桜霞
2023-08-21 01:50:37
70875文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

監督生も、俺が守る(フライパンを担ぎながら)

お久しぶりです、こんばちは。どうも、桜霞です。

久しぶりのフライパンシリーズメイン更新です。年単位で滞ってしまったぶん頑張るぞと意気込んだら、なんと6万字を越えてしまいました。Oh……

まあ何がやりたかったかってーと、ツイステでアンブリッジ撃退がやりたかったんです。
相変わらずキャメロットなフライパンが活躍しております。随所に小ネタも仕込んでおりますので、気付いたものがあったらコメントやマシュマロなどで是非教えてください。

頑張ってラストまで書き切りたいです。これからもどうぞ暖かい目で見守ってやってください。










 翌朝、リンは久しぶりに朝食をユウたちと一緒に摂った。
 おはよう、と挨拶をして、今日の予定を話す。ユウはバイトがあると言い、リンは仕事で遅くなりそうだと言った。それ以外の会話は特になかったが、何だかこれでいいような気もするし、前はもっと喋っていたような気もする。
 リンは少し急ぎ足でポムフィオーレの城を後にした。リンを見送って、ユウはふと思ったことをグリムに聞いてみた。
「朝って、いっつもこんな感じだったっけ」
「? 何言ってんだ。いつもなら、俺たちが先に出ることのが多かったんだゾ」
「あ、そっか」
 リンを見送るのが、ユウにとっては珍しいことだったのかもしれない。
……ねえグリム、明日からリンさんと一緒に行かない?」
「えぇ〜嫌なんだゾ! 俺様の貴重な睡眠時間が減っちまうだろ!」
 なんならもうちょっと遅くてもいいくらいだ、とぶちぶち言うグリムと朝のストレッチに参加し、エペル達と学園へ登校すると、校舎はにわかに騒めいていて、生徒達はどこかしら浮き足立っていた。
 何だろう、と人が群がっている掲示板へなんとか近付くと、一枚の張り紙が増えている。

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 カウンセリングルーム開設のお知らせ

 場所:東の塔 最上階
 時間:9時から17時まで
 ※要相談
 連絡先:XXX-XXX-XXXX

 悩み事、相談事、何でも構いません。皆様のお話を聞かせていただければと思います。
 短い期間ですが、皆様のお力になれますように。

 エオス・ヴィオレッタ

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……なにこれ……
「これ、リンさんの電話番号なんじゃ……
「えっ、ほんと?」
 エペルが目を剥いた。
 生徒達はミス・ヴィオレッタに直接話を聞いてもらえるとあって、早速連絡先の番号にかけているらしかった。しかし、電話を受け付ける側はリン一人。どう考えても大量の電話を処理できるわけはなく、カウンセリングの初日は、受付対応への不満とクレーム、担当しているリンの批評から始まった。
 ヴィオレッタは、教育省指定のカウンセラーが在籍しているのもお構い無しに、何か相談事のある生徒を、誰でも、分け隔てなく受け入れた。相談事のある体で、ただヴィオレッタと話したいだけの生徒も、「仕方ないわね」ちょっとだけよ、と受け入れた。
 その間、リンはずっとヴィオレッタの傍に控えさせられている。生徒がようやく予約が取れましたと言えばリンの不能を語って代わりに謝罪するわねと眉を下げ、瞳を潤ませてごめんなさいねと許しを請うた。
 勉強になかなかついていけなくて、将来どうなるか不安ですと気落ちする様子の生徒がいれば、「卒業だけはできるように頑張りましょう? 学歴さえあれば、案外なんとかなるものよ。無いと、悲惨なことになるかもしれないけど」「具体的にどうすればいいのか? そうね、ではわたくしが学生の頃にしていた勉強法をお伝えしますね。大丈夫、わたくしの言う通りにすれば、きっと何とかなります」と励ました。
 人間関係、故郷に住んでいる女の子との恋愛相談、進路相談、寮の設備、遊び場がないことへの愚痴、エトセトラ、エトセトラ……、ヴィオレッタはどんな話にも真摯に耳を傾け、同情し、具体案を提示し、最後には「わたくしの言うとおりにしていれば大丈夫ですからね」と締め括った。
 ヴィオレッタの柔らかで甘い声を聞いていると、不思議と気分が昂揚して、なんだか前向きな気分になれる、励まされたまま、きっといい方向へ進める気がする、などの評判はあっという間に広まり、授業時間中であるにも関わらず、生徒達はひっきりなしにヴィオレッタの元を訪れた。

 これに対し、ひとり憤った者がいる。アズール・アーシェングロットである。

 こんなことでは商売上がったりだと憤慨したアズールは、実際のカウンセリングはどんなものなのかと、受付業務を肩代わりするから、とリンに頼み込んで、無理やり予約をねじ込んだのだ。
 ……結果として、キョトン……とした顔で「なにが、問題なのですか……?」と首を傾げられてしまえば、「生徒の弱みやユニーク魔法をストックできなくなるからです。相談のために、ポイントを貯める生徒もいなくなってしまう。そうなれば、モストロラウンジの売り上げが下がる!」と言うわけにもいかず、「わたくしはわたくしで、オクタヴィネルはオクタヴィネルで、慈悲の精神を体現しましょう? 一緒に頑張りましょうね」とまで言われてしまい、アズールは返す言葉を失ったのだった。
 いつも人の足元を見てばかりのアコギな商売ばかりするアズールの鼻まで明かせたとあって、男子達は非常に沸き立ったが、サバナクロー寮生は、レオナの一喝で誰もカウンセリングルームを訪れなくなった。
 関わるなといの一番に、何なら最初に大講堂でヴィオレッタが自己紹介した直後から「関わるなよ」と言い含められていたラギーは、そりゃ最初、他の男子と同じように沸き立ったし、アホ面のお人好しっぽかったから、よしんばタダで何かしらくれるかもと思っていた。
「寮の設備で最近壊れてるとこあるじゃないっすか。早めに直してくれるかもしれねえっスよ」
「リンにもう言ってある。オンボロ寮の改修がひと段落ついたら、人をこっちに寄越すから、もう数日待て」
「ええ?」
 いつの間に、というかどうしてそこまで、とラギーは怪訝そうに眉を潜めた。
 大講堂での集会の時も思ったが、今回はなにやらレオナの様子がだいぶおかしい。レディーファーストが徹底されているところだけがこの人の唯一の美点と言っても過言ではないのに、と失礼なことをラギーは考えたが、馬鹿ではないので口には出さなかった。
「お前たちも、何かあったら俺か、今まで通りリンに言え。間違ってもあの女に懐くなよ」
 寮生たちは不満そうにしたが、逆らっちゃいけないボスの言うことなので、一応は従うことにした。
 レオナにバレないようにヴィオレッタに会ったところで、バレてしまった後が怖すぎる。
「レオナさん、なんであんなにちょろそうな奴のこと、そんなに毛嫌いして遠ざけるんスか?」
……お前、あれがちょろそうに見えるのか?」
「? おじょーひんな世間知らずの箱入りおじょーさんにしか見えねっスけど……
 尚も首を傾げるラギーに、レオナは呆れた風情の溜息を隠さなかった。ラギーはカチンときたが、馬鹿ではないのでムッとした表情をするだけにとどまった。
「お前よりユウの方がよっぽどマシだな。分からねえなら、妹分に教えてもらえ」
 俺は知らねえ、しばらく授業も休む、と部屋の外に放り投げられる。


 ラギーはよく分からないながらも、次のバイトで、コレコレこういうことがあったんスよね、と賄いを食べながらユウと話すことにした。
「ユウくんにとって、ミス・ヴィオレッタってどんな感じなんですか?」
「そうですね」もぐもぐしていた賄いのオムライスをごくんと飲み込んで、「まあ、まずお近付きになりたくないですね」ユウはきっぱりはっきり言い切った。フロイドやエース達の話を聞き、そしてレオナの判断を知り、もしかすると自分の感覚を信じても良いのでは、とちょっとした自信が芽生えてきたからだった。
 ラギーの方はと言えば、「へえー、そんなにはっきり言うほどか」と、ユウの回答がちょっとだけ意外だった。
「なんか理由あるんスか?」
「うーん……上手く言えないんですけど……怖いというか、ヤバいというか……
「ふーん……
 腕を組んで眉間にシワを寄せ、何とか言葉にしようとウンウン唸っているユウを見て、ふと、ラギーは婆ちゃんに言われたことを思い出した。

