さもゆ
2024-12-10 02:53:32
30710文字
Public DB
 

【悟チチ】誰にも渡さねえ

時系列はふわっと力の大会後しばらくくらい。能力とか捏造とかご都合とか。ゆるして。

2023.1.21 たべものpixiv投稿作品



 ひとの話は最後まで聞くものだと子どもたちに教えてきたのだから、チチこそそれをできていなければならない。

 けれど誰が咎めたりできるのだろう、自分の家に勝手に侵入してきた不審者の言うことを聞かずとも、おそらく罪にはならないはずだ。チチは悟空の姿をした偽者の手を振りほどくと、鳥肌の立つ腕で身構え、腰を低く落とした。いつでも攻守可能な姿勢で、それでもこの口で確認せずにはいられないことがある。
「まずハッキリさせたいことがある。それに答えるだ」
 男は振りほどかれた手をひらひらさせ「ああ」と頷いた。「何でも訊いてくれ」
「ここに悟天ちゃんはいない。おめえが攫ったわけでも、隠したわけでも、ましてや殺したわけでもねえ。本当にいないんだな?」
「ああ」
「無事だな?」
「ああ。無傷さ。俺は彼にゃ指一本触れちゃいないよ」
「悟飯にも?」
「ああもちろん」
「おらの子どもらは何ともないんだな。悟空さも」
「ああ。それは俺の狙いじゃないからな」
「本当だな。誓えるだか」
「いいぜ。何に誓う?」
「おめえさの記憶のなかで最も尊い者に誓え」
 男はちょっと考える素振りをしたあと、「誓った」と静かにチチを見返した。
 チチは男の黒々とした瞳をその視線の温度すら知ろうとばかりに見つめ返していたが、やがてふと体の力を抜くと、数歩、後退った。それから思った以上に弱々しい声で言う。「おらに何の用だか、一体」

 子どもたちが無事なら、それでいい。
 だから緊張の糸が解けてしまった。
 元来の怖がりな部分が喉の奥で震えている。

 男の立ち上がる挙動にすらびくりと反応したチチに対して、形だけは悟空と同じ眦が緩やかに弧を描いて見下ろす。「別に酷いことをしに来たわけじゃあない」安心させようと低く発した声音も丸きり悟空だ、それが余計に薄ら寒い。「俺はあなたを傷つけない。分かるだろ?」胸に刺さったままの包丁をわざとらしく反らして見せ、男はチチに近づいた。
「俺はあなただけに会いに来た。ほかのことはどうでもいいんだ」
「何のために。何のためにおらだけに会いに来たっていうだ、しかも悟空さを偽って」
「そりゃ決まってる」腕を広げ、抱擁を迫る。「あなたのなかに入りにさ。だって一番安全だろ?」
 
 チチはとうとう旦那の名前を叫んだ。
 叫びながら、男を突き飛ばす。
 年を重ねようが並みの女以上の怪力を持ってはいる、だが相手はおそらくただの人間ではないのだ、しかしそれでもやはりあっけなく男は吹っ飛び壁に激突した。わあああん、突き飛ばされた男ではなく吹っ飛ばしたチチが泣き叫びながら自室に駆け込み閉じこもる。
「悟空さー! おら怖いだよ早く帰って来てけれー!!」
 子どものころのように泣き喚きながら、されど頭の冷静な部分が帰ってくるわけがないと達観していることに、チチは更に涙を溢れさせるしかなかった。





 自分も大概だがひょっとするとそれ以上に不気味な輩しかいやがらねえなとピッコロは内心ぞんざいに思った。

 遠く離れた第十一宇宙の排他的な正義漢に、隣の第六宇宙の真っ当な殺し屋、そして自分たち第七宇宙の純真な戦闘狂とその家族。まともな地球人はいないのか? と思ったがそのまともな地球人のためにこの奇妙な面々は揃っているのだった。

 純真な戦闘狂、戦闘民族サイヤ人である孫悟空の妻、そしてこの場で唯一の混じりけのない地球人チチのなかにはいま、宇宙的に指名手配されている極悪人が潜んでいる。らしい。

