ひよこ豆
2025-02-06 23:36:42
23546文字
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焦がれる鷲獅子

概要:自創作の二次創作をやったらハチャメチャになった
わからん、かなり本編の話をしているのでこれ二次創作って言うか外伝みたいな雰囲気になってない?でも主人公はジャンじゃないので……

 かつての上官を前に、ジャンは一礼した。
 百年前と何ひとつ変わらぬその姿に、過去の日々がまるで昨日のことのように思えた。輝かしい日々だ。言いたいことはあったが、ジャンは黙ってゲルトを見た。王の剣は穏やかな目でジャンを見つめ返す。
「呼びつけるような形になってすまない。顔馴染みを監視役に据えるのはどうなのかと議会も反対したんだが、クラウス……王が議論はしないと突っぱねてな」
「陛下にも何かお考えがあってのことかと」
……まさかもう会ったのか?」
「この時間ですとまだお休みになっていらっしゃるのではないかと思いますが」
「それは……そうか」
 まあ寝てるだろう、とゲルトはうなずいた。クラウス王が即位する前、彼は友として諸国をめぐる旅に同行していた。そのため王の寝起きの悪さについては嫌というほどよく知っている。あの王が早朝に起きていることは普通ではないのだ。朝日を浴びながらゆっくり眠るのを大きな喜びとしている竜である。
 ジャンはさっきまでの王の剣幕を思い出した。「話し合え」という呪いを受けているが、何をどう伝えたものか。実際に対面すると、あれこれ考えていたことなどどうでもよくなってくる。ただどうすれば誠実に職務を果たし、そのうえでこの騎士に不利にならないように切り抜けられるか――煮えたぎる決意のようなものが沸き起こるのだ。自分の中にそれほどの熱意があったことに驚かされる。
 ゲルトが立ち上がり、部屋の奥を示した。そこには綺麗なティーテーブルがある。
「せっかく戻ってきたんだ、何か出そう」
「いえ、お構いなく」
「疲れているなら無理にとは言わないが……私も少し暇を持て余していてな」
 形式的に遠慮したが、苦笑されるともう抗えなかった。ジャンはその顔にめっぽう弱い自覚があった。
 宮殿内はどこの部屋にも必ずティーブレイクに使えるテーブルセットが設置されている。これは城の内装を取り持つ妖精たちのこだわりである。邪魔だからといってどけたり、逆に長く使わず放置していると、時折とんでもない不運に見舞われる。ジャンは内心ひそかに「呪いの祠みたいだ」と思っている。
 ゲルトが指で軽くテーブルを叩くと、光の球がポンポンと飛び出した。ピクシーだ。ジャンは思わず顔が引きつった。大抵の民にとって、ピクシーはきわめて扱いの難しい手合いである。彼らの奇行はしばしば「いたずら」なんて可愛い言葉であらわされるが、基本的に出会った時点で何かしらの災難に見舞われると思ってよい。
 鱗粉をきらめかせながら、ピクシーがゲルトの鼻先に飛んでいく。相手が誰であろうが関係ないのが翅妖精である。キーキーと何事か主張しているが、あいにくジャンは彼らの言葉がわからない。妖精族はその歴史や形態の多様さから、竜族と並んで言葉の難しい種族である。
「紅茶を一杯頼めるか」
 ゲルトの言葉に、ピクシーがふんと思い切りそっぽを向いた。なかなか強気である。相手が誰であろうと気にしないのが彼らピクシーだ。
 妖精――特に翅妖精と木っ端妖精とは取引するな、というのが幻獣族の中での不文律だ。世代を超えて言い聞かせられている普遍的な価値観である。ピクシー系の妖精との取引は絶対にうまくいかない、または騙されてひどい目に遭う。そんな説話は枚挙にいとまがない。だから多くの幻獣族は、ピクシーにはたとえささいな頼み事でも絶対にすべきではないと身構える。
 ピクシーの不遜な態度にゲルトは眉ひとつ動かさず、穏やかに手を差し出した。そこには黒い石のかけらのようなものがあった。大半の者からすればゴミと区別がつかないだろう。ジャンもそれなりに妖精との交流はあるが、初めて見るものだった。だがピクシーはキーキーと何事か叫んだあと、ポンと音を立てて姿を消した。謎のかけらにジャンはちらりと騎士を見る。
