それぞれの好きを、誇れるように

pixiv再掲
松川弟と花巻妹の話、松花要素と同時進行です
極を見た直後に書いた話だったので、その後明かされた情報もあったかもしれないですが、あまりわからず書いてました



七月

 花巻みな、十四歳、姉と兄が一人ずつ。帰宅部。
 それが俺の知っている彼女の情報の全てだ。
 他に知ることもないまま、四月のあの日以来ほとんど話していない俺たちは、瞬く間に夏を迎えてしまう。梅雨明けの晴れた空が、太陽の光をたっぷり含んでやってくる。教室の中はまだまだ変わらず蒸し暑いが、景色はスカッと晴れていて最高だ。
 仙台の夏は近年暑さが増している。窓を全開にして教科書をうちわ代わりにする生徒も多い中、シャツのボタンをきっちり上まで締めたみなちゃんが、先生に文章の朗読を頼まれる。「はい」と返事も軽やかで、まるで暑さなんて関係ないみたいだ。俺は野球部で坊主だから気持ちはわからないけど、あの子は髪の毛だって肩まであるから首回りなんて絶対うざったいだろうに、みなちゃんは気にしない様子だった。
 白い肌に澄ました鼻先は、横顔きれいだな、と単純でわかりやすい感想を俺に持たせる。光に透けたピンクブラウンの髪は、ますます彼女の表情が引き立つ。
 一人、それに見惚れている男子生徒を見つけた。「あ」と俺は声が出そうになる。彼女の横顔を眺める視線と惚けた顔、あれはあからさまな恋だった。
 みなちゃんは、姿勢がきれいで声が伸びる。音楽のように文を読む。眠たくなるような柔和なリズムで進んでいく。気がつけば、俺も彼女を見つめてしまっていた。クラスの中に、皆と質量の異なる目線の男子が二人。ただ一人俺だけが気づいているその事実に、むず痒くなる。
 朗読を終えた後の空気は、しん……と静かに凪いでいた。先生が着席を伝えて彼女は座る。続けられる授業に、俺は黒板の方を向きながらチラチラと彼女を見た。
 柔らかな空気を纏っているはずの彼女から感じた、ささやかなぶれ。時々、ギュッと手を握って緊張を抑え込もうとしている。あの子にとってさっきの朗読は、張り詰めた物だったんだろうか。
 四月に出会った時から薄々積もっていた彼女への直感は、未だに心に燻って、本人に直接はっきりとは聞けずにいた。
 やっぱり、調子が良くないの? たったそれだけの言葉なのに。
 ──それは、この間もだった。
 移動教室で使う荷物を先生に任されて、みなちゃんは重たそうに抱えて歩いていた。汗もかきながら運んでいる姿を見て、「手伝うよ」って手を差し出したんだけど、
「大丈夫」
 髪と同じピンクブラウンの眉毛が申し訳なさそうに下がって、彼女は介助を拒んだ。そのときも、俺は踏み込んで助けたり彼女に聞いたりしなかった。そうしては、いけないような気がしてしまって。
 ……俺は、どうにも恋愛に疎いし、女の子の気持ちなんて全くわかる気がしない。元気がなさそうな彼女をどうにか励ましたい、なんてくすぐったい感情をどうしたらいいのか。悔しいけど、ここは誰かに聞くしかないと頭を巡らせる。
 母さんには恥ずかしくて言えない。父さんはあんまり家にいないし。姉ちゃんは絶対からかわれる。
 そこで俺は兄ちゃんを思い出す。女の子の扱い、うまいのかな。わかんない。彼女だって、いたのかどうか。
 でも心の中では、こういう繊細な悩みは兄ちゃんにしか言えないな、と心のどこかでわかっていた。

