桜霞
2022-10-01 16:47:25
22331文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

きっと、届くことのない声だとしても

#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/05/16にpixivに投稿したものの再掲です。







「あぁ、気付いてなかったんですか」
 オクタヴィネル寮はモストロ・ラウンジにて。
 ぽかん、とするフロイドを他所に、アズールは淡々と言葉を続けた。
「ユウさんは女性ですよ」
「は?」
「ええ」
「そなの?」
「はい」
……
 フロイドは、至極ゆっくりと息を吐き、肩に入っていた不自然な強張りを意識して柔らかくさせた。
 オンナノコ。見た目からしてやわっこくて、ほよほよしてて、きゃあきゃあ喧しくて、変に眩くて、いじめると楽しいけど後が面倒くさい、アレ。
 フロイドの女子に対するイメージはそんなもんだった。エレメンタリースクールのときなど、自分の理解の及ばない別の生き物なのだと思うことにしなければやっていけなかった。傍に来られても決して愉快な気分にはならない。だから(自分のための)親切心から、揶揄ったりして面白くしてやるのだが、それは時としてフロイドが叱られる要因にもなったりした。
 弱っちいけれど、だからこそフロイドたちのような強者が守ってやらねばならぬのだと諭されたことは数知れない。
 
 ───小エビちゃんが、そんな生き物だったとは。
 
 いやいや、とフロイドは頭を振った。
 
 ───小エビちゃん、全然オンナノコっぽくないじゃん。
 
 確かに驚かせたら肩をびくつかせるし、どこか怯えた目でこちらを見ることはあるけれど。でもそれは、他の野郎にしても変わらないことで。
 小エビはどちらかというと静かな奴だ。大胆な行動をとるときもあるし、声も張り上げるときだってあるけれど、くねくねしたり、ほよほよしたり、しなしなしたりしているわけではない。周囲に振り回されている感は否めないが、それでも強かな海藻のように海底に根を張って濁流を受け流している。
 とにかく、ユウは、フロイドの知る『オンナノコ』に、とかく当てはまらない小エビであった。
 
 ───でも、小エビちゃんは女性で……
 
 ぐるぐると思考が回る。黙ってしまったフロイドを、ジェイドは意地の悪い笑みを浮かべながら覗き込んだ。
「フロイド、気付いてなかったんですか?」
「は?」
 それまで渦を巻いていた思考がカチン、という音と共にあっという間に霧散した。こちらを馬鹿にするようなことは、たとえ双子の兄弟であっても許し難かった。だって、ジェイドでさえ、アズールの言葉に小さく瞠目していたのを、フロイドは見逃していなかったからだ。
 
 ───というか。小エビちゃんは、小エビちゃんだし。
 
 フロイドはこめかみをぴくりとそよがせた。
「気付くとか気付かねえとかじゃねーーし。そもそも意識してなかったしィ、どーでもいーもん、べつにぃ。ジェイドもでしょ」
「ふふ、はい」
 小エビは小エビ。フロイドにとっては、それ以上も以下も無い。性別なんて、気にしたこともなかった。それはジェイドにとっても同じだった。ジェイドはにっこりと微笑んだ。
「ばれてしまいましたね」
「ケッ」
 