……それは?」
「見るのは初めてか。彼らにとっての嗜好品だな、少し珍しい部類に入る」
 ゲルトはジャンに椅子を勧めた。二人が座った瞬間、カップボードからティーセットが飛び出した。時折ピクシーの声が聞こえる。
 それからものの一分とかからず、温かい紅茶が提供された。ゲルトがカップの中身をじっと観察したあと、テーブルの端に黒い石のかけらを置く。次の瞬間にはキー!とピクシーの声がして、石のかけらはなくなっていた。
 ジャンは手元のカップを見た。何の変哲もないカップと、温かい紅茶だ。だがピクシーのもてなしというだけで身構えてしまうのはどうしようもない。それを察してかゲルトが苦笑した。その表情はかつてのように優しいもので、仕事や軍から離れた個人のものだった。
「心配するな。余計なことはしないようにきちんと見張っている」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「この時間に尋ねて来たということは、夜明け前に飛んできてまっすぐここへ来たのだろう。少しは温かいものでも飲んで落ち着きなさい」
 図星を突かれたので、ジャンは目の前の騎士を見習って笑顔を返した。以前よりはうまくなった自負があったが、ゲルトはむしろため息をついた。
「きちんと休憩を取るように昔から言っているはずだ。お前はよく周りを見ているし、誰かに回す仕事の配分は上手いのに、自分の仕事は抱え込むところがある」
「お言葉ですが、閣下もなんでもおひとりで片付けようとするところがおありでしょう。今回のこともそうです」
 ゲルトがカップを持つ手を止めた。
「私がか?」
「あなた一人の処分で幕引きするおつもりでしょう」
「私は王の不在を預かる身だ。そのあいだに起こったことは私の責任になる。処分は至極当然の流れだろう」
 騎士は議会での答弁のようによどみなく答えた。全面的に非を認めるなど普通はありえないことだ。だが彼を解任できる者などいない――この世にたった一人、彼の主君だけがそれを決められる。
 王は治世の中で多くの決定権や指揮権を分散させてきたが、かの騎士のことだけは「俺の眷属に口出しは無用」として譲らなかった。あまりにも裁量を与えすぎているという批判もしばしば起こるのだが、そもそも王が自らのしもべを貸し出しているだけなのだ。だから処分はあくまで主人にゆだねられる。この原則はゆるぎないものだ。
 議会にやれることなどないというオルテガの言葉は正しい。それでもこの騎士は、議会の求めに応じ、答弁し、決定を受け入れる。主人であるクラウスが待ったをかけない限り、ゲルトは王国にとって忠実な騎士なのだ。ジャンは騎士を見つめた。
「本当によろしいのですか?」
「何がだ?」
 まるで聞き分けのない子供を諭すように、ゲルトは優しい声色で問い返した。そしてジャンが思わず黙ったのを見て、ふっと笑みを浮かべる。
「まあ本当のところを言うと……私も少し、興が乗ったんだ」
 深紅が窓の外へ一瞥をくれる。宮殿の中庭には王の所有する畑があり、現在そこには新任の庭番がついている。
 遠き地より来た人間の客人と、上古のエルフの女が何か話している。その様子は親しげなものだった。魔女という呪いから解き放たれた彼女は、贖罪とやり直しの旅に出ようとしている。長き苦難を越えて、新たな門出を迎えようとしているのだ。
――結果的に災いを招いた。それは反省すべき点だと思っている」
 原因が"妖精族あるある"の文脈にシフトしたことに、ジャンは小さなため息をついた。それを出されたらおしまいだ。クラウス王もそれをわかっているから処分の中で「剣を抜くことを禁じる」としたのだろう。どんなに良識ある顔をしていても時折とんでもないことをしでかす――その運命から絶対に逃れられない妖精族には、楽しみを奪うことくらいしか意味がない。
 すべてをつまびらかにしても、誰も得をしない。そんな言葉が浮かんでくる。所詮は王の掌の上だ。真実を明らかにしたとて余計な混乱と災いを招くだけなら、ジャンは「よりよい解決策」を選ぶ。
「陛下がなぜ私を指名したのか、少しわかったような気がします」
