さもゆ
2024-12-10 03:09:17
33128文字
Public 吸死
 

【ドラロナ】貴様にはやらん

むかしモブ吸血鬼に執着されてしまった若造と、ブチ切れ兄貴と、現・執着真っ最中の雑魚砂吸血鬼の話。
※自我と名前のあるモブがガッツリ出る
※ドラロナ付き合ってない
※ド(自覚済み)ロ(ほぼ無自覚)くらい
※兄貴ーッ!

2024.4.18 たべものpixiv投稿作品


 はっ。
 ほんとに来たのかよ、小僧。
 その雨合羽、意味あるのか? 膝から下べたべたじゃねーか。泥もついてる。おいで、俺が拭いてやるよ。おいおい、警戒はよせよ。家の近くまで送ってってあげた仲だろ? 俺は悪いやつじゃあない。悪いやつって、どんなやつか知ってるか?
 吸血鬼ね。はは、まあ、当たりかもな。兄貴が吸血鬼退治人なんだっけ? あー分かった、最強の、な。分かってるよ。じゃあ、お前は? お前は最強じゃないの?
 へーえ。ガキが、流れるように自分を卑下するじゃん。兄貴はお前を大事にしてくれてないのか? いてっ。蹴るなよ小僧。黙って足裏拭かれてろ。はあ、ふーん。妹ね。なるほどね……。それは兄貴が悪いよ。いててててっ、力強いな小僧のくせに。は? ああ、そう。兄貴はもっと強い。それは分かった。一番は妹を守ること。それも分かった。お前が兄妹を心底大事に想っているのは分かったよ。なあ、じゃあ、お前は? お前のことを一番愛してくれてるやつは誰? 
 兄貴じゃあ、ないよな。兄貴はお前を強い子だと言ってはくれるが、お前はいくら努力しても兄貴みたいにはなれない。そうだよな、俺なんかが、って思うんだもんな? 妹も違うだろう。近所のおばさま方にこう言われたことはないか? 妹の面倒もしっかり見れないで、本当にお兄ちゃんなの? あるいは、妹さんはあなたと違って出来がいい。優秀な上と下に挟まれて、次男てかわいそうね。とかさ。はははは……泣くなよ。事実だろ。なあ、もう一度訊くぜ。
 お前のことを一番愛してくれてるやつって、誰?
 それから。
 悪いやつって、どんなやつか知ってるか?
 
 