 ───なーにがばれてしまいましたねだ。オレ知ってる、そーいうの胡散臭い笑みって言うんでしょ。
 
 フロイドは内心で悪態をついた。口に出したら面倒なので、話の方向性を変えることにする。
「てか、アズールは最初から気付いてたの?」
「えぇ、まあ……そう言っていいのかは分かりませんが……
 アズールは律儀に、いつ頃自分がそうと気付いたのか思い出そうとしているようだった。どこか思案しながら言葉を選ぶその姿勢だけ見れば、誠実さと受け取れる。
「随分男らしくない方だなとは思っていましたが、先程の契約書の性別欄に女性とあっさり記入されたので、あぁやはり、と」
「アズールも知らなかったんじゃん!!」
 がなるフロイドに、アズールは面倒そうに眉根を寄せた。
「女性であることは彼女にとっての武器にはなり得ますが、それだけです。彼女の魅力は性差に左右されないところにあるんですから」
「え? なに? アズールめちゃくちゃ小エビちゃんのこと好きじゃん」
「、勘違いしないでください、」
 フロイドの言葉に、アズールは分かりやすく面食らった。
「僕、は……そう、手駒となる従業員の使い方をきちんと把握しているだけです」
 アズールが顔ごと視線を逸らし、眼鏡を指で押し上げる。フロイドはにやあ、と表情を緩めた。
「へぇ~~~~~~~~~~~」
「ふふふ、そういうことにしておきましょう」
…………!」
 アズールは何か言おうと口を何度か開閉させたが、結局は黙り込んだ。ここでこれ以上何か言っても裏目に出る気しかしなかったし、こうなった双子に敵ったことなど一度も無いのだ。
 しっかし、とフロイドはあっさりアズールを弄ることを放り出した。
「隠す気ねーのかな? バレたら大変なんじゃね? お行儀いい奴等ばっかりだから」
「そうですねえ……、しかし、いつもの面子なら既にご存知のはずでは?」
「えぇ? でもカニちゃんはともかくサバちゃんはウブなとこありそーじゃん。アザラシちゃんは論外だけどぉ。気にしてなさそ~」
「確かに」
「二人とも、最も大事なひとを忘れていますよ」
 あくまで他人事のように話す双子に、アズールは嘆息した。双子は揃ってぱちくりと瞬きする。
「オンボロ寮には、リンさんがいらっしゃるでしょう」
……あぁ、なるほど」
……確かにィ……
 二人の脳裏に、食えない笑みを浮かべたリンが思い描かれる。どうやってか衣服や化粧品を整えたらしいリンは、突然美人になったと専らの噂だった。本人は「真の姿を取り戻した」とかなんとか言っているらしい。
 リンが魔法を使えないのは周知の事実だ。しかし、学園の職員、そしてオクタヴィネルのスリートップは、リンが魔法を使えないながらも敵に回せば厄介な御仁であるというのを痛感している。
 特に、先のイソギンチャク騒動で出鼻を挫かれたアズールにとって、リンは油断ならない人物だった。
 そして、その片鱗を、多くの生徒達は感じ取っている。
「リンさんのことです。既に何らかの手は打っているはずだ。ユウさんの周りのいつもの方々は……まぁ、……その目が節穴でないことを祈りましょう」
「絶望的じゃね?」
「フロイド、シッ」
 
 
 
 
 
 絶望的だと言われたカニとサバは、その実そうでも無かった。
 サバ、もといデュースが、ぐわし、と容赦無くエースの胸倉を引っ掴む。
「お前、今ここで言うことか……!?」
「あ? いーだろ別に、つか苦しーんですけど」
 デュースは胸倉を絞める手に、さらに力を込めた。エースの顔が苦し気に歪む。
「本人が敢えて触れてこなかった話題だぞ、何か事情があるのかもしれないだろ……! 無神経にも程がある……!」
「、ぐ、ぅ、」
「デュース、そこまでだ」
 トレイが腕を伸ばす。だが、デュースは聞かなかった。トレイは一層低い声で「やめろ」と制したが、それでもデュースは動かない。
……、」
 ユウは手に持っていたコップをそろりと置いた。落ち着かない腰や、逸る心臓は、今ここで逃げを決めれば楽になれると騒ぎ立てている。それを意思の力で捻じ伏せて、ユウは深く呼吸した。
 
