さもゆ
2024-12-10 02:53:32
30710文字
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【悟チチ】誰にも渡さねえ

時系列はふわっと力の大会後しばらくくらい。能力とか捏造とかご都合とか。ゆるして。

2023.1.21 たべものpixiv投稿作品

 すぐに分かった。だから包丁を投げつけた。
 投げた包丁は相手の胸に刺さり、チチは怯んだ。そんなふうに刃物が刺さったのを見たのは初めてだったからだ。殺してしまっただか、と思ったが、流れるはずの血は流れず倒れるはずの身体も倒れない。チチはすぐに怯えを押しやり、気を引き締めた。家の外には悟天がいる。母親が取り乱してはならない。
「悟空さじゃねえだな?」
 硬い声音で訊ねると、胸に包丁が刺さったまま玄関に立ち尽くしている夫の姿をした何者かは、へえ、と声を漏らした。
 悟空の声と同じだったが、それが彼じゃ到底出せないような感嘆の響きを持っていることを察し、益々身を構える。武道の型は、何年経とうがこの体に染みついている。そして、その体がとっくに音を上げていることにもチチは気づいていた。“勝てない”“相手をするな” ――だから何だって言うだ、呼吸を深く心掛け、震えそうになるのを堪える。外には悟天ちゃんがいるだ。おらが気丈に振る舞わねえでどうする。
「こんなにすぐ見破られるとは思わなかった」
 悟空の声と姿をした者はそう言って首を傾げた。
「俺はただこの家に入って来ただけなのに、どうして分かったんだ?」
「おめえさがおらの旦那かそうでないかくらい、気配で分かるだ。おらはおめえの気配なんぞ知らねえ。この家じゃ一度も感じたことがねえ。何者だか、おまえ」
「ふーん。さすが宇宙最強の嫁さんだな」
……悟空さなら今ここにはいないだよ」
 宇宙最強がどうのこうのは、十中八九、悟空絡みの事象だ。そうでなくともこの不審者は悟空の姿形を模している。ということは、やはり狙いは確実に宇宙最強の男の息子、悟天か悟飯だ。チチの長年の経験によって叩き出された冷静な答えは、いつもチチを幼いころのように泣き虫にはさせてくれない。怖いと言って泣き喚けたらどんなに楽だろう。
 男は歯を見せて笑った。
「安心しろよ。先ほどからあなたが気にしている子どもも、ここにはいないよ」
 チチは即座に手元にあったまな板を男に向かって投げつけた。
 切りかけていた菜っ葉が宙を舞い、床に落ちるよりも早く駆け出し外に飛び出す。まな板を食らい、更には突き飛ばされた男が壁にぶつかる音が後ろで派手に鳴った。
「悟天ッ!」
 外は朝と変わらず快晴だった。
 だが昼餉の支度ができるまでの間、家の前で遊んでいたはずの悟天の姿がない。ほんのついさっきまで、蝶々や鳥を追いかけひとりはしゃぐ声すら聞こえていたのに、まるで元からいなかったかのように静寂が張り詰めている。悟天ちゃん! もう一度叫び、山のどこからも返事がないのを待って家の中へ駆け戻った。そうして玄関付近で倒れていた筋骨隆々の男の胸倉を掴んだ。
「おまえ! 悟天ちゃんをどこにやっただッ、言え! おめえらの戦いに子どもを巻き込んでみろ、悟空さよりおらが先におめえのことはっ倒してやっからな!」
「はっ倒されてるけどな、もう」
「大人の戦いに子どもを巻き込むんでねえ! とっとと悟天ちゃんを返すだ!!」
「じゃああなたが身代わりになってくれるのか?」
「なる」チチは即答した。
 即答してから、むりだ、と思った。果たして自分に、破壊神のいるどこか遠い惑星で現在修行に明け暮れている悟空を誘き出すだけの力があるのだろうか? ない。地球の危機でもないし、現にいま彼らの言う『気』というものがいくら精神を落ち着かせようと努めていてもおそらく乱れまくっているだろうに悟空は現れないのだ。近くにいたら、たとえ川で素っ裸で泳いでいても駆けつけてきてくれたことのある夫は、いまはチチの気も感じられないほど遠くにいるらしい。けれどいつだって地球の危機より子どもの命だ。「……悟天ちゃんを返せ。そしたら、おらのこと煮るなり焼くなり、好きにしたらええ」さすがに自分の子どもでなくとも嫁が煮られそうになったら遠くの悟空も素っ飛んで来てくれるだろう。
 チチが絞り出すように言った言葉を、目の前の男は、まな板がぶち当たったせいで凹んだ額を気にもせず笑って聞いていた。眉をひそめる。
「何へらへらしてるだ」
「いや、可愛いなと思って」
「は?」
「元より、そのつもりなんだ。あなたは勘違いしているけれど、その勘違いも魅力的だ」
「何を言ってるだ、おめえ」
 不気味に思って離しかけた手を、大きな手に掴み取られた。
 節が目立ち皮が分厚く、体温の高いはずの手は、血潮の温かさを少しも感じられなかった。悟空の姿をした偽物が言う。

「いなくなったのは、あなたの方だぜ。それに悟空でも悟飯でも悟天でもない、俺はあなただけに会いに来たんだよ。チチさん」