urifuji
2022-01-11 15:40:56
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鬼哭村、料理に関する津々浦々② ~春:真心の八杯豆腐~

双子の料理珍道中その2です。今回は御神槌さん。
時期的には「理想のマリア」の後ぐらいの話ですが、これ単体でも全然問題ありません。
キリシタンなら隠れる為山間で暮らしていたのではないかとの思いがあり、御神槌は今までずっと山間に住んでいたというオリジナル?設定があります。

【豆腐:煮た大豆のしぼり汁を凝固剤によって固めた加工食品。庶民に大人気で、豆腐料理のみの料理本が発行されたほど。江戸時代は木綿豆腐が一般的であり一丁21×18×6㎝程(現代よりも5倍の大きさ)の大きさで販売されていた】


 仲間と鬼岩窟で鍛錬後、外に出ると空は落陽で赤く染まっていた。
 随分と長く籠っていたものだ。
 驚きを隠そうともせずに空を見上げていると近くにいた奥継に「早く帰ろうぜ」とせっつかれる。この声に軽く頷き歩き始めると何処からか慌てた様子で声がかかった。後ろを振り向くと御神槌が駆け寄る所であり、龍斗の元に来ると膝に手を置き呼吸を整えている。
 なにやら至急の用事のようである。
 彼が呼吸を整えている間に目線をあげると、声を掛けた奥継はさっさと歩きだしており今では手の届かない位置にいた。なんていう非情な奴。半目にして彼を軽く睨んでから、息の整ったらしい御神槌に声を掛けた。

「どうした、御神槌」
「あの、先程はありがとうございました」

 顔を上げた御神槌の服は土埃で汚れており、疲れ果てた表情からも鬼岩窟での激しい戦いがあった事を証明している。しかし疲労感を感じさせる風貌とは裏腹に、息を整え凛とした声を上げた後は龍斗に向かって深々と頭を下げた。

「先程?」
「危なかったところを助けてくれたのではありませんか。恐らく鈴菜さんも、だと思いますが」
……ああ、あのことか」

 彼の突然の言葉に一瞬合点がいかなかった龍斗であったが、話を聴くうちに言いたいことが理解できた。戦いの終盤、足元のふらついた御神槌を狙って敵が襲いかかる場面が確かにあった。
 その時は周囲に誰もおらず、一番近くにいた龍斗が真っ先に駆けつけた。鋭い爪が御神槌に迫り、鈍色の光を滲ませた凶器が彼の柔肌を斬りつけようとしたその瞬間。龍斗の中から弾丸如く飛び出した鈴菜が鎌鼬の如く敵の爪を弾き返し、追いついた龍斗が一瞬にして敵を葬った、と記憶している。全てが終わった際周りをみると仲間みな疲労困憊の表情をしており、その件もあって今日はお開きにする事になったのだが。
 龍斗は目の前に立っている御神槌を見つめた。先の件を大層気しているのかどことなく落ち込んでいる様子である。

「俺らが勝手にしたことだ。気に病むな。それよりもさっさと早く帰って休もうぜ。お前も疲れただろう」

 御神槌の言いたいことをなんとなく察したがそれ以上は聞き出さず早々に話を切り上げる。が、その言葉を聞いた御神槌は瞬時に顔を曇らせ、歩き出す龍斗に速足で追いかけ彼に食い下がった。

「しかし以前も同じ様に助けていただきました。流石にこれ以上何もしないのは……。なにかお礼を」
「こういうのはお互い様だろ。お前がもっと強くなった時、周りを助けてくれたらそれでいい」
「ですがそれでは貴方達に対して私は何もできないのではありませんか。何か、私に出来る事とか。何でもしますから」
「いいって、いいって。お前が強くなればもっと戦いは楽になるし、結局は巡り巡って俺に返ってくる。仲間なんだからそんなに気にするなって」
……しかし、それでは私の気が……

