さもゆ
2024-12-10 03:09:17
33128文字
Public 吸死
 

【ドラロナ】貴様にはやらん

むかしモブ吸血鬼に執着されてしまった若造と、ブチ切れ兄貴と、現・執着真っ最中の雑魚砂吸血鬼の話。
※自我と名前のあるモブがガッツリ出る
※ドラロナ付き合ってない
※ド(自覚済み)ロ(ほぼ無自覚)くらい
※兄貴ーッ!

2024.4.18 たべものpixiv投稿作品

 ふうん、へえ。
 兄貴が吸血鬼退治人ね。それも最強の? へええ。分かったよ、分かったわかった、お前の兄貴がカッコいいのは分かったからさ、それでなんでその最強の吸血鬼退治人の弟であるお前が、こんなところで一人うろついてんの。夜遅くに外に出歩いちゃいけませんって母親に教わらなかったのか? え? ああ、ごめんね。兄貴が親代わりか。ごめんごめん、俺の価値観が古いだけだよ。母親ばかりが重要じゃない。じゃあでも、猶更だろ。兄貴の言うこと聞いてねーじゃん。なぜ、ここに? なあ小僧。はは、膝小僧剥き出しなんだから、お前は小僧だよ。
 俺か? 俺は腹が減って動けねーの。いや、飴はいらない。おい、ポケットで溶けてんじゃねーの、それ。べたべたする前に食っちまえよ。いいから。ほれ、口開けろ。ははは……。お前今いくつ? へえ、十一。オッケー、女じゃないのが惜しいが、俺的には全然いける。でも今日は駄目だな。目覚めたばっかで、胃が受けつけないだろうし。ん? ああ、そうだな、今日じゃなけりゃ、食えたさ。
 なあ小僧、家の近くまで送ってってやるよ。そんでさ、また明日の晩も来い。あ? いや飴が食いたいわけじゃなく……。大丈夫さ。兄貴が強いんなら、お前も強いだろ。一人で来れるもんな? よしよし。じゃあ送ってってやるから、しっかり掴まってな。準備はいいな? じゃあ、行くぜ。
 


 一

 
 
 日中だけでなく夜半の空気も蒸し暑いものになってきた。
 明け方近くですらずっと肌にまとわりつく湿った温度だ。ロナルドはソファベッドから身を起こし、鈍く痛む頭を押さえた。退治の依頼をこなし、今日はもうギルドの仕事もないからと深夜二時には就寝していた。手に取った携帯の表示は五時半と少し、遮光カーテンの隙間から陽が漏れていないのは外が曇天だからだろう。雨の気配がよく分かる。
 一緒に帰ってきたもののこれからが生活時間だからとゲーム片手に遊びの準備をしていた同居人も、この時間であればさすがに棺桶についたに違いなく、ちらりとそちらに目をやると、しかしぼうっと液晶に照らされた頬骨が浮かび上がった。
「うぎゃあッ」
 ロナルドはシンプルに叫び、叫び声で砂になった同居人に拳を振り上げて更に砂にした。
「び、びっくりさせんな!」
 寝起きにゴースト紛いのおっさん吸血鬼の顔が近くにあるのは悪ふざけがすぎる。どうしてくれるんだ、またしばらく風呂やトイレの戸を開けっ放しで怯える生活になったら。あれお前も困ってただろーが享楽主義も大概にしろよボケ砂、連ねて言いたかった言葉のひとつも言えないで、急に動いたせいか揺れた視界に瞼を閉じる。眉間を揉む。痛いのは、違う。頭じゃない。これは寝不足からくる眩暈だ。
 最近あまり快眠できていない。
 変な時間に目が覚める。何か夢を見ているのは分かっていたが、その夢がどういう内容なのかはちっとも覚えていない。ただ、梅雨時の、じっとりした不快感だけが身体に残っている。
「ロナルドくん」
 崩れた砂が逆再生して悪戯好きの吸血鬼に戻っていく。寝床から駆けてきたマジロを抱き留め、まだ耳の先から砂を零しながら、ドラルクは言った。「大丈夫かい。きみ、最近魘されてばかりだぞ」
「な、……」なんだよ、素直に心配なんかして。一度口を閉じて、開く。「……うるさかったか?」お前がゲームに集中できないくらい。
 言外に滲む情けない心情を、まさか察したわけではないだろう、それでも夜目が利かずとも目の前の吸血鬼が吐息だけで笑ったのは分かった。仕方ないな、という笑い方。「仕方がないな、若造。ほら横になれ」笑うだけでなく実際にそう言って、ロナルドの強張っていた背中に、細くて軽い手を置く。そうされると、不思議と、痛みが引いていくようだった。
「特別だぞ。特別に、この子守り吸血鬼ドラルク様が泣き虫五歳児のために子守唄をうたってあげよう。さあ、目を閉じて」
「これが悪夢の始まりだッ」
 殴打。砂。ヌー。
 一連の流れのあと、大人しくソファベッドに横になる。少なくとも、次に目が覚めるときは、得体の知れない不快感ではなく、読経の不協和音のせいなら、まあそんなに悪くないかなとは思った。麻痺している。
 