 先ほどまで、荒ぶる気を制御しきれていない孫兄弟を伸ばした腕で拘束し「まずは奴らの話を聞け。暴れるのはそれからだ。そのときは俺の腕を千切っても構わん、思い切り暴れろ」と一発で二人の金色を解かせ黙らせたピッコロは、だがあいつを止めるのは無理だな、と悟空から一定の距離を保ちながら、ようやく説明することを許されたジレンの言葉を聞いていた。そうやって拘束するまでもなくジレンの説明を大人しく聞いていた悟空は、一見、冷静そのものだったが、気はおそろしく研ぎ澄まされており触れ方を間違えれば綺麗に切断される鋭利な刃物そのものだった。あれは止められん。ピッコロは伸ばした腕の中にいる兄弟と母親をいざという時はぶん投げてでも遠ざけようと神経を使っていた。悟空が本気で暴れたら、誰にも止められない。止めるつもりもない。ただこの大事な者たちが近くにいては危ないだろうという配慮だ。
 しかしそれも杞憂に終わった。
 ジレンの話は最後までなされた。重要な点はいくつかある。

 ひとつ、チチの頭のなかにはいま物理の及ばない敵がいる。
 ふたつ、心臓は止まっているがその間肉体が朽ちることはない。
 みっつ、敵から解放されるためには頭のなかのチチを殺さなければならない。

 さもなくばチチは敵が満足するまでずっとこのままだという。

 逃げ隠れるのに特化した生き物だな、話を聞き終えたピッコロは思った。たとえ如何な悪さをしても、誰ぞの精神世界に宿ってしまえば早々捕まることもない。何せ肉体が朽ちなければずっと寄生していられるし、解放されるため頭のなかの宿主を殺す方法も常人では思いつかない。
「なぜそんなやつがわざわざ、こいつの嫁のなかに入ったんだ。それも宇宙を超えてまで」
 ピッコロが孫兄弟を拘束している腕の力を緩めつつ問うと、それにはヒットがおもむろに答えた。「殺されないためだ」
「なに?」
「第六宇宙で有名な資産家の娘にそいつが憑りついたことがある」
 ヒットは淡々と続けた。
「随分と長い間だ。中々解放されず、父親が業を煮やして、一か八か、娘の首を撥ねて殺した。それくらいじゃ死なん種族だったが、娘はそのまま死んだ。そして絶好の逃げ場を失った当の悪人は別の人間に憑りついた。今度は強いと評判の傭兵の弟だ。兄は八方手を尽くしたが、弟が解放されるまでに七十年かかった。弟が目覚めたときには、兄は既に寿命で死んでいた」
「何ですって」悟飯が声を上げる。緩んだ拘束を強く握ったためピッコロは再度力をこめ直した。その腕から心持ち身を乗り出して言う。「それじゃあ、方法は見つかってないってことですか。頭のなかの本人を殺して解放される、その方法が?」
「そうだ。奴に干渉できる者はここ五百年ほどいない」
「ごひゃ……っ」
……人の口に戸は立てられん。先の力の大会で、孫悟空が最強の男だと多くの宇宙に知れ渡ったことだろう。そんな男の伴侶ならば、外敵から隠れ家 ・・・を破壊される心配もない。先刻のように何に代えてもその男は伴侶を守ろうとするだろうからな。少なくとも、孫悟空が死ぬまでは安全に逃げていられる」
「だからお母さんを狙ったんですか。そんなことの、ために」
 悟飯が静かに目つきを鋭くする。これは腕を千切られるかもな、ピッコロは他人事のように思った。せめて地球が破壊されなければいいのだが。
「よく分かんないよ」
 大人しく話を聞いていた悟天が、とうとう我慢ならないふうに腕の中で身を捩って声を上げた。
「お母さんは目を覚ますの、覚まさないの?」

 そうしてそれまで黙っていた悟空が口を開いた。

……ヒット、アンタは百発百中の殺し屋だ。依頼された殺しを失敗したことはねえ。つまり、そいつを殺せる算段があるからここにいる。それにジレンもだ。おめえがぶちのめせねえ奴なんざいるわけがねえ」