 必死に彼に訴えるが何を言っても受け取ろうとしない龍斗に次第に項垂れる御神槌。俯いていく彼を見届けた後、龍斗は茜空を見上げながら心の中で長嘆した。
 御神槌は真面目だ。そして柔和な雰囲気とは違い内面はとても頑固である。
 人が傷つく事も人を傷つける事も我が身の痛みとして感じてしまう気質から、他者に何かをしてもらう事に申し訳なさがあるのだろう。そのため何かを返したいと願う気持ちは分からないでもないが、龍斗的には先ほどの言葉は嘘偽りのない思いだ。
 何せこちらは二度目の人生である。
 周りと違ってレベルが段違いに高いのは致し方がない。今まで培ってきた経験値がそもそも違うのだから。
 今でさえ恐ろしい強さを誇る龍斗だが、以前は龍斗だって仲間達に頻繁に助けてもらっていた。菩薩様とかシスターとか相棒とか諸々の仲間たちに。鬼道衆の皆ももっと経験値を積めば自分と同様、もしくはそれ以上の強さになるだろう事は戦いぶりや気迫で理解できる龍斗は、今は仕方がないと思って諦めてくれないかなあと彼を見つめる。が、彼の落胆ぶりを見ていると今それを求めるのは難しそうである。
 龍斗としても彼の思いを汲んでやりたい。しかし本当に困っていないのが実情である。なにせこの村の人達は日頃から優しくて、龍斗が困っていると直ぐに手伝いをしてくれるため早々に問題解決してしまう事が多いのだから。……何故か時々彼の様な必死さで同じ様に聞いてくる時があるけれど。

「して欲しいこと、して欲しいこと、ねぇ……。何かあったかなぁ」

 腕を組み何とか自身の望みを考えだす龍斗とその様子を真剣に見つめる御神槌。
 暫く、う〜んう〜んと頭を捻らせていたが、「あっ」と声を上げ、何かを思いついた後は捻っていた体をピタッと止めた。そしてゆっくりと御神槌の方に向き、真剣に顔を見つめる。何かを思いついた様な龍斗の様子に、御神槌は期待する心を隠さずに尋ねた。

「何か思いつきましたか?」
……御神槌、何でもしてくれるのか?」
「っ!はい!」

 龍斗の質問に嬉しそうに声を上げる御神槌。

「ほ ん と う に、何でもしていいのか?」
「え?は、はい……
「何があっても後悔はしないな?マジでいいんだな」
……はい、そのつもりです、が……

 が、喜びも一瞬の間、龍斗の何度も念押しをする言葉と感情を取っ払った表情に圧倒され御神槌の勢いは次第に尻ずぼみになっていく。
 言質を取ったと言わんばかりの龍斗は深く頷くと「なら、悪ぃが付き合ってもらおうか。明日、忘れるなよ」と言葉を残し歩き出した。途方に暮れる御神槌を置き去りにして。先に歩く龍斗は結局最後まで彼を振り返ることなく、足取り軽く屋敷に戻っていったのだった。
 一方。
 置いてかれた御神槌はというと、ポツンと一人きり双羅山の山道で佇むことしかできなかった。夕暮れ時から日没へ変化し、御神槌の気持ちを表すように周囲は薄暗くなっていく。
 何かとんでもない約束をしたのではないかと後悔をする御神槌の背に一部始終をみていた烏は慰める様に一鳴きした。






 次の日。
 ごりごりごり……

……龍斗さん」
「何だ、御神槌。二言はないんだろう」

 戸惑いを隠さない御神槌の声が部屋に響く。しかしそれを咎めるように龍斗が静止した。

 パチパチパチ……

「いや、そうなのですが、あの……
「嫌なら目をつぶっていれば終わるから。我慢してくれ」

 困惑を封じ込める様な彼の対応に、それでも御神槌はあきらめず声を掛かた。どうしても無視できない理由が目の前にある。

 ボコッボコボコ……
 トントントン……

「それは大丈夫ですが……
「危ないことは何もない。大丈夫だ」

 御神槌の困惑した眼差しが龍斗に向けられるが、そんな彼を収める様に龍斗は優しく声を掛けた。労いが混じった温和な声だが、そんな彼を振り払うように御神槌は声を上げる。

「しかし、しかしですね」
「何だ?」
「あの、今、私の家では何が起こっているのですか?」

 先程から御神槌が見つめる先にはすりこぎが宙に浮き、すり鉢で何かを潰している。すりこぎは暫くその動作を繰り返していたが、そのうち鍋の中にすり鉢の汁ごと投入された。その後再度すり鉢に何かを入れた後は、先程と同じ様にすりこぎを素早く回している。
 パチンと竈の中の火が爆ぜた。その音を遠くで聞きながら龍斗は困った様に頬を掻き呟く。

