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さもゆ
2024-12-10 03:09:17
33128文字
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吸死
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【ドラロナ】貴様にはやらん
むかしモブ吸血鬼に執着されてしまった若造と、ブチ切れ兄貴と、現・執着真っ最中の雑魚砂吸血鬼の話。
※自我と名前のあるモブがガッツリ出る
※ドラロナ付き合ってない
※ド(自覚済み)ロ(ほぼ無自覚)くらい
※兄貴ーッ!
2024.4.18 たべものpixiv投稿作品
1
2
3
4
あーあ。
いい加減、疲れてきた。考えてもみろ、会うやつ会うやつ、みんな俺を忘れて死んでくんだぜ。
分からない? そうだろうな。小僧にゃ難しい話だよ。お前が自分には何もないと思っているように、俺たちも自分には何もないと思ってるわけさ。真意だよ。長く生きられるってだけで、俺には何も
……
。
あのな、小僧。
この際だから言うが、俺は吸血鬼だぞ。
なあ、おい、待て。この半月ばかり、お前のことを純粋な馬鹿だと思ってきたが、そのまさかか、本当に、おい。気づいてなかったのか? マジかよ。結構あからさまにやってたと思うんだけどなあ。俺って吸血鬼らしくない?
お前のことを惑わそうとしたし、何回か襲おうとしたよな?
……
マジかー。いててててっ馬鹿おい今更暴れんな、おせーんだよお前の危機感どうなってんだよ、兄貴はほんとにお前をちゃんと育ててんのか? 痛っ! わーった分かったわかってるって、お前の兄貴はすごいひとだよ! お前と妹を育て、守り、悪い吸血鬼を退治する最強の吸血鬼退治人レッド・バレットなんだろ。向こう百年は忘れねーくらい聞いたってば。はいはい。ったく、それでなんでお前はそんなに自分に自信がないのかな。やっぱり近所のおばさま方か? 消してやろーかな。はは
……
。
はーあ。
こんなつもりじゃなかった。
それで? 小僧。膝剥き出しの十一歳。レッド・バレットの弟。ばかなガキ。お前はどうする?
俺は吸血鬼だぜ。
返事は二択だ。血を吸わせるか、吸わせないか。当たり前だろ?
どちらを選ぶ?
噛んでいいよ、と言った。
吸ってもいいよ、だったか。とにかく、肯定の意を幼い自分は示したはずだ。
だってそうしないと、あのひと、かなしそうだったから。
だから、噛ませた。
どこがいい、と訊かれたのでじゃあ膝で、と答えた。
あんまり小僧小僧と呼ばれるから、連想して膝小僧しかないと単純に思ったのだ。それに、膝は硬いし、牙が食い込んでもそんなに痛くなさそうだったから。
子どもの膝を丸のみできそうなほど大口開けて噛みつかれたのは予想外にホラーで、結局、泣いた。泣いて泣いて、でも、それでもいいよってゆるした。
受け入れたのはロナルドの方だ。
三
長期戦を考えていたのだが、膝に噛み痕ができて三日目の晩のことだった。
ロナルドは唐突にすべてを思い出した。
炭酸の詮が弾けて、勢いよく中の液体が噴出したような感覚だった。怒涛の勢いで涙が溢れかえる。失っていた記憶を取り戻した脳が混乱し、身体に泣くこと以外の一切の動作を禁じようとしたが、理性や本能より優れた反射神経がそれを良しとしなかった。
