目を閉じても、開いても

MHRウ教×ハ♀。相思相愛/夫婦。
ウ教視点。
ウ教の母が故人設定ですのでお気をつけ下さい。

ひどく疲れた日に見た夢は。



座ったまま、動く元気のない体が、不思議と浮遊感を持ったようにふわふわしている気がする。

炭の鳴る音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

けれどこの体は、とても優しい温もりに包まれている。先ほど以上に、先ほどと似た懐かしさを感じた。
ずっと、ずっと俺を守り続けてくれていた気がする温もり。


──ウツシ……よく頑張ってるね……

──よしよし、いい子だねえ、ウツシ……


鼓膜に響いた柔らかな声に、俺の心は懐かしさに震えた。

幼い頃に、何度も聞いた覚えがある言葉。

心の底から嬉しくなって、全身に力が湧いて、幸せになれる魔法の言葉。

柔らかな懐古の温もりは、俺の全身を優しく包み込んだまま、髪をくように、何度も頭を撫でてくれている。

(ああ……! ああ……この……感じ……どこか、で……)

震える心から、炎のような熱が俺の目頭に集まっていく。まるで全身の疲労が、全て熱になってしまったような。

きゅうう、と胸が締め付けられるような感覚と共に、瞼が先ほどに比べて軽くなったので、ゆっくりと開いてみた。

誰かの、顔が見える。

俺と同じ髪色をした、見間違えるはずのない顔。

……かあ……さん……!?」

呟いた瞬間、瞼の裏の存在となったはずの母は、俺に優しく微笑んでくれた。
先ほど以上に胸が締め付けられて、瞳から、雫となった熱が細く細く、頬を伝う。

俺はいつの間にか、母に、足を崩して座った状態で抱きしめられていた。

『いい子だね、ウツシ……! 本当に、強くなったね……よく頑張ってるよ……!』

耳に響いた母の声に体がぶるりと震えそうになった時、視界が、いつも母が着ていた璃紺色るりこんいろの道着の色で満ちる。

嗚呼──この澄んだ冬の夜空のように鮮やかな色は、幼き修行時代のあの頃によく見ていた。

母の胸に優しく抱かれ、子守唄のように柔らかな言葉と一緒に頭を撫でられることなど、母が逝ったあの瞬間、もう二度とないことだと思っていたのに。


──これは、夢だ


頭では、そう分かっている。

けれど胸の中には溢れんばかりの喜びが、懐かしさが、そして切なさが混じり合い、複雑な色となって頬を伝っていた。

『かあ、さん……! かあさん……俺を、褒めてくれるの……?』
『ふふふ、当たり前でしょ!』

聞こえてくる言葉の響きの一つ一つが、苦しくなるほどの懐古を帯びて、俺の心をぎゅうぎゅうと締め付け続ける。

全身に纏わりつく疲労にも導かれるように、今だけ、もう少しだけと、俺が母の温もりに身を委ね続けていると、俺の頭を撫でていた母の手が、ぴたりと止まった。

……ウツシ、大丈夫? おまえはたくさん人を褒めて、励まして、労える子だけど、おまえは?』
……俺? 俺が…………?』

情けない声で尋ねながら、俺が顔を上げる。視界は熱くぼやけたままだが、久しぶりに視線が絡めた途端、母の表情がどこか寂しげに曇ったことは分かった。

……おまえを褒めてくれる人は、いる? あたしがいなくても、ちゃんと励ましてもらってる?』

母の言葉に、俺は目を見開く。

涙は止まって、在りし日に見た母の顔が確かな輪郭を帯びて映って。
吸い込まれそうな慈愛の瞳を真っ直ぐ見つめながら、俺は緩やかに口角を上げる。

脳裏に浮かぶのは、里の家族。尊敬する人と、愛しい人の姿。


──ウツシ教官! さすがです!

──あっぱれだ、ウツシ!

──ウツシさん、いつも本当にお疲れ様です!