……まあ、分かんねぇよなあ。今、鈴菜が料理してるんだよ」







 何をやらされるかそわそわしていた御神槌に龍斗が声を掛けたのは朝礼後。桶を抱えて龍斗が礼拝堂にやって来たのは夕暮れ近く。
 来て早々台所を借りていいかと聞かれたため、彼の願いはこれかと安堵して了承すると御神槌を引きずってきたのは何故か那智滝。訳の分からぬまま龍斗と共に水を汲んで必死に桶を担ぎ礼拝堂へ戻ると、息を切らせた御神槌を出迎えたのは空中に浮かんでいる木杓子だった。
 そう、木杓子である。
 料理の時に御神槌もよく使用している木杓子。御神槌愛用の木杓子である。
 何度も目を瞬きさせても、何度目を擦ってもやはり料理の時に使用している木杓子である。何せ持ち手部分が少し焦げており、使い込まれた様子から考えても彼が使っていたものに間違いない。毎日使っている菜箸も同じ様に浮かんでいる。

…………え、っと……?」

 もしかして長年使用している間に付喪神が宿り、生命が生まれたのか?と神父ならざる考えをしてしまう御神槌は絶賛現実逃避真っ最中である。物事を多方面から考え、色々な事を受け入れようとする御神槌であっても流石に目の前で起きている不可思議現象はすぐには理解できない。
 しかし御神槌の動揺を尻目にその木杓子は彼の方を向くと(どれが正面か分からないが、菜箸と木杓子の方向から向いたように感じた)菜箸と木杓子を×(バツ)にかけ合わせる。急にこちらに意識を向けた料理道具達にビクッと肩が一瞬揺れる御神槌だったが、こんこんこんこんと四回目音を立てるとすっと離れていく。彼等?の向かう方向を見つめているとそのまま木杓子達は炊事場の方に姿を消していった。
 暫く呆然とその場で立ち竦む御神槌。

……何が、……一体?」
「お帰り、だってよ」

 我が家の異常事態を理解できぬまま独り言を呟くと、思いもよらない場所、自分の耳元あたりから低い声が聞こえ思わず飛び上がる。勢いよく後ろを振り向くと何事もないような顔をした龍斗が立っていた。

「っ!た、龍斗さんでしたか。……流石に驚きました」

 奥継が「お前は忍者か?」と称するように、武道家であるのにも関わらず龍斗は足音がとても小さい。その上気配を消すのも上手いため気づかない内に傍で立っている事がある。本人無自覚で行ってしまう様子だが村人は勿論、仲間達何人かも今の御神槌のように驚かされてしまう事があった。特に、こんな異常状況下ではより強く。
 御神槌は未だに跳ねる心臓を落ち着かせようと胸に手をおき、深呼吸を繰り返す。未だ入り口で立っている龍斗は訳が分からないようで顔を小さく傾けているが。

「よく分からんが……、すまん?」
「いえ、謝る事では。龍斗さん、あの、さっきのは?」
「迎えたかったんだろうぜ。まあ驚かせちまったけどよ。お前はこっち。ここに座って待ってろ」
「え?あ、はぁ……

 龍斗に腕を引かれて御神槌は土間の横にある部屋に誘導される。そして暫く目の前の光景を見つめていたが、何も言わない龍斗に御神槌は我慢できず、上記の会話に至る。

「まあ、それはなんとなく分かりますが、一体どうして?」
「ただ単純に料理をするのが好きなんだよ、あいつ。だけどあんななりだろ?なかなかできなくて。以前も了承を得た上で台所を借りた事があるんだが、たまたま来た近所の人にちょうど今の様な現場を見られてな。叫ばれ弁解もできず逃げられた上、しばらくあの寺には幽霊がいると噂になったことがあって……。それからはあんまりしないように控えているんだ。あの時は周りへの申し訳無さが半端なかった……

 龍泉組の時にあった幽霊騒動を思い出し、龍斗は遠い目になる。
 あの時雄慶は村人に泣きながら縋られるわ、葛乃は札を持ちながら苦笑いで寺に来るわ、小鈴や藍はあの寺に関わるなと家人に言われ通いにくくなったやらで割と大きな騒動になったのだ。龍斗のそんな姿をみてなんとなく現場が想像できた御神槌は痛ましい目を向けた。