 二



 嘘だろ。
 目覚めてすぐ軽い衝撃に見舞われる。身を起こすとソファベッドの布地に染みができている。自分の頬も同じく濡れそぼり、ひりひりとした痛みから眠っている間に大層泣いていたことを知らしめている。
 完全に寝ながら泣いていたらしい。しかも、無意識にだ。夢の内容は覚えていないが、確実にセロリではないことだけは分かる。もし夢にあの人類の生み出した最凶野菜が出て来たのなら、こんなに静かに起きられたはずがない。
 窓の外は今日も曇天らしく、遮光カーテンの端を染める陽光はひどく弱い。携帯を確認する。時刻は昼前。メッセージは眠る前と何も変わっていない。『覚えとるか?』覚えてないよ、打とうとして、やめる。覚えていない。何を? 兄貴はそれを知っているのか? 違う。兄も夢に見ると言っているのだ。ロナルドが左膝を怪我したときのことを。覚えていないだけで。
 キーワードは左膝。おそらく自分と兄は同じ夢を見ている。いや、それぞれの立場で見た同じ過去をだ。
 益々吸血鬼の能力が疑わしくなってくる。左膝の噛み痕と、ここ一週間あまりの不明瞭な夢の不快さ。まるで梅雨時に相応しい陰湿さだ。大抵の吸血鬼は雨に弱いため、この時期は派手な事件は起こらないだろうと認識していたが、これはこれで結構参る。拳ひとつ、拳銃一発で解決できない。画面に指を滑らせる。
『今日会えない?』
 一晩明けての返信に、既読はすぐついた。
『おはよう。よく眠れたか?』
『はよ。あんまり』指先が迷った末に、結局、素直に文字を打つ。『たぶん、夢見てる。最近ずっとなんだ。内容は覚えてない。兄貴は?』
『俺もじゃ』少しの間のあと、メッセージが続く。『昨夜噛まれたって言っとった膝は大丈夫か?』
 自分の左膝を見る。パジャマの裾を捲り上げ、うげ、と声が漏れた。絆創膏はしとどに血で濡れている。ズボンの裏地にも血がついていた。ガーゼの中央など指でつつけば血を搾れそうなくらいだ。
『めっちゃ血出てる』ソファを汚さないよう体勢を変える。『けど、大丈夫。血が出てるだけで何ともない』
『あのな』また少し、次の返信までに間があった。一分は過ぎた。『そうじゃな。お前は強いから平気かもしれんが』
『だろ』誇らしい気持ちになる。何より強い自分の兄が、たとえ子どもを言い聞かせるための常套句だとしても、小さなころからロナルドにそう言ってくれた。お前は強い子じゃ。だからロナルドは、それだけは疑ったことがない。俺は強い。精神も仕事ぶりも何もかもが甘ったれで、まだまだ目指す背中には追いつけないけれど、それでも、身体だけは昔からずっと頑丈だった。大人になった今、噛み痕ひとつくらいで、へこたれるような鍛え方はしていないつもりだ。『血もそのうち止まるよ』
『俺が心配しとるのはそういうことじゃ無い』
 返信はまた途切れたが、すぐに電話が鳴る。画面のアイコンは変わらない。兄からだ。
「兄貴?」
「電話の方が早い。おみゃあ今日仕事は?」
「え、ええと。夕方までは執筆して、依頼があったら出てくけど」
「ギルドは?」
「今日は呼ばれてない。雨降りそうだし、この時期は比較的穏やかだからって」
「VRCには行ったか?」
「い、行ってないよ。……行った方がいい?」
「いや、」あの人命軽視のイカレ所長に頼るのは、逆に不安じゃ。呟いた兄の声はいつもより低かった。「──ドラルクはどうしとる?」
「ドラ公?」
「そう。おみゃあとこの吸血鬼、静かにしとるか?」
「何言ってんだよ兄貴。あいつが静かなときなんて、今みたいに寝てるときだけだよ。ヒナイチから報告いってるだろ? いつもうるさいって」
「そうじゃにゃあ。あのな、一緒に暮らしとるのが吸血鬼だって、お前ちゃんと分かっとるんか?」
「分かってるよ。今だって棺桶で寝てるし。そりゃ雑魚だけど、朝日で何度か死んだことあるくらいには吸血鬼だよ、あいつも」
「あのな~……
……兄貴なんか怒ってるの」
 携帯を握る手にじわりと汗を掻く。電話越しに溜め息が聞こえ、危うく涙が滲みそうになった。兄を困らせている。しかも、自分のことで。それだけは察している。情けない問いかけに、兄は肯定も否定もせず、「おまえ今怪我しとるんじゃろが」とほとんどぶっきらぼうに言った。
「怪我って、でも大したことないやつで」
「けど血が出とるんじゃろ」
「血が出てるだけで」
「吸血鬼にとったらご馳走じゃろーが。もう一度訊くぞ。ドラルクは、静かに、しとるんか?」
 ロナルドは呆気に取られて、考えるよりも先に口にしていた。「兄貴。俺がドラ公に噛まれるわけねーじゃん。俺の方が強いんだから」兄貴だって知ってるだろ、言うと、また溜め息が聞こえてきた。溜め息というより、唸り声に近い。ああ、たぶん、また何か困らせている。
「今日会えるかって訊いたな。夜に行くから、それまでは外に出るな」
「えっいいよ、俺が行くよ」
「いい子で待てるな?」
 それから、名前を呼ばれた。
 隊長でもない、退治人でもない、それはロナルドの兄ヒヨシの言い方だった。「俺が行くまで、ちゃんと待っとれよ。分かるな?」
「うん」
 つい素直に頷いてしまってから、ハッとして兄を呼ぶ。遅かった。じゃあまた夜にな、という言葉を最後に通話が切れる。しばし画面を見つめ、何なんだ、と思った。兄は何をそんなに心配している? そんなに、小さな子どもを相手にするみたいに、自分は弱っているように感じられたのだろうか? そんなんじゃ、と拳を握りしめる。そんなんじゃ駄目だ。
 やっぱり俺はまだまだなんだ。
 師から判を押され、事務所をもっても、まだ憧れの人には遠く及ばない。
 もっと頑張らなくちゃ。
「くそ……
 左膝からは血が滲み続けている。なぜか、既視感を覚える。やっぱり。
 昔にも、こんなことがあったはずだ。