一瞬だが動揺した右手では遅い。構えていた拳銃を左手に持ち替え、その僅かなロスの間に迫り来た下等吸血鬼を銃把で殴りつける。下等だが、大きく肥えた陸クリオネは一度の殴打では地に伏さず、ならばと次に膝を叩き込んだ。半透明な巨体が濁りながら倒れる。その後ろからロナルドに飛び掛からんとする残りの二匹を、左手の拳銃で撃ち、地面に落とした。ひとまずは、周囲に動く影がいなくなる。はー、吐息。ぐすり、鼻水。
ようやく脳の指令通り、泣くことだけに集中できる状態になり、ロナルドは茫然とその場に佇んだ。
今夜は久しぶりに下等吸血鬼が大量発生し、新横浜の退治人は全員街中に駆り出されていたところだ。数刻前ギルドから連絡をもらったとほぼ同時に、吸対の隊長から『お前は事務所にいろ』とメッセージがあったが兄もそれは無理だと重々承知してくれているらしい、『暴れるならお前の担当区は俺が避難誘導する。いいな?』と秒もかからずに意見を覆してくれたものだからロナルドは破願して『いいぜ兄貴俺が下等吸血鬼ぜんぶやっつけてやるから見ててくれもう絶対ぜんぶ倒す俺ならできるっ』と文字で息巻いた。『落ち着け。俺にシンヨコ住民全員避難させる気か?』やらいでか。ヒヨシは兄としてロナルドを心配し、けれどそれ以上に吸血鬼対策課の隊長としてロナルドを信頼して退治に加われと言ってくれたようなものだ。ロナルドは事務所の同居人と使い魔が何やら言うのも置いて魔都へと飛び出して行った。
相変わらず左膝から血を滲ませている人間に釣られてか、ロナルドに割り振られた担当区域には下等吸血鬼が次から次へと現れた。現れたそばから殴り、蹴り、捕獲し、叩いて、撃った。そうやってあらかた片付けたところで、記憶の詮が弾けたのである。
ぐす、ぐず。めそり。
垂れてきた鼻水をすする。滝のように涙が止まらない。ぜんぶ、思い出した。
十一歳の梅雨時、ひとりの吸血鬼と出会った。
そのころは夜になると自分と妹はご近所づきあいをしていた隣のお宅へと預けられていて、退治人で生計を立ててくれていた兄の代わりに、何かと面倒を見てもらっていた。壮年の夫婦と、その祖母が暮らす隣家は、基本的には優しい家族だった。ただ、ばあさまが少し意地の悪いひとだった。ヒマリのことを可愛がってくれていたのは幸いだったが、自分には当たりがキツかったように思う。じっとしていられない子だねえ、アンタの兄もさぞや苦労しただろう、はーやれやれこれだから男の子は
……
。そんなような言葉はへっちゃらだったが(だって兄が苦労しているのは事実だし、出来の悪い自分のせいで苦労させているのも事実だ。自分も周りもそう思っているのだから、これはこの世の中にある数少ない真実というものだろう)自分のせいで隣の家族の食卓を気まずいものにするのは耐えられなかった。幼いロナルドは、何かと理由をつけて、あるいはこっそり、夜半に隣家を抜け出すようになった。
曇天の暗闇のなか出会った吸血鬼を、初めはそうだと認識していなかった。
蹲る影との最初の会話はこう。
『よう、膝剥き出し小僧。こんばんは。おっと逃げるなよ、ただ座ってるだけの男だからさ。こんな時間に一人で、誰かに会いにでも行くのか?』
『
……
こんばんは。
……
兄ちゃんに
……
』
『なんだ、兄か。男か。女だったら
……
まあいいや。お前の兄貴ってどんなやつ?』
『兄ちゃんはすっげー強くてカッコイイ退治人なんだ!!』
その夜を皮切りに、男との親交とも言えない何かが幾晩も続いた。
腹が減っていると言うので兄から貰った飴をあげたり、兄や妹の話をしたり、学校での出来事を話したりもした。本当は学校から家に帰って誰かに──兄に──聞いてもらいたかった話を、その男に話すのは、そのころのロナルドが抱えていた名称の知らない感情を随分軽くしてくれていたと思う。今なら分かる。あのとき、自分はずっと寂しかった。