……そう、でしょうね」

 もう一度目の前の光景を見つめる。
 あれから何度かに分けてすり鉢を中身を鍋に注いだようで、全て擦り潰した後はゆっくりと鍋の中身をかき混ぜていた。時々回している杓子を止めて近くある包丁を持ち、まな板の上で人参を切っている。
 不思議な光景であるが包丁の小気味いい音を聞いていると姿は見えないけれど彼女が楽しそうに料理をしているだろう事は想像できた。そしてふと、御神槌は自分の心が穏やかになっている事に気が付く。
 そうだ、以前の村でも教会で信者が集まったり行事があるとみんなで料理を作っていた。こんな風に皆、楽しそうに料理をしたり、持ち寄ってきた料理を教え合ったり。
 ……今では心を支える為に礼拝堂に来ることはあっても、楽しく集まる事はなくなってしまったけれど。

「かといって俺ごしだと何か勝手が違ってやり辛いみたいだし、俺自体も予定があるからなかなか自由に出来んしな。まあ、あれでも何かと我慢してるから、たまには好きな事をやらせてやりたいんだよ。
 なあ御神槌。時々でいいからこんな風に場所を貸してくれないか?俺がきちんと監督するから」

 龍斗の言葉が不意に聞こえてきて、自分が考えこんでいた事に気が付いた御神槌は顔を上げる。照れたように話す龍斗の顔を見て、何かと不自由を強いられる彼女の為に何かをしてあげたいと思う気持ちは痛い程よく分かった。彼の提案は御神槌にとっても願ってもない事である。

「私は大丈夫ですよ。しかし、そういう理由なら先に行ってくれれば……
「「お前の教会、おっ化けや〜しき!」と子供に馬鹿にされるかもしれなくても?「神父様、この教会悪霊がいますよ!」と信者に泣きつかれてもそういえるのか?」
「そういう経験をされたんですね。……姿が見えないだけで彼女は悪い存在じゃないですよ、何も知らない方々はもしかしてそう思うかもしれませんが。けれどこの村では鈴菜さんの存在は知られ始めていますし、居場所がわかればもう少し対応が違う対応が出来るのではないでしょうか?」

 姿まではいかないが、せめて彼女の居場所だけでも知りたい、と御神槌は思う。

「居場所ねぇ?存在を感知できない奴を周りに知ってもらう方法か……
「はい。例えば何かを身につけるとか」
……あんな風にか?」

 二人して同じ動作で炊事場を見つめる。
 目線の先にはさらしが宙に浮いていた。ザルの上にそっとさらしが置かれたのを見届けると二人の周囲には何とも言えない静寂が包み込んでいた。

……物を持つのではなく肌に身につけるものを増やしましょうか」
……そうだな」

 鍋から泡を取り除かれている光景をみて、両者は深く頷く。ふと、何かを思い出したように龍斗が続けた。

……そういえば話は変わるが、お前最近よく鬼岩窟に行くよな。なにか理由があるのか?」
「私が通うのはおかしいですか?確かに私は皆さんの様に強くはありませんが……
「いやいやそういう意味じゃなくて。お前、戦うのは嫌いだろ。なのに最近はよく一緒に鍛錬している気がしてな。何かあったのか?」

 御神槌の肩が軽く揺れる。最近連日の様に鬼岩窟に通っている事を龍斗は気が付いていたのだ。まあ、通い詰めている仲間の中に龍斗が必ず入っていた為いつか聞かれるとは思っていのだけれど。

……ただ守ってもらうだけでは嫌なんですよ」
「何言ってるんだ。お前はそんなに弱くないだろ」
「弱くない、のでは駄目なんです。置いていかれない為にはもっと強くならなくては」
……?」
「ふふ、きっと貴方達には分からないかもしれませんね」

 誰よりも強く、誰よりも先を見据えている彼等には自分の気持ちは想像できないだろうと御神槌は笑ったが、予想に反して龍斗は困った顔を浮かべた。そして静かに俯き何かを呟く。

……そうでも、ないさ」
「なにか言いました?」

 声が小さく聞こえなかった為彼に問かけるが、顔を上げた龍斗は先ほど困惑を忘れたように「いいや?」と笑った。彼の様子からこれ以上聞いても答えてはくれないだろうと判断した御神槌は軽く肩を上げ、気を取り直して会話を続ける。