 次男坊に笑いかける。

「大丈夫だ、悟天。母さんは目を覚ますぞ」

 それを見た悟天は、悟天だけでなく悟飯からも、知らず入っていた力が抜けた。兄弟から戦意というものが完全になくなったのを悟ったピッコロは、拘束を解き、腕をもとに戻す。
 孫悟空の「大丈夫だ」には時々不思議な力があるとしか思えない。全く大丈夫でない時もあるが、いまのように、全幅の信頼を寄せて安心できる時もある。血の繋がった子どもにとってその違いは本能的によく分かるのだろう。悟飯も悟天ももう敵意をぶり返しそうになかった。
 しかしどう転ぶか分からないので地球が絶対に破壊されないとは言い切れないのが現状だ。現に大丈夫だ、と言ったくせ悟空はいつでも戦えるよう気を張り詰めている。

 悟空に勝手に頼りにされた外宇宙の二人は、顔の普段あまり使わないどこかの筋線維がぴくりと変な動きをしたのを感じた。お前が言うのか、と言ってしまいたかった。
 暗殺することも、ぶちのめすこともできなかったお前が、それを言うのか。
 つくづく腹立たしいほど、いっそ痛快なほど妙なやつだ。孫悟空という人間は。

「それで、オラはどうすりゃいい」
 悟空は無防備にかつて敵同士であったヒットとジレンを見やる。
「言ってくれ。何でもする。チチが目を覚ますんなら」

 その信頼しきった眼差しはひとりで高みまで到達したジレンにとっては痛いくらいだった。
 自分と同じ、ただ強さを追い求めて生きてきたはずなのに、どうしてこうも見る景色が違ったのだろう。それどころか、この男は無理やり気づかせてきた。己は上を見すぎるがあまり、いつの間にかそばに誰かがいたことにすら気づかなかったことを。――宇宙を跨ぐことに制約があるためいまはひとりだが、プライドトルーパーズはひとりではない。だから己ひとりではなく、我々の仕事をこなさなければならない。
「この惑星には願い玉というものがあるのだろう」
 ジレンは言った。いまでも、ただ願うだけで望みが叶うなど馬鹿々々しいと思っている。そんなものがあるならどうして――第十一宇宙の人間がいくら願ったところで無駄な話だ。
「死者をも生き返らせることのできる、その玉を集めろ」
「ドラゴンボールを? そんな簡単な話なんか? 神龍は確かにすげえけど……なあ、ピッコロ」
「ああ。あれはあいつの力を超える望みは叶えられない。いくつも宇宙を超え悪さする輩をどうこうできるとは思えんな」
「どうこうするつもりはない。奴は俺が捕らえるからな」
 そう言ったジレンをヒットが無言で見つめる。視線は音を発することはなかったが確かな抗議だった。“捕らえる? 殺すの間違いだろう”“……殺し屋に好きにはさせない”
「なら、たとえば神龍にお母さんの目を覚まさせる切っ掛けとかを願えばいいということですよね。それなら、叶えられるかもしれない」
 ジレンの言葉から真意を汲んだ悟飯は続けて言った。「すぐに行きましょう、ブルマさん家へ。ドラゴンレーダーを借りてこなくちゃ」自分の腕に抱えた母親の体は既に墓土の下に埋まっているかのように冷たい。肉体が朽ちることはないと聞いていても、このままじゃ、心臓が再び動くことにすら疑念を持ってしまいそうだ。
「そうだな。まずは何でも試してみねえと」
 頷いた悟空は再度、外宇宙の二人に向き直る。「ドラゴンボールは全部で七つあるんだ。ヒット、ジレン。集めんの手伝ってくれねえか」
……元は我々第十一宇宙の不手際だ。よろしく頼む」
「俺は仕事をこなすだけだ。で、ドラゴンレーダーとは?」
「実物見た方が早え。みんなオラに集まってくれ、瞬間移動する。悟天、おまえは母さんのそばに――
「いやだよ」悟天は強く反応した。「僕も行く。ドラゴンボールは七つあるんだよ? 僕も探しに行く」
「けど、その間母さんをひとりにするのは」
「ブルマさんのところへ行くんなら、そこで寝かせてあげようよ。お願いお父さん、僕も力になりたい」
 悟空は困って末子の隣、長男を見た。長男は父親の視線を受け口を開くものの、一寸後言おうとしていた言葉を飲み込むように口を閉ざし、また開いた。「僕からもお願いします、お父さん。こんなときにじっとしていられるほど、孫家の男は大人しくありません。よく分かっているでしょう」
……ハハ」
 眉を下げて笑うさまはよく目にする表情だった。そして大抵の場合、それは諦念の意を含んでいる。
「ようし、分かった」悟空が言うと、悟天はぱっと表情を綻ばせた。息子の変化を満足げに見届け、自身の額に指を持っていく。「みんなオラに集まってくれ。なるべく体の一部に触れるんだ。準備はいいな? ……行くぞ」



