riririnf
2024-12-07 11:50:03
25900文字
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岩の舞台で踊る、踊る

ヌヴィフリ逃亡書いてみた③
捏造過多。鍾離先生が出張ります。ヌヴィレットの出番は少なめです。


 往生堂。死を司るその場所に望んで訪れる物好きなど、そうはいないようで、中々の好立地にあるにも関わらず、人の寄り付きは殆どない。それはつまり、秘密の話にうってつけ、ということでもある。
 鍾離に導かれてフリーナが足を踏み入れた時、堂主の胡桃をはじめ、往生堂に勤める者は皆不在にしているようだった。
「茶でも淹れよう。適当に座っていてくれ」
 この場において唯一の社員である鍾離は、いつもの穏やかな声で告げると、部屋の奥へと消えていった。
 フリーナは指示に従って松の円椅子に腰掛け、何を考えるでもなく、殆ど身動ぎもせず鍾離を待った。今は頭を働かせることが億劫だった。
 そう時間をかけず、鍾離が茶器を携え戻ってきて、慣れた手つきで茶を淹れてくれた。先生との敬称に違わず、知識の豊富さだけではなく実技の腕すら持ち合わせている彼の茶は香りからして素晴らしく、その美味しさと温かさに、フリーナは、ほぅ、と息を吐き出した。
…………すごく、美味しいよ。……ありがとう、鍾離先生」
 熱が身体に染み渡って、頭と身体が解されていく。ようやく頭を回し始めたフリーナは、まずはお礼の言葉を口にした。
「それはよかった。好きなだけゆっくりしていくといい。見ての通り、他に客人もいないからな」
 垂香の円卓を挟んで円椅子に腰掛けた鍾離の鷹揚な微笑みに、フリーナは口元を緩ませた。堅牢な岩の如く、何にも動じず常に同じ姿を保つ彼の姿は、フリーナに安心感を与えてくれる。
…………聞かないのかい。さっきのこと」
「ああ。フリーナ殿が話したくないのならば、無理に話さなくとも構わない。思うに、複雑な事情があるんだろう?」
 結構な覚悟で切り出したのだが、鍾離はさらりと躱してくる。行き場を失くした覚悟が空回り、フリーナは溜息をつく。
……ずっと思っていたけどさ、優しすぎるよ、鍾離先生は」
「そうでもないぞ?俺だって人は選ぶし、自己の利益だって考える」
「そんなこと言って、これだって無償で与えてくれたじゃないか」
 フリーナは懐から複雑な紋様が描かれた一枚の護符を取り出すと、円卓の上に置いた。
「それを作り、フリーナ殿に渡したのは仙人殿だ。俺ではない」
「でも、その仙人殿……閑雲を紹介してくれたのは鍾離先生だよね」
「彼女はその界隈では有名人だからな。俺の紹介がなくとも、フリーナ殿なら、いずれ彼女とも縁を紡げただろう。俺はその時期をほんの少し早めたに過ぎない」
 飄々と語る鍾離に、フリーナは口を尖らせた。彼はいつもこの調子で、まともに感謝を受け取ってくれない。
「これを作ったのが誰だったとしてもだ。璃月に来たばかりの頃、偽名を使おうと思う、って言った僕を止めてくれたのは、鍾離先生だよ」
 今はもう市井に降り、フォンテーヌの法律上は、なんの問題も無く国外に移住出来てしまう身分とはいえ、それでも自分が全くの一般人であるとも言えないことは、十二分に理解している。
 国外の神の姿を知る者はそうはいないが、それでも分かる人には分かってしまうし、もとよりフォンテーヌ人を前にしては、どうしようも無い。
 元水神という立場はフリーナに一生ついてまわるもので、過去それにより齎されるトラブルや困難も沢山あった。これからだって、あるだろう。
 自己の力で解決出来ない程の大きな案件であっても、フォンテーヌにいさえすれば適切なサポートを受けられた。しかし異国の地においては、そうもいかない。
 もし璃月で何らかのトラブルを起こしてしまえば、七星だって流石に黙ってはいられなくなるだろうし、そもそもフォンテーヌに纏わる全てを捨てて、逃亡という道を選んだのだ。せめて静かに暮らしたかった。
 だからフリーナは名前すらも捨てようとした。水神だと突き止められる危険性を極力排除したかった。それを止めてくれたのが、鍾離だ。
「名前というのは、己を示し、己を護り、己を縛る、非常に大切なものだ。フリーナ殿が真から望んで新たな名前を求めるのならば止めはしなかったが、俺にはそう見えなかった」
 鍾離の指摘通りだ。名を偽るということは、自分を偽るということで、それは再び自分以外を演じるということだ。
「だから口を挟ませてもらった。幸い、フリーナ殿の懸念を解決する手段に心当たりがあったからな」
