ひよこ豆
2025-02-06 23:36:42
23546文字
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焦がれる鷲獅子

概要:自創作の二次創作をやったらハチャメチャになった
わからん、かなり本編の話をしているのでこれ二次創作って言うか外伝みたいな雰囲気になってない?でも主人公はジャンじゃないので……

 騎士が去ったあと、ジャンはゆっくりと立ち上がった。
 王の剣にあてがわれた部屋はそれなりに豪華で、広々としている。休んで行けとは言われたが、とてもそんな気分にはななかった。辞去しようとして――ベッドルームの扉が半開きになっていたため、吸い寄せられるように足を踏み入れた。
 カーテンはぴったりと閉じられているが、隙間から差し込む光で薄明るい。置かれているベッドは兵舎のものと比べれば圧倒的に快適そうだ。さすがは宮殿の客室である。
 ベッドはシーツの皴の寄り具合、毛布の畳み方からして、使用した痕跡がある――。ジャンは思わず眉間を押さえた。最悪だった。そんなことを考えた自分を縊り殺してやりたいと思った。
…………
 ジャンが来る前に、ここで休んでいた。道理から考えればそうだ。夜なのだから。別に何もおかしくない。やましいことを考えているのはジャンだけだ。自己嫌悪で爆発しそうだった。
 ほのかな香水の気配にきつく目を閉じる。「深紅」の歩く後にはいつもかすかな死の気配がある。感じる者によっては強い嫌悪感を誘発するそれを薄めるために、ゲルトは特製の香水を愛用している。変わり者のエルフが作る、深い森の香りと似た調合――それを知っているのは彼のごく身近な者たちだけである。
 ベッドルームから出てジャンは大きなため息をついた。初めての繁殖期を迎える個体じゃあるまいし、と己をありったけの言葉で呪う。百年のあいだ離れていたのがよくなかった――別にまったく会えなかったわけではないし、つい最近は王都の奪還のためにともに戦場に立った。けれどこうして「日常」で接触するのは久しぶりで、ともすれば踏み外しそうになる。まだ感覚が取り戻せない。かつての自分はどうやって平気な顔をしていたのだろう。
 あなたのそばにいたい。たったそれだけのことを、もう何年言えずにいるのか。
 ジャンは足早に部屋を後にした。

 結局あまり休めず、ジャンはふらふらと議会へ向かった。
 午前の議会が始まる頃合いだったので傍聴しようとしたのだが、あっさりと門前払いを受けた。非公開の重要審議があるらしい。その代わりなぜか別室へ通され、しばし待てと通告された。
 うとうとしながらしばらく待っていると、評議会の議長を務めるエルフ――レインウェルが入ってきた。予想外の大物にジャンの眠気は吹き飛んだ。レインウェルは濃紺の山高帽を脱ぎ捨てながらジャンに告げた。
「ナイトハルト卿は領地にて過ごされることになりました」
……王都を離れられるのですか?」
「ええ。この条件を踏まえたうえで再度あなたの意志を確認しますが、行くのですね?」
 もちろん、とジャンはうなずいた。ためらう余地などどこにもない。
 レインウェルは小さく鼻を鳴らした。「知ってました」と顔に書いてある。議場では厳粛な議長だが、茶目っ気もある人だ。エルフという血統重視の種族において、家柄によらずここまで上り詰めた女傑でもある。ジャンはそっと尋ねた。
「それにしても、よくお許しになられましたね……?」
「ええ、本当にね」
 軍を離れるのはクラウスの取り決めである以上動かせない。ならば王の定めた一年の間、彼がどこに所属するかが争点になっていた。正直どこにいても影響力が大きすぎて厄介なのだ。
 並ぶもののいない最強の騎士で、王に口利きすらできる――それだけならどの勢力も喉から手が出るほど欲しいだろう。だがその一挙手一投足はすべて王の知るところであり、あらゆる情報が筒抜けになる。さらに軍と議会、種族のしがらみを考慮すると、彼を引き受けた瞬間にあらゆる問題を抱え込むのと同義なのだ。強すぎる武器には相応のリスクが伴う。
 有事のことを考えれば宮殿に留め置かれるのが妥当な線だろうとジャンは踏んでいたが、どうやら読みが外れたらしい。想定外の決定に少し首を傾げつつも、ジャンは「どこへなりと行きます」と告げた。
「結構。それを見越して陛下はあなたを指名したのでしょうね」
 ほかの誰にも務まるものか、とレインウェルはため息をついた。