 ───……まだガキのお前にゃ分からねえだろうが、女には女にしか分からないことが、男には男にしか分からないことがある。

 ───同性の奴らから、特に敵対もしていないのに、ひとりでも「近づかない方がいい」と言われた人間に対しては、下手に手を出さない方がいい。

……
 ほんとォ? ラギーはジト目でイマジナリー婆ちゃんに言い募った。だってそこにめちゃくちゃ旨みのありそうなカモが無防備にしてるんだぜ!?
……ラギー兄ちゃんにも、あんまり、関わり合いになってほしくないというか……心配です」
 年長者の言うことは聞け、とイマジナリー婆ちゃんに拳骨を喰らったラギーは、ユウの兄ちゃん呼びに、現実へと戻ってきた。
「そりゃまたありがてえことで」
 それにしても、あの右も左もわからなかったオンボロ寮の監督生が、一端にハイエナの心配とは。成長したなあ、とラギーはほんのちょっと感慨深くなった。
 ……だからというわけではないが。
「ま、レオナさんにも止められてますし。今回はユウくんに賭けようかな」
 どうやら説得が成功したらしいことに、おお、とユウが神妙な顔をする。
「期待に応えれるように頑張ります」
「何を頑張るんスか」
「対粛清防御とまでは行きませんが、白亜の城は堅牢なので。たぶん、きっと、なんとかなります」
「あのフライパン、寮が崩れても無事だったんスね……
「嘆きの島でも大活躍でした」
「持ってったんかい」
 自然、笑みが零れる。聞きますか私の武勇伝、とふざけるユウに、なんだか息がしやすくなって、ラギーは不機嫌な様子のレオナに呼び戻されても、上機嫌で寮に帰った。
 ふんふんと上機嫌で寮に戻ったら、ヴィオレッタが居たので、そりゃもうびっくりしたが。寮生に押しやられながらもヴィオレッタの近くに控えている、存在感がこれでもかと薄くなったリンにもびっくりしたが。ラギーは、リンがこんなにも静かな顔をしているのを初めて見た。ちゃんと寝れてんのかな、なんてちょっとズレた心配もした。

「こんばんは」

 にこり、微笑んで挨拶される。甘い声に、何だかちょっといい匂い。透き通る白い肌に、まあるい瞳。どこをどう見ても、綺麗で、仕草のかわいらしい人が、自分を見つめて、挨拶をしてくれている。
 嬉しいはずだ。なんてラッキーなんだろう、とも、思っては、いる。

 でも、……なんで、こんなにも、……息がしづらい?

……どーも、こんばんは。こんなところに、あんたみたいな御仁が、どのようなご用事で?」
「あぁ、ごめんなさいね、夜分遅くに。気が付いたら、こんな時間になってしまって……
……
 ん? と、ちょっと違和感を覚えたラギーは、しかし会話を続けることにした。
……いえいえ、いつでも大歓迎ッスよ、あんたみたいなキレーな人ならね。うちの生徒たちが何かしつれーしてねえか心配ッスけど」
「まあ、皆さん良くしてくれてますわ。それに、皆さん相手に、そんなこと気にしません」
……
 んん? ラギーは再び、すこしの違和感を覚えた。しかし、ヴィオレッタの方が会話を続けることにしたらしかった。
「ただ、そうね、寮長の方……わたくし気付かない間に何か失礼をしてしまったらしくって、会って下さらないの。あなたは、ええと……
……ラギー・ブッチッス」
「ラギーさん」
 ヴィオレッタが確かめるように繰り返す。それを聴きながら、自分の名前ってこんなにふわふわした響きになるんだ、とラギーは妙な感慨を覚えた。
「ああ、聞いたことあります、サバナクローの寮生さん達は特に頼りにされているとか。あなたがそうだったのね、お会いできて光栄だわ」
 流れるように、手を取られて、握手される。柔らかくて、細い手だった。ペンより重いものが持てるのだろうか、とラギーは思った。自分が握れば折れてしまう、とも。
 いつの間にか、心臓はどきどきしっぱなしだ。けれども、なんだかこう、体温が冷えている、というか。
 素直に喜べない、というか。
 レオナに止められているから? ユウに余り関わるなと言われたから? 何だか気持ち悪くなってきた気さえする。ラギーは必死でいつも通りの表情を取り繕った。
「あの……もし良かったら、ラギーさん、あなたからレオナさんに伺ってくれませんか? わたくし、気になって……何か粗相をしていたら、直接お詫びしたくて」
「なるほど」
 ラギーは神妙に頷き、頬が引き攣らないように気をつけながら、にこ! と笑った。
「レオナさんには聞いときますよ。んで、また後日オレからお伝えするッス。今、リンさんが窓口みてーなことしてるんスよね? リンさんから結果聞いてもらう形でもいっスか?」
 お伺いを立てられたヴィオレッタが、「そうねえ」ラギーを見つめながら、小首を傾げる。しゃら、と絹糸のようにキラキラしている髪がラギーに圧をかけるように揺蕩った。
 しかし、ラギーは動じなかった。つ、と汗が首筋を伝ったが、気付かないふりをした。
…………はい。では、そのように」
 やがて、行きましょうか、とヴィオレッタが立ち上がる。はい、とリンが後から続いた。
「お邪魔いたしました。また来てもいいかしら?」
「そりゃもちろん」
「嬉しい。楽しみにしています。おやすみなさい、皆さん」
 おやすみなさーい、学生達の揃わない返事が、女二人を見送った。
 二人の姿が見えなくなって、ようやく、ラギーは肺が空になるまで息を吐いた。なんだかどっと疲れた気がする。
「はーもう……あとはリンさんに丸投げしよ……
「ラギーさん、ミス・ヴィオレッタのこと、苦手なんすか?」
「苦手っつーか……苦手になりそうっスね……
 つーか、とラギーは生徒達を振り返った。
「あの人たち、なんでウチに来てたんスか」
「なんか、レオナさんに会いに来たみてーで……なんでも、オーバーブロットしたときのカウンセリングの回数が、他のオーバーブロットした奴らよりも少なかったから、理由を知りたいっていうのと、カウンセリング受けてほしい、みてえなこと言ってましたけど」
………………
 ラギーは、足音荒くレオナの部屋まで行き、バン、と容赦なくドアを開け。
「あんったのせいじゃねーーーか!!!」
 大音声を、これでもかと轟かせた。
 うるせえなあ、と獅子が唸る。しかし、ラギーの怒声で寮が揺れることなどいつものことなので、寮生たちは気にしなかったし、おかげでなんだか浮ついていた妙な空気が霧散して、いつも通りの寮の夜が戻ってきたようだった。





     ◆     ◆     ◆





 面倒なことは、時機を見て、とにかくさっさと片付けるに限る。アポ取ってねーけどリンさんなら行けるだろ、昨日の今日だし、とラギーはヴィオレッタが根城にしているカウンセラールームを訪れた。
 カウンセラールームは薄暗かった。ほんのり甘い香りが漂う。アロマか何かだろう。
…………ん?」
 はて、この臭い。昔、どこぞで嗅いだことがあるような。
 考えているうちに、受付をしている部屋らしいところにまで辿り着く。他にも生徒達を待たせる部屋が数室あるらしく、それらの管理を親衛隊と呼ばれる生徒たちが請け負っているらしかった。
 親衛隊の生徒がラギーを見るなり、お前はこっちだと別室へ通される。
…………
 待たされている間に、ラギーの脳裏で、古い記憶の中の景色が像を結ぶ。

