望月 鏡翠
2025-01-22 00:26:06
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そして、彼の地に骨を埋めた。

首飾り/箪笥/幸い/花


 広げた領土も程なく、墓場で埋まるだろう。
 平和の礎となったもののために、戦果の時代がましだったなどとは決して言わぬが、あの頃の方がやっていたことは単純だった。地位と役目を与えられたのは、王からの何よりの褒賞であり、出世という男の本懐を果たしている。
 それでも毎日のように運ばれてくる書状の数々、机上に積もっていく未処理の書類の山を見ていると、頭が痛くなってくるのだ。
 こいつは難敵だ。
 一月前の警備の兵が王妃の首飾りを盗んだ件も、まだ片付いていない。件の兵の上官は、責任を持って仕事を辞めた。代わりを早急に見つけて、王宮内を警邏する人員の再配置と体制の見直しを求められている。
 そこに重ねるようにして、王妃の側仕えの女が盗みを働いていたことが発覚した。
 頼りになるものから、減っていく。
 これでは、王が王妃にかかりきりになる口実を与えてしまう。
 いや、今の言い方はあまりにも不敬だった。しかし、とそれでも聞くもののない言い訳は、仕事を放棄した頭の中をぐるぐるとよく回った。
 どこも手が足りていない。不審だと思うことがあっても、調べている暇がないのだ。訴えがあったときに、事件を深く調査するにも手が足りない。
 王妃への耽溺ぶりを見たときは、ようやく輝かしい陽の如きあのお方の人らしいところをみたと思った。
 完全無欠に見えた人でも、美しい女を前にして浮かれることがあるのだ。そして、妻の気を引こうと必死になる。
 その光景を、微笑ましいとすら思った。
 王は、王となる前から人の上に立つべき才覚を持っていた。
 どれほど上背が高く勇猛果敢な将を前にしても、臆することはなかった。理知的な瞳の奥に燃える火を灯しながら、熱く志を語ったものだった。
 彼の語る夢は、現状の不満を述べたてるだけの世迷言とは違った。若者じみた潔癖症の理想を追い求めているわけでもなかった。掲げた理想に至る道筋までも、彼は具体的に語りきかせて人を納得させることができた。
 封尽様の見上げるほどの体躯を前にしても、その鎧が地に塗れていても、堂々と顔を見て話し、隣に立つことができた。その武勇を横に並べて見劣りがせぬほどの、輝きがあった。
 腕の立つ将を従えるだけの、鋭い頭脳の冴えがあった。
 王が軍を動かすとき、盤上の駒には見えていない数手先が見えていた。
 実際、碁でも将棋でも、王から勝利を勝ち取ることができる人間などほとんどいなかった。忖度して勝利を譲ってやろうと、若輩を侮る老人は大抵痛い目を見た。
 戦に勝利したあとは、彼が国を動かしていくのだと信じて疑わなかった。
 そうして彼は王になり武器の代わりに金印を持つようになっても、その重圧に負けることはなかった。
 国情が落ち着き、血の匂いが大地から拭われた頃にやってきたのが、玉国の子女であった。 
 それ以来、王の入れ込みぶりは、耽溺といってもよかった。
 我々は、それを一時の熱と信じて疑わなかった。
 暮れの月を照らすことがあっても、またすぐに日は東の空から登る。
 しかし夜明けは思ったよりも遠かった。
 それでも、また来年がある。私はそう思っていた。
 国は一朝一夕には整わない。しばらくは民も耐えてくれるだろう。迷走したとて、次の収穫期までに、軌道修正して法を改めて整えればよい。
 時が経てば冷めると思っていた情熱は、徐々に増していった。
 人がいなくなった分は、新しい官を雇い入れればいいと思っていた。しかし、次を雇い入れる前に、別の人間が王宮から消える。どうなったのか、わからない。様々なことが起こっていた。人が消えた分だけ、日々の業務は増える。忙殺されている間に、どこから手をつけたらよいのかわからないくらいに、内政は歪んでいた。
 それでも私も他の大部分の管理も、まだなんとかなると信じていた。
 宕王がいたからだ。
 一見不可能に思えることでも、胸がすくような明快な道を示してくださる。その道筋が見えているから、あんな風に国政を放り出していられるのだ。
 不安を覚えたのは封尽様が国境に追いやられたときだった。辺境を最も信頼できる者に任せるという文脈ではなかった。それならば、直下の部下を取り上げるようなことはしなかっただろう。
 大切なものが、この王宮からは欠けていっている。代わりに、美しい女を中心とした不気味な体制ができあがろうとしていた。
 一体何が起こっているのか調べようとしたが、遅すぎた。人は入れ替わり、最初に仕えていたものはもういなかった。
 王妃の周りでは、よく人が消えた。王妃だけでなく、市井でも何かが起こっているようだった。官吏になってしまった私の代わりに、手足となり目となって調べてくれる人間が、もう王宮内には残っていなかった。
 新しく入ってきた官吏は、先行きに不安を抱いていた。教育をしている時間もなく、忠誠心も質も低かった。
 彼らから見れば、王に古くから仕えていた私もまた不審な人間の一部だろう。
 もはやこれ以上、事態を看過することはできなくなっていた。
「この国の窮状に、目を向けていただく必要があります。それほど気に掛かるようなら、妃には一度都から離れ保養地に赴いていただくのはいかがでしょうか」
 私は、そう進言した。
 気がつけば妃の横顔を追いかけている宕王に、それを伝えるのは簡単なことではなかった。また直言が無礼だということは、わかっていた。それでもあえてせねばいけなかった。
 王は、部下の言を疎かにする方ではない。
 彼は振り向き、垂玉の向こうの目を見た。
 そこにかつて見た志の火はない。憎しみと嫌悪の情が私を射抜き、そこでようやく夢から覚めた。
 一体いつからだったのか。
 私はいつからか、彼の語る志を聞いていなかった。昕やと語りかける声の甘さばかりを聞いていたのだ。
 その目を覗き込んだことはなかった。いつしか、彼は昕妃の横顔ばかりをおいかけていたから。
 私は気がつけば、燃え尽きた炭を温もりと思って凍える家にいた。
 手入れを怠り錆びた刃が、かつての切れ味を保ったままだと信じて疑わず、内政がどれだけ傾いても、快刀乱麻の解決を期待していた。
 奇跡はない。
 しかし、幸いであった。あの人が国を滅ぼすところを、私は見なくて済む。これ以上、王を恨まずに済むのだ。