……そうですか。あとは単純に、金子が入用なんですよ」
「ん?なにか教会や教育で足りないものがあるのか?だったら俺も手伝うしなんなら天戒に直接交渉するが……

 御神槌は性格なのか神父故なのか分からないが物欲というものが薄い。そのため何かを欲しがることはあまりしないのだが、その御神槌から金子が必要だという予想だにしない言葉に驚き、興味を示した龍斗は前のめりになって彼の話を聞き出す。彼の事だから教育の事で何か必要なものがあるのかと思い手伝いを提案するが、龍斗の言葉に驚いた御神槌は首と両手を振り、慌てた様子で彼の予想を否定した。

「いえ、あの違います。私用で欲しいものなので」

 その言葉に龍斗はますます驚きをもって目を開く。

「お前が?珍しいな。だが何度も大分潜ってるだろ?もう貯まってきたんじゃないのか?」
「それが少し値の張るものだと思うので、まだまだかなと」
「へぇ、ますます珍しいな。なんだ、宗教関係のものか?武器じゃねえだろうけど」

 何かを欲しがらない彼がどんなものを欲しがるのか、さらに興味を惹かれた龍斗はいよいよ彼に詰め寄るが御神槌は口元に指を一つ当て、微笑みを携えるながら楽しそうに答えた。

「ふふ、それは秘密ですよ」
「そういうふうに言われると逆に気になるな……ってなんだ、ああ、手伝えってか。分かったよ」

 さらに食い下がろうとする龍斗だったが、何かに気づいた様子で視線を炊事場の方に移動させた。軽く頷き何かを確認した様子の龍斗は会話を中断して立ち上がり、御神槌に軽く会釈をしてから空中に浮いている杓子の方に向かって歩みはじめる。龍斗の様子から鈴菜が何か手伝い事を頼んだ様だった。
 こういう時、御神槌は彼等の会話を聞くことが出来ない事実を歯がゆく思う。きっとここにいるのが風祭なら目の前の状況を把握し行動できるだろう。御神槌はそれは出来ないし、きっと今後も出来る可能性は低い、と思う。……正直悔しい気持ちはあるけれど。
 しかし、それでも出来ることはあるはずだ。
 今は姿が見えなくとも。今は声が聴けなくても。
 あの時、あの瞬間に彼女の存在を確かに捉え、この胸に刻み込んだのだから。

「私も何か手伝いましょうか?」

 居ても立っても居られず、御神槌は颯爽と立ち上がり同じ様に竈に近づいた。鍋の両端を持ち上げようとしているところを見ると、さらしの置かれているざるの中に鍋を移し替えたい様である。

「いやなに、大丈夫だよ。逆に跳ねてやけどするかもしれないから近づかないほうがいいぞ。……はいはい、俺も気を付けるよ。そんなに心配するなって。お前も大概心配性だなぁ」
「やけど?一体何を……
「これだよこれ」

 龍斗が鍋の中身を指でさす。今はさほど感じないが擦り潰している時大豆独特の青臭さを感じた。この匂いから考えるにきっとこれはあれだろう。

……豆乳ですか?」
「正解だ。ってことで今日の料理は分かるか?」
「そうですね。豆乳とおからの煮物、というところでしょうか?」
「半分正解。豆乳じゃなくて、豆腐だよ。今日は八杯豆腐つくりたいんだってよ。美味いしそろそろ時期的にもいいだろ?」

 龍斗はあっけらかんと答えるが、その答えにぎょっとしたのは御神槌の方だ。

「えっ!豆腐⁉しかし豆腐にはたしか『にがり』が必要でしょう?にがり、なんてどこで……
「流石に詳しいな。にがりなんてあるだろ、どこにでも」
「どこにでもって…………そういえば少し前、二日ばかり村に帰らなかった日がありましたね。まさかと思いますが、そこで海まで行って買ったのですか?」

 御神槌が驚いているのには理由がある。豆腐を作るのに必須であるにがりは大きな鍋の中に海水を入れ、何時間もかけて濃縮させてようやくできる、名の通り苦い水の事だ。副産物として塩も出来るが、少なくとも鬼哭村の様な山奥で手に入る代物ではない。
 任務の途中で買いに行ったのだろうかと確認すると、龍斗は歯を見せる位口を大きく開けて楽しそうに笑った。

「大~正解っ!さすが御神槌、物分かりがいいな。だけど残念、買ってねえよ。どこで売っているかなんて知らねえし。俺達が作ったんだ」
「えっ⁉もしかして、数日前に村に塩を担いできたのは」
「だって塩もあると便利だろ?今日も持ってきてるけど、え?欲しい?ほらよ」
「いや確かにあると助かりますが。あ、有難うございます。いやいやそうではなくて、にがりを作るまでに大分時間が掛かるでしょう?わざわざそれを作ってまでここで豆腐を作らなくても。江戸まで行けば四文屋(屋台の飯屋)で手軽に食べられるではありませんか」