 その言葉に、ゲルトは憂うように視線を落とした。それだけでも絵になる男だ。アイボリーのシャツと黒いスラックスだけのシンプルな服装だが、深紅の髪と合わさると上品さすら感じさせる。
「お前が東でよくやっているという話は聞いていた。だから無理やりに連れてくるような真似はすべきでないと言ったんだが……クラウスには嫌な顔をされたよ」
 その現場がありありと想像できて、ジャンは複雑な気持ちになった。善意から来るのであろうその言葉が、何よりも心を突き刺すのだ。
 ジャンは紅茶を飲んでほっと息を吐いた。温かさが身体に染みわたる。思っていたよりも疲れていたらしい。冬はとっくに越したが、それでも明け方の空は少し寒かった。ジャンが落ち着いたのを見てか、ゲルトも表情を緩めた。
「一年はこちらにいる、ということになるのだろう?」
「そうですね。陛下がお言葉を覆されない限りは」
「それは望み薄だな」
 ゲルトは苦笑した。クラウスは「もっといいアイデアがあるなら全力で乗っかろう!」と柔軟に取り込む王だが、時々頑固な一面もある。特に今度のことは最初から最後まで曲げるつもりがない。
 話しながらゲルトがカップを持ち上げる。動きに合わせて、長い紅髪がさらりと肩口を滑った。光を受けると毛先が淡く透けて、輪郭がうっすらと煙のように溶ける。そのさまにジャンは一瞬見とれていた。何年経とうが見飽きないだろう。
「仕事は無事に引き継げたか? アーデンスはずいぶんと泡を食っていたようだが」
「耳が早いですね。アーデンス司令は急なことで驚かれたようですが、部下については普段から私がいなくても問題ないように鍛えています」
「ならいいが……。東を離れることに不満はないのか?」
「陛下のご命令ですので、そういった感情はありません」
 むしろ望んでいたのだと言ったらどんな顔をするのだろう。ジャンはふと思考のふたが緩んだのを感じた。自分で驚くほど自覚的だった。死んでも口にすべきではない――そう思ったのに、王の呪いがじわりと圧をかけてくる。
 世界は言葉によって編まれる。クラウス王はその扱いを熟知している竜だ。彼が発した縛りからは決して逃れられない。とどめていたはずの言葉がせり上がってくる。
「私は……
 深紅の瞳がジャンを見る。穏やかで優しそうで、とても大陸最強の妖精とは思えない。
――今のあなたがどのような立場であろうと、私は陛下に与えられた役目を果たします」
 騎士は微笑んだ。
「それでいい」
 最初から最後まで、ゲルトがジャンに望むのはそれだ。軍人として仕えると決めたなら、職務に忠実であれ。国に忠義を捧げよ。それ以上の要求はしない。だからこそジャンはずっとそれに応えてきた。
 百年前のあの日もそうだった。
 急に過去のことを思い出し、ジャンは顔をしかめた。王の「言葉」の影響であることは想像に難くなかった。後悔の記憶を揺さぶってくるなど悪役の所業では、とジャンは内心で悪態をついた。
…………
 途端に竜の言葉が脳裏によみがえった。
 ――ここまで条件が整うことなんてもう向こう二百年ねえんだぞ。
 かすかに冷たい予感が耳の後ろをかすめていった。もしその予感が本物なら、王の目線はずいぶんと高い位置にある。議会の紛糾も、魔女の残した爪痕とあっという間の復旧も、あらゆることがつながる。だがそれはいささか倫理に欠けるものだった。それこそ盤面を俯瞰し、駒を切り捨てることを恐れず、大胆に勝利を求める指し手のごとく。
 クラウス王は本来、どちらかといえば激しい気質の王である。しばしば民の前に現れ、気さくに話をしてくれるために誤解されがちだが、彼は争いの中から生まれた王だ。不毛な殺し合いの繰り返しに終止符を打つために、女神が選んだ逸材――当然、王の資質たる非情さも持ち合わせている。統一王として女神に選ばれながら、女神の神託に異を唱えるだけの度胸もあるのだ。そして彼に忠誠を捧げる騎士もまた、当然ながら普通ではない。ジャンは幾度となく、この主従にしかわからない巨大な思惑が横たわっているのを感じていた。
 ジャンはカップの水面を見つめたあと、顔を上げた。敬愛する騎士の表情は、かつてと変わらず優しいものだった。