半月ほど経ったとき、男は自分が吸血鬼であると言った。ロナルドを膝に乗せ、濡れた足を布で拭ってくれたことすらある男が、人の生き血を啜り人に害為す吸血鬼であると言う。
気づかなかった。
見ないふりをしていたのかもしれない。
耳は尖っていたし、牙もある、街灯に照らされた瞳は赤かった。肌の色も悪くて、黒い服で。どこからどう見ても吸血鬼だったのに、だって、話を聞いてくれたから。目を見て、膝を折って、面と向かって、眠る前の読み聞かせのように、十一歳の弱虫と話をしてくれたから。悪い吸血鬼じゃない。
だから。
噛んでもいいよと言った。
ガクンッ、膝が折れる。
見下ろすと先ほど伸した陸クリオネの触手が左膝に吸いついている。やべっハイレグにされる。ロナルドは冷静に銃で撃ち、対象を完璧に沈黙させた。回顧している場合ではない。
乱雑に袖で顔を拭い、もう一度周囲へ視線を巡らせてから、取り出した端末で兄とギルドへ担当区域の任務完了の旨を伝える。兄には一言『思い出した』も送った。話をしなければならない。だが優先するは何よりも市民の安全だ、応援に呼ばれることを想定し移動しようと踵を返したところで、左膝が猛烈に痛んだ。
左脚だけ雑に布が溶けたそこは、かろうじてガーゼがくっついているものの、だくだくと血を流していた。
「えっウワ、わっ」
驚いてたたらを踏む。地面にぽたぽたと血が垂れた。剥がれかけたガーゼがびしゃりと落ち、ロナルドは慌てて膝を押さえた。特大の絆創膏がぬるぬると濡れそぼり、今にも取れそうだったので先手を打って剥がした。血が溢れかえる。取らなきゃよかったと後悔した。ささくれやカサブタにもそう思う。
「どっなっ、
……
まあいいか」狼狽えたのも束の間、今はこんなことに構っている場合ではない。歩き出して数歩、ブーツの内側まで流れ落ちてくる血液にひそめた眉を、ぴくりと真ん中に寄せる。誰かに見られている。
銃を右手に持ち替え、ロナルドは路地裏の暗がりに目を凝らした。
今夜も月は重たい雨雲に隠れていたが、ここは街灯と人の避難したビル群の灯りがよく届く薄明るい区画だった。その分、一歩進めば明かりの届かない路地が何本も通っている。そのうちの一本に、影が蠢いた。
一般人か、そうでないか。
守るべき市民か、害為す者か。
見極めるために「誰だ」と声をかけ近づいたロナルドは、しかし、呆けたように足を止めた。
「よう、小僧。こんばんは」
声とともに、暗がりから男が姿を現す。
影をそのまま纏ったローブ、尖った耳、街灯に照らされた赤い両目、血の気の失せた肌。
吸血鬼だ。
「ははは
……
」
砂が湿ったような、ざらついて、掠れた笑い声が漏れ聞こえる。それはつい先ほど思い出した記憶と、全く同じだった。ロナルドが何年も前に出会った吸血鬼と寸分も違わぬ姿をした男が、笑って言った。
「相変わらずの膝小僧ぶりで安心したよ。俺を覚えているか?」
「レダン」
口にした言葉は、随分と久しぶりすぎて喉に引っかかった。「レダン、」ロナルドはもう一度、むかしに聞いた名前を唇に乗せ、吸血鬼を呼んだ。「お、覚えてる。思い出した。おまえ──」
「嬉しいよ」
ぞわ、首筋の産毛が逆立つ。歩いた素振りもないのに一瞬でロナルドの背後に回った吸血鬼は、反射的に後退ろうとしたロナルドの腰を抱いて覆いかぶさった。「近い!」悲鳴にも似た抗議は、「黙れよ」と一蹴される。赤い瞳がロナルドをねめつけて離さない。
「
……
まつ毛の数が増えてる。身長も随分高くなった。髪は、伸ばしてるのか?」さらり、うなじにかかる襟足を指が梳く。「脈拍を数えさせろよ、小僧」
「も、もう、小僧じゃない」