 円卓上の護符に目を向ける鍾離に釣られて、フリーナも護符を見る。
 この護符には周囲の人間からフリーナに向けられる認識を歪めてくれる力がある。厳密には、フリーナをフォンテーヌの元水神“フリーナ・ドゥ・フォンテーヌ”だと結びつけることを、ほんの少しだけ阻害してくれるのだという。
 勿論万能という訳ではなく、元々フリーナを元神だと知っている者には意味がないし、新聞などの文字媒体までは効果が及ばない。
 それでも持っているのと、いないのでは雲泥の差で、五百年の経験から他者の視線に敏感なフリーナは、その効果をよく実感出来ていた。
……これのおかげで、僕は“フリーナ”として、この街にいられるんだ。本当に感謝してる」
 鍾離のおかげで、名前だけは捨てずに済んだ。再び他人を演じずに済んだのだ。それは鍾離が考えているであろう以上に、フリーナにとって重要な意味を持つ。
 ……やっぱり、ちゃんと伝えよう。
 璃月に来てから沢山力になってくれて、さっきも助けてくれて、今も美味しいお茶を淹れてくれて、みっともなく取り乱した自分が落ち着くのに付き合ってくれている。
 そんな大恩人に事情を隠し続けるのは、あまりに不誠実なことであるように思われた。
 それに、そもそも隠し事は好きでは無い。大変得意ではあるけれど。
「さっきの彼はね、元カレさ。フォンテーヌにいた頃のね」
 元カレ。こんな俗な単語は、どうにも似合わないとも思う。彼に当てはめるのも、鍾離に聞かせるのも。
 けれども、これ以上分かりやすい表現もない。
 誰にも打ち明けたことのなかった関係。季節が何巡もして初めて口に出来た、もう終わってしまった二人を指す言葉。
 鍾離はピクリと眉を動かしたが、特段に驚くようなことも無く、そうか、と頷いた。
「察するに、あまり良い御仁ではなかったようだ。今、フリーナ殿にそんな顔をさせているようではな」
 どんな顔をしているというのだろう。フリーナにはまるで分からなかった。五百年もの間、表情管理を徹底すべき役者であり続けたというのに、今は随分気が抜けてしまっているらしい。
 分からないことはさておいて、フリーナは首を横に振る。
「それは違うよ。彼は、とても優しいひとだ。優しすぎるくらいにね」
 だからフリーナの浅慮に一年も付き合う羽目になった。結果、彼を不誠実な男にしてしまった。
「全部、僕が悪いんだ」
 身の程知らずの夢を見た。その代償が、今。
「男女の仲に正解など無く、暴利的である等の例外を除き、どちらか一方のみの責であることは、あまりない。だから、そのように自己を追い詰める必要もないと思うぞ」
 そう言う鍾離の声は、とても優しい。
……ありがとう、鍾離先生」
 精一杯笑みを作ったつもりだが、それでも応える声は沈んでいて、鍾離の言葉に納得がいっていないことが丸わかりだ。
 しかし鍾離は気を悪くする様子もなく、一口茶を啜った。真似るようにフリーナも茶飲みを口に運ぶ。
 そうして一息ついて、再び空気が和らいだ頃、鍾離が口を開いた。
「フリーナ殿は、これからどうする?」
 抽象的な問い掛けだったが、フリーナはその意味を何となく理解した。
……今日彼に会ったのは全くの偶然で、何故彼が璃月にいるのかは分からない。でも、彼の立場と性格から考えて、そう長居することもないと思うんだ。だから暫く家に篭っていれば、そのうちに彼はフォンテーヌに帰ってくれるだろう」
 フリーナは当分の身の振り方を回答した。しかし鍾離は少し考えるような素振りを見せる。
「フリーナ殿が言うのならば、そう外れた予想でもないのだろうが……、それでも期間も目的も分からず待つというのは大変じゃないか?」
「それは……
 フリーナは目を伏せた。鍾離の言うことはもっともで、何時、何処にいるのか全く予想がつかない以上、彼を避けるのはそう簡単なことではない。買い物にも行けないし、仕事にだって差し障る。
 それでもフリーナは、それ以外の方法を選べない。何故なら。
……次、彼に会ってしまった時、上手く出来る自信がないんだ。鍾離先生だって見ただろう?僕の酷い有様をさ……
 きっと自分は同じ失態を繰り返す。
 だから、逃げるしかないのだ。自分には、それしか出来ない。例え行き着く先が見えずとも。それが酷く惨めであろうとも。
「ふむ……
 鍾離は手に持った茶飲みを円卓に置いた。行儀の良い鍾離が立てる音など無いに等しい筈なのに、陶器と木材が奏でる音がやたらと大きく聞こえて、フリーナは顔を上げた。
 すると見たこともないくらい真剣な色を宿した琥珀の瞳と目が合って、フリーナの心臓がドクン、と跳ねる。
「フリーナ殿、これは提案なんだが」
「な、なに……?」