 痛いのは背中かと思っていたが、どうやら違うらしい。
 いいや、背中も何となく痛いっちゃ痛いが、言ってしまえばこれはいつものことだ。酒に酔っぱらったときは背中の傷痕がじくじくと熱を持つこともあるし(背中だけでなく、大体の傷痕がどの肌よりも真っ先に赤くなる。やはり皮膚が薄くなっているからだろう)風呂にのぼせたときだって三本線が薄っすらと浮かびあがる。ひどい雨の日や、天気予報が低気圧を報せた日なども、神経がより近いからか知らないが皮膚の内側が微妙に痛みを発する。けれどももう慣れたものだ。ロナルドにとって背中の多少の痛みは意識を向けるほどでもない。
 ならどこが痛いのかというと、意識を向けた結果、脚だということが分かった。左脚。関節。膝小僧。膝の皿だ。
 ピンポイントだ。
 左膝が、ここ最近ずっと痛い。
 痛みは背中のそれとよく似ている。もうとっくに治っているのに、薄く引きつった皮膚の内側、まるで血がじわじわと広がるような感覚。だけれども、今まで膝が痛むなんてことはなかった。
 そりゃあ、子どものころは自転車でこけたり遊具から落ちたり近所のダチョウに引きずられたりして両膝を血だらけにしたこと数知れずだったが、元来自分は頑丈で、そしてすこぶる代謝がいい。日常で負った怪我の傷など、最早ひとつもない。では、この膝の痛みの原因は?
「痛風じゃねーのか」
「マ、マリアさん」
「でもロナルド、確か健康診断の結果オールSだったよな」
「あ、ああ」
「じゃ違うか」
 退治人ギルド。今夜の待機組であるマリアとショットは、ロナルドの「最近さ」から話し始めた膝の痛みと、夢見の悪さにそれぞれ首を捻った。ロナルドから体調不良などほぼ訴えられたことがないため、二人はやたら真剣な顔つきでそれぞれ唸っている。ロナルドは眉を下げ、付け加えた。「大した痛みじゃねーし、まあその、気にするほどじゃねえんだけどさ」
「いいやロナルド、甘いな」マリアがカウンターの椅子から身を乗り出し、テーブル席に座っていたロナルドに体ごと向き合う。「自分の身体なんだ。ちょっとの異変も見過ごさねえ方がいい。いつも万全の状態でいるべきだ。じゃないと熊は退治できない」
「いや俺熊と戦うつもりは」
「そうだぜロナルド」とロナルドの向かい側に座っているショットが頷く。「お前の体幹だから熊にも勝てるんだ。膝が痛い? そんなんじゃすぐやられるぞ」
「だから熊とは戦わねえっての。吸血鬼だろ」
「似たようなもんだろ」
「バカ野郎、熊を穢すな」ショットの言にマリアがすかさず突っ込む。「熊はここの吸血鬼どもみたいに変態ポンチじゃねえ。単純に、災害なんだ」
「怖えよ熊」
「その災害を狩るマタギ、マジすげえ」
「よせやい」
 と言いつつもマリアは立派な胸を張る。そして熊と狩人への畏怖に満ちかけた場を、すぐに仕切り直した。「けど狩りでも退治でも何でも、体の不調は気にかけといた方がいいぞロナルド。この町じゃ特に」
「そうそう。震える膝でさえ誰かの性癖になり得る町、新横浜だからなここは」
「そんなキャッチコピー嫌だ。けど、そうだな、うん」ロナルドは素直に頷く。「とりあえず仕事に支障が出そうだったら病院行く。ありがとな、二人とも」
 いや支障が出る前に、何ならいま行けよ。VRCならすぐ行けんだろ。寄せられた眉に思惑を見たが、ロナルドはへらりと笑って話題を変えた。そんな大したことじゃない。