「ご存じとは思いますが、ナイトハルト領は特殊な土地です。アンシーリー・コートたちの安息の地……死の気配が非常に強いために、並大抵のものでは気を病んでしまう。任務に当たれる人員は相当限られます。ところがあなたは過去に複数回、長期滞在の経験もおありで、その後の経過も良好。適任としか言いようがありません」
 ジャンは何度かナイトハルト領に行ったことがあるが、死と静寂の印象が強い。アンシーリー・コートや死霊族、グリムのように死にまつわる一部の幻獣でなければ、あまり好む空気ではないだろう。当時、ゲルト自身も相当「来なくてもいい」「空気が肌に合わないこともある」とジャンを諭した。それでもジャンは行った。
 実際、グリフォンという種族にとってナイトハルト領は心地よい場所ではない。死期が近ければもっと違った考えになるのかもしれないが、少なくともジャンは定住したいとは思わなかった。常にひやりとした空気が背中を撫でるようなあの不快感。それゆえに領地争いなどと縁遠いのが美点と言えば美点である。ジャンがあの空気に耐えられたのは、ジャン自身の育ちもあるが、土地の主たるゲルトがそばにいてくれたことも大きい。
「明日の日中にあなたの任命式を実施します。陛下のお言葉もあるでしょう。出立はそれから七日後です。東からわざわざご足労いただいたばかりで慌ただしいですが、ご準備なさい」
「ありがとうございます」
 レインウェルは肩をすくめた。
「私個人としては、あなたはすでに東の砦の幹部ですし、此度の戦いでも王女の力になったということで、このような役回りをお願いするのは反対なのですがね……
 監視役は栄転とは言い難い。かといって左遷というわけでもない。微妙な距離感の人事だ。国王勅命であることを考えれば確かに重要なポストではあるものの、非常任で機密の多い――要するに面倒な仕事である。すでに拠点で一定の地位を築いている尉官を呼び寄せてまでやらせるには疑問の声が上がるだろう。
 でも所詮雇われなので、とジャンは表情を崩さなかった。上官の命令は絶対、さらに上である国王の命令に逆らうなどとんでもない。だから言われたことはやり遂げる。そう命じられたからだ。これはジャンにとって絶対に手放すことのできない錦の御旗だった。
「陛下にもお考えがあってのことでしょう。必ず任務を果たします」
「ええ、そうですね……
 本当に考えがあればいいのですけど、とレインウェルは腕組みした。その顔はどこか苦い。彼女も五百年近く議員を務めているため、時折国王がどう見ても職権濫用のような勅命を下すのを知っている。ゲルトが時折「妖精族あるある」を発動するように、クラウスも「王様の気まぐれ」を発動することがあるのだ。
 レインウェルの知る限り、「王様の気まぐれ」はおおむね、国政に混乱を招くほどの大きな職権濫用ではない。むしろ行き詰まっている何かを突破させるためのカンフル剤的な使用が目立つ。それが今回はどう作用するのか、エルフの議長は見守ることしか出来そうになかった。
「ではまた明日お会いしましょう、リヴィエール大尉。それまでの時間があなたにとって有意義なものとなりますように」
 暗に時間がないことを示され、ジャンは敬礼した。この場合の「有意義な時間」はあいさつ回りはさっさと済ませろという意味を含んでいる。
 もとより急な辞令だ。本来なら中央で落ち着いてから各所に顔を出そうと思っていたのだが、事情が変わった。急ぎになる代わりに、当初の予定よりいくらか減らしても問題ないだろう。頭の中の名簿をめくりながら、ジャンは最適なルートを考えた。
 レインウェルと別れ、広い議事堂の廊下を歩く。無駄に距離があるため嫌になるが、飛んでいくのはご法度だ。議事堂内でむやみやたらと姿を変えるのは推奨されない。場合によっては悪意ありと判断されることもある。ジャンは翼だけを出して飛行できなくもないが、そもそもグリフォンが飛んで通れるような設計はされていないため、やはり非推奨である。そこかしこに翼をぶつけたくはない。
 議事堂の中庭と噴水を横目に歩いていると、突然ジャンを呼ぶ声がした。
――ジャン!」
 聞き覚えのある声に、ジャンは目を瞬いた。そこにはおやつをもらった子犬みたいな顔の親友が立っていた。背は高いのにいつも縮こまっておどおどしている彼の、心底安心したような表情が懐かしい。