 江戸に行けば豆腐はありとあらゆる場所で食べられている様で、江戸庶民の味だと聞いた事がある。江戸に行きにくい御神槌としては実感しにくく、山暮らしが長い事も相まってなかなかお目にかからない代物だけれど。
 しかし、それは御神槌だからの話だ。
 彼等はいつだって江戸に行ける。というか任務で頻回に行っている位なので、任務ついでに食べてくる事だって出来るはずだ。わざわざ半日以上かけて海に行き、同じ位の時間を費やしてまでにがりを作って、重い塩を半日以上かけて持ち歩く必要なんて何一つ。

「何いってんだよ、俺が食べても仕方がないだろうが。お前が江戸にいけないからもしかして豆腐食べた事がないかもしれないって鈴菜が痛ってぇ!馬鹿、何するんだっ‼」
「え?」

 龍斗が話していると突然前につんのめった。まるで誰かに叩かれた様な速さであり、頭を庇いながら後ろに向かって苦情を言っているの聞くと大方鈴菜が彼に何かしらの攻撃でもしたのだろう。
 しかしそんな光景も目に入らない位、御神槌は信じられない気持ちで溢れていた。
 もしかして。もしかすると。
 彼等は、彼女は、自分の為に豆腐を作ろうとしているのではないか。
 何刻も自分の時間を費やしてまで、容易に江戸に行けない自分の為に?
 御神槌は胸の奥から湧き上がる暖かい感情が顔中に溢れそうになり、静かに俯いた。今、自分が帽子を被っている事をこれ以上に無いぐらいに感謝する。
 知らないのだろう、目の前に居るこの人たちは。
 どうしようもないといって諦める気持ちを、変えられない事実に寂しさを抱きながらも蓋をする気持ちを、そっと拾い上げて寄り添ってくれる事がどれ程嬉しいか。それを何でもないかの様に、それこそ当たり前の様に行うのだから本当にどうしようもない。
 本当に、……この人たちは。

「ああ?……ああ、そっか。俺が悪かったよ。だからそんなに怒るなって、悪ぃ、機嫌直してくれよ。……ああ、分かった分かった。とりあえず何だ。御神槌、お前はそこで見てくれたらいいから」

 困った様に龍斗はこちらに振り向き御神槌にそう話すが、だからと言っておいそれと休むわけにはいかない。理由を知ったからには、ただそこで座っているという選択肢は彼の中で無くなったのだから。

「いえ、やはり手伝わせてください。こう見えても、それなりに料理は出来るつもりです。何を行いましょうか?」
「いや、安心しろ。外見から出来る男だろお前は」
……誉め言葉だと受け取りましょう。ではここにいれたものを絞って分ければいいのですね?」
「マジで手伝うのか。ああっ、しょうがねえっ。……結局、何から何まで世話になるな」
「先ほども言ったでしょう?龍斗さん、私は守ってもらう事も、やってもらうばかりも嫌なんですよ。同じように役に立ちたいのです」

 御神槌がにっこりと笑うと、龍斗は何も言うことが出来ず軽くため息を吐いた。反り上げて短くなったうなじに触れるとじょりじょりとした捻髪音が響き、呆れたような困ったような顔を浮かべた後は未だ微笑んでいる御神槌をみて苦笑する。

「お前は十分、役に立ってると思うんだかなあ」
「そう言って頂けるのはありがたいですけどね」
「やれやれ。じゃあ、やるか。少し、離れてくれ」
「分かりました」

 鍋の片方を龍斗が、反対側を鈴菜が持っている様でゆっくりと笊に投入を流しいれる。全てを流し終えた後御神槌はさらしの両端をもって真ん中に寄せ、宙に浮いていた杓子を戸惑いながらも受け取り、そのまま笊に押し付けながら豆乳を絞り出した。
 暫くそうしているとおからと豆乳は完全に2つに分けられ、豆乳は再度鍋に入れられ、おからはさらしごと近くの桶に置かれた。先に豆腐を作るようで、机の上にある荷物から竹筒を掴み持ってきた龍斗は鍋の近くまで来ると突然宙に差し出した。御神槌は自分に差し出されたのかが分からず受け取ろうかと悩んでいたが、悩んでいる内に竹筒は軽く揺れ、そのまま蓋が外れる。どうやら御神槌のすぐ隣に鈴菜はいるらしい。