自然と鼓膜に溢れてくる、記憶に新しい優しく朗らかな労いの声。

俺は──独りぽっちじゃない、孤独に戦っているわけじゃない。

とてもありがたいことに、昔からずっとそうだ。
大切なものがある限り、守りたい人がいる限り、何があろうと、決して折れることもない。


──ウツシさん、愛しています……

──ずっと、お傍にいたいです……


俺には、心から愛する、大切な人がいる。心から愛し、大切にしてくれる人がいる。

顔の筋肉がふにゃりと、蕩けるように和らいで、俺は自然と笑顔になっていた。

「大丈夫、だよ……母さん……! 俺……みんなに、褒めてもらえてるんだぁ……! よく頑張ってるね、さすがだねって……
『ふふふ、そうなの? フゲンの兄ちゃ……あ、ううん……里長、も? 褒めてくれてる?』
「うん……! 褒めてくれるし、すごく、頼りにしてくれる……! 里長も……里のみんなも……俺の、奥さん、も……!」
『ふふふ……そう……そうだね……! おまえには、ちゃんと素敵なお嫁さんが……家族がいるもんね……
「うん……!」

俺の可愛い愛弟子、あの子のことは、母も知っている。あの子が赤ちゃんの時まで。

だから、話したくてたまらなかった。

こんな気持ちは久しぶりだった、母に話したいことがこんなにたくさんあるとは。

もっともっと伝えたい。伝えて、俺はもう大丈夫だと、安心して欲しくなっていた。

「母さん、あの子……あの子がさ……! あんなに小さかったあの子が、大きくなって……俺の、お嫁さんになってくれたんだぁ……!」
『ふふふふっ、そうみたいだねぇ? 晴れ姿、ちゃんと見てたよ……。良いお天気だったし、風は穏やかで、桜も満開で……! 本当に良かったね、ウツシ……! あの子が来てくれたなら、あたしも安心だ……

母が、また、俺の頭を優しく包み込むように抱きしめる。

懐かしくて、愛おしくて、温かい、全ての不安やしがらみから解き放たれて、安堵できる感覚。

『──ウツシ。おまえは、今、幸せなの?』

少しだけ、母の声が低くなった。嘘をつくなと暗に伝えているような母の貫禄に満ちた声。

俺は、それ・・さえ懐かしくて、つい微笑みながら、しっかりと頷いた。

「幸せ、だよ……! いつまでも、守りたい場所があるから……大切な人がいるから……!」

俺の返答を聞いて、母は「ふふっ」と、どこか安心したように、納得したように息を漏らして笑ってくれた。

何故だろうか。俺はさっきの母の声で、あの言葉を聞けて、とてもとても、嬉しかった。

母は昔も、今も──ずっと、俺の幸せを願ってくれているのだと、実感できたからかもしれない。

『ウツシ……あたしは、ずっと……! おまえと、おまえの大切な人を、見守ってるよ』
「うん……うんっ……! 分かっ、てる……あり……がとう……母さん……!」

ずっと、ずっと、記憶の中で、母は俺を優しく支え続けてくれた。

見えなくても、触れられなくても、ずっと傍にいてくれたのだと感じられていたし、いなくなってしまった気はしなくて。

十分過ぎるほど、母の愛は分かっている。

この愛に包まれていたから、俺は人を愛する尊さと喜びを、守るべきものがある幸せを学ぶことができた。

だから、なのだろうか。

俺は、この喜びを、尊さを、幸せを伝えられるような人にもなりたかったのかもしれない。
自分の愛する存在を、守りたい場所を、いつまでも守ることができるような、さと強者ツワモノになりたくて。

ずっと、ずっと、自分なりに頑張ってきたつもりだ。

昔から、もちろん今も──ずっと。

……母、さん。俺……もっと……もっと、頑張る、よ……!」

まるで幼い頃に戻ったような心地で、俺は静かに、母の腕の中へ身を委ねる。

そう、頑張ってきたつもりだ。

けれど、里の重鎮の方々を思えば、心身が引き締まる。

自分はまだまだ未熟で、もっともっと努力しなければならないという意識と、やる気が燃え上がる。

けれど、今、俺の中の炎は少しだけ、ほんの少しだけ──勢いが衰えている自覚があった。

全身に纏わりついている、ずしりと重いくせに粘ついて、不安を呼び寄せそうなほどどす黒い、心の安らぎを奪い去って行く疲労感の影響だろう。

体には、まだあまり力が入らず、俺は母にされるがまま。

これもまた、懐かしい感覚だった。

俺だけに向けられたこの優しい温もりに、もう少しだけ、この疲労を溶かして欲しくなった。

母の腕の中で、俺はゆっくりと、目を閉じる。

……疲れたろう? ウツシ。今だけは、ゆっくり甘えてお行き……
……母、さん……。俺……俺は……!」
『夢を叶えて教官になっても、全力で頑張り続けて……本当に偉いよ、ウツシ……! おまえは教官のかがみ、あたしの誇りだ。自慢の息子だよ……!』


