それぞれの好きを、誇れるように

pixiv再掲
松川弟と花巻妹の話、松花要素と同時進行です
極を見た直後に書いた話だったので、その後明かされた情報もあったかもしれないですが、あまりわからず書いてました



一月

 その日は朝から家族みんなが浮足だっていた。兄ちゃん一人を除いて。そしてその兄ちゃんは、今は外出している。
 貴大くんを、迎えに行くためだ。

 昨晩、久しぶりに家族揃って晩ご飯を食べた。並んだ食事は至っていつも通り。煮物に入れてあった里芋を俺が掴んで放るのと同じタイミングで、「明日さ」と兄ちゃんが口を開いた。
「花巻、連れてくるから」
 ……父さんは箸を落としたし、母さんはよそってたしゃもじを持つ手が止まった。姉ちゃんは味噌汁を溢しそうになり、俺は当然里芋を喉につまらせそうになる。大慌てでコップの水を飲みながら、俺は兄ちゃんを盗み見る。
 表情はいつもと変わらない。なにも感情を読ませない顔だ。母さんは「バレー部の子?」と聞いて、「うん、そう」とだけ答える兄ちゃん。
 あの一静が、人を連れてくる。こんなに周りに興味のなかったこの子が。なにも言わないけど、兄ちゃんが家に連れてくるとまで言わしめた人物「花巻くん」に誰もが想像を膨らませる。その後の食卓はほとんど黙ってたけど、全員が好奇心を剥き出しにしてチラチラ兄ちゃんを見ているのがわかった。
 俺は貴大くんを知っているしどんな人柄かはわかっているから、いつかこういう日がきたとしても動揺しないと思っていた。ただ……兄ちゃんは「友達を連れてくる」とは言わなかった。「恋人だ」とも。そこだけが引っかかってそわそわする。もちろん、いきなり家族の前で同性の人といい感じです、なんてカミングアウト怖くてできないから、後者をやめたのはわかるけど。だから「花巻」という言い方は一番選択肢の中で的確だった。
 俺はようやく喉を通るまで咀嚼した里芋を飲み下しながら、こっそり疑問を解き明かしたくて飯の後に部屋に突撃した。
「兄ちゃんはさ、貴大くんと付き合えたの?」
 隣の部屋の姉ちゃんに聞こえないように小さくて聞き取りづらい声を出しちゃったけど、兄ちゃんにはじゅうぶん伝わってた。つり目をちょっとだけ開いて、それからふっと笑う大人っぽい仕草は俺の知らない家族の顔をしていた。
「お前こそ、どうなんだよ。みなちゃんとは」
「え、う、……い、いや、今は俺が質問しただろ?」
 危うく流されそうになって踏みとどまる。ははっと楽しそうに笑った兄ちゃんは、明日の授業の用意をしながらのんびり答えた。
「お互いに好きだよ、でも今はまだ、それだけ」
 ぽつんと告げられたその台詞は、俺の中で納得がいかなかった。若い考えだと笑ってほしい、このときの自分は兄ちゃんをよくわかってあげられなかった。
「お互いに好きなら、もうそれは恋人なんじゃねぇの?」
 兄ちゃんはきっとこの言葉が俺から放たれるのをわかってたんだと思う。用意していた言葉を盛り付けるように並べる。
「じゃあお前は言える? 家族のまえで。恋人連れてくるって。それが同じバレー部で、男だって」
 皿の中に用意されたワードはどれも、当たりまえに聞かれることだらけだ。俺は心のナイフとフォークを持ったままそれらをどう食べてやろうか考えあぐねていたけれど、待たずして新しい言葉が追加された。
「もしそれが理由で、お前やみなちゃんが仲間内で何か言われたら?」
 ……俺は、心が切なさで砕ける音が聞こえた。相手が用意した説明はどれももっともな重みと厚みがある。俺たちを引き合いに出してくるのはずるいと思ったけど、確かにみなちゃんがもし、このことを周りに言われたらと考えたら。
 俺は兄ちゃんを恨まないなんて、言えるほど人間ができているだろうか。
……俺たちの、ことなんて」
 気にするなよ。そう言えたらいいのに声は出ない。俺は結局俯いてしまった。
 自分が好きな子は異性で、同じクラス。外的要因な恋の障害はそこにはない。だからこそ素直に感じた疑問を純粋にぶつけて、兄ちゃんを苦しめた。先日切ったばかりの俺の坊主頭を、優しく撫でられる。
「ごめんな、卑怯なこと言って。お前らのせいじゃない」
 そういうつもりで言ったんじゃないことはわかってる。兄ちゃんは他人を貶めたり乏したりしない人ではないから。
「俺こそ、ごめん……
「いいよ」
 俺は泣きそうになりながらクッションの上に座って、じっと兄ちゃんを見る。ひとつ息を吐いて、この人は真正面から俺を見た。
「俺はこんなに本気で人を好きになったことがない。だから手放す気なんかない。だから今が耐えるべき状況ならいくらでも耐えられる。いつか将来、花巻と並んで歩けるなら」
 ……その日、俺は上手く眠れなかった。恋愛にも家族にも、ちっとも関係のない夢でも見られればどんなに良かったか。残念ながらそれさえ見られないで目は冴えていた。
 貴大くんと兄ちゃんが二人でいるところを想像してみる。似合うと思う。対照的な二人の形だけど、カチリとはまってちょうどいい。性別、他人の視線、世間の風当たり、賢い兄ちゃんだからこそ、たくさんの事柄から自分たちの関係を見据えて、それでも二人でいることを貫くために一つ一つの行動を慎重に進める。やっぱり兄ちゃんの向く標はいつも正しい。そこまで考えて、俺は天井を見上げる。
 なんて、真剣なんだろう。泥臭い人間味をついに出した兄の、相手を思う貪欲さ。
 本気でお互いを好きになるっていうのは、何本もの可能性と諦めを含んだ道筋を、確実な道を選んで一緒に進むことなんだ。それはコウコウセイの兄ちゃんが出すにはあまりにも早い人生の岐路だと俺は少しだけ思ったけれど、家業として葬儀を行ってきて、死を常に見てきたこの人なりの精一杯の答えなんだ、と感じる。
 兄ちゃんがバレーを終えた後の生きている実感をくれるのは、紛れもなく貴大くんだ。