 兄の言いつけを破るつもりはないため、急な依頼が入らないようにおやつ時には事務所入り口に休業日の札をかけておいた。取り掛かっていた執筆作業は捗らず、ロナルドは札をかけた足でそのままリビングに行き椅子に座った。持ってきていた救急箱から新しい絆創膏を取り出す。起き出してから既に三回目の貼り換えだった。
 ヌエッ、今日は何も用事はないのか、起きてからずっとロナルドの傍で何かしら遊んでいたマジロが、悲痛な声を出す。頓着なく剥がした絆創膏から覗く真っ赤な皮膚に、心優しいアルマジロは今にも泣いてしまいそうだった。
「ジョン、大丈夫だって」
 消毒液を染みこませたティッシュで患部を拭き、新しく貼る。血はすぐに表面を濃くした。これも長くはもたなさそうだ。追加で絆創膏の上から、布のガーゼをテーピングする。捲りやすいようにと着替えていたジャージの裾を、足首まで直す。
「わんぱくだよな。いい年して、膝小僧が血だらけなんて」
「ヌンヌヌヌヌイ」
 そんなことない。それにロナルドくんは、まだいい年じゃない。そんなようなことをマジロの言葉で言われる。
「ううー、ジョン」
 こんな小さな生き物にまで慰められるなんて、ほとほと自分がいやになってくる。しかしジョンの優しさと可愛さに罪はない。ロナルドは同居人の使い魔を抱き上げ、存分に柔らかな腹毛と硬い甲羅を撫でてから、「しっかりしなきゃな」と自分に言い聞かせた。
「膝を噛んできたやつを俺がぶっ飛ばさなきゃ、誰がやるって話だもんな」
「ヌヌヌヌヌヌ」
「なんて?」
「ヌヌヌヌヌヌ」 
 一瞬、話の脈絡が繋がらなかった。それはよく聞く人命だった。アルマジロの口から紡がれる言葉の中で、悲鳴と同列一位でよく出てくる音だ。“ドラルクさま”
「ドラ公? ドラ公がなんだって?」
 自分たちが直前にどんな会話をしたのかもあやふやになる。マジロは続けた。膝を噛んできたやつを、ぶっ飛ばすやつ。ドラルクさま。ロナルドくんがしなくても、ドラルクさまがきっとやってやるよ。──ああ、駄目だ。久しぶりにマジロ語が理解できない。英語や日本語で言えばスラングか方言が強すぎて、頭の中でかろうじて理解できる単語を拾い上げて勝手に作った翻訳しか浮かばない。間違いだ。こんな翻訳、原文からかけ離れすぎて本なら出版もされやしない。改稿を重ねすぎている。どうにか直訳しようと思ったが、ジョンの口からファッキン塗れの汚い言葉が出てきたとは考えたくない。自分の拙い翻訳で満足するべきだろう。
 いや満足できるか。
「ジョ、え? ジョン、何でドラルク? ドラルクが? 俺の膝噛んだやつ、ぶっ飛ばすって? なんで。んなことできるわけねえ」
 できるできないじゃなく、やるんだよ。
 その翻訳にも、ヌーヌー鳴く可愛い声の合間にかなりのスラングが混じっていたから、本当に意味が合っているのかすら怪しい。ロナルドは困惑してアルマジロを見つめた。ヌーヌーと怒ったように鼻息を荒くしている。そんな姿もかわいい。じゃなくて。
「でもあいつには、関係ないだろ。俺の膝が誰に噛まれようと」
「ヌッヌ」ふぁっく。聞き届けたロナルドの頭が完全に思考を停止する。ジョンは構いもせずに続けた。「ヌヌヌヌヌヌヌ……
 生憎とショックを受けたロナルドの頭にはそれ以上の言葉が入ってこなかったため、怒れるマジロの小さな頭をただ茫然と指で撫でるしかできなかった。口の悪さは、周りに影響されるという。ロナルドはしばらく自分だけでなく同居している吸血鬼にもお上品な言葉遣いを脅迫するべきだと考えた。脅迫する時点でお上品ではないが。
  
 おやつを食べ、執筆作業に戻ると、進まない原稿に眠気が訪れてくる。
 しばらく快眠とは離れた生活をしているせいだ、抗えない眠気にロナルドは少しならいいかと事務所のソファに横になった。膝が痛む。ずきずき、ずきり。それは夢を引きずり、すぐさま睡魔にこの身を抱かせた。閉じた瞼の奥、誰かが牙を見せて笑っている。土砂降りの雨のように途切れた声が、頭のなかで降り始めた。



 


 だから飴はいらねーって。
 食えないこともないけど、俺が一番欲しいのはそんなもんじゃない。



 大丈夫だ、俺がそばにいてやるよ。
 お前を泣かす悪いやつ、ぜーんぶ俺が遠くにやってやる。
 兄貴と妹も、きっと喜んでくれるさ。



 なあ小僧、なァ、お前さあ……
 俺のこと、覚えときたい?