 ───意識しない。意識しない。だってこんなの、なんでもないことだもの。
 
 ユウは吸った息を、腹の底に鎮め、喉に力を込めて、意識して口を動かした。
「デュース、私は大丈夫」
「、」
 びくりとデュースの肩が強張った。ユウは、存外落ち着いている自分の声に、暴れていた心臓が静かになっていくのを感じた。
「エースを離して」
 大丈夫、私は落ち着いている。冷静だ。
 デュースはそろそろとエースを解放した。エースはまだ違和感が残るのか、首元を擦っている。
 ユウは先手を打つことにした。
「デュース、心配してくれたんだよね。……ありがとう」
「いや……
 デュースは目を伏せて、どこか視線を彷徨わせていた。
「ちなみに、デュースはなんで私が女かもって思ったの?」
「それは……、体育のとき、毎回いつの間にか着替え終わってるし……それに、走り方とか、歩き方とか……いくらオーバーサイズだからって言ったって、服の上からでも骨格とかはなんとなく分かるし、筋肉のつき方とかで、男女の違いはあるから……
 考え考え、言葉が紡がれる。そう言えばデュースは陸上部であったし、カレッジに来る前は健康な不良だったらしいことをユウは思い出した。喧嘩慣れしている様子は、学園でもたまに見かけることができる。
 そういう経験で、目が肥えたのだろう。ユウも詳しくは知らないが、本当にすごいひとは重心の置き方や歩き方だけで他とは違うらしい。だからユウのことも、そういう意味で男らしくないと判断していたようだ。
 ユウは「そっか、」と気にしてない風に呟いて、エースの方へと向き直った。
「そうだよ。エースの言う通り、私は女」
……やっぱりな、そーだと思った」
「いつから気付いてたんだ?」
 トレイが口を挟む。エースの双眸が一瞬、鋭く光ったのを、ユウは見逃さなかった。
……トレイ先輩がオレ達の中でもユウのことを特に気にかけてたのは知ってましたけど……なんでかなーって、疑うきっかけになったのは、先輩が今日、一緒に行こうかって言ってくれたことっすね」
「───」
「なんでずっと一緒に居たオレ達じゃなくてトレイ先輩が知ってんのかは、知らねえけどさ」
 裏目に出たか、とトレイが小さくぼやいたのを、ユウの耳が拾う。あとは、とエースは何かを思い返すように視線を巡らせた。
「今日の買い物とか、結構かわいーアイテム選ぶし。つか、ユウが着るとかっこいい系が全部可愛くなるっつーか……
……なるほど……?」
「これは女の可愛さ? みたいなやつ? だなーと思って。だってユウが女だとバルガスせんせーの手加減具合とか納得いくし、今のユウ、フツーに可愛いし」
 ユウは唇を引き結んで片眉を寄せた。確かに、体力育成の授業では、「そもそも魔力が無い」という言い訳で多くの生徒とは別メニューを課されることが多い。
 それに、そういう意図など無く、好みで選んだファッションを可愛いと評されれば、悪い気はしない。
 しかし、それで流されてはだめだ。ユウはンン、と小さく喉を鳴らした。
「それは、アリガト。でも、積極的に皆に把握してほしいわけじゃないから、さっきみたいに急にそういうこと言うの、やめてね」
「え、でも隠してるわけじゃないんだろ?」
「え? 隠したいんじゃなかったのか?」
 反射的に顔を上げたデュースは、困惑の表情を浮かべていた。あくまでも隠しているつもりではなかったユウは、やっぱり上手くできていなかったのだろうかと頬を掻いた。
 その様子を見て何を思ったのか、デュースは身を乗り出した。
「ユウ、隠すなら徹底的にやった方がいい。広まるのも時間の問題だぞ。名門とは言え、テンプレみたいな不良がいるの、ユウだって知らないわけじゃないだろ? ウチは治安がいいわけじゃないんだ」
 僕だってできれば力になりたいけど、とデュースは机の下で拳を握りしめた。その表情に、悔しさが滲む。
「僕は……僕の実力を知ってる。だから……
 ちょっと前まで悪ガキだった一年坊主の実力など、たかが知れている。デュースが出来る得意なことと言えば、大釜を召喚する魔法くらいのものだ。
 そんなデュースが、いざという時に役に立つわけがない。それはデュース自身が一番良く分かっていた。
 ユウは、出来るだけ静かに言葉を並べた。
……確かに、デュースの言う通り、隠せるだけ隠すのがいいのかもしれないし、お化粧とか、髪をいじるのとか、好きな服とか、我慢した方がいいのかもしれないけど」
「っちが、そういうわけじゃなくて!」
「うん、分かってる。ちょっと意地悪した。ごめんね。心配してくれてるんだよね、ありがとう」
 でもね、とユウはここ最近、切実に痛感し始めたことを滔々と語った。
 
「この、ナイトレイブンカレッジっていう学園において、隠し事とかをする方が、逆に弱み扱いされて強請 ゆすられたり面倒事に巻き込まれたりする原因になりそうだな、って、思うんだよね」
 