 やっぱり、この甘ったるいアロマの香りに紛れているこれは、あれの匂いだよなあ。ということは、もしかしなくても、ヴィオレッタって。

 ラギーの脳みそで、様々なキーワードがあっちこっちを飛び交う。その様子をユウかリンが見れば、ミステリー風ラブコメアニメの小さくなっても頭脳は大人な探偵が謎を解き明かす一歩手前のシーンだと言っただろうが、生憎二人はどちらもここにいなかった。
「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」
 推察が完成する頃に、親衛隊に呼ばれてしまう。あとは証拠だけだ、リンさんにも情報共有を、とラギーが足を踏み入れた部屋には、艶やかな微笑を湛えた、ヴィオレッタが、そこに、いた。
「───」
 うっかり言葉を失ったラギーに、ヴィオレッタが「こんにちは」と目を細めて笑う。ラギーは意識して、深い呼吸を繰り返した。
……ども」
 こういう鉢合わせを回避するために、他の生徒の相手で忙しいだろう時間を狙ってここに来たが、裏目に出たらしかった。やらかした。何とかしてリンがひとりの時間を狙うべきだった。
 しかし、後悔先に立たず。ラギーはさっさと気持ちを入れ替えた。用意されたフカフカの椅子に座り、「まさか会えるとは思わなかった」風情を取り繕う。
「昨日の今日でお会いできるなんて、嬉しい誤算だわ。お仕事が早いのね」
 ヴィオレッタは嬉しそうに、手ずからラギーに紅茶を注いでやった。
「寮長さんに、お話は聞けたかしら。何か言ってらした?」
 わくわく、という擬音が聞こえそうである。期待にきらきら輝く瞳はまさに誰もが夢見るかわいらしい女の子のそれだった。
 ラギーは息を吸って、腹の底に力を入れた。しっかりとヴィオレッタを見返す。
「なにも」
……はい?」
 女が、小首を傾げる。ラギーは、できるだけ口からの呼吸を意識した。どうも甘ったるい香りが鼻につく。
「なんにも言ってなかったッス。あんたへの言葉はゼロ」
 ラギーの言葉を受けて、ヴィオレッタは黙りこくっていた。どうも、理解するのに時間がかかっているらしかった。
「カウンセリングについては、学園と国とで、規定回数分こなして、双方のカウンセラーから問題ナシって頂いてるみたいなんで」
…………あら…………あら……そうだったの」
 にこり、ヴィオレッタが微笑む。まるで仮面だな、とラギーは生唾を飲むのを堪えた。
「ごめんなさいね、黎明の国以外の情報は、閲覧できないものだから」
 嘘だな、とラギーはすぐに察した。何せ、レオナが夕焼けの国から取り寄せた診断書を、学園に提出したのは、他ならぬラギーである。そして、書類を受け取った学園側の人間は、誰あろうリンだった。そして、生徒にきちんとカウンセリングを受けさせましたよという情報を、あの保守的な学園長が、上層部に提出していないはずがなかった。ラギーは一瞬、リンが「ケッ」と顔を歪めたのをはっきりと見た。
「では、彼については問題ない、ということで、そのように」
「はい、ミス・ヴィオレッタ」
 リンの変わり身の速さに、ラギーは、あれ、さっきのはオレの見間違いだったかな、とちょっと思ったが、今はそれどころではないので、ちょっと横に置いておくことにした。そうして、やれやれと言わんばかりに息を吐きながら言う。
「問題はあるっちゃあるっスねえ」
「、あら」
 ヴィオレッタが瞬く。食いついたかな、とラギーは困った風情を全力で表に出した。
「いつまで経っても卒業しようとしねえし、授業はサボるし、レポートと成績でパッと見は優秀ッスけど、もー横暴、横暴、横暴」
…………まあ」ヴィオレッタが、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。「それは、大変ね?」
 取り敢えず話を合わせられた。一線を引かれている。ラギーは敏感に察した。
 しかし、たかだかそれだけで屈するラギーではなかった。
「そーなんすよ! オレなんかもー、毎日パシられててさあ。オレ、こんなんで大丈夫なのかなーって」
「そうね……
 居座る姿勢を崩さないラギーに、ヴィオレッタは話を聞いた方が早いと判断したらしかった。「自分の時間は、きちんと確保できているの?」と当たり障りのない質問を投げてよこしてくる。
「んー、ちょっとビミョーッスね」
「そう……確かに、そんな状態なら、将来への不安を感じることもあるわよね」しんみりと、ヴィオレッタが同調する。
「でも、ラギー、あなたには素晴らしい才能があると思うの」
「才能ッスか?」
「そう。貴方にとっては当たり前かもしれないけど、魔法が使えることも才能だし……この学園に在籍していることだけでも、素晴らしいことなのよ。社会はやはり、学歴や、目に見えてわかりやすいものを重視しがちだから……きちんといい子にしていれば、つまらない仕事しかできない、同じような日々の繰り返しで、ひたすら搾取されるような生活からは抜け出せるわ」
…………
 ラギーは、寸の間考えた。
「学歴とか、やっぱ大事ッスかね。オレ、実はあんまり、世間的にいい生まれじゃないんスよね」
「とっても」ヴィオレッタの言葉に力が入る。「そういうものがないと他人から信用されなくなって、将来苦労することになるわ。例えば生活するために必要なものがなにも整っていないような家にしか住めなかったり、服やお化粧品も満足に買えなかったり……食べるのに困ったりね。そんなふうになりたくないでしょう?」
「そうッスね」
 ラギーは淡々と頷いた。ひもじい思いは、慣れているけれど、積極的に味わいたいわけではない。
「具体的には、どうしたらいいッスか?」
 自分から一歩踏み込んだラギーに、ヴィオレッタがにこりと笑う。
「教えてあげるわ。でも、」ずい、とヴィオレッタが身を乗り出す。深い襟ぐりに胸の柔らかさと谷間が強調されて、ラギーはヴィオレッタの顔から視線を逸らさないようにするのに全力を使った。
「誰にでもというわけにはいかないから、特別よ。あなたにだけ、教えてあげる」
……そりゃどうも」
 甘い囁きが、耳をくすぐる。臭いのことがなかったら、自分も他の生徒と同じようにやられていたかも、とラギーは変わらない表情の下でゾッとした。
「他のひとには秘密にしてね」
「もちろんッス」
 満足そうに、ヴィオレッタが笑みを深める。
 ヴィオレッタはリンに席を外すように言うと、ラギーに一枚の小さなカードを渡した。
「ポケットに入れておいて。時が来たら、わたくしから、特別にメッセージが浮かぶようになっているから」
「了解ッス」
「いいこね。物分りのいいこは、好きよ」
 ラギーは物分りのいいこのまま、ヴィオレッタのカウンセリングルームを後にした。





 寮に戻って、ラギーはジャックより早くに自分のベッドでぐっすり眠った。こなす予定だった課題や雑事を全て犠牲にして得た安眠で、ようやくいつもの調子を取り戻したラギーは、よし、と気合を入れ直した。
 ヴィオレッタの思惑はなんとなく分かっている。幼い頃、ラギーにも似たような経験があった。

 ───たぶん、警察の裏をかいて、まだ港に近いはず……

 問題は、いつ、ヴィオレッタから知らせが飛んでくるのかどうかだ。あのメッセージカードに魔法で文字が浮かぶ仕組みはわかるが、ラギーがそれに気付けなければ意味がない。
 他にも何か仕掛けがあるのだろうか、とラギーが昨日もらったカードをもう一度調べようかとポケットを探ろうとした時に、「あ、ラギー先輩」ジャックが声をかけてきた。
「お、ジャックくん。どーしたんスか?」
「先輩、昼休み空いてますか?」
「昼休み? 空いてるけど。なんで?」
「実は……

 ───最近、あまりにもリンさんが大変そうだから、お昼休みくらいゆっくり取って欲しいの。

 ───だから、みんなでリンさんを学園外に連れ出さない?

