていますが」


声が、小さく震えている。彼を急かさないよう気を配りながら、「それは、」と絞り出す。ご愁傷さまでしたね、もご冥福をお祈りします、も、適切な言葉には思えなかった。彼を労わる筈の言葉は、どれも彼を突き刺す凶器になる予感しかせず、そこで乾いた唇を閉ざす。


「イリュソリア・クリニックには精神科がありません。本当なら妻の不調は、私が治したかった。けれど、私にはそれは専門外でした。シメリス中央病院に任せ、彼女の心の回復を待つ事にしたんです」

「奥さんは、何か心の病を?」

……中絶手術をしたんです。子供が、重篤な先天性障害を持っていて。心疾患とエドワーズ症候群を同時に患っていました。生まれたとしても生存率が極めて低く、生きられたとしても……既に高齢の私達では責任を持って育てる事は出来ない、と。とても苦しい決断でした。けれど、私はそれが一番優しい決断だと信じていました。子供にとっても、妻にとっても。────けれど、それは私のエゴだった」


点滴を繋がれた骨ばった手が、ぎゅうと強く握られる。そこにあるのは過去の自分への怒りと呪い。
子供が、おったんか。俺はそう考えを巡らせて椿が言っていた事を思い返す。
────生かすか殺すの線引きは明確。それは身内か否かだ。
彼は、自分の周囲の人物を心から大切に思っている。だからこそ、それが奪われた苦しみに、今もなお囚われているのだろう。彼の中の時間はきっと、その日に深く縫い付けられて進んでいないのだろう。


「妻は、精神を病みました。上手く産んでやれなかった自分を、子供を守るために殺すという矛盾を起こすしかなかった自分を、呪いました。呪って呪って……その末に、首を吊ったのです。それを見た私は彼女を連れてシメリス中央病院に赴きました。そこで彼女の執刀医になったのが────クレマリー・ルーヴィルでした」

……今も、覚えている。青ざめたイアサントと、小刻みに震えていて視線を彷徨わせている妻────イザリーヌ・マルシャンの姿を。うつ病と診断を下した。弱めの抗不安薬から始めて治療計画を立て……彼女のカウンセリングを開始した事を記憶している」

「綺麗事を。貴方が、彼女を殺したというのに」

……


クレマリーはそう睨まれると口を閉ざして瞳を伏せた。俺は「その、亡くなってしまったんですか。イザリーヌさんは」と問い返す。それに対して院長は「はい」と答えた。怒りと絶望を、その呪いの言葉に込めて。


「投薬と心理治療を開始しても、彼女は一向に良くなりませんでした。変わった事といえば、私に直接弱音を吐かなくなった事くらいです。それでも、希死念慮が彼女を蝕んでいたのを、私は知っている。そして、あの日────ちょうど今のような、熊蝉が泣き喚く朝。私が起きた時、彼女は冷たくなっていました。オーバードーズによる、自殺でした」


残酷な真実が、俺達の間に重く垂れ込む。
救われなかった悲劇が、業火のように俺達を灼いて、掌にじんわりと汗が浮かんだ。彼もまた、救われたかった。愛する者と共に、救われたかった。だが、救われなかった────そして同時に俺は理解する。何故彼が、クレマリー・ルーヴィルを嫌悪しているのかを。


「彼女の遺体は、シメリス中央病院に運ばれて……次に私が彼女と会ったのは、骨になった姿で、でした。その時私は知っていたのです。この国に、スアサイダル症候群という奇病が流行り始めている事を。……悟りました。彼女はうつ病ではなく、スアサイダル症候群で亡くなったんです。シメリス中央病院もイリュソリア・クリニックと同じくエニグマ医学会、そしてフランス神秘管理局直属の病院。スアサイダル症候群の事を知らない筈がありません。それも、スアサイダル症候群という精神の病を扱う精神科のクレマリー・ルーヴィルが知らない筈がない。」


鋭い灰色の眼光が、白い死神を貫いている。
クレマリーは、咎めも否定もしなかった。
彼が下す呪いという審判を、一身に受けていた。


「────貴方はうつ病と偽り、治療したふりをして、イザリーヌを殺したんだ。スアサイダル症候群の存在を秘匿するために。自分の罪を認めないために。そのために、彼女による【自殺】という事にしたんだ。貴方が殺した、【他殺】だというのに。────この、人殺し」

……ッ」


再びの沈黙が重く落ちて、呼吸の仕方さえ忘れかける。誰もが彼の剣幕に怯えている中で────ひとつ、息を吸う音がした。無意識にそちらを見遣る。……椿だった。


……本当に、それが真実なのか」


彼女はひとつ、そう告げる。忌まわしき名探偵が、施錠された古き記憶を、解明しようとしている。は、と院長は掠れた疑問符を残して彼女を見遣る。


……どういう、意味です」

「ある探偵が言った。不可能なことをすべて消去していけば、最後に残るものが真実なのだ、と。真実に至るためには可能性をすべて試し、すべてを消去せねばならない。お前が言ったことはただの仮説だ。それは、真実と言うにはあまりに脆い。……オリヴィエ」