  


 幼馴染みのあの孫悟空が唐突に現れるときは大抵ロクでもないことが起こっていると相場は決まっていてもそれに対して毎回毎回律儀に悲鳴を上げて驚くブルマは相当人がいいに違いなかった。

 それとも、単純にヘンなやつか。どっちかである。

 人類どころか人外までも驚き便利に思う物を数多く発明しておいてそれでもまだ驚くことがあるのだから、やっぱり最終的には孫悟空が凄いという話になるのかもしれない。
 とにかくその凄いやつ、悟空が目の前に現れたとき、ブルマは真っ先に悲鳴を上げ飛びあがった体とは裏腹に定員オーバーよ、とどこか冷静に思ってしまっていた。定員オーバーよ、孫くん。瞬間移動ってそんな大人数でできるもんなの……

「オッス、ブルマ。いきなりで悪いんだけどドラゴンレーダー貸してくれ」

 微塵も悪びれていないように見える孫悟空は、瞬間移動のため悟空に触れていなければならなかった他五人が自分から離れるのも待たずに、本当にいきなりいけしゃあしゃあと告げた。が、ちょっとして「あ。ベジータはビルス様ンとこで修行してる。元気だぞ」と思い出したように言った。
 これは大きな成長だった。
 ブルマがきっと旦那であるベジータのことを気にしているに違いないと思って発した気遣いの言葉だろう。謂わば社交辞令のようなものだ。そんなことで突然目の前に現れたプライバシー侵害行為が帳消しになるわけではないが、ブルマはちょっと拍子抜けして「あ、そう。ならいいんだけど」と心の底からの本音をつい零した。零してしまってから、眉を跳ね上げる。いいわけがない。「いやちょっと待ってよ、ドラゴンレーダー? また何かあったの? ……そりゃもう、……あったんでしょうねえ」
 そうそうたる面子だ。
 悟空に、その息子二人とピッコロ、いつぞやの隣の宇宙の殺し屋に、……筋骨隆々な宇宙人。同じ宇宙人ぽい見た目をしたジャコとはえらい違いだ。しかし一際ブルマの目を引いたのは悟飯が抱えている孫家の夫人だった。
「チチさん、どうかしたの? ううん、どうかしたからアンタたち来たんでしょ、分かったわ、もういい。何も言わないで」
「オラ何も言ってねえぞ」
「黙って。けどこれにだけは答えて。返事は頷くか横に振るかよ、いいわね? ……チチさんを寝かしてあげた方がいい?」
 悟空は黙って頷いた。
 ブルマは盛大に溜め息を吐き出す。
「ええそう、ドラゴンレーダー? 分かったわよ取りに行くわよ。悟飯くんアンタだけ着いてらっしゃい、ゲストルーム案内するから。アンタたちは先に外に出てって、一刻も早く、あたしの部屋から、出て行って。簡単でしょ?」
 毎度のことにもなると驚愕をもたらす唐突さにも対処の初動が早くなる。
 それから、どっちかではないんだろう。
 ブルマは正真正銘、ヘンだ。けれどもついでに、すこぶる頭の切れるいいやつに違いなかった。
 


 弟分でもあり親友でもある悟天が泣いた痕のある顔を決意に漲らせて「いまからドラゴンボール探しに行くんだ」と言えば、もちろん兄貴分でもあり親友でもあるトランクスが手伝うと言い出さないわけがない。
 そばにはなぜか自分の父親を打ち負かした隣の宇宙の殺し屋がいたので一睨みすることにはなったものの、そんなの、親友一家の一大事ともなれば些細なことだ。今は気にしていられない。母親であるブルマも止めやしなかったので(危ないことはするなと言いはしたが)トランクスも参加することになり、かくして、七つの玉を集めるメンバーは七人となった。