 『群青』の名を拝す騎士ファイルヒェン――アルトリートはジャンのもとまでやってきた。手足が長いので一歩の幅が大きい。普段は意識して動きを小さくしているので気づきにくいが、四騎士の中でもオルテガに次ぐ上背の持ち主だ。これはもともとの竜族の姿が反映されているという。
「もう着いてたのか!」
「ああ。これから中将にご挨拶をしようかと」
「グラン中将に? そういえばジャンはしばらく師匠につくことになったんだよな?」
「監視役だぞ」
 アルトリートが肩をすくめる。特に彼にとって、この人事が有名無実であることは明らかだった。ナイトハルト卿は彼の師匠だし、ジャンとは新米のころに兵舎で相部屋になって以来ずっと親友だ。アルトリートは両者と定期的に話す機会があり、反目しあうはずがないこともよく知っていた。そのため彼にとっては「友達と師匠が一緒にいる」くらいの意味しかない。
 嬉しそうなアルトリートの表情に、ジャンも自然と笑みがこぼれた。まるでなついた子犬のようで、彼が年上から可愛がられるのもうなずける。
「じゃあ師匠の監視役をやっているあいだは王都にいるんだな」
「ナイトハルト卿はご自身の領地で過ごされるそうだ。だからそれについていくことになる」
「えっ!?」
「さっき決まったらしい。レインウェル議長から聞いた」
 そんなぁ、とアルトリートが目に見えて肩を落とす。
「せっかくジャンが中央に戻ってきたと思ったのに」
 新しくオープンしたお菓子屋さんとか紹介したかった、としょんぼりする騎士に、ジャンは思わず笑った。ちょっと卑屈なところがあるものの、アルトリートはいつも純粋で心優しい友人だった。
「いつまでいるんだ? 師匠と一緒に出るのか?」
「出立は七日後と聞いている。閣下に同行する形で出ることになるだろうな」
「は、早い……
 アルトリートはさらに落ち込みの度合いを深くした。
「じゃあしばらく師匠もジャンもいないのか……
「陛下もオルテガ様もいるだろう」
「ううっ……
 解決にならないのは百も承知でジャンは吹っ掛けた。案の定アルトリートは小さくなる。
「へ、陛下も、オルテガも……いい方なんだけど……っでも僕としては……
 強すぎるんだろうな、とジャンは内心同情した。ナイトハルト卿はこの国の武力の象徴だが、それゆえに余計な発言はしない。ジャンは職業軍人として務めを果たす。それらの「静かな連中」と比べると、議会を引っ掻き回すクラウスも、ああ見えて策謀や駆け引きを好むオルテガも、アルトリートには刺激が強すぎる。
 いくらか高い位置にあるアルトリートの目を見れば、捨てられた子犬のような目をしていた。ジャンは「そこまで絶望するものではない」と思いつつ、つい笑ってしまう。
「ジャン!」
「悪い、この世の終わりみたいな顔をしているからつい……
 通りすがりの兵がちらちらと二人に視線をよこす。いつも大人しいを通り越しておどおどしているアルトリートが、明るく楽しそうな表情を見せるのは珍しいのだろう。実際菓子のひとつでも渡せばちょろいほどなついてくれるのだが、ナイトハルト卿の弟子で『群青』を拝する騎士という立場が、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
 気を取り直して「ご飯食べに行こう」と言い出したアルトリートと約束をしたあと、ジャンは予定通りあいさつ回りに戻った。
 各所をめぐり、世話になった相手、根回しが必要な相手をピックアップして適宜面会を済ませていく。軍部の上下関係は厳しいが、横のつながりも強固だ。クラウスによる「同じポジションに長くいると絶対癒着するからダメ」という方針により、各部署間での人員交換も多い。担当が変わった部署も多く、思いがけない出会いもあった。世辞もあったが、ほとんどがジャンの帰還を喜び、「もうずっと中央にいるんでしょ?」と言わんばかりの顔をした。
 ずっといられたらいいんですけどね、とジャンは苦く答えるだけだった。

 任命式の朝、議場にいる議員はまばらだった。
 主な議題はすでに議論を終えており、任命式などは議長と最低限の人員さえいればいいのである。別に役割もないのにただ見守り役として見物に来るほど、どの議員も暇ではないようだった。
「ジャン=クロード・リヴィエール大尉。本日より一年間、ナイトハルト卿ゲルト・シュヴァイツァーに対する監視役の任を命じます」
「拝命します」
 これ本当に必要なのか、と思いつつ、ジャンはルール通りの受け答えをした。