うなじから、頸動脈に指が這わされる。「へえ?」ロナルドより少し上にある目線は、瞬きもせずに、ただただロナルドを見つめてくる。「大人になったのか。今、いくつ?」
「退治人になった」ロナルドは本当は視線を外したかったし、拳で一発殴り、状況を一旦整理したかった。だというのに、赤い双眸に見つめられると、ぴくりとも身体が動かない。退治人としての経験と、人間としての本能が、この吸血鬼をぶっ飛ばせと訴えかけてくる。「
……
二十歳も、過ぎてる。大人だよ」
「二十代か」青ざめた唇から、鋭い牙が覗く。「まだちょっと若いが。オーケー、全然いける」
「レ、レダン」
「でも、今日は駄目だな。何せ本当に目覚めたばかりなんだ、胃が受け付けない」
「俺の血を飲む気なの」
ともすればまっさらな問いかけに、は、吸血鬼は吐息だけで笑った。
「本当に大人になったらしい。その危機感、ガキのころは無かったな。ははは
……
当たり前だろ? 俺は吸血鬼だぜ、退治人。あるのは二択だよ。血を吸わせるか、吸わせないか」
記憶と重なる。
以前と違うのは、目線の高さだけじゃない。だってロナルドは、もう、十一歳の寂しかった子どもじゃないのだ。
「吸わせねえ」
動かせない四肢の代わりに、口だけでハッキリと意思を告げた。「ごめん、レダン。俺は退治人になったんだ。お前の餌にはならねえよ」
赤い瞳が眇められる。
背中が汗で湿っている。抱かれている腰をぐい、と寄せられた。鼻先同士が擦れる。
「赤い衣装、似合っているよ」
くわん、脳みそが揺れるような感覚に陥った。耳から入った吸血鬼の掠れた声が、直接頭の内側を撫ぜるように掻き混ぜていく。──催眠か、魅了か。とにかくけたたましく鼓動を速めた心臓だけが、この状況がかなりの危機だと知らせている。首筋にあった指が、宥めるように血管を撫でた。
「おめでとう、小僧。念願の退治人になれて、お前はすごいよ。兄貴もさぞ喜んだんじゃないか?」
「やめ、」
「レッド・バレットは息災か? またあの自慢話を聞かせてくれよ」
じわり、止めようもなく涙が滲む。目を見てはいけない。話を聞いてはいけない。答えてはいけない。これは吸血鬼の罠だ。そう思うのに、唇が勝手に開いて震える。
「兄貴は、退治人を、やめた」
「へえ。どうして?」
「俺が
……
俺の、せいで」
「お前の? ふうん。あんなに憧れていたのに? お前のせいで、兄貴は、レッド・バレットじゃなくなったのか?」
「そ、う。そうだ
……
」
表面張力が崩れ、涙が頬を滑り落ちていった。「俺のせいで、兄貴は
……
」
「かわいそうに」
額が合わさる。ぼやけた視界、ロナルドは赤い瞳に燃え滾るような激情を見た。子どもの自分じゃ分からない、大人になった自分だから分かるそれは、自分に向けられているのが不思議なほどの、執着だった。この吸血鬼はロナルドのことを欲しがっている。血袋としてなのか、それとも、いいや、そんなはずがない。餌として見られているはずがない。もしそうなら、十一歳のときに、血を吸われて、とっくに干乾びているはずなのだ。それに自分は知っている。知っているから、膝を噛ませた。だって、だって。
だってこのひとは。
こいつは、わるい吸血鬼じゃない。
「なあ、小僧。十年以上経っちまったが、答えを聞かせてくれよ」
うっそりと囁かれる。
「お前のことを一番愛しているやつは、誰?」
「私だが?」
炎に砂をかけたような無遠慮さだった。
一瞬で鎮火させられた体の熱が、銃を握った右手に集中する。ロナルドがそれを認識するよりも、男の横っ面に何かが豪速でぶち当たる方が早かった。腰から手が離れる。男が倒れる。ふらついたロナルドの身体を、男から引き剥がすように砂塵が包み込む。