 ずくり。
 皮膚を抉るような痛みに飛び起きた。膝を抱え、抱えた動作ですら傷に響いて呻いた。寸の間自分がどこにいるのか分からず、怯えた目を周りに向けてしまう。スリープモードのメビヤツ、ブラインドを下ろした窓、閉じたままの扉。自分の事務所だ。時計を見る。居眠りにしては時間が経っていた。まだ陽が落ちる時間ではないが、曇天のままならそろそろドラルクが起き出してもおかしくはない。
 はー、息を吐く。汗を掻いている。鼓動が早い。
 自身の拍動よりも硬質で、控えめなノックが響いた。事務所のドアを誰かが叩いている、そんな簡単な認識すら遅れて処理したロナルドは、脚をもつれさせながらドアに向かった。
「あ、兄貴」
 開けた先にいた兄に、劇的にほっとした。対して兄は飛び込むようにして出てきた弟に、ひどく驚いたようだった。
「なんじゃ、どうした。お前」下から伸びた手が、ロナルドの額に触れる。「顔色悪いぞ。具合は?」
「兄貴がいるから、絶好調だぜ」
「ならそういう顔をすることじゃ。入るぞ」
 ドアを閉じる。ロナルドの腕を掴み、ソファに座らせた吸対服の隊長は、目の前に跪いてこちらの様子を確かめた。「何があった」
「何も……」まごつきながら答える。「たぶん、また、夢見ただけ」
「どんな夢じゃ」
「分かんないよ。ただ、膝が痛くて」
「左膝か」
 視線を移した兄の顔が、しかめられる。「手当てしとらんのか」左膝部分は、ズボンの布地が濃く湿っていた。血が染み出ている。
「してるよ。血が止まんないだけで」
「だけって、お前」次にロナルドを見据えた瞳は、あからさまに怒気を含んでいた。「何が“だけ”じゃ。そんな顔で言っても説得力もないわ。お前が我慢強いのは嫌というほど分かっとるが、俺にだって褒めれんことはあるんじゃぞ」
 鼻の奥がツンと痛んだ。
 寝起きで、上手く感情を制御できない。
 兄が怒っている。弟に向かって。俺に向かって。やっぱり自分は駄目なやつなんだ。
「ご、ごめん」ひとたび声を出すと、あとは嗚咽となって零れ出た。「ごめん、兄ちゃん。おれ、……おれ、吸血鬼に、噛まれちゃった、ごめんなさい……
 膝が痛い。頭が痛い。鼻の奥で血のにおいがする。
 これは二度目だ。初めてじゃない。前にもこんなことがあって、そのときと全く一緒の言葉と涙を流しているのだと、脳の海馬が理解している。記憶に感情が引っ張られている。実際、兄に怒られて泣きたい気持ちはあったが、こんなふうに泣くことを大人の自分はよしとしていない。こんな、ただ泣くだけの行為は、弱くて情けない。退治人になったのに、こんな。
 上から名前を呼ばれる。
 涙ながらに見ると、立ち上がった兄は涙を叩き落とすようにしてロナルドの頭を乱暴に撫でてきた。急に泣き出した大きな弟に向かって、狼狽えるでもなく、けれどもやはり少し怒った調子で言う。
「お前は悪うない。噛んできたやつが悪いんじゃ。だからそんなふうに、泣かんでええ」
 本当にそうだろうか?
 涙を落としながら、ぼんやりと考える。噛んできたやつが、悪い。そうだったか? 本当にそうか? 夢の残滓が頭の片隅にべったりとくっついている。膝を血だらけにして帰ってきた自分。血だらけにしたやつは、吸血鬼だった。そうだ。吸血鬼。確かにむかし、吸血鬼と会っていた記憶がある。雨雲の覆った夜空の下、耳の尖った男と。そしてそいつに、噛まれた。
「ちがう」
 ロナルドの口は無意識に動いていた。
「あのひとは、悪くないんだ。悪いのは俺だ。お願いだよ、兄貴。あのひとを退治しないで、お願い」
 見上げた先、普段は青色から寒さを取った色の瞳が、まるで撃鉄を起こし、弾丸が迸るような苛烈なまでの冷たさを帯びた。ロナルドは、その瞳を見たことがあった。ヒヨシでもない、吸対の隊長でもない。──レッド・バレット。憧れてやまない、ロナルドが光を奪ってしまったひと。びしり、体が硬直する。赤い布の幻影すら見える。固まったロナルドの目許を、白い袖を纏った手がそっと覆いつくす。
「前にもこんなことがあったな、たぶん」兄も同じだ。既視感と、不快感を覚えている。「そんで、前は、お前を噛んだやつを逃したんじゃ。それを最近、ずっと夢に見る」
「あにき」
「今度は逃がさん。奴の舌をぶち抜いてやる」
 ──かっ。
 手のひらにまつ毛を擦りながらロナルドは倒れた。
 失神しかけたといっても過言ではない。何なら心臓は一度止まったし間一髪で死んでいる。もし自分が同居人なら砂になってしばらく戻れまい。けれども自分は人間なので鼓動は続くし皮膚は汗を生み出す。動悸がすごい、死ぬかもしれない。
「あ゛に゛きかっ゛こい゛い゛……
 息切れの合間に捻り出した言葉は何とか人語になったものの、ほぼほぼ断末魔だった。
 