「なんせ久しぶりに作るからな。豆腐屋のおっちゃんにもう一度作り方を聞いたとはいえ、果たしで何処までうまく出来るものなのか……。うん、そうだな。美味くできなかったらごめんね、だそうだ」
「大丈夫ですよ」
「不味かったらたっちゃんに押し付ければいいからって、おいっ!」
「いえ、最後までいただきます。貴方達が作ってくれたものならなんだって」

 どんなものが出来ようとも、余すことなく食べる決意を嘘偽りのない気持ちで伝えるが、その言葉を聞いた途端龍斗は苦い顔をして目線を隣に映した。なにやら神妙な顔で頷き、御神槌に向かって肩に手を置く。

「まず俺が味見する。お前は俺がいいというまで食べるなよ。最悪おからと漬物で勘弁してもらうことにする。……うん、そうだよな。腹を壊すかもしれないからやめろ、だとよ。俺もそう思う」
「何故そうなるのですか」

 決意表明をしたが故にまさか食べれる可能性が低くなるとは思わなかった御神槌は目線で抗議するが龍斗は悲しい顔で首を振るのみ。多分『悲』を選択しているのだろう。どうせなら『喜』や『同』、または『愛』を打ち込んでもらえると嬉しかった御神槌は静かに肩を落とした。

「まあ、ここまでにして。にがりをいれるとすぐに固まって豆腐ができるからな。とりあえず少な目でいってみるか?……そうだな」

 竹筒から匙ににがりを入れているが、匙が木であることも関係するのか御神槌には水が入っている様にしか見えない。まじまじとにがりをみた御神槌は感心し声を上げた。

「これがにがりですか?初めて見ました」
「舐めてみろよ。びっくりするぜ」
「えっ……?あ、はい」 

 龍斗の勧めで興味本位のまま小指をちょんちょんと軽く杓子に付けた御神槌はそのまま口に運び舐める。すると瞬間的、というのか爆発的に広がった何とも言えない味に思わずむせ込んだ。
 しょっぱすぎてにがいのか、にがすぎてしょっぱいのか。
 苦みが口の中にいつまでも引きずり、一向に苦みが取れない。純粋に不味い。只々不味い。驚くといった意味が臓物に染み込むように否応なしに理解できた。
 何度も嗚咽の様なむせを繰り返していると、空中に水に入った湯飲みと包み紙が差し出されている事に気がつく。それをありがたく受け取り一気に飲み干すと少し味が薄らいだ気がして、気持ちを吐露するようにゆっくりと息を吐きだした。龍斗の方に視線を向けると労いすら感じる瞳で此方を見ており、視線に気づいた後は苦笑し肩をすくめる。

「びっくりするほどまずいだろ?」
「本当ですね……。にがりという名前は伊達ではない事を実感しました」
「俺も。作っている時に舐めたがあれはやばかった。あ、御神槌。包み紙のそれ、飴だから。早く舐めた方がいいぜ」

 口の中にいつまでも広がり続ける味に流石の御神槌も不快な顔を隠そうともしなかったが、そんな心情を理解できる様子の龍斗は御神槌の持っている包み紙を指さした。彼が話す様にそこには金色のべっ甲飴が入っており、こうなる事を予想して用意してくれたのだろう。何処に居るか分からない彼女にお礼の意味を込めて周囲に頭を下げると、龍斗の隣で杓子が揺れる。彼女は今そこに居るらしい。
 金色の飴を口に入れると優しい甘い味が広がる。甘さで苦みが少し薄れていき、平常心が少しずづ戻ってきた気がした。

「ほら、気を取り直してやるか。えっ、俺の所為?これも体験だろ。ほら前向けって。いつまでもぷんすこしてるなよ。膨れると幼い顔が余計に幼く見えるぞって、おいやめろっ!」

 料理を再開しそうな雰囲気があったが龍斗が余計な一言を言ったせいで襲撃されているらしい。腹部を庇いながら逃げまわる龍斗を見ているといない彼女が見える様で微笑ましさすら感じる。