 カタンと音が鳴った。俺も姉ちゃんも、すぐに顔を上げる。ちょうど月曜日、祝日で、珍しく皆が家に揃っている日だ。兄ちゃんはずっとこの日を狙っていたんだと思う。
 母さんがお湯を沸かし始めた。父さんはぎこちなくソファで新聞を読んでいる。家族の誰もがぎくしゃくと動く中、俺は一人で玄関に向かった。その後ろで、父母が話すのが聞こえる。
「一静が、お友達を、ねえ……
「珍しいことだが、嬉しいな。連れてこられるくらい仲の良い友達ってことだろ」
 お友達。友達。そうだ、やっぱり現実ではその呼び名が一番なんだろう。あの二人が例え同性同士で好き合っていても、はたから見ればそうではない。まるで俺自身のことみたいに、ズキリと心臓が痛む。兄ちゃんは、今は耐えるときだって言ってた。こういう家族の目からまずは恋人だってことを隠さなきゃいけない。
 今、兄ちゃんは、辛いんだろうか。
 外から話し声が聞こえる。カラカラと笑う貴大くんの声だ。二人は家のまえで、入らずに話している。
 ……盗み聞きになってしまって申し訳なかったけど、好奇心が勝った。俺は玄関を少し開けて、背を向けて話す二人を眺める。
「花巻のこと、ちゃんとは紹介できてないから……ごめんな」
「いいよ、それに、そこは何回も話しただろ。理解される方が稀なんだって」
 二人はやっぱり自分たちの置かれた現況の矛盾を、何度も確かめていた。不安げに揺れる兄ちゃんを、貴大くんは肩を音が出るくらい叩く。
「大丈夫。一緒に考えよう、これからのことはさ」
 互いの手が握られて、貴大くんの力が強かったから「痛いよ花巻」なんて、兄ちゃんは照れ隠しに言う。でも兄ちゃんの恋人は笑ってるし、またあの人好きする笑顔で「緊張しちまってんだよ、俺も」とごまかした。
 決意を固めた二人を、せめて俺だけでも快く迎え入れてあげたい。俺は玄関を大きく開いた。「お、周じゃん」って貴大くんが手を離してこっちを慌てて向いた。
「こんにちは貴大くん……ようこそ」
 声は震えずに言えたかな。ちゃんと気持ち、込めれたかな。二人がこっちに歩いてきて、太陽の光が遮られる。逆光になる前に見えた二人の顔は、その言葉で少し緩んだように見えたのは、気のせいじゃないと思いたい。
「周って呼ばれてるの、ずるい」「兄ちゃんも名前で呼んでもらえばいいじゃん」「まあまあ。周はみなのこと、なんて呼んでんの?」玄関でだけは二人を恋人にしてあげられた。それは俺の今のところ唯一の特権だと思う。
 嫉妬する兄ちゃんも、甘えられて悪い気はしてない貴大くんも、みなちゃんとのことを詮索される俺も、確かに恋をしていた。
 俺は、大丈夫、と自分に言い聞かせる。それはどんなものよりも不安定で頼りないかもしれないけど、俺には一番馴染み深くて揺るがない言葉だった。