「ああ、彼女? いたよ」
 兄ちゃんはけろっと言う。「母さんも知ってるんじゃないかな」なんて言い出すから、俺は度肝を抜かれた。うちの母さんはほんわかしていて、あんまり人の話題はしない。そういうところは兄ちゃんに似てる。秘密主義とかではなく、特に言う必要がないと思って言わないのだ。
 でもだからって、彼女がいたことぐらい教えてくれたっていいじゃん。兄弟の誰かに彼女や彼氏ができるって、割と家族の一大イベントじゃないの?
「今はいないけど……なに、お前、彼女できそうなの?」
 からかうような笑い方になってきたから、この話はここまでにしようかなとしかめっ面をする。兄ちゃんは、「おっと」って手を上げて俺に一歩道を譲ってくれた。
「そういうわけじゃないのね、その顔を見るに」
 ……こういうところが、姉ちゃんとはやっぱり違う。あの人なら終始、俺の好きなタイプだの彼女になりそうな子だどんな顔なんだと根掘り葉掘り聞いてくるのに。
「うん、違う」
 キッパリ言い切ると、俺は洗濯機から自分の分の濡れてるジャージや服を取り出しながら聞いた。
「その、女の子がさ、なんつーか……落ち込んでるっていうか、自分に自信がない、って人だったらどうする?」
「え、やっぱり彼女できたんじゃん」
「違うって、友達!」
 ふうん、と頷きながら兄ちゃんは顎に手を当てる。今日はドライヤーを、そんなに癖毛直さないで当てている。くるくるした髪をガシガシかいて、「でもさ」と喋り出す。
「友達で、しかも女の子にそんな風に考えてやれてるってことは……ちょっとは気になってんじゃねぇの?」
 兄ちゃんがやたらとそうやって突っ込んでくるのは珍しい。やっぱり聞かなきゃ良かったかな。自分の内面を探られることを回避しようとして話を切ろうとしたんだけど、よく見ると相手の顔はいつになく真剣だ。そして突然、
「俺も今、そういう人がいるからさ」
 親近感。と伝えられて、目を丸くした。
 兄ちゃんの色恋沙汰を初めて聞いた。彼女がいたことだってつい今まで知らせてくれなかったのに、どうして。
 ぼーっとすんなよ、って額を小突かれて、俺は我に帰る。
「相手はお前と逆だな。自信ない、とかじゃない。皆に優しいし誰とでもわいわいできるタイプ。だから相手にされてんのかわかんねぇから俺の方が自信なくて不安、ってやつ?」
 この兄ちゃんが。いつも飄々となんでもこなすこの人が。不安。俺はますます腰を抜かしそうになる。坊主頭をグリグリ撫でられて「姉ちゃんに絶対言うなよ」って言われた。危機管理は、兄弟一緒だ。約束に対して首がもげるぐらいブンブン頷くと、先を促す。
……兄ちゃんは、どうすんだよ、そういうとき」
 本当は前のめりになってメモを取りたいぐらいだったけど、そんなのできないから耳だけは心の中ででっかくして聞く。ドライヤーの音が止まった。浴室乾燥の音が響く。ボイラーが鳴って、台所で母さんが洗い物をし始めたのがわかった。それでも、兄ちゃんの声ははっきり俺の耳に届く。
「なるべく、話しかける」
 ひどくシンプルな答えをくれたこの人は、続けて話す。
「いっぱい話して、いつも横にいる。そうしないと、俺をわかってもらえないからね」
……今までの彼女にも、そうだったの?」
「んー、彼女なんて言っても数えるほどしかいなかったし、それにそこまで本気じゃなかったからなあ」
「本気、じゃなかった……
「だから家にも呼ばないし、呼んで家族に紹介とかはもっとできなかったかな」
 つまり兄ちゃんも今、実行している作戦は手探りなんだ。こんなに頭の良い人が、作戦も立てずに闇雲にスタートラインを切っているほど、惹かれるものがその人には備わっているってことで。
 だから、
「今度連れてきて、紹介できるようになるまで頑張るな。お前の良い例になれるように」
 そんなかっこいいことを言われたら、ぐうの音も出ない。
 スマートで賢い憧れの人の泥臭いところを見させられて、俺はぎゅうっと心臓を掴まれる。兄ちゃんは、やっぱり悔しいけどいつも俺の模範だ。
「うん……参考に、させてイタダキマス」
「言い方生意気」
 くくっと笑ってまた額を小突かれる。赤く跡のついたそこを俺はさすった。兄ちゃんはドライヤーをしまい、無造作にあえて整えなかった髪を揺らして、脱衣所を去ろうとした。
「兄ちゃん、何で癖毛直さなくなったの?」
 俺は気になったことを聞いてみた。振り返った兄ちゃんの笑顔は、めちゃくちゃ幼くて、俺とバカやって笑ってるときと一緒だった。
 それはつまり、すっげぇ嬉しいときの顔だ。
「こっちの方が、そいつに似合うって言われたから」