「ってユウが言い出したんで、時間ある奴らで港のレストランに行くことになったんス」
「へえー、マジッスか。メンバーは?」
「俺、エース、デュース、ユウ、グリムに、リンさんと……カリム先輩と、ジャミル先輩が来ます」
 へえ、とラギーは素直に瞠目した。
「よくジャミルくんが許したッスね」
「エースがバスケ部のミーティングの予定を確認するためにジャミル先輩に連絡した時に、カリム先輩が聞いてたらしくて。カリム先輩の奢りになりました」
「行くっス!!」
 ラギーは脊髄反射で諸手を揚げた。タダ飯ある所にラギーありなので。





 昼休みになって、ユウ達は本当に勢いだけでリンを連れ去った。作戦も何もあったもんじゃなかった。周りのスタッフ達も、教員達も、誰も生徒達のことを止めなかった。ヴィオレッタが幼子に言い含めるようにして何事か言っていたような気がしたが、「予約時間があるので急いでるんです!! 失礼します!!」とユウが大声で遮って、宇宙に放り投げられた猫みたいな顔をしているリンさんをさっさとジャックの箒の後ろに乗せてしまった。
 ユウは当然のようにラギーの後ろに乗った。ラギーはタダ飯の機会を作ってくれた恩もあるので、タクシー代わりくらいはしてやろうと決めた。
「ちなみに、リンさんがいねー間、あの人の世話はどうするんスか?」
「リンさんがいなくなるって連絡したら、親衛隊の皆さんが、それはもう喜んで引き受けてくれました」
「なるほどねー」
「あんた達ねえ」
 箒で飛んでしばらくして冷静さが戻ってきたのか、リンはほとほと呆れていたが、一行が店に着いてしまうと、まあしょうがないわね、と諦めて、生徒達と一緒に店の席に腰を下ろした。
「にしても、カリムくんは相変わらず懐広いっつーか何つーか……
「あぁ、気にせず食ってくれよな! 特にリンさん!」
「ん?」
 呼ばれたリンが、メニューから顔を上げる。
「こないだは結局リンさんにいろいろしてもらっちまったからなぁ。ほんとすまん!」
 がばりと頭を下げたカリムに、リンはいいよいいよと苦笑して手を振った。
 二人の何か事情があるらしい様子に、こないだ? と生徒達が首を傾げる。
「VDCの合宿で、リンさんには特に世話になっただろ? ユウとグリムにはオンボロ寮を改修するために寄付をしたけど、リンさんにはまた別のものを用意した方がいいんじゃないかと思ったんだ!」
「いや、オンボロ寮の改修だけでじゅうぶんなんだけどね」
「でも、今リンさんに何かものを渡すのは、却って迷惑になる気がしたからさ」
 そりゃ、物をしまうスペースがないですもんね、と誰もが納得して頷いた。
「だから、リンさんをうちの宴に招待したんだよ! パーッと騒いで、リフレッシュしてほしくて!」
「そしたら、ミス・ヴィオレッタがついてきたというわけだ」
「あぁー……
 ジャミルの補足に、ハーツラビュルのトランプ兵と、ユウが若干遠い目になる。ラギーもその後の展開を察した。カリムはあっけらかんと「まあ、それは別に良かったんだけどな。人数多い方が楽しいし! それに、ミス・ヴィオレッタにはうちの寮生が何人か世話になってるみたいだったしな」話を続けた。


 宴に来てもらったからには、何か手土産───リンには、オンボロ寮の改修が終わってから渡すつもりだった───を持たせたかったカリムは、欲しいものがあったら選んでくれ、とリンを宝物庫に案内した。もちろん、そこにヴィオレッタもついてきて、まあ素敵、とはしゃいだのは、やはりヴィオレッタの方だった。
「でも、ふたりともなにも要らないって言ってさ」
 じゃあいっぱい食べて飲んで行ってくれ、と豪勢な食事を振舞って、しかしヴィオレッタはあれを取れ、これが食べたい、グラスが空になった、と何かとリンを働かせた。ジャミルや他の生徒が気を回しても、リンが誰かに世話を焼かれていると、魔法を使ってまでして呼び立てて、結局リンが気を遣う生徒を「いーからいーから」と押し切る形でヴィオレッタの世話を焼き、結果的にもてなされていたのは、ほとんどヴィオレッタの方だったという。
 途中、宝物庫のあれが素敵だった、これが素敵だったという話で盛り上がり、生徒達がどんなものならヴィオレッタのお眼鏡にかなうのかいろいろ競って言い出して、ヴィオレッタはころころ笑った。
「まあまあ、わたくし、宝物がほしいわけではありませんよ。お礼がほしくて、カウンセリングなどを実施しているわけではありませんし」「でも、そうね。エクイティがあれば、わたくしでも揺らいでいたかも……
「はは、それは流石にだめだな! 父ちゃんに怒られちまう!」
 生徒達はきょとん、としていた。しかし、アルアジーム当主がダメという程なのだから、よっぽど高価なものなのだろう、ということは察した。