「全く、これだから五歳児は」
無様に尻もちをついたロナルドの前で、砂が人型を成していく。夜の支配者、永遠の享楽主義、吸血鬼ドラルクが、マントを翻して言った。
「ほいほい他人について行こうとするんじゃない。きみは私の城の下男だぞ、忘れたわけではあるまいな?」
ヌー! アルマジロが転がりながら主人の腕に飛び乗る。
ロナルドは目の前に不遜な態度で佇む吸血鬼と、地面に吹き飛んだ吸血鬼を順に見て、また同居人の方に視線を戻した。「お、まえ。だからジョンをボール扱いすんなって
……
」
真っ先に口をついて出た言葉に、ドラルクはハッと鼻で笑う。
「私が誰かを吹っ飛ばせるほどの肩を持っているとでも? 全部ジョンのコントロールだ。崇めたまえよ」
「ヌッヌン」
えっへん、主人の腕の中で胸を張るマジロは、先ほど確かに男の頬に激突し、ロナルドを危機から救ったのだ。ロナルドはたちまち相好を崩し、ありがとなジョン、と指先を伸ばそうとした。
「動くな」
声は倒れた男から聞こえた。伸ばした手が、ぴたりと止まる。地に伏していた男が起き上がり、立ち塞がるドラルクと対峙した。べき、と凹んだ頬を元に戻し、「あーあ」レダンはひどく億劫そうに背を丸めた。「あとちょっとだったのに。あんまり力を使わせんなよ、寝起きだっつってんだろ」
「れ、レダン」
口を開いたのを、細腕が制す。
「これは失礼。我が下男がどうやら貴公に無礼を働いたようだ。申し遅れました、私は吸血鬼ドラルク。貴公は?」
「吸血鬼レダン。ドラルク? ドラルク
……
はあ、はは、聞いたことあるな。竜の一族の。真祖の孫」
「ご存知のようで何よりです」ロナルドからその表情は見えなかったが、声音はにこやかそのものだった。「此度は一体、うちの下男がどのような無礼を働いたのでしょう? 主として見過ごすわけにはいきませんのでな」
「
……
膝の噛み痕を見れば分かると思うが」対してレダンは低く、敵意そのものの声で応える。「そいつには何年も前に俺のものだという印をつけている。能力の関係で、今日まで忘れ去られる運命だったが
……
そいつは俺のもんだ、寄越せ」
「だってさ、ロナルドくん」
「え」
「きみ、どうしたい?」
「え」
「どうもこうも、言ったよな? 小僧。俺のことを覚えておきたいって」
「えっ」膝がずきりと痛む。真っ赤な左脚は、ドラルクの背の向こう側、男の両目と牙をありありと思い浮かばせる。「言った、けど」
「若造。耳を貸すな」
ドラルクが苛立って言うが、手が痺れて動かない。男の声は波紋となってロナルドの脳を揺さぶった。
「お前が言ったんだ。覚えておきたい、噛んでいいよって。ほかでもないお前が。なあ、小僧、忘れたのか?」
「んなわけ、」
ない。忘れるものか。忘れないために、この吸血鬼に膝を噛ませたのだ。
吸血鬼レダン。
何十年という不定期の睡眠を得るが、眠ったが最後、彼に関わった人々は彼に関する記憶を全て失う能力の持ち主。
子どものころは理解できなかったが、吸血鬼と人間は何百年も昔は激しい対立を起こしていた。棺で眠る吸血鬼を、棺桶ごと退治する人間など珍しくなかっただろう。レダンの能力は最も環境に適した形で発現されたといってもいい。眠っている間、彼を脅かそうとする人間はいなくなるのだから。
俺、もうすぐ眠っちゃうからさ。
自身の能力を子どもの自分にも分かりやすいように噛み砕いて説明し、昔レダンは言ったのだ。
そしたらお前も、俺のこと忘れるんだろうな。
次いつ目覚めるか分かんねえけど、お前が生きている間だったらいいな。