 待機は待機だけに終わった。
 今宵は随分穏やか、魔都シンヨコにしては穏やか過ぎて不気味といっても過言ではない。
 深夜二時、事務所への帰り道を歩く。空は星明りもない真っ暗な雨雲だったが、雨はまだ降りそうになかった。羽虫が集る街灯の下をいくつも歩き、ロナルドの眉根が自然と寄っていく。
 痛い。
 こうも静かだと、左膝の感覚に意識が向いてしまう。
 じっとりと掻いた汗も不快だ。うなじに張りつく襟足が鬱陶しい。
……ってえ」歩みを止める。事務所はもうすぐだったが、そのもうすぐがしんどかった。ショットとマリアには平気な顔を見せられたが、一人、湿気た夜気の中にいると痛みが増すように感じる。じくじくと、まるで細い針が食い込むような痛さ。なんだっけ、これ。感覚を負う。これは知っている。病院の──下手な注射とか、あと、そうだ。吸血鬼。吸血鬼に噛まれたときみたいな。いや、俺の筋肉は強いから、ビキニやキッスの嚙みつきや吸引は何とも痛くはないんだけど。でもたとえば、自分の筋肉が弱くて、相手の牙がもっと強ければ、こんなふうに断続的に痛みに襲われるんだろう。そこまで考え、ロナルドは、あ、と声を漏らした。
 あ?
 何かに、あ、と思ったのは確かだが、でも何にそう思ったのか分からない。物の名前が咄嗟に出てこなかったり、タイトルは分かるのに歌詞は出てこないあれ。つまり、何かを掴み損ねている。
 この膝の痛みを、俺は知っている。
 でも、どこで?
 どこでってことは、やっぱり一度、怪我をしていた?
 子どものころの記憶を掘り起こす。一番痛かった膝の怪我は、中学時代自転車で坂道を駆けこけたときではと思ったが、もっと前だ。もっと前? そうだ。まだランドセルを背負っていた。兄貴のお古の、くたびれたランドセルを、五年間ずっと大事に使ってきて、あと一年使い倒したら蓋の裏側に兄貴の名前と俺の名前を落書きしてもいいんだ、ってわくわくしてた、六年生の。夏の、前。
 梅雨時だった。じめじめとした淀んだ空気と、ざらつく砂。ポケットいっぱいに飴を持って、それで?
 滲んだ血。
 ハッとして左膝を見る。退治人服の白いズボン、その左膝が、真っ赤に染まっている。
「えッ」
 慌てて裾を捲り上げる。膝頭の皮膚は、二か所、見慣れたくはないが牙の痕に凹んでいた。そこから血がみるみる滲んでいる。完全に皮膚を食い破られている。瞬間、ロナルドは愛銃を取り出し街灯の下、宵闇に気配を探った。いない。──誰もだ。自分以外の気配はない。
 銃を下ろす。舌打ちをひとつ。額からは汗が流れた。
 いつの間に、噛まれた?
 
