目を閉じても、開いても

MHRウ教×ハ♀。相思相愛/夫婦。
ウ教視点。
ウ教の母が故人設定ですのでお気をつけ下さい。

ひどく疲れた日に見た夢は。

偵察、哨戒しょうかい、里長代理の使者、狩猟、闘技大会の受付とその用意、闘技場の管理に、後進の育成。

改めて考えると我ながらやることが多いものだと感じるが、前者の3つはアイルー頭領のコガラシさんと協力して日替わりでやっているし、狩猟は今や妻となってくれた最愛の愛弟子の盟友として行けることもあるので、むしろ楽しみの1つ。

闘技大会も里の人や、里の外から来た人と接することはとても楽しいし、愛弟子が挑戦に来ることもあるので、その受付も場所の管理も全く苦ではない。

そう、苦しいことなど全くなくて、俺の携わる何もかもは里のため、最愛の人のため。

だから、この多忙を誇らしく思っている──はず、なのに。

人間の体というのはとてもよく出来ていて、複雑で、時にひどく面倒だと思う。

墨を一滴、空に垂らしたような宵闇が空に広がり始めている、黄昏と夜の境界の時刻。

オトモアイルーのデンコウ、オトモガルクのライゴウと共に家路へ歩く今も、心は元気なのに、体は鉛を引きずっているように重い。

「ふう……デンコウもライゴウも、疲れたろう? 早く戻って休もうね」
「うんニャ。ご主人が一番疲れた顔してるニャ、大丈夫ニャ?」
「そうかい? ははは、ありがとう、大丈夫だよ。気持ち的には全然元気なんだけどねぇ」

隣を歩くデンコウの心配そうな眼差しに、俺は重たい体を引きずるように歩きながら「大丈夫だよ」と笑顔で言葉を返した。

見えてきた愛しの我が家は、夜に溶け込みそうなほど暗い。

妻である愛弟子が先に帰って来ていることもあるが、今日は俺が先だったらしい。

家の中は考えるまでもなく、朝に出た時のままだろう。

その考えにほんの少しだけ、ますます体が重くなったことを感じながら、俺はオトモたちと共に帰宅した。

「ただいまー……っと」

誰もいないと分かっているが、どうしてもこの言葉を言わずにはいられない悲しいさが

玄関引戸げんかんひきどを横に滑らせて土間に入れば、暗闇と、やけに鋭利な冷えた空気が出迎えてくれた。

土間の炊事場や畳の間の様子は朝のまま、囲炉裏に至っては昨夜のままだ。

今でこそ夫婦で、オトモたちと暮らしているが、一人暮らしをしていた時代も長いので、その程度のことでは普段は寂しさを感じたりしないし、動じない。

けれど何故か、今日は妙に、愛する人のいない薄暗い寒気が、こたえた。

「さて、手を洗って……囲炉裏に火をつけようか」

独り言のように呟いたが、俺の言葉にデンコウが大きく頷き、ライゴウが「ワウッ」と鳴きして応えてくれた。

適当に脚装備を緩め、土間の炊事場にある流し台で手を洗って囲炉裏に向かおうとしたが、俺より先にデンコウが手際良く屋内の行灯をつけて回ってくれた。
そのまま向かった囲炉裏の傍らで、火打石で火を起こそうとしてくれている。

気が利くオトモの行動に感謝しつつ、かち、かち、と耳に響く打音に心地良さを覚えながら、俺は囲炉裏の自在鉤じざいかぎに掛けられる手頃な鉄瓶に水を満たした。

重くなったそれを片手にきびすを返して、少々お行儀は悪いが、足装備を足を振ることで隅に脱ぎ、かまちから上がって囲炉裏へ向かう。

(愛弟子、先に帰ってるといつも囲炉裏に火を起こして、お湯を沸かしてくれてるんだよなぁ……)

デンコウのおかげで、少しずつ火が通って炭が赤くなり始めた。

そんな囲炉裏の上にぶら下がっている自在鉤に、水で満たした鉄瓶を引っ掛けながら、思わず妻を想った俺は口元に小さな笑みを浮かべた。

そのまま囲炉裏端いろりばたの座布団に足を崩して座り、口元の鎖帷子くさりかたびらを下げ、呼吸を意識しながら「ふーっ」と息を吐く。

我が妻は、いつも明るく温かい部屋にして、俺を待ってくれている。

彼女が沸かしておいてくれたお湯で一緒にお茶を飲んで、今日も頑張ったね、なんて平穏に語り合う。

それから二人で一緒に食事の用意をして、一緒に食べて、そこでまた話して。

「──幸せ……だなぁ、俺……

帰路についている時から薄々感じていたが、思っていた以上に、俺は疲れていたらしい。

双肩そうけんかかるような疲労は、どっしりと、とても重い。

囲炉裏端に座った途端に、まるで根が張ってしまったように動けなくなった。

(愛弟子……キミも、毎日、誠実に……全力で……頑張って……えらい、よぉ……)

──キミが頑張っているのだから、俺も……

英雄と呼ばれ、日々依頼狩猟に精を出し、狩場を駆け抜ける愛する我が妻は、きっと俺よりも疲れているはず。

せっかく彼女より先に帰宅できたのだから、こうして部屋を暖めて、明るくして、できるなら、ご飯を作って彼女を待ちたい気持ちがあるのに。

気持ちは「思うのなら、早く動け」と俺を急かし続けているのに、体は意に反して、次第に瞼が重くなってきていた。

緋色の炎が鮮やかに、囲炉裏の中でゆらゆらと揺らぎ、ぱち、ぱち、と炭が鳴る。

(キミを、褒めたい……ねぎらいたい……のに……)

体が、動かない。

心はキミを想えば温まるのだが、その温もりはすぐに、全身に纏わりつく重たくどす黒い何かに瞬く間に吸われてしまう。

──ああ、ダメだ……

──少し、だけ……疲れ…………

動けないこの疲労感、不意にほんの少しだけ、懐かしさを感じた。

幼い頃、母に教わって、ハンターになるための修行をしていた時の疲労感と似ている。
文字通り、くたくたになって動けなくなるまで訓練したものだ。

その度に、母は俺を優しく抱きしめて、頭を撫でて微笑んでくれた。

──よく頑張ったねぇ!

──凄いよ、ウツシ! お疲れ様!

いつも俺を温かく労い、明るく褒めて包み込んでくれた、今や瞼の裏の存在となった母。

何故、突然、こんなことを思い出してしまったのだろう。

疲れになんて負けてたまるか、俺は大人になった、しかも教官だぞ。
里の英雄『猛き炎』の師であり、そして、愛しい彼女の──……

(…………まな、で……。俺の、大切な……可愛い……お、よめ…………)

囲炉裏の炎が優しく、しなやかに揺れて、暖かく、俺の意識を誘う。

あまりにも甘美なその誘いに抗うことはできず、瞼がずしりと重くなった。

意識が虚空の彼方へ吸い込まれていくことを感じながら目を閉じた俺の、すぐ傍らで「ご主人、大丈夫ニャ?」とデンコウの声がしたような気がする。

大丈夫だと応えたかった。

だが、体はおろか、口も声帯も動かない。

何もできないまま、意識は疲労感と共に、彼方の闇へ吸い込まれてしまった。

@acadine