 ◇

 コートの上から見る兄ちゃんと貴大くんは、腰に手を当てながら汗を拭いて相談している。貴大くんが少し悩んで、頷いて、兄ちゃんがポンと肩に手を置いた。
 新人戦の準決勝は、青城と他校の一、二年で火花を散らしていた。これに勝てばいよいよ強豪白鳥沢との対戦だ。俺とみなちゃんは、ギリギリで運良く空いた予定に喜び、滑り込むように会場に来た。
 バレーのルールはわからない。どんな戦法があって、どんな決まりがあるのかも。
 ただ、兄ちゃんが相手のボールを壁みたいに叩き落としたとき、貴大くんが飛んできたボールを鮮やかに返したとき、味方の声援は一層高まったし俺自身も興奮した。
 そしてなにより、あの兄ちゃんの冷静な顔が綻ぶのが、俺にはたまらなかった。いつも笑って余裕で生きてきた兄ちゃんは、この一年で俺に見せる表情を変えた。もともとやってきたバレーを高校に入ってさらに熱中してやって、勉強も成績を維持してきて、さらに大事だと思える人もできて。やっとあの人が追いかけて手に入れようとしたものが、今まさに俺の目の前にある。そして、コートの中で開花している。
「お兄さん、楽しそうだね」
 みなちゃんが、ニコニコしながら言う。俺はじんわりとあったかいものが胸に広がった。
「貴大くんも、笑ってる」
「うん、きっとすっごく楽しいんだよ」
 そう言うみなちゃんの顔からは、もうあの寂しそうな笑いがない。家族が好きで、自分をちょっぴり好きになれてる女の子は、周りと同じように声を乗せて声援を送った。
 口をめいっぱい開けて応援して、一生懸命に兄を見守る彼女の横顔は、喜びと興奮で赤くなっている。あの夏の日はあんなに暑かったのに、一切汗もかいていなかった授業中の君が、今は騒がしさに紛れて紅潮している。
 湧き上がる声援に、スパイクが決まったんだとわかる。点数はこれで相手を二点引き離した。あと一点が、勝利の一歩だ。
 兄ちゃんの足が動く、貴大くんが跳ぶ。高揚したムードは、圧倒的プレッシャーになって相手チームに襲いかかってるはずだ。俺も野球のとき、バッターボックスに入った瞬間その圧力をひしひしと感じることがある。唾を飲み込み、手をギュッと握り込んだ。
 がんばれ、大丈夫、がんばれ。
 これまで飄々としていたはずの兄ちゃんが熱くなるほどのこれからの人生を、一つでも多くの勝利が彩ってほしい。
 そしてその横にいるのは、いつでも貴大くんであってほしい。
 試合終了の合図が鳴り響き、汗だくの兄ちゃんと貴大くんは肩を抱いていた。チームメイトとも集まって喜びを分かち合う。小さかった輪が他の部員にも囲まれて大きくなって、試合は勝利で終わり、新人戦の決勝戦に青城がコマを進める。観客席の全員が立ち上がって喝采を送る。
 バレー部が整列して客席に向けて頭を下げる。その頭上に鳴り止まない祝福。俺も手が痛くなるほど拍手をした。
 顔を上げた兄ちゃんの笑顔は、これまで見てきた中で一番無邪気だった。いつかこの笑顔は、家業を継いで社会を知って知らない顔に移り変わっていく。俺の知らない兄ちゃんが作られて、きっと大人になってしまう。
 でも貴大くんが一緒にいれば、どんな時もいつもの兄ちゃんを取り戻せる気がした。険しい道筋をあの二人なら、ゆっくり慎重に、時々立ち止まって悩みながら歩いていけるんだろう。
 ──好きなんだから、仕方なくない?
 いつかの兄ちゃんの言葉が頭に蘇る。好きってこんなに大事なことなんだ。俺はみなちゃんの方を振り返る。突然目が合ったものだから、彼女はびっくりして目を見開いてた。俺はあの時みたいに、今度ははっきりと自覚して手を握る。鳴り止まない拍手、湧く観客、選手が最後まで一礼で応えて、今ここには俺とみなちゃんしかお互いを認識していないかのようだった。
 憧れの兄ちゃんから、勇気をもらった。今度は俺が、がんばる番。
 息を吸って吐き出して、もう一度息を吸う。真っ赤な顔がますます火を吹きそうだ。それでも俺は、深く深く肺いっぱいに膨らませた体でみなちゃんに向き直る。
「俺と、付き合ってくれませんか?」
 ピンクの細い髪が揺れて、白い顔は応援の汗と興奮で赤らんでいて。
 まるでそこだけ、春のようだった。