「本当に貴方達は仲がいいですね」

 笑いながら伝えると動作を止める龍斗。大きなため息を吐いて御神槌にむかってビシッと指さした。

「これを見てそう思うお前の目は相当節穴だと思うぞ」
「そうでしょうか?」
「そうだそうだ。今度桔梗に目を見てもらえ。そしてついでにその開いているのか開いていないか分からない糸目をもう少し見やすいように目ん玉開いてもらえ。……うん?何々、自分だって起きたての人相が極悪人みたいだよって、え、嘘だろ?俺ってそんなに酷い?マジで?」

 自分の頬に手を当て「マジか~」と言いながら摩っている龍斗と揺れる杓子。そうしている間に鍋に入っている豆乳は少しずつ温まっており湯葉が出来始めていた。よくわからないが豆腐を作る過程で湯葉は出来る代物だったのだろうか?

……あの、湯葉が出来ていますが。これであっていますか?」
「あっ、温めすぎた!おい鈴菜、湯葉が出来ちまったぞ!……うん?成程。これはこれで食えるか。とりあえず火を少し弱めて覚ますとするか」
……えっと」
「ああ、大丈夫。冷ませばいけるよ。とりあえず湯葉はとって、と。御神槌、薪を少し取ってもらえるか」
「分かりました。沸騰させてはいけないのですね」
「ああ。沸騰するより少し低いぐらいがいいらしい。皿使っていいか?」
「はい、そこにあるものは何でも使ってください」

 竈の薪を調節している間、菜箸が浮いて鍋から湯葉を取っている。この様子だと冷ます間に数枚出来るかもしれないと御神槌は少し笑った。

「料理中はやっぱりよそ見てちゃ駄目だな。うん?おい、お前の所為でもあるんだぞ。解せぬ、じゃねえよ。解せ」
「龍斗さん、掛け合いはそのぐらいにしましょうか。どのぐらい冷めたらいいのでしょう?」
「ふんふん。……鍋が沸騰する前に湯気が沢山でるだろ?それぐらい、だってよ」
「ではそろそろ頃合いですかね」
「そうだな、もういいか。うん?そっちに移すのか?分かった」

 龍斗は火が付いていない竈に鍋を移すと、宙に浮いている竹筒は匙ににがりを出し、杓子に伝わせながら鍋に投入する。円を描くように杓子で静かに混ぜると次第に固形と黄色い液体に分かれ始めた。

「「おお~~っ!」」

 柔らかい豆腐を優しく杓子で掬い、さらしを引いた笊にそっと置いていく。鍋と笊を何度も往復し鍋の中に固形物がなくなったのを確認すると、杓子は未だ火のついている竈の方を指している。豆腐の水切りをしている間に次のものを作るようだ。

「ああ、鍋な。ほいほい」

 龍斗がゆっくりと竈に鍋を取り付けるとそこに湯飲み2杯分の水と湯飲みの三分の一程度の酒を入れ
煮ていく。沸騰したぐらいに鰹節を投入し軽く煮てから湯飲みの三分の一より少し少ないぐらいの醤油を入れる。軽く煮だして笊に濾していけば汁の完成である。

「出汁6、醤油1、酒1を合わせて八杯豆腐ってな」
「なるほど。名の通り、という訳ですね」
「そうそう。ん?ああ、鈴菜がおからを作るってよ。んじゃあ作っている間俺は漬物でも切っておくか」
「では私はお皿を用意しましょう」
「ああ、そうしてくれると助かる。一応確認だが俺とお前の分だけでいいからな」
「えっ?」

 龍斗の言葉に御神槌は思わず動きが止まった。当たり前の様に鈴菜の分も準備しようとしていたからだ。たしかに、彼女は実体がないから食べられるはずもない。そんなことは知っている。知っているけれど。
 人と同じことが出来ない寂しさを、彼女に少しでも味わってほしくない思う事はいけないのだろうか。

「あの、龍斗さん」
「お前ならそうすると思ったよ。有難いが不要だ。その代わり俺の分を少し多めによそってくれるとありがたい。途中であいつと変わるから」

 そうだ、彼はそういう人だ。微笑んで話す龍斗の言葉に、御神槌は自分の頬が緩むのを感じた。

「そういう事なら。大きいほうがいいですね。えっと、大きいもの、大きいもの……、二人分ですとどんぶりだと小さいでしょうし、……土鍋の方が」
「俺一人食べれる分な。一人だぞ。精神的に二人だが俺の五臓六腑は一つしかねえからな!」

 楽しそうに器を用意する彼の背中に龍斗の焦った声が響き渡った。