 ジャック達も似たようなものだったので、疑問符を浮かべている後輩達に、ジャミルが解説を入れてやった。
「エクイティ……この場合はおそらくプライベートエクイティのことだ。未公開株式といって、取引所で公開されていない………………お前たちに言っても分からんだろうな……」ジャミルが唸って言葉を選び直す。
「要するに。アルアジームの商売に、内々で口を出す権利が欲しい、とミス・ヴィオレッタは分かりにくくカリムにねだったということだ」
「それは……
 エースは特に、「めちゃくちゃドン引きました」と言う表情を顔に出した。
「流石に赤の他人すぎねえ?」
「というか、公務員がそういうことやっていいのか?」
 ジャックがまともなツッコミを入れる。ジャミルは淡々と首を横に振った。
「カリムが学生のうちはだめだな。贈賄が疑われてしまう」
「冗談だと思うんだけどなあ」
「冗談でも言うもんじゃないだろう、ああいうことは。しかも、あの時、俺とリンさんは厨房に引っ込んでた。俺達がいないときを狙って言ったとしか思えない」
「そうかなあ」
 あんまり人を疑う性根ではないカリムが眉を寄せる。そこへ、カリムが色々話している間に頼まれていた食事が運ばれてきて、テーブルは俄かに賑やかになった。
「ま、カリム先輩が一枚上手だったってことで! 食お食お!」
 エースが場を盛り上げる。昼休みのあとに講義もあるので、生徒達は急いで食事に手をつけた。
 ある程度かっこむと、リンは「煙草行ってくら」と席を立った。このレストランは店内禁煙だった。
 リンがいなくなると、生徒達は誰からともなくこっそり顔を寄せ合った。
……リンさん、実際大丈夫なのか?」
「それが、あんまり大丈夫そうじゃなくて……
「あれから話せてねえの?」
「ううん、話せたよ。だから、私は大丈夫。……でも、今、リンさんが巻き込まれてるミス・ヴィオレッタのことは、私、なにも聞かされてなくて……ご飯も一緒に食べれてないし……
 ユウがしょんぼりと肩を落とす。それは寂しいなあ、とカリムが眉を下げた。
…………なあ、ユウ。リンさん、グリムを探した時の怪我、まだ治ってねえのか?」
「え……どうして? あれから二週間以上経ってるよ?」
 リンは何も言わないので、痕が残っていたり、瘡蓋があったりする可能性はあるが、流石にほぼほぼ完治の域に入っているはずだ。クルーウェルとサムがユウにこっそり教えてくれた限りでは、傷は浅かったとのことだった。十日もかからずに、綺麗に治るだろう、とも。
 しかし、ジャックは険しい顔のままだった。
「まだ治ってねえんじゃねえのか。薬品の匂いがした」
「そっか……やっぱり無理してるのかな……
「つーか、俺にはなんでリンさんが大人しくしてんのかがわかんねーよ。あの女、リンさんをアクセサリー扱いしてえだけじゃねえの?」
「アクセサリー?」
 カリムが首を傾げる。ようやく皿を綺麗にしたラギーが口周りを拭いながら口を挟んだ。
「引き立て役ッスね。分かりやすく言うと、自分の見た目を目立たせるために、敢えて傍にイケてねえ奴を置く、みてえな」
「自分の評価を上げるために、リンさんを利用してるってことか……
 デュースが「卑怯な真似しやがる」と目元を険しくさせる。エースは嫌そうにしながら言った。
「最近いろんなやつからカウンセリングの話聞くけど、もーほとんど『それってリンさん下げじゃね?』ってことが多くてさー」
「学歴や成績、生活環境、人脈……いわゆる社会的ステータスの話だな。俺もされた」
「オレもッスね。まーオレに言わせりゃあ、そんなの」
「リンさんのせいじゃないのに…………
…………
 呆然としているユウの様子に、「ま、そういう事っすわ」とラギーは調子を合わせてやった。
……最近、みんながリンさんのことを見る目が変わっているような気がしたのは、そのせいか……
 じわじわとした、洗脳のようだった。
 そりゃあ、誰だって豊かで実りある生活をしたい。
 ナイトレイブンカレッジは、名門校だ。資格ある者しか受け入れない。試験に合格すればいい、と言うわけでもない。しかし、そんな世界的な有名校に入学できても、その後の将来は約束されているわけではない。
 もし、どこかで何かを掛け違えたり、踏み外したりしてしまえば、学園に居られなくなる可能性だってある。
 単純に、いい成績を修められなければ、卒業できないかもしれないし、就職先に受け入れてもらえないかもしれない。
 世間という現実が、分かりやすい経歴や肩書きを重視するのは、高校生だって知っている。だってナイトレイブンカレッジ生というだけで、周囲からの目線が変わるのだから。
 ヴィオレッタは、リンにみすぼらしい地味な格好をさせて、遠回しに貶し、奴隷のように扱うことで、暗に生徒達を脅しているのだ。
 下手をすれば、こうなるぞ、と。
 こうなりたくなければ、わたくしの言うことを聞きなさい、と。
……けど、」
 ジャックが、考え考え、言葉を絞り出す。
「そういう……自分の人生にとって何が一番大事かっつーのは、そのひとにしか決められねえはずだ」
「ああ……ジャックの言う通りだな」
 うん、とデュースが頷いた。
「僕だって、ある程度、お金とか、立場とか、無いと生活に困るっていうのは、わかる。けど……俺は、母さんが笑顔で暮らせるのが、今は一番大事だ。母さんが今のままでもいいなら、それ以上を望む必要はない……と思う」
「そーそ、その通り!」
 ラギーも手を叩いて同意した。
「仕方ねーんすよね、貧乏って。そこに生まれちまったから。カリムくんも、仕方ねーんすよ、大金持ちの家に生まれちまったんだから。ユウくんも、リンさんも、来ちまったもんは仕方ない。それでも、死にたくねえから生きることに、違いはねーんスよね」
……はい」
 ようやく、ユウの表情が柔らかくなる。男子達は、揃ってこっそりホッとした。
「けど、リンさんはたぶん、ある程度お金と立場がほしいタイプの人だと思うので、ミス・ヴィオレッタにはこういうことするのやめてほしいですね……
「ああまあうん そーね! そーかもね!」
「お前ってやつは! ほんとにもうすんませんうちの子が!!」
 ヤケクソになるラギーに、エースが頭を下げ、ユウの頭を下げさせ、ついでにグリムの頭も下げさせた。ユウはともかく、巻き込まれたグリムは「ふな゛ーッ!?」と青い炎を吐いて短い手足をジタバタさせた。
 そうこうしていたらいい時間になったので、カリムの財布を握っているジャミルに精算を任せ、生徒達は揃って店を出た。
「リンさーん、戻りましょおー」
 入り口から程遠い喫煙スペースの方に声をかけると、リンは高さのある樽のテーブルから身を起こし、煙を吐いて火種を落とした。土をかけて踏み、始末をすると、傍に居た男に「じゃあね」と短く声をかけて、生徒たちの方へ移動する。
「? 今の、お知り合いですか?」
「まーね」
「ユウ! 急げよ!」
「あ、うん!」
 ユウが駆け出して、途中グリムを拾っていく。それを追いかけようとしたラギーを、ふと、何かを思い出したかのようなリンが呼び止めた。
「ああ、そうだ。ラギー、あんたこれ落としてたわよ」
「え?」
 財布とスマホならちゃんとポケットに、と制服に手を突っ込んで、そしてリンに差し出された小さなカードを見て、ラギーは、文字通り固まった。ザッ、と血の気の引く音がする。
 昨日、ポケットに入れておいたはずの、カードの感触が、無い。
 そんなはずはない、だって、と即座に脳内で否定が入る。
……いや、これ、俺のじゃねえッスよ」
「あら、そう? じゃあ、落とし物ね。預かっとくわ」
……どーもっス。…………
 リンがラギーを通り過ぎる。ようやくまともに動き出した呼吸に、耳元で心臓がバクバク言って、ぶわりと汗が吹き出した。
 いつの間に。いや、そんな素振りはなかった。そもそも近くにいなかった。オレが気付かないはずあるか? 財布の入ってるポケットだぞ。
 つーかリンさん、そこまで手癖悪くねえはず、いやいやそんなことよりも。

 今の男、もしかして。

「ラギー先輩、どうかしたんですかー?」
 後輩達が、早くー、とこちらに手を振っている。
 ラギーを顧みたリンが、にやりと口端を吊り上げた。

「──────!!」

 ショックを受けたラギーは、しばらくその場で呆然と立ち止まってしまった。

 ジャックやデュースに連れられてなんとか学園に戻ったラギー達に、「そうそう」リンが声を張り上げた。
「あんた達、誰でもいいんだけど」
「はい! なんでしょう」
 ユウが元気に返事をする。
「今度、WWWから、ドラゴン花火と、携帯沼地が届くからね。もしかしたら私、受け取れないかもしれないから、ここに受け取りに来てくれる」
「───はい。分かりました」
 花火? なんで? 沼地? と生徒達が顔を見合わせる。リンは生徒達の様子を全く気にも留めなかった。
「大きい荷物だから、他の人も呼んでいいからね。じゃ、頼んだわよォ」
「はーい!!」
 ユウが元気いっぱいに返事をする。
 リンの言っていた意味が何となーくわかった気がして、でも何だか違っていて欲しい気もして、ラギーはユウに声をかけた。
……ユウくん」
「はい!!」
「今のって……どーいう意味か分かる?」
 に、とユウが口端を笑みの形にする。なかなかに悪どい笑顔だった。
「───反撃開始、だそうです!」
 ラギーは頭を抱え、生徒達は揃って顔を見合せた。