 男たちはそれぞれ瞑目したりそっと視線を逸らしたり顔ごと天を仰いでユウの言葉を噛み締めた。咄嗟に反論が浮かばない。そして。
……あぁ……
……うん……
……まぁ……
 結局、否定できなかった。ユウも、「でしょ?」と苦々しく眉を寄せて追い打ちをかける。
「だったら、リンさんの『人間、隠し事されると暴きたくなるもんだから』という言葉を基に、それなりに意識せず、それなりに隠さずいこうと思って」
……
……
……
 エースは「ま、いーんじゃね?」という顔をしていた。対するデュースは心配です、というのを全面に押し出している。トレイはどこか苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。
 賛成が一人だけとは。ユウは腕を組んで「ウーン」と唸った。
「でも、実際、上手くいってると思うんだよね」
「?」
「だってさ、エースとデュースは気付いてたけど、態度とかは変えなかったじゃん」
「、」
 エースが目を丸くして瞬かせた。デュースも、「それは、そうだろう、」とどこかまごつきながら答えた。
「お前はマブだし……
「ね。私が女でも男でも、問題ないでしょ」
……確かに……
「さっきから聞いてりゃ、お前ら気にし過ぎなんだゾ。オスとメスの違いがそんなに重要か?」
「んな、」
 それまで黙っていたグリムが、唐突に、呆れたように口を挟んできた。あまりにもな言い草に、さしものエースも身を引いた。しかし、グリムの主張は止まらなかった。
「オスだろうがメスだろうが、ユウはユウなんだゾ!! 好きな格好して、好きなもの食えばいいんだゾ!!」
「それは……確かにそうなんだが……
「言い方ってものがあんだろ……
「ユウが敢えて避けてたことに気付いてたくせにブッ混んできたエースに言われたくはないんだゾ」
「う」
 エースがぎくりと肩を強張らせる。バツが悪そうにしていた彼はしかし、「オレだってなあ、」と口を尖らせてなにやらもにょもにょと言葉を並べた。
「確信持ったのちょー最近だから、それまで気付けてなかったことで、ユウを傷つけてたんじゃねえかって、ちょっと気になったっつーか……後で掘り返されたら面倒だなって思ったっつーか……
 ユウは思いっきり顔を歪めた。
……エースゥ……
「お前なあ……
 トレイも額を押さえて、結局言葉にならず、溜息をつくしかできなかった。デュースでさえ、残念なものを見るように顔を顰めた。
「お前は、なんでそう、最後に余計な一言をつけるんだ」
「は!? お前には言われたくねーんですけど!?」
 ユウはやりきれなくなって、背もたれに体重を預けると、どこか遠くを見やった。
……もうこれがエースらしさとして受け入れるしかないんですかね……
「是非直した方がいいとは思うが……
 トレイの歯切りも悪い。ユウは嘆息して、居住まいを正した。そして、きちんとエースに向き直る。
「無いよ」
「え?」
「無いよ。この学園に来て、私が女だからって傷ついたことは、一度も無い」
「、……そか」
 エースは分かりやすく肩の力を抜いた。デュースも頬を緩めている。
 ユウは、にっこりと笑った。
「怖い目にはたくさん遭ったし、腹立つこともかなりたくさんあったけどね」
「、え」
「げ」
 空気を読める男、エースは、ユウの目が据わっているのに気付いて、思わず口角を引き攣らせた。
「入学早々、揶揄われて馬鹿にされるし」
「、」
「モンスターとのバトルになるし」
「あ、」
「寮内問題に巻き込まれるし」
「ぐ、」
「自業自得のイソギンチャクをどうにかしてくれって巻き込みに来るし」
……すんません……
 がん、と音を立ててデュースの額がテーブルにめり込んだ。
「反省してます……ッ!!」
……うちのが、悪いな……世話になって……
 トレイの言葉に、ユウは何と言ったものか分からなくて、曖昧に苦笑した。
 過ぎたことなので気にしてはいないが、ここでそんなことを言えば後でふたり及び一匹が調子に乗ることは目に見えている。ユウはこの数ヶ月間で、言質がいかに大事かということを骨身に染みるほど学んでいた。
「けど、まぁ……だからってわけじゃないんだけどさ」
 ユウはぽりぽりと頬を掻いた。なんだか急に気恥ずかしい。
「エースのことも、デュースのことも、トレイ先輩のことも……信頼してるので。これからもよろしくお願いします」
 丁寧に頭を下げて礼をしたユウに、トレイは微笑んで「こちらこそ」と会釈した。デュースは感動に打ち震え、元気いっぱい、きらきらした笑顔で「あぁ!」と勢いよく立ち上がった。
「任せろ!! なんてったって僕達はマブだからな!!!」
「うわー……
 エースがあからさまに身を引いてデュースから距離を取る。えぇー、とユウは不満げに声を上げた。
「エースくんはよろしくお願いしてくれないんですかぁー?」
「あーはいはい、分かった分かった、よろしくよろしく」
 エースはそっぽを向いてひらひらと手を振った。これが満更でもない様子であるというのを、ユウはとっくに知っている。彼女がほくそ笑むようにして破顔したのを、トレイだけが見ていた。デュースとグリムは呆れたようにしてエースを見やっていた。
 
