時は一月、真っ只中。冷たい風は外で踊り、枯葉も姿を消した寒い冬の放課後。窓から陽だまりのお裾分けを残す準備室では、今日も二人が――生徒のエフェメラと、教師であるラレンティウスが他愛もない会話を交わしていた。
点けたばかりのストーブもようやく空気を暖め始めたところで、エフェメラは少し頬を赤らめつつ緊張を含ませ“ある質問”をする。
「先生はさ、バレンタインはどうだった? 思い出とか」
「……バレンタインの、思い出?」
エフェメラがこのような質問をした理由はもちろん、二月の一大イベントのためである。乙女の嗜み――いや“恋の戦い”、その勝利へと至るための情報収集であり、これは布石なのだ。「好みが聞けたらいいな」という希望、そして何より「意識してますよ」というアピール。両方を兼ね備えた恐るべき策なのである。
きょとんとするラレンティウスを前に、エフェメラはというと、胸をドキドキとさせて次の言葉を待つ。果たして彼女の策は、彼に響くだろうか。
過去の記憶を辿り悩むラレンティウスだったが、ふと何か思い当たるような素振りを見せて答える。
「ああ、そういえば……友人から写真を貰ったことはあるな。それがとても良い写真で」
『友人』とは。先生の言葉が途中から耳に入らず、エフェメラは固まってしまった。しかしかろうじて意識を戻すと、どうやら先生には年に数回会うか会わないかという親しい友人がいるらしい。
友人について話す姿はとても嬉しそうで……これはもしかするとライバルではなかろうかとエフェメラは察知し、内心、頬を膨らませる。
まあラレンティウス先生は誰にだって優しいし、親しい友人がいるのは当たり前だし。だけど年に数回だからといって侮れない、バレンタインデーに写真を送るのは正直、なんだかちょっと大人っぽい雰囲気があるような気もしないでもない。
――しかし友人が送るものだろうか。そもそも“良い写真”って、どんなものだろう。
ぐるぐると思いを巡らせるエフェメラであったが、そんな彼女の心境などよそに、ラレンティウスはというとスマホのカメラロールを滑らせて写真を探している。折角だから見せてくれるらしい。
何はともあれ、写真を見ないことには始まらない。こうなったら心の準備をしておいて、待ち構えるほかないだろう。
そうして気を持ち直したエフェメラは、机の上で組んだ両腕に顎を乗せ、少し下から覗き込むようにラレンティウスの横顔を眺めてみる。うきうきとした気持ちを隠すことなく、そのうち鼻歌でも始めそうなその姿は普段あまり見ない……というより初めて見るかもしれない表情だ。
新しい一面に、エフェメラは思わず嬉しくなってしまう。これも例の友人のせいであることにまあまあな嫉妬と、ちょっとの感謝を、彼女は念じて送ることにした。なおもスマホと向き合う先生に視線を送りながら、ニヤけて崩れてしまいそうになる自分の顔を咄嗟に腕で隠す。
足をぶらぶらとさせながら、写真を待ちぼうけ。ストーブの火は静かに燃えて、気づけば空気はすっかり暖かい。部活動に勤しむ生徒達の声が、遠くから聞こえてくる。
何も話さなくても幸せで、こうして二人、一緒にいられる時間はまるでスポットライトのようだ。外はまだ明るいけれど、エフェメラにとってこの光景はとても眩しく、胸が躍るひとときであった。
――けれどこの瞬間も、いつか終わってしまうのかな。
エフェメラの身に隙間風のような寂しさが急に込み上げてきて、浮ついていた心がふらり着地する。気づけば僅かに日も傾き始め、夕暮れの寒さが少しばかり窓越しへ忍び寄って来ていた。
スポットライトは次第に暗くなって、舞台というものは幕を閉じる。先生の隣に居られるのは「私が一人の生徒だから」だと、彼女は今の日々を思い返して目を伏せる。卒業したら先生の友人のように、たまに会う事すら叶わないかもしれない。
「また明日」と、教室の外から友人同士が下校する声が聞こえる。その言葉にエフェメラの胸は締めつけられて、ラレンティウスとの放課後がいつまでも終わらないでほしいと静かに願った。
心の準備もままならず、ひとりもやもやしている内に「あったあった、これだ」というラレンティウスの声。ついに写真を見つけてしまったようだ。
見たくない、見たい……気持ちはやっぱりふらふら揺れて。けれども先生のニコニコとした顔を見てしまっては、エフェメラにとって“見ない”という選択肢はまず消えてしまうものだ。
……しかしよく考えてみると、いっそ友人とやらの顔を覚えておけば、いざ間に立ってディフェンスできるかもしれない。彼女は「我ながら良い閃きだ」と自画自賛することで気持ちを押すと、覚悟を決めて写真へ臨む。
そうだ、まだ終わっちゃいない。諦められるはずもない。
エフェメラはラレンティウスの隣へ身体がくっつくぐらいに移動し、差し出されたスマホを恐る恐る覗き込んだ。果たしてそこに写るものとは。
――それは、滝を背景にふんどし一丁の男。右の拳を天に掲げ、良い笑顔でそこにいた。
写真には『ハッピーふんどしデー!』と指で書いたであろう文字が踊っている。
「2月14日は『ふんどしの日』らしい。友人が教えてくれたんだ」
もやもやなんて全く杞憂だった。友人が愉快なタイプであることにほっと胸を撫で下ろしながら、けれど想像の斜め向こう側の“良い写真”にエフェメラは思わず笑ってしまう。
「うん、確かに良い写真だね。でも……」
「ん?」
「女子に説明もなく見せるのは、ちょっとどうかなあ」
あっと気づいたラレンティウスは一言謝ると、頭を掻きながら申し訳なさそうに慌てる。その様子に、いつもの調子で彼女は「大丈夫、本当は全然気にしてないからさ」と応えて、写真を見せてくれた感謝を伝えた。
放課後はもうすぐ終わる。それでもいいかもしれないと、エフェメラは寂しさを受け止めた。願うだけで時間は止まらないし、テストの点数が上がる訳ではない事くらい知っているのだから。
舞台袖に降りるのは、まだ先の話。彼の隣を歩くため、自分のできる事を探していきたい。となれば、やっぱり“生徒”ではなくて――エフェメラは、心新たに誓いを抱く。
この時間もラレンティウスの姿も、そっと心に焼きつけて、彼女は「また明日」を待ち望む。今はただ、陽だまりに想いを温めて。
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