「では一年間、よろしくお願いします」
「ああ。お前には苦労を掛けるだろうが……
「そう思うのでしたら、この一年は大人しくしていてください」
 そこで初めて騎士は心から笑った。
「善処しよう」
「本当ですか?」
「ああ」
 嘘つき。そう言いたくなるのをこらえ、ジャンはあいまいに笑みを浮かべた。この騎士がそういう性格なのだと知っている。そして、そういうところも含めて、どうしようもなく好きだった。
 何も変わっていない。それが嬉しくて、少し寂しくて、戸惑う。思いがあふれて息苦しいほどに――いや、本当に息が苦しい。ジャンが小賢しく反抗したことを受けて、王の呪いは明らかに威力を増していた。
「大丈夫か?」
 問いかけにジャンは肩をすくめた。王の言葉に抗うなどという真似をすれば、どこかに無理が出る。それを見逃してくれるほどこの騎士は甘くない。
 深い葡萄酒色の目を細め、ゲルトはゆっくりと尋ねた。
……もし兵舎側で部屋の準備が整っていないのなら、ここで少し休んでいきなさい。私はもう出る」
「滅相もない」
 あなたのいない部屋に用事なんかない、と言いかけたのを飲み込み、ジャンはゲルトを見つめ返した。窓の外の朝陽はもうずいぶんと明るい。
「閣下こそいつ眠っていらっしゃるのですか。この時間に私が来ても平然と迎えてくださった」
「私はもともと夜歩く種族だが」
「昼間も仕事をしていらっしゃるでしょう。このあとも議会へ行かれるのでは」
「リヴィエール」
 ゲルトは諫めるように名を呼んだ。
「お前の仕事は私の監視だ。記録のためならわかるが、心配はしなくていい」
 一線を引くような言動にめまいがする。そうあれと望まれる理想的な軍人として生きて、尊敬もしていないし好きでもない上司に仕えて、けれど本当にそばにいたい相手には遠ざけられるのだ。ずっと考えないようにしてきた衝動が、急に駄々っ子のように暴れ出す。クラウスの「言葉」が猛烈な勢いでジャンをつかみ、揺さぶった。
 ――言え!
 不満を打ち明けろ、と見えない力に締め上げられる。これから監視役を務めるというのにあんまりな仕打ちだった。自分のほうがよほど王に監視されている、とジャンは唇を噛む。とうとう根負けして、小さな不満が口からこぼれ出た。
「入れと……私だと分かったうえで招いてくださったのに、そんなことをおっしゃられるのですね」
「それについてはすまない」
 ゲルトが肩を落とした。
「お前の足音を聞いて、少し懐かしくなってしまった」
 今でもわかるものだな、と騎士は憂うように目を伏せた。
 その表情をされると弱い。出会った時からずっとだ。ずっと追いかけてきた。その隣に立てるように必死で努力してきた。けれど騎士が少し困ったような顔をするのを知っている。かつて念願かなって彼の補佐官となったときも、近衛からの引き抜きを断った時も、そして東の砦へ行くことになった時も――いつもどこか痛みを秘めた笑みを浮かべるのだ。
 ジャンは竜の爪で背中を撫でられるような錯覚を覚えた。さすがに度を越している。一介の幻獣に耐えられるものではなかった。
「リヴィエール?」
「お構いなく」
 絞り出した声は震えこそなかったものの、平静を装うには少し苦しかった。
 探るような沈黙のあと、ゲルトは眉をひそめた。カップを持っていた手元の影が揺れる。
……クラウス?」
 ジャンを締め上げていた何らかの力が緩んだ。見切りの早さにジャンは息を吐いた。
 騎士の足元で影が揺らめき、伸び縮みする。影はジャンの足元の影とつながったあと、シュルシュルともとの長さに戻った。ゲルトは目を伏せ、ため息をついたあと、ジャンに鋭い視線を向けた。
「ここに入る前、クラウスと会ったな」
「いいえ」
「お前が私に嘘をつくのは、"私より上位の者"に命じられた時だけだ」
 そう言ってから、騎士はまた悲しそうな顔をした。
……あとはお前が『自分さえ我慢していればいい』と思った時もか」
「そのようなことは決して」
「部屋は好きに使え。少しクラウスと話してくる」
 そう言って騎士は部屋から出て行った。長い髪の軌跡を目で追いながら、ジャンはじくりと胸が痛むのを感じた。