第一回BLかるたssチャレンジ 001「オーブントースター」002「窓」03「階段」

2024年末開催 #lplp第一回BLかるたssチャレンジ


002 窓


 会社で倒れたことがある。繁忙期でもない、過労を極めていたなんてこともなかったと思う。午後にさあもうひとふんばり、あと一仕事だという作業にとりかかる前に、資料室などがある階の突き当たりの休憩スペースの自販機コーナーへとことこ飲み物を買いにいったところで、どれにするか考えていると急に眠くなり、そのまま意識が途絶え倒れたらしい。……らしい、というのは本人的には急に眠くなったあと記憶がないから、のちに人づてで聞いたのを、たぶんそうなったのだろうというしかない。
 いっとき、僕、葉山はやま晶七あきなは地味に行方不明になっていたようだ。休憩スペースの端っこの細いソファと壁の隙間にはさまって倒れていて、しばらく気づかれなかった。
 外出していないはずの僕の姿が見えないのを不審がった同僚が探してくれて、ソファの陰で地味にはさまっている僕を発見して、そのまま抱えて、救護室へ運んでくれたそうだ。
 そして、なにかあるといけないから、と救急車を呼ばれてしまった。おおげさな、ちょっと恥ずかしい、と意識が戻った後、検査を受けて、点滴を見上げながら思った。
 身体に異常は無くて、ふつうに病院からは歩いて電車に乗ってマンションに帰った。
 その夜には会社からは明日は念のため休めとお達しが出て、いや、休むほどのことではないというか体調は別になんともないのですが……と送った。そして発見してくれた同僚からは「大丈夫か?」みたいな連絡がきていたから、見つけてくれたお礼と帰宅の報告のメッセージを返した。
 仕方なくお達し通り次の日は休んだ。いちおう安静にしていようと僕はごろごろして、これも良い機会だと部屋を片付けたりした。
 そうしたら夕方、まるで風邪を引いた人間を見舞うような荷物(滋養のありそうなもの、果物など)を持って同僚が訪ねてきた。
 ソファと壁の隙間にはさまっていたのを発見してくれた同僚、五十嵐いがらし敦司あつしだった。
 入社時は同じ部署ではなかったが同期の五十嵐はかなり背が高く、さらっとした黒髪で太縁眼鏡をかけて、見るからに真面目そうで実際、真面目で仕事ができる男だった。だが、眼鏡越しでもわかるほどいつも目つきが険しく、日常会話も少ない、無駄なことはほぼ言わない、つまり寡黙なために、周りは五十嵐について威圧感のようなものを覚えるとか怖そうだとか五十嵐不在の飲み会のたびに言うから五十嵐の仕事ぶりを知っている僕は「そんなことはない。五十嵐は言葉数が少ないだけで、気配りがすごくて、仕事のフォローもしっかりしてくれて……」といつも説明した。
 わざわざ見舞い、ありがとう、なんともないのだけど、風邪でもないしと僕はそそくさ帰ろうとする五十嵐を引き留めて、部屋に上げてお茶を出した。
 長い足を折り曲げてやや居心地悪げに座ってお茶を飲む五十嵐は、僕を眼鏡の奥からチラと見て、観察する目つきで「元気なら……よかった」とひとこと話した。
 それから、ななめ隣に座る僕の視線から、顔をそらすように目を部屋の内へやった。
 片付けたあとで、見られて困るような室内ではなかったけど、さてこの部屋は五十嵐の目にどう映るだろうと思った。
「モノが、少ないな」五十嵐はぽつりと言った。
 味気ない部屋ではある、と僕自身、思った。無味乾燥なかんじで、インテリアのひとつもない。三十手前の独身男の部屋なんてこんなもんじゃない、とも思った。これといって趣味もない。
 しかしなにか飾ってもいいかもしれない、と初めて考えながら、五十嵐の部屋がどんなか、知りたくなった。本人が話さないから五十嵐のプライベートは謎だった。
 部屋の写真はないかと五十嵐に訊くと、ないと言う。嘘だ、と僕は思った。
 そして実家の部屋には飛行艇の模型が飾ってあるのを思い出した。
 子どものころ、クリスマスのプレゼントに祖父母からもらった。平たい船に、丸みを帯びた小屋がのっかっていて、なんと小屋のなかの席には乗客のような人形が並んで座っているのが、小屋の側面に付いた窓からのぞくことができる、おもしろい精巧な作りの模型なのだ……と僕が話すのを、五十嵐は興味があるのか無いのかわからない表情で聞いていた。
 五十嵐と二人だといつも僕ばかり話してしまう。
 僕が話しているあいだにお茶を飲み干し、すぐに帰る彼を、もう引き留められなくて、五十嵐のことをひとつも聞けなかった。
 今度、遊びに行ってみたいなと言いたかった。
「そうだな、何か、グリーンでも置くといいかもな」
 僕は思いつきをぼんやり言いつつ、玄関で靴を履く五十嵐を見送る。
 すると、最後、こちらを振り返り、五十嵐はどうにも気がかりだというような顔でそっと手を上げた。
 大きな手がゆるく前髪をかき上げ、優しく額に触られる。その感触に、僕は目をつむってしまった。
 はっとしたように手が離れていった。僕は目を開けた。
 去り際、お大事にという言葉を聞いたような気がした。幻聴で、言われなかったかもしれなかった。
 