「お前が生きている間に、目覚められたんだ」
ドラルクの向こう側、レダンが言う。
「十年と、少し。こんなに短い周期で目が覚めたのは久しぶりだ。たったの十年、なのに、なあ、お前はそんなに大きくなって、成長して、お前があれだけ尊敬していた兄は退治人じゃなくなった。人間の時間はいつもそうだ。何があってもおかしくない。はは、けど、さすがに真祖の孫に目をつけられてるとは
……
悪夢みたいだな」
「レダン、聞いてくれ。おれ、俺さ、」
「寂しいよ」
ざらついた声が耳朶を擦る。そうだ、この吸血鬼は寂しがっていた。子どもの自分はそれだけを感じ取り、彼に噛むのを許した。
眠ってしまったら忘れてしまうが、印をつけられた者は、彼が目覚めると失った記憶を思い出せる。
それを聞いて、一も二もなくいいよと言った。噛んでいいよ。おれ、おまえのこと覚えてたいもん。分かりやすいように、膝にしようよ。そしたらおれ、おまえのことまた思い出すよ、絶対。だからさレダン、安心して眠りなよ。
次に目覚めるとき、人間である自分が生きている保証はなかったのに、馬鹿みたいに次も会えると信じていた。レダンは縋るようにして左の膝を噛んだ。良かった、と思った。水分を多く含みじめじめとした息苦しいあの幾つもの夜を、家で大人しく眠るのに嫌気がさしていた者同士、穏やかな眠りを手にしてほしかった。
今のロナルドには分からない。彼はロナルドを馬鹿だと評したが、きっと本当にそうなんだろう。もしくは、吸血鬼と人間の根本的な違いが、ここでも大きく横たわっている。
純粋にまた会いたかった。二度と会えないような顔をして、自分と話していた意味が分からなかった。永遠に誰かを失うことなんて、まだ知らないことだった。次に会ったときは、何を話そう。わくわくして、家に帰って、全て忘れて、血だらけになった膝の噛み痕を見て怖くなって泣いた。馬鹿だ。馬鹿だけど、こうしてまた会えたじゃないか。
なのにどうして、あの吸血鬼はまた寂しがっているんだ。
そこが、分からない。ロナルドに吸血鬼特有の執着めいたものを向けているのは分かっているが、その理由が分からない。また会えたのだから、いいじゃないか。前みたいに次を約束して、今度は路地裏とか公園とかじゃなくて、ロナルドの事務所に招いたっていい。十余年ぶりに会った友人として、たくさん話がしたいのに。どうしてこんな、無理やりに奪うような真似をするんだろう。
奪うって、誰から。
「そ、そんなに寂しいの、レダン」
「ああ、寂しい。お前のせいだよ。ぜんぶ、お前のせい。どうかこれ以上、俺の夜を脅かさないでくれ」
「どうしたら、」ロナルドの口が勝手に動く。「どうしたら、お前のためになる?」
「はは」
レダンは笑って言う。
「そんなの、決まってるだろ。俺と一緒に眠ってくれ。穏やかな夜を俺にちょうだいよ、なあ
……
」
自分の名前が結ばれた。レダンの声で紡がれ、耳から入り込んだ名前が、まるで自分を縛りつけるようだった。体の力が抜けて、ずぶずぶと地面に沈んでいく感覚に陥る。抵抗しなければならない、その本能すらもう機能してくれなかった。
途端、霞がかった視界、目の前、闇が細かな粒となってロナルドに覆いかぶさった。
そして沈んだ意識を非力にも引っ張り上げる、強欲な吐息が唇にぶち当たった。
「お人好しも大概にしたまえよ、ロナルドくん」
帽子が落ちる。ジョンが落ちた帽子の中に飛び込む。そうしてぶち当たった吐息は、感情を殺しすぎて低くなった声音を出したくせに、存外柔らかかった。