 少し離れた位置には当事者であるゲルトも立っている。軍部を離れよ、という命令に従い、今日は軍服ではない。装飾を抑えたチャコールグレーのジャケットに、細身のパンツ。襟元にはシンプルなループタイがきらめく。貴族らしい装いだが、グレードとしてはややカジュアルだ。赤い髪とよく似合っていた。
 ついじっと見てしまうそうになるのをこらえて、ジャンはまっすぐに前を向いた。レインウェルから任命書を受け取る。今日から正式に監視役だ。
――悪いな、契約会談が押しててちょっと遅れた」
 どこからともなく展覧席にクラウスが現れた。レインウェルが眉をピクリと動かす。
「任命と宣誓の儀は終えました。何かおっしゃりたいことがあれば」
「お、じゃあいいタイミングだな」
 ジャンの認識ではレインウェルは嫌味を言ったはずなのだが、クラウスには当然効かない。
 クラウスは議場のテーブルから身を乗り出し、ジャンの顔を見た。
「リヴィエール。今回お前を推薦したのは、この任務にもっとも適任と判断したからだ。俺の騎士を見張るのにお前ほど適した者はいない。こいつが反省期間に余計なことをしないように見ておけ」
 クラウスが己の騎士を顎でしゃくった。なんとも品のない「お言葉」である。
 よくよく考えれば騎士の行動はすべて王に筒抜けなのだから、監視役にいかほどの意味があるのかという疑問はある。ジャンは指摘しなかったが、おそらく議会ではそんな話も出ただろう。そしてクラウス王がにやにやしながら「じゃあやめるのか? 俺にすべてを任せる?」と聞いてきそうだ。
 よく晴れた夏の空を思わせる瞳が、じっとジャンを見た。王の一瞥は対峙する者の魂を震わせる。
「いいか。お前だけだ。――俺以外にお前だけがそれを為せる」
 だから指名した。クラウスの「言葉」の圧は、静かだが強かった。ジャンは王を見つめ返した。よいと言われない限りは言葉を発することは許されない。だから目で返事するほかない。だがクラウスはそれで満足したようだった。
「さて、我が騎士」
 とっくに話し合いなど尽くしたであろう騎士を見て、王は笑う。
「お前の誇り、忠義。俺はそれらを知っている。だからこの一年、お前からそれを奪う。これより一年、騎士の身分を忘れ、誓いの剣を置き、ただの個として生きろ。千年前、俺とアーロンと旅をしたときのように、一度己を見つめなおすがよい。そのためにリヴィエールをつける」
 深紅の騎士と白の王が見つめ合う。音声を介した言葉だけではない、何か通じ合うものがあった。クラウスが眉を上げ、椅子にもたれる。
「意見を許す」
「私は反対だ」
 はじけるようにクラウスが笑った。
「この期に及んでまだ言うか。お前が意固地になるのも百年ぶりか? 認めねえよゲルト、今回に関しちゃ俺はお前の意見を聞かない。一年くらい我慢しろ」
……なぜなんだ」
「牢屋につないでおくよりずっと効力のある罰を考えるのが俺の仕事だからだ」
 クラウスは指を組み、「以上だ」と回答を切り上げた。ついでに書記官を一瞥し、「今のはオフレコ」と言った。瞬時に議事録の文字が消え、書記官が悲鳴を上げる。とんでもない横暴だった。レインウェルがカッと目を見開く。
「陛下!」
「終わりだ! 散会!」
「クラウス陛下!!」
 音もなく消えた国王に、議長の声は届かなかった。
 レインウェルはしばらく憤っていたが、やがて王の剣たる妖精を振り返った。なにせそこにいるのは王に最も近い関係者である。流れ弾が飛んでくるという確実な直感に、ゲルトは髭の下で苦笑した。
「ナイトハルト卿。あなたに言っても致し方ないのはわかっていますが、どうにかならないものですか」
「どうにかなるなら私以外の者がとっくにやっている」
「嫌な説得力ですこと」
 レインウェルは肩をすくめ、「ばかばかしい、終わりにしましょう」と言った。いちいち付き合っていたら身が持たないと判断したようだった。書記官は改ざんされた議事録を恨みがましく見ていたが、諦めたように席を立った。
 決して多くはない目撃者がぞろぞろと議場を出ていく。ジャンはそれを見送りながら一歩進み出た。今や軍を離れ、騎士の名もひとまず預けることとなったゲルトがジャンを見る。深紅の髪がさらりと揺れた。
――リヴィエール」
「はい」
「行こうか」
「はい」
 ジャンの答えに、ゲルトは淡く笑んだ。過去を懐かしむような、現在をまばゆく感じるような、そんな顔だった。
 そうして一年間の任務が幕を開けた。