 吸血鬼だと決まったわけではないが、吸血鬼による事象かもしれないことを退治人として放っとくわけにはいかない。
 膝を血だらけにしたまま近辺を探ったが、今のところ被害は自分だけにあるようだったので、ロナルドはギルドと吸対に膝を噛まれたかもしれないことと、近辺のパトロール強化の要請のみを簡潔にメールに送った。吸対の隊長である兄には、個別でもう少し詳しく連絡しておく。『兄貴、俺ってむかし、左膝に大怪我したことあった? 小六くらいに』既読は帰りつくまでにすぐついたが、仕事の対処があるのだろう、返事には少し時間がかかった。ビルの階段を上がり、電気の点いている事務所のドアノブを開ける。と手の中の液晶が光る。『覚えとらん』続けて返信。『じゃが夢には見る』
 夢?
 開けたドアから中に入る。脱いだ帽子を傍らのメビヤツにかけ、「ただいま」と思考とはかけ離れたところから言葉が出る。夢って、なんだ。どういうこと? 疑問そのままに送ろうと指を動かすが、ビッビッと鳴くメビヤツに気を取られ動きが止まった。足下を見下ろす。何やらメビヤツが大きな一つ目の端を垂らしてこちらを見上げている。泣き出しそうだ。
「エッなんっ、どうしたメビ、あれ俺ただいまって言ったっけ? 言った? 言ってない? ごめんよメビヤツ、ただいま~」可愛がるつもりでつるりとしたフォルムに手を伸ばすが、なぜか余計に鳴かれてしまった。どうして。
「おや、お帰りロナルドくん。今日はやけに静かなご帰宅──そうでもないな。どうした?」
 キッチンから事務所側に顔を出した吸血鬼は、顔色の悪く重そうな瞼を僅かに歪めると、そのままロナルドに近づいてくる。メビヤツの頭を撫でながら、「わ、分かんねえよ。何かメビヤツ元気ないんだ。まさかお前何かしたんじゃないだろうな」途端に拳を構えるロナルドを、ドラルクはほとほと呆れ返った眼差しで見つめた。
「きみだろ、何かしたのは。私に冤罪をかけるな有罪暴力ゴリラめ」
「ハアア? 俺が法律ならお前はすぐ死ぬ罪で懲役五千年だわ雑魚が」
「はい出た暴力こそが法だと思ってる野蛮人前世紀ゴリラ~そういう売り言葉に買い言葉なところがいつまで経っても蛮族極まりな」スナァァ──ァァナス。訴えた暴力に復活したすぐそばからまた舌戦の開始かと身構えたロナルドだったが、砂から人型に再生したドラルクは予想外に静かな顔で口を開いた。「で、何があったの」
「は? だから俺なんも……し、してないよな? メビヤツ」
「違うわ阿保。なんでこういう時だけ状況把握できてないんだ脳筋め。血だよ。膝の」
「あっ」ロナルドはそこでようやく、自分の左膝が血だらけだったことを思い出した。「大丈夫だぞメビヤツ、何ともない」とりあえず足下の可愛い門番を落ち着かせようと笑いかける。怪我に考慮してか、脚ではなく手に擦り寄られる。かわいい。
「何があったのかを、私は訊いているんだがね」
「えっと、転んだ」
「ふうん。見たとこズボンは破けてないようだけど。そんなに血液を垂れ流しといて、服は無傷ってことは、なに。全裸で転んだのかい」
「バカちげーわ俺を間抜けに仕立て上げんな、これは何かに噛まれたんだわクソ砂が」
 静かになる。
 ドラルクの深い白に赤を一点垂らした眼窩から表情は読み取れない。ただこれが真顔だということは知っている。
 それから、何か不味い空気にしてしまったという自覚はある。何となく。怒られそうな子どもの気分だ。そう感じるということは、この貧弱吸血鬼は何かに怒っているということだ。ほんの少しの怒りか、呆れか、苛立ちのようなものが細く硬い眉間に表れている。不機嫌を無言で訴えるなよ、ロナルドは思った。誰がやってもめんどくさいぞ、それ。
「充分マヌケだろ、五歳児が」
 ドラルクはやがて言った。
「一体どんなポンチにそこまで滴るほど噛まれたんだい、手当ての合間に聞かせてもらおうじゃないか」
 