──教官の鑑、誇り、自慢の息子……


母の声で紡がれた、ありったけの褒め言葉の力は絶大だ。
母にここまで褒めてもらうのは、とても、とても、あまりにも久しぶりで。

望んでも決して叶わないと確信していた夢が、叶った気さえして。

褒められた俺の口角は、またふにゃりと大きく上がり、悲しくないのに、胸がきゅっと締まった。
切なさにも似た不思議な感覚は、また、俺の双眸を炎のように熱くさせる。

……あり、がとう……! ありがとう、母さん……!」

目を閉じたまま俺が細く呟くと、穏やかに笑ったような母の吐息が聞こえた。

その笑い方がとても懐かしくて、言葉にならない感情が溢れるように、閉じたままの双眸から細く、熱く、思い出と想いの涙が溢れる。

泣くという行為は合理的なもので、心が軽くなるような気がする。

俺の涙の熱を察したのか、母は『よしよし』とますます優しく俺の頭を撫でてくれた。

『たまにはゆっくり休みなさいね、ウツシ。おまえには、あたしも、優しい家族も……最高のお嫁さんもついてるんだから。甘えたって、良いんだからね……?』
「ッ……うん……! ありがとう……大丈夫……俺、もう大丈夫だよ……! 少し……少しだけ、疲れちゃってただけだから……

絶対の安息に愛でられたゆえか、俺の体は母の腕の中で、力が抜けたように動かなくなっていた。

目を開けることもできず、けれど双眸からはとめどなく、細く、炎のように熱い涙が溢れ続ける。

ああ、懐かしい、懐かしいな。

あまりにも、色々なことを思い出した。

母と過ごした、楽しくて愛おしい思い出が過ぎろうとする度に、その狭間には不安が混じっていた。

もう二度と、あなたとそんな風には過ごせないという現実が、どうしても顔を出してしまうから。

あなたとの春陽しゅんようの思い出を、二度と来ない春を憂うような、冷えきった寂しい真冬の悲哀に変えたくなかった。

疲労は悲哀を引き寄せ、心を弱らせる。


──でも、今は、もう大丈夫。


あなたとの思い出は、雪解けをもたらす穏やかな春のまま。
愛する人と結ばれた今の俺を、優しく包み込んでくれていた。

あなたとの優しい日々を積み重ねて来られたから、あんな日があったから、今の俺がいて、こうして幸せになれたのだと思える。

「──母さん、俺……これからも、頑張るから……! 大切な人と……大切な場所で、幸せに生きるために……!」
『頑張れ!応援しているよ。寂しくなったり、辛くなったり、 目を閉じれば、また……いつだって会えるからね……

ああ、これも、とても懐かしい。

昔、母はよく『頑張れ!』と、『応援しているよ』と、俺に言ってくれた。

俺の心はそれに何度励まされたことだろう。どんな苦痛にも疲労にも負けまいと奮い立つことができた。

あの時と同じように、俺の心は、優しい激励を受けたように震える。

やがて、俺の全身を包んでくれていた母の温もりは、ふわりと、離れていった。

……かあ、さん……!!」

思わず、ぽつりと、情けない声が漏れた。

寂寥に似た切なさに胸が引き絞られて、けれど、やはり目は開けられず、体ば動かないので、どうなっているかは分からない。

すると、また、ふわりと。

新たに優しい別の温もりが、俺の頭を優しく撫でてくれているような気がする。

同時に、とっても香ばしくて食欲をそそる匂いが、鼻腔を擽った。
目を閉じていても分かる、瞼越しに感じる、暖色の、樺桜のような優しい光。
それはまるで炎のように柔らかく、温かく、俺を待ってくれているような気がして。


──さあ、起きなさい、ウツシ。

──しっかり食べて、ゆっくりお休み……

@acadine