 そうしてこの惑星中に散りばめられた七つの願い玉は、三十分と経たずにあっけなく集められた。

 宇宙間を行き来する外宇宙の二人が地球の大自然の猛威に臆するはずがなく、それは元々この星の神であったピッコロも同様、また、悟飯が武空術のスピードを考慮しカプセルコーポレーションから比較的近い座標に弟とトランクスを行かせたのも功をなした。悟飯が言うまでもなく悟空は最も遠いところへ赴き、そして一番早くに戻ってきた。
 三十分前に見送った七人が三十分後には戻って来たのを出迎えたブルマは、彼らの気というものを燃料に代えられたらどんなにいい交通手段が生まれるかしらと科学者魂がくすぐられた。きっと道路法も何もかもしっちゃかめっちゃかになって、文明が滅びちゃうわ。やめやめ。

 集めた願い玉をさっそく揃えて置こうとしたが、地面に置くのもどうかと思ったピッコロが念力で浮かせてやり、悟空は一歩前へ踏み出した。最早言い慣れた合言葉を紡ぐ。

「いでよ神龍、そして願いを叶えたまえ!」

 空はにわかに太陽の輝きを失った。
 暗闇を一筋の雷鳴が切り裂き、そこを龍の鱗が翔け抜ける。
 雷の色をした大判の鱗がこの星の神を想起させる緑色に落ち着いたところで、現れた神龍は頭をもたげて自分を召喚した者たちを見下ろした。
――さあ、願いを言え。どんな願いも三つだけ叶えて、」こういうことに制約はつきものだが、その制約めいた言葉を途中で切るくらいには異質な者たちのなかに重要な存在が混ざっていた。「こ、これはピッコロ様。ご無沙汰しております」
 水を向けられたピッコロは見上げて口を開いた。
「本来はもっと無沙汰していていいはずなんだがな。悪いな、神龍」
「い、いいえ。わたしには勿体ないお言葉です」
「あのな、何度か言ったが俺はもう神じゃないんだ。そうかしこまるな」
「そうはおっしゃられましても……
「今からお前に無茶を言うんだ、尊大にしていろ」
 そう言われた宙を埋め尽くすほどの大きな龍は、体に見合った唸り声を発すと「……どんな願いも三つだけ叶えてやろう。願いは何だ」と厳かに言い直した。あとは願いを言うだけ。それだけで、ドラゴンボールは力を発揮する。
「チチを目覚めさせてくれ」
 まず、悟空はそう言った。
 説明などせずとも寸分違わぬ意思を汲んで神の龍は願いを叶える。それも迅速に、少しの間も置かずに。
 それが数秒の沈黙を保ったということは、つまり、この願いは神龍にとって容易ではないということだ。
「神龍、」
――その願いは叶えられない」
 やはりそうだった。
 神龍は己の力の範囲外を探るため更に間を要し、やがて慎重に言う。
「その者を目覚めさせることは、わたしにはできない。その者の意識を奪っている存在は、わたしの力が及ぶ領域を遥かに超えている」
「そうか。じゃあ、チチの頭ン中にいる奴は放っといていい。ただチチの目を開けることはできるんか? この質問に答えるのが一つ目の願いでいい」
「可能だ」今度は間髪入れず神龍は言った。「だが、お前の本当の願いからは遠かろう。瞼を開けても、廃人か人形同様の生命に成り果てる」

 そんな、悟飯が口の中で呟き、拳を握った。あのお母さんが、廃人だって?
 うなじか、尾てい骨にある尻尾の痕が僅かにぴりつく。そんなのは、ゆるさない。ゆるされないことだ。僕たちのお母さんは、あのパオズ山にある家で、あの安全と安心が育った家で、大切なひとが帰ってくる場所で元気に暮らしていてくれなきゃ困るんだ。だってそうじゃなきゃ。
 そうじゃなきゃ、お父さんは一体どこに帰ってくるっていうんだ。