それが吐息ではなくドラルクの唇で、口と口が合わさっているのだと数秒して気づく。ズキュウウゥゥン、愛銃を持ったままだった右手が咄嗟に引き金を引き、どこぞを撃った。暴発に肝を冷やし、意識が逸れ、逸らした先、間近で発砲音を聞いたドラルクの耳やら肩やらが砂になっているのを目撃する。ゾッとした。いまこいつを殺したら、砂が口に入る。同居人を食べる趣味も性癖もない。
目に見えて怯んだロナルドに瞳を細め、あろうことか、ドラルクは薄く開いた口に舌を突っ込んだ。
「ンぐっ!?」
これには驚いて拳を握るも、益々殺してはいけない状態に振りかぶった拳をただただ震わせることしかできない。自分の口の中に、ドラルクの一部がある。噛んだら死ぬ。死んだら砂が気管に入る。それは身の毛のよだつ恐怖だった。冗談じゃない。
「ふぐ
……
ッ」
入り込んだ舌は、ロナルドの戦慄きを全て舐めとるように動き回った。ねっとりと口の中を舐め、歯列をなぞり、奥まで入ってこようとする。
「やら、」
生理的な涙を目一杯溜め、ロナルドは侵入者を追い出そうと舌で突き返した。ドラルクが、ふ、と笑う。押し返そうとすればするほど、舌同士がぬるぬると擦り合ってロナルドはとうとう泣いた。違う。こんな、こんなつもりじゃなくて。知るつもりのなかった同居人の舌は冷たく、ざらざらとしていて、なんだかやはり微かに砂利のような感触だった。息の仕方が分からなくなり、鼓動がいやに跳ね上がって、呼吸に成りそこなった声が漏れ出る。
「ん、ぅ
……
ン゛ッ」
ずるり、冷たい舌が上顎を滑り、奥深くまで進んでいく。殺すことはできずとも、身を捩り、距離を開けようとしたが、うなじに回った手がそれを許さなかった。手袋をした指が、とん、とん、ロナルドをまさか慰めているつもりなのか、優しく叩いてくる。
「ンぅ、ん゛、んっ」
泣きながら、喉奥まで入ってきた舌を間違っても噛み千切らないよう必死で口を開ける。嘔吐き、だがそうすると舌を噛んでしまいそうだったので懸命に力を抜く。侵入者を撃退するのは諦め、受け入れろ。得意だろ。ロナルドはそう思い、いや阿保か退治人がそんなんでどうする、とプライドが叫んだものの、身体は従順だった。昔から、大抵にしていつも、自分の身体は柔軟で、順応力が高い。
きゅう、喉奥が舌を締めつける。息をしようとするたび収縮して、受け入れたドラルクの舌に吸いつき、離れる。
「ふ
……
」
鼻から湿った息を吐く。ロナルドの身体から完全に力が抜け、とろとろと溶け出しそうになってようやく、ドラルクは舌を引き抜いた。ずるぅり、一気に、しかし緩慢に、喉の奥、上顎、歯の裏側を舐めて出ていく。
「~~
……
ッ! ぷぁ、は、」
解放された口で肺いっぱい空気を吸い込み、その勢いのまま叫んで暴れて殴ろうと力をこめた腕を、またしてもドラルクが遮った。腕を引き、肩を抱き寄せ、ロナルドをしかと見つめる。
「ロナルドくん。きみ、本当にあの吸血鬼と一緒にいたいの」
「は、あ?」
「これからいくつも続く夜を、あんな陰湿な男と一緒に生きていくつもりなのか」
「はああ?」
「私は、きみの意思を、尊重する」
ロナルドは黙り込んだ。暫時。涎で濡れた唇を開く。「おれは、おまえと一緒だろ。ドラルク」そうじゃないと、だってフクマさんにちんちん切られるだろうし
……
ごにょごにょ。小声で答えた言葉を、同居人は確かに聞き届けたようだった。ニイ、至極満足そうに口角を上げる。
「と、言うことだ。寝坊助の同胞」
先ほどまでの比較的丁寧な物言いはどこへやら、ドラルクはマントを翻しながら立ち上がった。レダンに向き直る。
「この若造は貴様との静謐で退屈な夜より、私との騒々しく享楽に耽た夜をご所望だ。おポンチレベルを上げて出直してくるんだな」
「
……