「へ?俺ぇ!?」

「司法解剖したのだろう。イザリーヌ・マルシャンの身体を」

……なんで俺がやったって言いきれる?」

「スアサイダル症候群の可能性がある中で司法解剖をするのであれば、専門チーム……《EFMAT》に任されると考えるのが筋だ。お前が関わっている事は明らかだろう」

「ひぇ……やっぱ怖ぇよ、お前」

「誉め言葉だ。……それで、出てきたのか。」

……


出てきたのか────スアサイダル症候群の腫瘍は。
椿はそう訊いて、眼差しをオリヴィエ先生に向ける。苦笑いを浮かべていた彼は一つ深呼吸をして……次に顔を上げた時、そこにはもう笑みは無かった。


……あったぜ。心臓の表面、心膜を覆うように生えてた。」

「ではやはり、イアサントの仮説は正しかったと」

「いや、そうでもねぇよ。半分合ってて半分違う。当時は意味が分からなかったが……全部聞かされた今なら分かる。クレマリー……言ってもいいか?」


そう言ってクレマリーの方を見遣れば、彼女は小さく「好きにしろ」と返した。オリヴィエ先生は「Merci」と低く伝えると、すぅ、と息を吸って紡ぐ。


「イザリーヌがうつ病だったのはマジだ。彼女は死ぬ寸前、最後のカウンセリングまで普通にうつ病だった。だが、相当心の闇が深かったみたいでな。カウンセリングは難航したらしいぜ、クレマリーによると」

「じゃあ、なんでスアサイダル症候群になったんですか」

「最後のカウンセリングの時────イザリーヌはクレマリーに、もう殺してくれと頼んだらしい。これ以上夫に迷惑を掛けるのも、生きていくのも、もう無理だ、と」

「それでスアサイダル症候群に感染させた……それが真実か?────クレマリー」

……ああ」


電子音が5つ鳴った。短い休止の末に、クレマリーは唇を開く。傍から聞けば無機質で無感情な声音だ。だが俺には、それが自嘲と自責を含んでいるように聞こえていた。


「入院を強く勧めた。少し休んではどうかと、根気強く提案した。だが……彼女は、それも嫌だと泣き縋った。もう、無理なのだと。耐えられないのだと。殺してくれ、と……そう、私を頼った。私は医師だ。人を救う、医師だ。だが同時に……私は死神だ。殺す事で人を救う、死神だ。故に────私は彼女に感染した。死ぬのであれば、痛みすら感じる余裕なく死ねるように、と。それが、慈悲なのだと、信じていた。……私の過ちだ。そんなもので、彼女の魂が……そしてイアサントが、救われる筈など無いのに」

「クレマリー、司法解剖の時に、『夫には私が殺したように伝えてくれ』つって言い出したんだぜ。びびったよ、お前は救おうとしたじゃねぇか、スアサイダル症候群になったのは不運な事故だろって……でも今ならわかる。こいつはこいつなりに救おうとして……でもそれが最善じゃなかった事を悟って、んで自分を呪ったんだってな。」

……イアサントが私を恨むのは、当たり前の事だ。私は彼から愛する存在を奪った。殺した。……私が、この手で殺したんだ」

「クレマリーさん……


悲しげに視線を逸らすクレマリーに、ルミエールも、俺も……掛ける言葉を失った。彼女は絶対悪ではない。自身を呪い、自信を恨む彼女は悪そのものでありながら、蔑みの眼を向けられるべき相手ではないと思う。
……とんだ矛盾やな。そんな矛盾が、同時に存在していていいのか。

クレマリーは一言、「恨むなら恨め」と口にする。
それくらいしか、彼の無念を晴らせる方法が無いのだと……その聡明な頭脳で結論付けているのだろう。


「イアサント。恨むなら私を恨め。呪うなら私を呪え。だが……私以外に手を出すな。これは私とお前の問題であり、他の誰かは一切関係がない。そんな誰かを、不幸の運命に囚えてはならない。……私が言える事ではないが、お前は医師だろう。誰かを救うべきお前が、私情のために誰かを苦しめるなど、あってはならない」

……分かって、います。でも────」

「────私は、神秘管理局にこの身を預けよう」


その一言に、院長は顔を上げた。俺とルミエールも同じように、彼女を見上げた。……諦めるんか。あんたは、あんたの幸せを、諦めるんか。
それが「災厄」の終焉なのだと、終着点なのだと、識っている。理解している。けれど……目の前の彼女は、災厄と呼ぶには、あまりにも。


「それでいいンですかァ?神秘管理局に捕まれば、もう自由は無いと思いますけど。病院にも居られなくなりますよォ?」

……構わない。私は救いを求めていたが……私一人の幸せより、大勢の幸せと安寧の方が遥かに大切だ。私が身を顰め、隔離されて大衆が幸せを手に出来るのであれば、それを手放しで喜ぼう。生きていた価値があったと、初めてそう思える」