     ◆     ◆     ◆





 ヴィオレッタが学園に滞在する最終日。
 彼女は今日いっぱい学園にいて、夜はホテルに滞在し、朝イチの便で帰る予定になっていた。生徒達は送別会をしたがったし、朝の見送りに行きたがったし、誰もが別れを惜しんでいて、ずっとここにいてほしいと遠慮なく口にするものは大勢いた。誰もがまた来てくださいね、遊びに来てくださいね、とヴィオレッタに言い募った。ヴィオレッタはずっとにこにこしてそれを聞いていた。
 放課後になったら生徒達はこぞって集まって、ヴィオレッタの周りは握手会の様相を呈していた。誰もがヴィオレッタに触れたがったが、親衛隊が厳しく監視の目を走らせていた。
 やがて、楽しい時間の終わりがやってくる。
「皆さん、本当によくしてくださってありがとう。とっても楽しい時間を過ごさせて頂きました。何かの縁でまたお会いしたら、そのときはどうぞよろしくね」
 わらわらと、皆で校舎前に移動する。遠くから、車が何台か入ってきた。
 学園の校舎の入り口は、生徒達でごった返していた。エース達は、事務室のスタッフや、教員達が全員顔を出していることに驚いた。まさか総出で送り出すことになろうとは。
「リンさんの荷物って……もしかして、あの車か?」
「そうかも」
「いや、どう見ても出迎えの車じゃね? にしても、ちょっと豪華すぎるっつーか」
「確かに……そうだな?」
「ジャックたちは? どこにいるんだゾ? あんだけたくさんあるなら、俺たちだけじゃ手が足りねえんだゾ!」
「あ、見つけた、あっち。レオナ先輩とラギー先輩も一緒だ」
「カリム先輩は魔法の絨毯で来てるな……
 本当に、ほとんどの生徒が集まっているらしい。姿が見えないのは、マレウスくらいのものだろうと察せられた。
「アズール先輩達もいるな……
「私が呼びました」
 ユウがへへんと胸を張る。何故自慢げにできるのか、元イソギンチャク達には全くもってわからなかった。
 玄関前に車が寄せられて、すぐにバタバタと扉が音を立てる。気の強そうな美人から、屈強そうな男まで出てきて、生徒達はあれ、何だかおかしくないか、とひそやかにざわめきだした。
……あれって……、まさか」
 身を乗り出したデュースが、いや、そんなはずは、と息を呑む。
「ミス・エオス・ヴィオレッタですね?」
「? はい」
 気の強い美人が、ぱか、と持っていた手帳を広げた。
「魔法執行官のペケットです。こちらは魔法機動隊のハンナ」
「どうも」
 曖昧に、ヴィオレッタが会釈を返す。ペケットは一呼吸置いて、朗々とした声で言った。
「エオス・ヴィオレッタ、現時刻を以て、あなたを違法薬物所持および国際指名手配されている麻薬組織へ関与している疑いにより逮捕致します」
……はい?」
 ざわ、と玄関ホールにどよめきが走った。
 逮捕? 薬物? どういうこと? なになに、ドッキリ? あれ魔法執行官って言った?
「デュース、あれ、」
「あぁ、間違いない、魔法執行官だ……!」
「えっじゃあ、……あれが、リンさんの言ってた、届け物……?」
 何が起きているのか確かめようとしている学生達をものともせずに、ペケットは慣れた手つきでガチャガチャと手錠をかけた。
「あなたには黙秘権があります。供述は、法廷であなたに不利な証拠として用いられることがあります。また、あなたには弁護士の立ち会いを求める権利があります。もしご自分で弁護士に依頼する経済力がなければ、公選弁護人を付けてもらう権利があります」
……? あの……おっしゃっている意味がよく……
「では、署で詳しくご説明します」
「いえ、その……わたくし仕事がありますし……
 さあ行きましょう、と促されたヴィオレッタから、ぼろ、と泥人形のように崩れた手錠が、音を立てて床に落ちた。
「これは一体、なんですの? ブレスレッドにしては、不自由ですね?」
 く、とハンナが喉奥で笑う。ペケットはキビキビとトランシーバーを取り出した。
「そりゃあ、身柄を拘束する為のもんですからね」
「容疑者が抵抗しました。応援をお願いします」
『了解。魔法執行官二名を派遣します』
 瞬間、瞬き一つで武装した魔法執行官が現れた。ペケット達の前に出ると、容赦なく魔法石のついた自分の武器をヴィオレッタへ向ける。
 ヴィオレッタは、ぱちぱちと瞬いた。まるで、純朴な幼子がきょとんとしているようだった。これが何も事情を知らない者であれば、罪悪感から自ら武器をおろしてしまいそうな哀れさが、ヴィオレッタにはあった。
 しかし、魔法執行官の姿勢は少しも乱れなかった。
「あの……わたくしに、なにか御用で……?」
 いまだにきょとんとしているヴィオレッタの発した言葉に、ペケットとハンナは片眉を跳ねさせた。
「あー、お前の公用語通じてなかったみたいだぞ」
「おかしいわね、発音はアナウンサーの友達お墨付きなのに」んん、とペケットが咳払いをして喉の調子を整える。「他にも、あなたには行き過ぎたパワーハラスメント、贈賄の疑惑も掛けられており、我々が動くにじゅうぶんな証拠も既に提出されております。ミス・リン、いらっしゃいますか?」
「はい、刑事さん」
 茶封筒をいくつか抱えたリンが、至極いつも通りに前へ進み出る。
「これ、追加の資料です。足りなければ証人喚問でも、なんでも呼んでください」
「足りる限りは呼ぶなっつーことね」
「ハンナ!」
 ハンナはそっぽを向いて口笛を吹いた。
「失礼しました。いざというときはお願いいたします。でも、……じゅうぶんすぎるわ、あなたは治療に専念すべきね」
「ありがとう」
 ペケットが部下に証拠写真などが入った茶封筒を預ける。不意に、ペケットのトランシーバーが音を立てた。
『シュートからペケットへ。例のホテルで事前に提供された葉っぱと同じものを発見した。大当たりだぜ』
「ありがとう」
 ぶつ、と通信が切れる。ペケットは、再度ヴィオレッタに向き直った。
「さあ、行きましょう。抵抗すると、罪状が増えるわよ」
……?」
 ヴィオレッタは、ペケットが何を言っているのか本当に理解できないといった風情で、首を傾げた。
「その……わたくしには身に覚えがありませんが……
 ゆうるりと、白魚の細指がリンを指す。
……こういうことができるのは……そこの方くらいではありませんか?」
……はい?」
「哀れなお方」
 口を開いたペケットはしかし、ヴィオレッタに遮られた。
「生まれも育ちも定かでは無い中で、こどもたちに依存することでしか生きていけない方。魔法も使えない、なんの力もない、自分で何かを成し遂げることも、ましてや何者にもなれないあなた」
 歌うように、ヴィオレッタが言葉を紡ぐ。リンは、く、と顎を引いた。
「わたくしが助けてあげると言ったでしょう? わたくしの言うことを聞いていれば大丈夫と、何度も教えて差し上げましたね?」「ああ、哀れなひと。こんな馬鹿なことをしなければ、静かにここを去れたのに。あなたがここを自然に去ることができるように、きちんと用意していたのに……そのためにいろいろと教えてさしあげたのに、あなた、なにも分かっていなかったのね……

 ───ばちり。

 ヴィオレッタの魔力が、音を立てて爆ぜる。
「リンさん!!」
「───悪い子。おしおきが、必要ね」
 ユウは無我夢中でフライパンを投げた。
 放物線を描いたフライパン 無敵の武器がリンの手に収まった瞬間に、魔法執行官たちの結界と、ヴィオレッタの魔法が凄まじい勢いで炸裂した。どよめきが、魔力の爆ぜる音にかき消される。
 両者の力が拮抗したかと思われた直後、───押し負けたのは、結界だった。ピシリ、と亀裂が入る。
「嘘だろ、こんな実力、報告と違う……!!」
「薬効がここまでのものとは……!」
「リンさん!!」
「ばか、出るな!!」
「寮長、生徒を下げろ!!」
 蜘蛛の子を散らすように、ワッと生徒達が離れていく。捕獲に協力しようとしたスタッフと教員達は、ヴィオレッタの放った炎の檻に、距離を取らざるを得なかった。
「緊急事態だよな!? 寮長権限以下略!! 行くぜ、『枯れない恵 オアシス・メイカー』!!」
「フロイド、ジェイド!!」
 カリムの放った水を、アズールに指示された双子が正確に操って炎の壁に当て、相殺する。しかし、結界の役割を果たす炎は、ただの水では掻き消せない。
「ジャック君!」
「うす!! ラギー先輩!!」
「アズール!! 今回は君を信用しよう!!」
「では、お伝えしていた通りに」
 生徒達の水魔法や氷魔法が、教員達が即座に施したフォローを乗せて、いつも以上の爆発力を持って、連続で炸裂した。さしもの結界も耐えられなかったのか、炎の揺らぎが不安定になる。
「いけるか……!?」
「いや……
 レオナが目元を険しくさせる。ヴィルも同様だった。
「それより、魔法執行官達の結界がもたないわね。ルーク、リンを回収するわよ」
「Oui、Votre Majeste」
 ルークがエペルと共に準備に入る。ルークがカウンター攻撃を仕掛け、その隙にエペルがユニーク魔法を発動させる。ヴィルがフォローに周り、魔法執行官達で取り押さえる作戦だった。
 結界に走る亀裂が、大きくなる。ペケットが叫んだ。
「リン! 逃げて!!」
……いいや、」
 臆することなく、リンはヴィオレッタに真正面から向かい合った。
「私は災厄の席に立つ」
「は!?」
「なにバカなこと言って───!!」
 リンの言葉に何を思ったか、ヴィオレッタの魔力出力量が増大した。リンに狙いを定めた攻撃魔法が、さらに威力を増す。
誰だって、マジカルなミラクルは起こせるんだぜ、お嬢さん 其は全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷───」

 もう持たない、と誰かが叫んだ。

「───顕現せよ!! 『いまは遥か理想の城 ロード・キャメロット』!!」

 ───光が、炸裂する。

「っ……、う……
 視界を染めた白い世界が、だんだんと色彩を取り戻していく。誰もが瞬き、いつもの視野に戻る頃、校舎内に広がっているのは、静寂ばかりだった。
「さっきの口上は、つまり……
 とん、とリンがフライパンで肩を叩く。
「私に冤罪を着せようとしてたっていう、自供でいいかな?」
「───」