「構わねえ」
 けれども悟空がそう言った。
「叶えてくれ。二つ目の願いだ、神龍。チチの目を開けさせてくれ」
「良かろう。その願い、叶えたぞ」
 悟天がすぐさま背後の邸宅へ飛んで行き、ベッドに寝かされている母親の様子を見に行った。トランクスもその後を追い、残った大人たちは神妙な顔をして悟空を見ていた。その視線を背中に受けながら、悟空は続ける。
「最後にひとつ。たった一度、一度だけでいいんだ、オラの言葉をあいつに聞かせてほしい」
……条件次第では、可能だ」
「条件?」
「ただ聞かせるだけでは届かない。制約を作り、それに則るならば、わたしの力で叶えられる」
「よく分かんねえな」
「さっき悟飯が言っていたことと一緒だ」見兼ねたピッコロが助言する。「たとえば、お前が手を叩いている間、チチに言葉を届けられるようにしてほしい、とかそういうことだ」
「なるほどな!」悟空はあからさまに顔を明るくして「じゃあそれで――」と言い切ろうとした。
 しかしそこにブルマが待ったをかけた。
 慌てて幼馴染みの肩を突き飛ばし、神龍の前に進み出たのである。
「イテっ、ブルマ、何す」
「黙ってなさい孫くん!」
 ブルマはきつく悟空を睨んだ。ここに至るまでの経緯は、チチをゲストルームに運ぶ間に悟飯から聞いていた。どうしてこの男共はいつもいつも女を泣かせてばかりいるんだろう? 腹が立つ。
「神龍、その制約ってのは何でもいいわけでしょ? たった一度? たった一度、もしかしたらもう二度と旦那の声を聞けなくなるかもしれないのよ、手を叩いている間なんて冗談じゃない! キスよ」
「え゛っ」
 悟空があの純真な眼差しを意味不明なものを見る視線に変えてブルマを見るが、彼女は止まらない。昔っからそうだ、ブルマの口は時々何か魔法ででもできているかのように悟空にとって理解不能な言語を繰り出す。
「キスして、力強く抱きしめてる間、チチさんに孫くんの言葉が届くようにして! これが三つ目の願いよ!」
「ちょっ、止まれブルマ、オラの理解置いてってるぞ」
「いい気味よ孫くん、仙豆を口移しで食べさせろって言ってるんじゃあないのよ。アンタが色事に疎いなんてことは百も承知! それでも容易い願いでしょ、神龍!」
「ああ。その願い、叶えよう」
「オイオイオイ待て神龍」
「叶えたぞ」
「あちゃー……、マジか」
「孫悟空、貴様がチチに接吻をし強く抱擁をしている間は、かの者の意識に貴様の言葉が届くようにしておいた。効果は一度きり、例外はない」

 ではさらばだ、役目を終えた神龍はまた雷となって消え、七つの玉はそれぞれ誰の手も届かないはずのところへ飛び散った。
 悟空とブルマが何やら言い合いしているのを見ながら、悟飯はちらりと隣のピッコロを見上げた。良かったんだろうか、神龍に接吻やら抱擁やら俗なことを言わせて。
 半ば気遣いの目を向けられたピッコロは、悟飯がかつてよく見ていた怪訝な顔を浮かべて首を捻った。
「キスとは、人間が口と口を合わせるあの奇怪な儀式のことだろう。手を叩くのじゃ何が駄目だったんだ? 儀式的には大差ないだろう」
……
 悟飯は黙りこくった。
 それから慎重に口を開く。「……ええと、ピッコロさん。今度、パンちゃんに童話を読んであげようと思ってるんですけど、一緒にどうですか。眠り姫っていって、呪われたお姫様が王子様のキスで目を覚ますお話なんですけど……
「なに、じゃあ口を合わせるだけで呪いが解けるのか? 驚いたな。童話とはいえ、まだ人間にそんな不可解な謎があったとは……。人間の精神構造と発想力には度肝を抜くものがある」
「はは……
 苦笑しながら、改めてゆっくり自分の周りを見渡す。生粋の戦闘民族に、元神の魔族に、時を操る殺し屋に、神域に達している正義漢に、良識はあるマッドサイエンティスト……
 ここにまともな人間はいないのか? 悟飯は思った。