 事務所のソファに座るよう促され、与えられたマジロの至福の手触りに顔を緩ませること少し。救急箱を手に戻ってきたドラルクは、ロナルドにそれを手渡してジョンを受け取った。「ちゃんと消毒してから絆創膏だぞ、若造」それからスペースを空けて隣に座るので拍子抜けしてしまう。
「お前が手当てしてくれるんじゃないの」
 思いのほか、子どもっぽい言い方になった。ロナルドはその甘ったれた言い方を瞬時に恥じたが、発言の内容までには配慮が足りていなかった。ドラルクが嫌そうに顔を背ける。「君ね、私が吸血鬼だと知らんわけではないだろう」
「知ってるよ。吸血鬼すぐ死ぬ」
「真祖にして無敵の吸血鬼、だ」
「真祖にして無敵の吸血鬼すぐ死ぬ」
「最強の二つ名を最弱にするな! あーもう、いいから、早く手当てしなさい」
「いや駄目だ、ちょっとお前に見てほしい」
「あ?」
 物凄い形相で睨まれる。メンチを切られる謂れはないので反射的に睨み返し、ズボンの裾を捲ろうとして、やめた。というか今から風呂に入るのだから、手当てはそれからでもいいような気がする。いや、ガーゼぐらいは貼っといた方がいいのか。お湯染みるだろうし。ならズボンはさっさと脱ぐに限る。どうせすぐ風呂だ。
 ベルトを緩め、ズボンを脱ぐ。血で張りついた布が傷口を擦るのが痛く、気持ちが悪い。う、と小さく呻いた。
 脱いで血で汚れないよう畳んでからそばに置き、ようやくロナルドは患部をドラルクに診断させようと向き直った。座面には砂が流れ、ジョンがヌーと泣いている。
「何砂になってんだてめえ」
「ご、ゴリラが突然ご馳走とともにストリップするから」
「は? ……何か駄目だな。今夜のドラ公、テンポが悪い」 
「情緒皆無の無神経ゴリラに駄目出しされる謂れはない」拳。砂。ヌー。「いいか若造、私を殴る暇があるならさっさと手当てをしろ。今すぐにだ」復活。
「だから、その前に見てほしいんだって」
「何を」
「傷口」
「何故」
……噛まれたんだって。たぶん、吸血鬼に」
 ドラルクは方眉を器用に跳ね上げた。「噛んだ輩を見ていないのか?」
 こくり、頷く。
「帰ろうと思って、歩いてたら急に痛くなった。で、見たら噛み痕みたいなのから、血ィ流れてた」
……辻斬りならぬ辻噛みか?」
「にしたって、どんなに唐突な辻Y談だってビームの端くらいは捉えるだろ。何にもなかったんだ。気配も、音も、においも、噛まれた感触だってな」
「ふむ」
「吸血鬼の噛み痕かそうじゃないかくらい、お前分かるんじゃねーの。だから診てくれって」
 視線はずっと合っている。むしろ、ドラルクは視線を外すまいとしている。ロナルドとて、そこまで鈍感なわけではない。吸血鬼にとって、血液は食料だ。
 しかし自分はうなじの綺麗な美少女ではない。
 血液型も確か奴の嗜好からは外れている。
 うなじの綺麗な美しい処女の血が大層美味しいケーキやステーキだとしたら、ロナルドの血液は恐らくカビた菓子パンか干乾びた肉の筋だ。進んで食べたいわけでは決してないが、一応食料の形をとっている、本当にいざとなった時しか口に入れたくない最低の非常食が妥当だろう。ロナルドとて、かつては美味しかっただろう腐ったからあげを見せつけられたくはない。からあげと違い自分には美味しい期間も何もないが。
「ドラルク」そんなつもりはなかったが、眉が勝手に下がった。「頼むよ。ちょっとでいいから」
 ヌー。動かない主人のクラバットをつつき、アルマジロが何やら進言している。かわいい使い魔の背を撫で、ドラルクは観念したように顔を手で覆った。手指の隙間から溜め息が吐き出される。「分かったよ。見ればいいんだろ、見れば……その前に鼻に洗濯ばさみしてきていい? さすがに血のにおい近距離で嗅いだらドラドラちゃんの畏怖欲が暴走するかもしれんからな」
「その前に洗濯ばさみで死ぬだろ」
「そうだった」
「俺の血はそんなにくせーか、偏食悪食の美食家気取り野郎」
 砂。
 砂の山から突き立った中指が再生される。もう一発殴った。ヌー……