 夕陽を背に、堂々、リンが立つ。

 ヴィオレッタは、何も言わない───言えない。

 魔法機動隊が、リンの影から滑り出す。流れるようにヴィオレッタを確保し、鉄の手錠を後ろ手に嵌めた。
「ッ、はなして───はなして!!」
「魔法執行官ペケットの権限においてベリタ・エダフォスの使用を許可する!! 早く!!」
「やめて!!」
 悲痛な絶叫。状況が状況なれば、誰もが心を痛めるだろう、痛ましい声が、空を切り裂く。しかし、誰もこれを止めてやるものはいなかった。
 粘性を持った魔法が、ヴィオレッタに覆いかぶせられた。ヴィオレッタは抵抗していたが、やがてそれも小さくなり、……やがて現れたのは、どこにでもいるような、平々凡々な女だった。
 髪は色艶を失って縮れ、透明感に溢れていた肌はくすみ、きらきらと輝いていた丸い瞳は細く、印象が薄くなる。豊満に見えた体つきも、どこか歪で、異質なものに変わっていく。
 ヒュッ、と息を呑んだヴィオレッタが暴れようとしたのを、ハンナが押さえつけた。
「もうやめろ。薬効を失ったお前に、先程までの魔法は使えない」
「っ……!」
 音を立てて、ヴィオレッタが固まった。ぜえ、ひゅう、荒い呼吸が、いやに響く。薬効で増大された魔法の反動を、薬効を失った体が受け止めきれていないのだ。
 もう何もできないヴィオレッタを見て、真実を悟った生徒達の温度がざわざわと変わっていく。彼女へ刺さる視線の針山が、瞬く間に変質していく。
 疑惑から、確信へ。
 陶酔から、嫌悪、憎悪へ。
 敬愛から、怒りへ。
 憔悴したヴィオレッタは、もう動けない。全身の穴という穴に責め苦の針を刺されている。
 不意に、コツ、と小さな踵の音が、ヴィオレッタの前に立った。
 自力で顔を上げることすらできない彼女は、それでもその地味な靴の爪先で、それがリンだと知った。
 全ての視線が、リンに吸い寄せられる。カッ、とヴィオレッタの顔に熱が集まった。
 リンは、着ていた上着を脱いだ。ヴィオレッタが、初日にリンに与えたものだった。

「あげるわ」

 ばさり。ベージュのトップスが、リンの一言と共に、ヴィオレッタの頭から上半身を隠す。
 静かになったヴィオレッタは、程なくして、魔法執行官達に連行されていった。
 ヴィオレッタ達を乗せた車を見送るリンに、ペケットとハンナが再び声をかける。
「ご協力、ありがとうございました」
「いや〜ほんとに助かった。学生でも買い子なら捕まえなきゃならんしな!」
 明朗に響いたハンナの言葉に、言い知れぬ怖気が生徒たちの間を走っていった。
「スタッフの皆と先生方の協力あってこそですよ」
「それにしてもあんたの手際は最高だった。実はどっかに所属してるとかだろ?」
「いやあ、私はただのリンで、ポリーじゃないんで……
「? よくわからんが……まぁ助かったよ、ありがとな。また何かあったら連絡してくれよ」
「いつでも頼ってね」
「ありがとう」
 ばたむ、と扉を閉めた車たちが学園から去って行く。エンジン音が聞こえなくなるまで見送って、リンは後ろにいたスタッフや教員たちを顧みた。
 にやり、リンが笑う。ばっ、とフライパンを振り上げて、リンは叫んだ。

「───自由だーーー!!!」

 ワッ!! と主に大人達が大歓声を上げた。
「よくやったぞ、リン!! よくやった!!」
「やったーーー!!」
「今日は祝杯だ!!!」
「俺たちやり切ったぞーーー!!!!」
 大人たちが大人たちの事情でこどものようにはしゃぎ回る姿に、何が起こっているのか分からないのもあって、生徒達はポカンとした。そして、ちょっとだけ引いた。





 テンションの上がった大人たちはそのままパーティを始めそうな勢いだったが、ひとしきり騒ぐと「それじゃあ事後作業開始!」と四方八方に散らばって行った。
「リンさん、」
「あ! ナイスアシストだったわよ、ユウ!」
「はい!」
 ユウが嬉しそうに破顔する。エースたちは苦笑した。
「ほんと……マジでなんなのそのフライパン」
「いつまで保ってくれるかね……
「つーか何が何だか分かんねーんだけど……俺達全員、あの女に騙されてたってわけ?」
「ミス・ヴィオレッタな。まあ、そういうことになるかな!」
 晴れやかなからりとした表情から一転、リンは意地悪く口端を吊り上げた。
「よかったわねー、若いうちに綺麗な薔薇には刺があるってことを実地で学べて」
「もっとマシな形で学びたかったけどね!!!」
 エースの絶叫に、リンがはっはっはと切符よく笑う。いつものリンさんが戻ってきた、とユウはちょっとだけ泣きそうだった。
 ええと、とエペルが手を挙げる。
「リンさんは……今までずっと、ミス・ヴィオレッタの傍で……バレないように、証拠を集めてたってこと……ですか?」
「そうよ」
 あっけらかん、とリンが首肯する。
「いやー、大変だったな!! 流石に骨が折れたわ」
 はーやれやれ、と大義そうにするリンに、生徒たちは顔を見合わせた。リンさん、とユウが代表で口火を切る。
「ん? なによう、そんな顔して」
「えっと……
……リンさん、ヴィオレッタが言ってたこと、気にしてる?」
 結局、切り込んだのはエースだった。
 リンは、ぱちくりと瞬いて、生徒たちの顔を見回し。ヴィオレッタが散々生徒たちに吹き込んでいたことを、ああ、そう言えばそんなことも言っていた、と思い出して。
 ふ、───といなせに笑って見せた。
「あんたたち、知らないの? 私、理不尽には慣れっこなのよ。ちょっとやそっとで、勝ちを譲るわけないでしょ」
……
 負けました、とエースが苦笑してホールドアップした。それでこそリンさんです! とユウがリンに飛び付く。
 三々五々、生徒達も散らばっていった。入れ替わるようにして現れたクルーウェルに「事後作業があるだろう」と仔猫よろしく首根っこを捕まれ、リンはドナドナ回収されていった。





 後日、名門校ナイトレイブンカレッジに堂々入りこんだ犯罪者が生徒たちと教員たちの大立ち回りで見事確保されたと新聞で報道され、事務室はやっぱり忙しくなった。
 ヴィオレッタは随分前から違法薬物の取引に手を出しており、以前賢者の島の港で警察騒ぎを起こした男と取引をすべく、教育省指導部という立場を利用して、ナイトレイブンカレッジに必要のない視察を強行的に実施した。視察理由はオーバーブロット現象が頻発しているためとあったが、過去四回のオーバーブロットにて視察は必要ではないと判断に寄与したのがヴィオレッタ当人と判明し、今回の視察は私情の取引に利用しようとしたと考える他ない、と裁判官が判断した。
 違法薬物は己の外見や内在する能力を過度に引き出すものであり、用法・用量を守って正しく使用しなければ、体にはもちろん、精神面にも多大なる負担がかかる。薬効を得た状態を、自分にとって「それが自然で、正しくて、当然の状態」だと誤認してしまうからだ。
 また、気分が高揚するなどの興奮作用、周囲がなんだかきらめいて見えるなどの幻覚作用、薬効が切れた後に凄まじい倦怠感、虚無感に襲われるなどの副作用が発生するため、取引については各国で厳しい検閲が敷かれていた。
 己に取引の証拠を残さないため、また、万一露見しても言い逃れができるように、ヴィオレッタは生徒を介して取引を行おうとしていた可能性が高い。今回、生徒が誰一人としてこの取引に関わらなかったのは奇跡に近く、普段の学園の教育の賜物であり、生徒一人ひとりの意識の高さが故である───と新聞に記事が掲載されてしまったので、生徒たちは誰にも実情を話せなくなってしまったのだった。
 生徒達は、ヴィオレッタに騙されたことにショックを受けてはいたものの、なんやかんやヴィオレッタを悪く言う者は現れなかった。騙した相手がじゅうぶん制裁を受けているとなれば、ずるずる引き摺って一々文句を言う方がダサいとよく分かっているからである。
 事後処理と学園への取材が終わるのとほとんど時を同じくして、オンボロ寮の改修が終わった。ユウ達はポムフィオーレ寮を後にして、新しくなった古巣へと戻ってきた。ゴーストが盛大に出迎えてくれて、「たららーらーらーらーらーらーらーらーらー」だの、「なんということでしょう!!」だの言いながらルームツアーで一通りはしゃぎ倒し、ようやく帰ってこられた学園長とシュラウド兄弟を迎え、兄弟一押しのゲームを楽しんだ。