「それでクレマリーさんがいいンだったら、いいンですけど」

……本気か」


神秘を取り締まる立場である事も忘れて、俺はそう問い掛ける。
それに対し彼女は静かに「私は嘘が嫌いだ」と答えた。その意志の強さに、決意の固さに、ただ「そうか」と肯定する事しか許されなかった。
ルミエールが寂しそうに彼女の名を呼ぶ。引き止めたいと、失いたくないと、その気持ちが痛いほど伝わってくる。だが、彼も神秘がいかに恐ろしく、幻想が牙を剥く事がどういう事かを理解している。これが必然の別れなのだと、分かっている。……それでも、酷く悲しそうにクレマリーを呼んだ。引き止めてはならないと、分かっていながら。


……クレマリーさん……

「ルミエール……別れだ。急に上司に据えて悪かったな。散々危険なオペに付き合わせた。私の我儘に付き合わせた。だが、それも、今日で終わりだ」

「ッ」

「オリヴィエ、ルミエールを頼むぞ。まぁ、私が居なくともオペでミスはそうそうしないだろうがな。ここ数か月で彼の腕は格段に上がっている」

「同意。……クレマリー、元気でやれよ。止めたってどうせ行くんだろ。お前、そういうヤツだもんな」

「よく分かっている。私は一度やると決めた事は貫くたちなのでな」

「違いねぇ。ルミエール、泣くなって。しゃんとしねぇとダメだぜ?上司だろ?」

……ッ、だ、って……!」

……ルミエール」

「あなたと、これからも歩んでいきたかった。あなたと、これからも病魔に立ち向かっていきたかった。あなたと────生きていきたかった。それなのに、こんな、お別れだなんて……っ」

「────ルミエール、また逢える」


彼女はそう言って、手を取った。
泣きじゃくる彼の、手を取った。
そこには愛が在った。優しさが在った。真実が在った。未来が在った。
ルミエールは小さく「え、」と零したが────彼女はもう一度、はっきりと、「また逢える」と微笑みかけた。
……お前、笑えるんか。そんな風に、笑えたんか。

初めて見る、彼女の笑顔だった。


「私たちは、きっとまた逢える。来世で、など言わない。必ず今生で、また逢える。……信じてくれ」

「クレマリー、さ、」

……泣くな。私が泣かせているみたいだろう」

……ッ、ほんとうに、また、逢えますか」

「私は嘘が嫌いだと言っているだろう。私は嘘など吐かない。お前に変な希望を抱かせる事などしない」

「っ。信じます、からね。嘘だったら、許しませんからね……ッ、一生、許しませんからね……っ!!」

「ああ。信じろ。大丈夫だ────また、逢いに来る。勿論、正当な手段でな」

「ッ」


ゆっくりと、惜しむように彼女はルミエールの手から己の手を解いた。そして俺を呼ぶ。大河を呼ぶ。審判が、下されようとしていた。
────椿が、いつ寄越されたのか分からない手錠を渡してくる。恐らく、神秘管理局に出向いた時に拝借してきたのだろう。その聡明な頭脳を駆使して、神秘管理局から逮捕の権限をもぎ取ってきたに違いない。それを突っ込むのは野暮に思えたので俺は手錠を受け取り……それを静かに、目の前の死神の手首に掛けた。


「イアサント」


手錠を掛けられた彼女は、そう院長に言葉を贈った。「本当に、すまなかった」と、彼女なりの精一杯の謝罪を、贖罪を贈った。


……許しはしません。だけど、貴方は貴方なりに妻を救おうとした」

「救えなかったのは事実だ。恨んでいい」

「勿論、そのつもりです。けれど……私もまた、罪を犯した。貴方に全てを背負わせようとした。貴方も私を恨んでもいいのですよ、クレマリー・ルーヴィル」

「はは、誰が恨むか。私は人間を恨むなどしない」

……理解できませんね。やはり私達は、相容れぬ存在のようだ」


乾いた笑いを零した院長は、「市ノ瀬さん」と俺の名を口にする。
そこには、決意の色が見受けられた。


……何ですか」

「────自首します。スアサイダル症候群怪死事件の、犯人として」


点滴のチューブが繋がれ、患者の証であるリストバンドをされた細く白い腕が俺の前に突き出される。それは小さく震えていた。そんな彼を牢獄に放り込む事に少しばかりの良心を痛めながら────それでも、罪は償わねばならないと覚悟を決めて、俺は「分かりました」と絞り出した。
フランスに来てから、随分と心が脆くなった気がする。
これが、白い死神が齎した、もうひとつの病なんやないかと思いながら。


太陽が、黄金の輝きを纏って空に姿を現した。
日輪が柔らかに新緑の木々を照らして、小鳥が夜明けを謳った。
大河が時刻を口にする。椿が、全てを解明したと瞳を閉ざす。
手首に、鉄の枷が回される。酷く冷たいそれは、じきに彼らの体温に馴染んでいくだろう。

午前6時を回っていた。
一日の始まりと共に、ひとつの愛を巡る事件が────終焉を迎えた。

フランス、花の都パリ。
医学の中心地、シメリス。
そこに聳え立つ、中央病院での事である。