 ソファに行儀悪く上げた左脚を見分するドラルクは、それはもう嫌そうだった。
 見分は数秒で終わった。その数秒の間に鼻や手や胸を砂にしては再生するを繰り返していた吸血鬼は、気味が悪い以外の何者でもなかったが、ロナルドはじっと黙ってその様子を観察していた。やっぱり、くさいのかな。俺の血。や、別にいいにおいでも困るけど。……普段から汗臭いだの何だの言われてんだから、そんなショックを受けることでもないはずだ。ムカつきはするが。
「終わったぞ、手当てしろ若造」
「ん」
 見終わるや否やまた距離を空けて座り直した吸血鬼に複雑な心境になりながら、手早く処置を施していく。こちらとて血液垂れ流しは気分のいいものではない。
「どうだった」
 端的に問うと、端的に返ってくる。「無様だった。今時五歳児でももっと自衛をするだろう」
 殺した。ヌー! 
 砂の山に泣き縋る使い魔はいつも通り主人を案じてはいるが、今宵ばかりはロナルドにも多大な心配を寄せているようだった。ヌーヌー鳴きながらロナルドを見てくる。消毒液を振りかけ大きめの絆創膏を貼り終えた脚に、小さな手をちょこりとかけた。ヌヌヌヌヌン、イヌヌヌイ? 
「大丈夫だぜ、ジョン」かわいいアルマジロを抱き上げ、感謝と愛情をこめて撫でる。「痛くないよ、俺は強い」
 この言葉を。
 以前にも、似たような状況で言った気がする。ずきりと膝が痛む。顔はしかめなかった。こんなもの、痛くないと思えば、痛くない。
「ロナルドくん」
 足首にざらついた砂の感触が這う。
 砂はやがて骨張った手指となり、ロナルドの左脚に乗り上げるようにして人の形をつくり上げた。下半身はまだ再生しきっていない。そのままドラルクが言う。
「本当にその吸血鬼の姿を見ていないのか」
 左足首を掴んだ細い手は、手袋越しでも墓土のような冷たさだった。背筋を悪寒が走る。走った悪寒を誤魔化すために咄嗟に殴ろうとしたが、手の中のジョンの温もりにそれは叶わなかった。使い魔と吸血鬼の小さな瞳が、揃ってロナルドを見上げてくる。問われている。
「見てねえよ」
 どうしても悔しさが滲んだ。「やっぱ吸血鬼の仕業か。どうせ無様だよ。退治人が、知らぬ間に噛まれるなんて」
「そもそもこれは、本当に今夜噛まれたものか?」
「は? どういう、」
「いつでもいい。私と出会ってからでないのなら。昔、左膝を噛まれたことは?」
 ずきり、ずきり。
 貼ったばかりの絆創膏には既に血が滲んでいる。
 頭が痛い。目の奥、記憶の内側、何かが視界を乗っ取ろうとしている。最近よく見る、内容を覚えていない夢のような何か。フラッシュバックを、瞬きで殺す。
「ない。……覚えてない」
 自分でも不思議な返事をしたと思ったが、それ以上何も言えることはなかった。ドラルクも当然、答えのおかしさに気づいただろう。覚えていないということは、何かは確実にあったということだ。
 細い眉が顰められたものの、吸血鬼は身を起こして尊大に言った。「まあいい。今日はもう寝ろ、若造。摩訶不思議探検は目覚めてからでも構わんだろう」こんな時間じゃ、五歳児の脳みそは正常に働かんだろう。まあいつでも正常じゃないが。付け加えられた言葉を聞き終える前に足蹴にする。砂。ヌー。
 そうこうしている間にも服の内側、携帯の画面がちかちかと点滅している。ロナルドがそれに気づいたのは、この少しあと、就寝間際になってからだった。兄からのメッセージ。

『最近よく見る夢じゃ。お前が左膝血だらけにして、俺に泣きながら謝ってくる。……覚えとるか?』