 その後、数日経って社員食堂で五十嵐と向かい合って食べていると、いきなり「鉢植えを」と言いだし、僕はなんのことかと思って、五十嵐の顔をじっと見つめた。
 五十嵐は決まり悪そうな、ためらう表情になった。だから、僕は「鉢植えがなに?」と続きを促した。
 先を言いまどう声で五十嵐は「……緑を、欲しいかと」ぼそ、ぼそと話すのをつなぎ合わせると、観葉植物を一個分けてよこす、という話らしかった。グリーンを置こうかという僕の思いつきをずっと気にしてくれたようで、僕は嬉しくなって、「どんなやつ?」と尋ねた。もらっても、枯らしてしまったら悲しいから、手入れをあまりしなくてもいいようなやつができれば良いのだが……と僕が注文をつけると五十嵐は然りというふうにうなずき「――窓辺に置いてくれたらそれでいい」と言った。

 休日に、五十嵐は部屋に来て、大事そうに持ってきた荷物、小さい鉢植えをテーブルに出した。鉢植えは重いだろうから、取りに行くと言ったのに、断られてしまった。
 僕は細い枝に緑の艶やかな葉が綺麗に広がった観葉植物を眺めてから、五十嵐を見て、素敵なものをありがとうと言った。
 五十嵐は困ったように微妙に口元を歪めて、眼鏡の奥で目をどこかへやり「……まあ、そこまで……こんなものでも」と、らしくなくもごもごと何か言った。照れているんだろうか、と僕は思った。
 言われたとおり、窓辺に置いた。
 ベッドに近い窓の手前に、腰の高さのチェストがあり、そのサイズを置くのにぴったりのスペースだった。
 じつは日頃、億劫でその窓のカーテンを開けなかったりすることも多かったのだが、これからは毎日ちゃんと開けようと思った。
 それから、まだはやいけど夕飯を、駅前で食べようと僕は誘った。五十嵐のことを聞きたかった。そうして部屋を出る際、玄関で靴を履くのを見守るような無言の時間が過ぎて、近い距離で見つめ合ったら、また大きな手がゆっくり僕の前髪を上げ、額に沿った。感触に目をつむる。今度は慌てる気配無く何か確認するみたいな間があってから、手は離れていった。僕は目を開け、玄関を出て歩くなか前髪を少し梳いた。一歩遅く後ろに徒いて歩いて、五十嵐の手のひらの感触を思い出すように自分の額に指先で触れる。
 
 ベッドで、起きたら、五十嵐からもらった鉢植えが見えるから、カーテンを開ける。窓から光が射しこむと、緑の大振りの葉がきらきらと眩しく反射する。天気の良くない日はけっこう残念に思う。

 しかしあの日、フロアの壁と細いソファにはさまって倒れていた僕を、どうしてすぐに発見してくれたんだろう。身体ごとソファの陰に落ちて、誰の目にも気づくのに時間がかかりそうだったらしいのに。
 あれから二人きりになったとき、ふいに無言で見つめ合うと、確かめるように五十嵐の手に額を触れられて、その瞬間が心地良くて僕は特別、五十嵐を意識するようになってしまった。
 今日は五十嵐が来るわけではないけど、なんとはなしに窓から外をのぞく。建物と道の向こう、駅へ曲がる角がわずかに見える。