 談話室が賑やかな最中、やってきたのはレオナとラギーだった。レオナは酒瓶を一本、ラギーは精一杯頑張って作ったつまみを持参した。
「あらいらっしゃい」
 リンは二人を見違えるようになった二階へ通し、作っておいたつまみを取り出した。
「用意がいいな」
「改築祝いも兼ねてんでしょ」
「こいつが世話になった礼もな」
「兼ねまくりね。期待しとくわ」
…………
 リンはすぐに酒を開けた。レオナは我が物顔で定位置に座った。ラギーもいつもの席に大人しく座る。
 グラスは三つ用意された。
……え、オレもいいんスか?」
「あんたの心意気は嬉しかったからね」
 サラリ、ジンジャーエールが注がれる。ラギーは自分の気持ちをどこに置けばいいのかますます分からなくなった。
「乾杯!(トスト)」
 カロン、とグラスが音を立てる。グラスを煽ったリンは、美味しそうに、はー、と息を吐いた。
「頑張った甲斐もあって、美味しさも一入ね」
「お気に召したようで何よりだ」
「大切にいただくわね。ラギーも、下にクロウリーが居なかったら飲ませてあげたんだけどねえ」
「生徒を庇ってやったお優しい事務員のセリフとは思えねえな」
 くつり、喉の奥でレオナが笑う。リンに出されたつまみをありがたく頂きながら、「そう それ」行儀悪く、箸で空を指した。
「気になってたんスけど」
「ん?」
「リンさん、ほんとにオレからスりました?」
「スってないわよ」
「───、」
 あんまりにもあっけらかんと言われて、ラギーの時間が凍結した。
「私、そんなお行儀良くないもの。あんた絶対気付くじゃない?」
「じゃ、じゃあ、オレのカードは……
「今あんたが持ってないなら、どっかの誰かさんが変な匂いするからって理由で捨てたんじゃない?」
……どっかの誰かさん……
 ごくり。ラギーの喉が鳴る。
…………まさか」
 おそるおそる、己の現ボスの方を見やる。と、そこには、愉悦にせせら笑うレオナ・キングスカラーの姿がそこにあった。
「一生分の借りができたなァ?」
「──────!!」
 ショックを受けたラギーが真っ白になって固まった。ラギーに無音の雷が落ちたのを、リンは見た。
……まあ」
 リンが、グラスをくるりと回して、酒精の香りを楽しむ。
「あんたが首突っ込んできたって、私がレオナにチクったんだけどね」
「関わるなっつったろーが。馬鹿が」
「おかげさまで向こうさんが油断して、あんたが失敗した時の保険用に、私があのカードを入手できるきっかけにはなったけどねえ」
 要するに。つまりは、こうである。
 ラギーは、あの部屋に充満していた匂いが、過去にスラムで嗅いだことのある違法薬物のそれによく似ていたことに気が付いた。スラムでは違法薬物のやり取りなど、日常茶飯事で行われていたので、幼い頃に嗅いだことがあったのだろう。
 彼らは物の取引に独特な連絡手段を用いる。ヴィオレッタが仲介役なのかどうかは分からなかったが、直接自分で出向くようなリスキーな真似はしないはず、と踏んだラギーは、彼女が学生を自分の手足にしようとしていることに気がついた。
 そこまでは良かった。
 賢者の島をどこでもうろつきやすい学生で、かつ、この手のことに聡い、スラム街出身のバカそうなこどもなら、きっと彼女なら食いついてくるだろうと踏んで、逆に噛み付いてやる、と、ラギーは首を突っ込んだわけだが。
 おそらく自分の寝ている隙か何かに、リンから連絡を貰ったレオナがあのカードを砂にして、ラギーは薬物の運び屋をせずに済んだのだった。
「悪事の証拠を掴もうとしたって主張しても、それが信用されるかどうかはわからないし。結構ギリギリだったんだからね。もうこんな真似やめなさいよ」
「ッス……
 ラギーはますます、あの時自分が見切り発車したことに頭を抱えた。
「結果的にあいつを追い出すことには繋がったから、それで良しとしてやる」
……………ざす……
「反省してね。後悔したくないでしょ」
 ぴくり。リンの言葉に、ラギーの耳がそよぐ。
 ラギーは顔を上げた。リンの視線を真っ直ぐに見返す。
「リンさん、オレ、反省はするッスけど、後悔はしてねえっす」
「おや、」
 リンは瞬いた。ラギーはしかし、自分を曲げなかった。
「あの女はリンさんを傷つけた。だったら、反撃のひとつやふたつは当たり前っスから。やられたらやり返さねーと、気がすまねーんで、オレ」
 ラギーの言葉を受けたリンが、ぱちくりと瞬く。そうして、ちょっと困ったようにはにかんだ。
「嬉しいこと言ってくれちゃって、このマセガキ」
 ジンジャーエールの瓶で小突かれる。いて、と首を竦めたラギーの耳を、「ありがとね」穏やかな声が擽った。甘ったるい囁きよりもよっぽど心地よい。ラギーは、ちょっとだけ頬を緩めた。
「でも、やっぱり、あんたのことを優先してほしいと思うよ。あんたのばあちゃん達から、あんたを預かってる方の立場としてはね」
……すんません」
 ぐうの音も出ない。ラギーは大人しく、もうしません、と反省した。
 それまで黙っていたレオナが、不意に口を開く。
「だいたい、この女が、素直にやられて落ちるタチかよ。何かしらやり返すに決まってんだろ」
「おぉー、まったくその通りだが貶されてる気がするのは気のせいか? 喧嘩か? 買ったろか? お?」
「まーたあんたはそんな言い方をする…………
「褒めてる褒めてる」
「雑だなあ」
 ぐだぐだ言いながら大人たちは酌をしあって、高いだろう酒はあっという間に半分ほどに減っていた。
 これ以上一気に減らすのは勿体無い、とリンが大事に戸棚へ酒瓶をしまう。
「さて。私は下の子達にてきとうにつまめるもん追加で持っていくけど。あんた達どうする? シュラウド兄弟がゲーム持ってきてくれてるわよ」
「帰る」
 レオナが即答した。
……じゃあ、俺もまたの機会にするッス。……あの、リンさん、」
「ん?」
「お世話になりました。この借りは、どっかで必ず返すんで」
「はは、」
 しっかり言い切ったラギーに、リンは目を細めて、嬉しそうに笑った。
「甘やかされとくのも後輩の甲斐性の内よ、気にしなさんな。でも、ま、出世払い、期待してるわ」
 鍵、オートロックになったから、気にしないでいいからね。気をつけて帰んなさいよ。
 あっさり言って、大皿を抱えたリンが、足音軽く、さっぱり階下に消えてゆく。
……レオナさん」
「なんだ」
……リンさんとあの女、ハマったらしんどいの、どっちっスかね」
「さあな、どっちもどっちだろ」
 至極どうでも良さそうに答えたレオナが、ふと、意地悪く笑う。
「ま、そう思ってるうちはまだまだガキだな」
「うるせえなあ」
 ラギーはいーっと口を真横にした。
……あんたは、しんどくないんスか?」
 階下から笑い声が木霊する。
 オンボロ寮の夕暮れが更けていく。

……さあな」

 降り掛かってくる災難、理不尽を、慣れていると一笑に付し、そう簡単に勝ちは譲らないと誇り高く言ってのけたリンの姿が、鮮やかに蘇る。





 それは、その場にいた多くの人々にとって、どこにでもいる女だったと、思い出と呼ばれるものの彼方に追いやるには、随分時間のかかりそうな、しなやかで眩しい姿だった。





 To be Continued……