寝取られの趣味はないんだが」
心底、嫌そうなレダンの声が吐き捨てた。ロナルドは立ち上がろうと足に力を入れたが、膝が震えて無理そうだった。うそだ、と自分の体にショックを受けた。腰が抜けている。何とか上体をずらし、ドラルクの横からレダンを見やる。目が合う。なぜだか、もうあの赤い瞳を見て、声を聞いても、意識がぼやけることはなかった。
「ぬぁ~にが寝取られだ、元から貴様のものではないわ。むしろそれは私の台詞だ、ひとのものに勝手に手を出すな」
「俺が先に手をつけてたんだぜ」
「それがどうした。今は、私のものだ」
「はは、噛み痕ひとつも、血の一滴すら与えてもいないくせに。よく言う」
「ハッ、貴様の噛み痕なぞ無粋で不躾、不細工以外の何ものでもない。紳士違反だ」煽るように指を鳴らし、レダンを指差す。「ロナルドくんの状態異常は解除した。戦況は分かるな? 貴様に勝ち目はないぞ」
ロナルドはハッとして左膝を見た。血のこびりついた肌を擦り、確かめる。消えている。噛み痕はあとかたもなく消えていた。
「さすが、竜の一族」レダンは背を丸めてドラルクを睨んだ。「一介の吸血鬼のマーキング程度じゃ、あんたの唾液にも勝てない
……
。まあ、そうだろうな」
「負けを認めるかね?」
「血の勝負はな」
「おいおい、若造本人が、お前じゃなく私を選んだんだぞ。それも素面で。往生際が悪い」
「吸血鬼の執着って、そんなもんだろ?」
レダンの丸まった背中が、徐々に膨らんでいく。周りの影と同化し、みるみるうちに姿を変えようとしている。変身能力。ロナルドは蠢く闇に銃を構え、彼の足下へと狙いを定めた。
「あんたのこと、知ってるぜ。真祖の孫。血では負けるが、物理はどうかな」
ドラ公が負けるに決まってんだろ、ロナルドは声を上げようとした。けれども地面に落ちていた帽子からジョンが顔を出し、ロナルドの膝にその小さな手を置いた瞬間、あ、と思い出す言葉があった。ドラルクさま。きっとやってやるよ。
まさか。見上げたロナルドの目の前で、ドラルクが言った。
「私を真祖にして無敵、偉大な高等吸血鬼と知っての挑戦とは。いいだろう、受けて立つ──」
「はは
……
。小僧は貰うぞ」
影が走る。変身を終えたレダンの姿を、ロナルドは捉えることができなかった。──速い。だめだ。こいつが勝てるわけがねえ! 「ドラ、」そのとき視界の端を白が過った。黒でも赤でもなく、闇夜を切り裂き、秩序を取り戻す、清廉潔白な白だ。
ヌー! ジョンが鳴く。ドラルクが得意げに、ただし、と言葉を繋げる。
「──その前に、最強のお兄様を倒してからだ。親族に許可は取りたまえよ。今は令和だぞ、寝坊助」
銃声が轟く。
ロナルドたちを飛び越えるようにして暗闇に光を走らせたのは、吸対の制服に身を包んだヒヨシだった。
左手に持った銃で威嚇射撃をし、そして追い込んだ吸血鬼へ、今度は右手を振りかぶる。
「お前か。俺の弟に手ェ出したんは」
右手には銀色に鈍く光る警棒が握られていた。人々を安全なところに誘導し、そして悪者を引っ立てる、吸対のやさしい武器。
「命までは取らん。
……
精々、往生こきゃあ」
ヒヨシはそれを容赦なく振り下ろした。
断末魔が響き渡る。
一度きりではなく、二度三度と殴打と発砲音が轟く。退治人やめたんじゃなかったのかよ、断末魔の合間にそんな言葉が聞こえたが、それもやがて静かになった。
静まり返った夜の街、ロナルドは一筋の涙を流して蹲った。
「あ゛に゛きかっ゛こい゛い゛
……
」
ヌー! マジロの同意が弾んで踊る。
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