 閑話休題。
 真面目な話はすぐに済んだ。
 取り決めた約束は三つだ。
 過去か夢の内容を思い出したら、報告し合う。
 過去、ロナルドの左膝を噛んだ吸血鬼の情報を集める。
 それから現在、ロナルドの左膝を噛んだ吸血鬼を探す。

 いま現在ロナルドの左膝を噛んだ相手については、ドラルクも交えて意見交換がしたかった。兄弟ともに意見が一致したため、吸血鬼が棺の蓋を開ける時間になるまで待つことにする。その間、ロナルドはシャワーを浴びることにした。貼っても貼っても滲む血を、一度洗い流すためだ。
 鋭い牙が破いた膝の皮膚は、牙の形に穴が開いている。そこから絶え間なく血が滲み、お湯とともにタイルを流れていく。なぜ血が止まらないのかも疑問だ。大量に出ているわけではないが、少量ずつひたすらに出血が止まらない。吸血鬼にとったら勿体ないことではないのかと思う。噛んだ獲物の傷口から、飲まれることなく血液が垂れ流れていく様は。
 飲まれることなく。
 飲むために噛んだのではない。
 辿り着いた発想は、案外的を射ている気がした。もし血を飲むために噛んだのなら、今頃ロナルドの身体は干乾びて路頭にあるはずだ。姿も見せず、声もかけず、ただ噛み痕を残すことだけが目的なのだとしたら、それはまるで。
 マーキングのようだな、と思った。
 思ったそばから立った鳥肌がお湯に温められてなお治まらない。マーキング。目印。これは自分の獲物だという知らしめ。まさか。
 だってあの吸血鬼はそんなことをするひとじゃない。
 ごつ、壁に頭をぶつける。
 先刻、兄に無意識に口にしたように、どうにも記憶の中の吸血鬼を自分は庇いたいらしい。あやふやな記憶と夢と現在がごちゃ混ぜになって混乱しそうだ。いや、もうしているのか。そのごちゃ混ぜになったものを解決する取っ掛かりのひとつ、とりあえずが、ドラルクだ。
 吸血鬼のことは吸血鬼に訊くに限る。
 同居人はすぐ死ぬため役には立たないが、古の高等吸血鬼らしい知識の豊富さには本棚並みの利用価値がある。普段決して言葉にはしないが、こういうとき頼りには、なる。