 
 
 
 
 トレイの案内で街を身軽に散策し、堪能したユウ達は、日が沈むころに箒に跨って学園へと帰寮した。暖かい服のおかげで、往路よりも寒くない。トレイにしがみつきながら箒に乗る感覚にも慣れ、ユウは周囲を、空を見渡すだけの余裕があった。
 分厚い雲は、いつの間にか途切れ途切れになっていた。西の空に、茜色に染まった太陽がゆっくりと沈んでいく。夕焼けに照らされる雲はゆったりと進み、まるで神々の行進のようだった。
 
 ───ラピュタはなくても、神様ならいそう。
 
 何せ人外の溢れる世界である。ユウはできるだけ静かに視線を頭上に巡らせた。
 茜色から、紺色へ。そして冥い、夜の帳の色へ。空は綺麗に染まっていた。
 
 ───これが絹の織物であったなら、どんなに綺麗だろう。
 
 ユウの脳裏に、この数ヶ月間、お世話になりっぱなしのリンが浮かぶ。つい先日、とてつもない美人になった彼女だけれど、きっとこの着物も着こなすんだろうな、とユウは思った。
 今日のことを話したい。アズールと仲良くやれそうだということを、フロイドが案外可愛らしいことを、デュースの優しさを、エースの空気が読めてよく気が付くところを、トレイがいかに頼りがいのある人かを、グリムのくれた言葉を。
 
 話したいと思う。リンに。
 
 ───リン、にも。
 
 ───……家族にも。
 
……
 ユウは寒さから逃れようとぐずる幼子のように、そっとトレイの背中に顔をうずめた。広い背中に、ほんの少しだけ心が跳ねる。
 
 ───あぁ、こういうのも。
 
…………忘れたくないなあ……
 
 話したい。伝えたい。

 元気だよ。私は元気だよ。ちょっと捻くれた面倒くさい世界で、それでも日々を丁寧に生きて、辛い事も、嬉しい事も、腹立たしい事も、悲しい事も、楽しい事も味わって。この学園だからこそできた経験がたくさん、たくさん、あるんだよ。
 
 
 ───拝啓、お父さん、お母さん。
 
 
 陽が、一番眩く輝く時間。黄昏時。ユウは、ちょっとだけ鼻を啜って、ぱちぱちと瞼を揺らし、意識して水気を宙に散らした。頬にぱりぱりと乾く細い筋を残したくはなかった。
 
 
 ───あいたいけど、さみしいけど。むねがくるしくて、こころがすぼまるかんじがするけど。
 
 
 グリムが何やら騒いでいる。デュースがそれを叱りつけて、エースが揶揄うように煽って。トレイが仕方ないようにして叱声を飛ばしている。
 ふひ、とユウは小さく噴き出した。意識せず零れた、ユウの素直な感情だった。
 
 ───でも、大丈夫。私は独りじゃない。
 
 遠くに見える運動場で、リンが手を振っている。見慣れた館の煙突からは煙が上がり、運動場には箒を片付ける生徒達で賑やかだった。ぽつりぽつりと街頭に光が灯り始めている。
 トレイは器用に、ゆっくりと下降した。エースやデュースは、ちょっと危なげないが、たたらを踏みながらもきちんと着地した。ユウも地面に足をつけ、「ありがとうございました」とトレイに頭を下げる。
「どういたしまして」
 トレイは微笑んで、箒の片付けに踵を返した。
「ユウ」
「、はい」
 存外近い場所から声をかけられて、ユウは少しだけ驚いた。ファーのついたアウターを着こなしている、女に磨きのかかったリンが、優しくユウを見つめていた。
「おかえり」
 柔らかで、暖かなそれに、ユウは光が綻ぶように笑った。
「はい、ただいまです!」
 勢いそのまま、リンに抱き着く。ユウをしっかりと受け止めて、リンはからから「元気だなあ!」と目を細めて微笑んだ。
 
「リンさん、今日、すっごく楽しかったんですよ!」
 
 きらきらと、跳ねる声音が楽しく響く。吐息は白く、宵闇の絹の中に揺蕩って消えた。
 厳かな冬の静かな夜は、もうすぐそこにまで迫っていた。