 風呂から上がり、リビングに戻ると、兄の姿は見えず、代わりに起き出したらしい同居人がキッチンに立っていた。
「ドラ公。兄貴は?」
「少し話をして、出てったよ。仕事だってさ」
「マジかよ」テーブルに置いておいた携帯を手に取る。『お前は、今日は、休業日』と兄からメッセージが入っていた。外に出るなとしっかり釘を刺されている。「……兄貴と何話したの」
「その前に傷の処置をしろ、若造」
 振り返りもせずに言われ、渋々席につく。テーブルには救急セットが用意されていた。さっそく足首まで垂れ始めていた血を拭きとり、消毒液をかける。リビングは消毒の刺激臭が気にならないほど、夕飯のいいにおいが漂っていた。
「今日の晩飯、なに」
「分かるだろ」
「からあげ?」
「特性タルタルつきだ。ロナルドくん、その野蛮な握力で玉子潰してくれ」
「殻入るじゃん」
「誰が生卵を潰せと言った」
 非力代表の吸血鬼が何やらボウルを持ってこっちに来ようとしたので、自分から受け取りに行ってやろうと席を立つ。キッチン内は益々食欲をそそるにおいがし、頬が緩んだ。「どれ?」キッチン内は同居人の領域だ、そこだけはまあ、許している。自分から手伝うことはまあないが、手伝えと言われたらそれなりに従う程度には、ドラルクの作る飯は美味い。
「これ。きみならすぐだろ。これ使って、潰したらここに並べた調味料を」ひとつひとつ指差していった人差し指が、不意に止まる。吸血鬼は口を歪め、嫌そうな顔でロナルドを睨んだ。「おい待て、バカ造。手当てはどうした。昨日まではちゃんと貼れてただろ、もう忘れたのか」
「ちげーよ砂、呼んだから来たんだろが」
「犬かきみは? それとも本当に五歳児?」
 殴った。砂。なす。
 灰塵のようにさらさらとした細かな粒が、ロナルドの足下にほんの少しまとわりつき、夜闇の者へと再生していく。近い。ロナルドは半歩、退いた。再生したドラルクは尖った鼻先が触れそうな距離でロナルドに言った。
「手当てを、しろ、若造」
 認めたくはないが、気圧されそうになる。
 もう半歩下がろうとした足に、さらりと砂が触れる。視線を落とすと、まだ再生しきっていない塵が、ロナルドの足首に漂っている。指の、先だった。だらりと体の横に垂れている細腕の、右手の人差し指の先がもとに戻っていない。料理中のため袖は留め、手袋もしていない吸血鬼の腕はなぜかやたらと生々しく見えた。
 その赤い爪の先が、塵になって自分の皮膚を擦っていると思うと、ロナルドは急激に逃げ出したい衝動に駆られた。衝動のまま殴って殺して奴の領域から離れる行動をとろうとしたが、それでは何だか負けた気分になるのでぐっと堪え、ゆっくりと握った拳を解く。
「なあ、お前さ」
 こちらの方が目線は少しばかり高いはずなのに、窺うように眠たげな瞳を見つめた。「なんか機嫌わりぃだろ、昨日から」
 重たい瞼が、瞬きをひとつする。
……へえ。そう見える?」
「違うのかよ」
「ちょっと惜しいな。めちゃくちゃだ」
「え?」
「めちゃくちゃ、気分を害されている。なんか、じゃない。悪いどころか、これはれっきとした害だぞ、ロナルドくん」
……違いが分かんねえんだけど」
「きみさ、」
 ドラルクが手を伸ばす。
 右手の人差し指に塵が集まり、赤い爪へと再生する。ロナルドはやはり、ちょっと逃げ腰になった。開いた僅かな距離を、ドラルクはぐいと踏み込んで詰めた。
「私が自分の城のものに手を出されて、それでも楽しく平気でいられると思っているのかい?」
 赤い爪先が、ロナルドの目許を掠めるように触れた。たったそれだけ、硬い爪がほんの少し掠っただけで、ただでさえ涙で焼けた皮膚がひりひりと熱を持つ。
「思い上がれよ、若造。そして見くびれ。私は貪欲なまでに吸血鬼で、案外と嫉妬深いぞ」
 指先が離れる。
「だから、」とドラルクは一度分かりやすく息を吐き、距離すら空けて目線も逸らした。「手当てをしなさい。それ以上私の前で惜しげもなく血を流してみろ、毎秒死ぬからな。私が。分かったらとっとと行け青二才」
 ロナルドは目許を中心に集まった血潮の熱さを感じ、生理的な涙を滲ませながら、「い、いや」と喉を詰まらせた。「お前の話全然分かんねえぞ。いま日本語喋ってた?」
「ゴリラ語でもう一度言い直そうか」
「ウホッ」
 死なせた。