「俺と、恋人にならないか?」

 ──瞬間、頭が真っ白になった。
「え……、え……?な、なんで……
 声が震える。まさか、鍾離は自分のことを──……
「例えば彼に復縁を迫られた時、断る良い口実になるだろう?」
「は」
 さらりと宣う鍾離に、フリーナは、ぽかん、と口を開けた。
「あ……、な、なるほど、そういうこと……
 勘違いしたことがいたたまれなくて、視線を逸らし自身の癖毛を指に巻き付ける。どうやら、これは所謂愛の告白などではなく、フリーナの為を思っての親切心であるらしい。
 ならば自分は鍾離の気持ちに気付かなかった朴念仁にも、散々恩を積み重ねておいて、無情に断る悪い女にもならなくて済む。ああ、よかった……
 ……って、全然よくない!
「いやいやいや!彼が復縁を迫ってくるなんて、有り得ないから!」
 フリーナは思わず椅子から立ち上がって、胸の前で否定の意を込め両手を振った。
「そうか?フリーナ殿は彼が璃月を訪れるなど、夢にも思っていなかったのだろう?ならば今後何が起こっても不思議ではない」
 対する鍾離は滔々と語る。
「そ、それは……
 ……そうなのかな?
 有り得ない、と思うものの、鍾離が言うと妙な説得力があって、フリーナは否定しきれなかった。
「恋人となればフリーナ殿と共に過ごす機会が増えても不自然ではない。そして彼がフリーナ殿の言う通りの優しい御仁であるならば、今後ばったり彼に会うことがあったとしても、逢引の邪魔はしてこないだろう」
 何やらとんでもないことを言われている気がする。
「え、えーっと……
 どこから考えればいいのだろう。うん、ひとまず冷静になろう。フリーナは円椅子に腰を降ろした。
 ──────要するに。鍾離は恋人の振りをしようと申し出てくれているのだ。
 パニック寸前の頭を一生懸命働かせ、今までの会話を思い出し、フリーナはそう結論付けた。ならば、答えは一つ。
 フリーナは一度大きく息を吐き出して、呼吸を整えてから口を開いた。
……気持ちだけ貰っておくよ。鍾離先生にそんな迷惑は掛けられないからね」
 これ以上、恩を積み重ねたくない。返せるだけのものを自分は持っていないから。
 フリーナはニコリと淑女の笑みを貼り付けた。鍾離なら、これで引き下がってくれるだろうと思われた。
 鍾離は優しいが、恩着せがましい人ではない。本当に困っていて、こちらが求めている時にだけ、するりと手を差し伸べてくれる、そういう大人の気遣いが出来る人だ。
 そう信じていたからこそ、次の鍾離の言葉は、あまりに予想外のものだった。

「──「契約」を覚えているか、フリーナ殿」
 
 そう問う鍾離の視線が、卓上の護符に移動した。フリーナもまた、護符に纏わる記憶を呼び起こす。

 護符を貰ったその当時。璃月に渡ったばかりのフリーナの心は荒波の上の小舟の如くに不安定で、受け取る恩の一つ一つが申し訳なくて、しかし受け取らなければ立ち行かないことが情けなくて、とにかく平静でいることが難しかった。
 その日のフリーナは受ける恩の大きさに遂に潰れそうになって、何かできることは無いかと図々しくも鍾離に頼み込んだのだ。
 フリーナ自身の為でしかない利己的な要求に、鍾離はそれでも優しく応えてくれた。
『ならば、一つ俺と契約を結んでくれないか』
『契約……?』
『ああ。内容は、そうだな……“来たるべき時が来たら、一つ、俺の願いに応える”、でどうだ?』
『来たるべき時って?』
『さあな。俺にも分からない。来るかもしれないし、来ないかもしれない』
『なんだい、それ。……でも、分かった。その内容で契約するよ。ありがとう、鍾離先生』

 ──それは、フリーナを慰める為に、仕方なく結んでくれたものだと思っていた。
 だから、決して忘れていた訳ではないけれど、この場において「契約」の話をされたことは、とんでもない衝撃だった。
 だって、こんなタイミングで、「契約」を持ち出すということは。

「改めて提案しよう。俺の恋人にならないか?そう身構えなくとも、そういう名前の茶飲み友達が出来たとでも思ってくれればいい」
 
 悠然と微笑む鍾離は茶飲みに手を伸ばす。フリーナも真似るように自らの分に手を伸ばし……、すっかり中身がなくなっていることに気付く。
 ──もう、時間稼ぎは出来ない。そも、「契約」を持ち出された時点で、フリーナに拒否権はない。
 かつて璃月の地を治め、今は天へと昇ったというモラクス──岩王帝君は何よりも契約を重んじ、破る者は岩食いの刑に処したという。それが岩の国のルールならば、従うことが正だろう。水の国において、法律遵守が絶対のルールであるように。
……分かった。その提案を受け入れるよ」
 覚悟を決めて、フリーナは頷いた。
「いいだろう。──契約成立だ」
 瞬間、鍾離の顔から笑みが消え、厳かな宣告が下される。それは遥か高みの神とのやり取りのようにも感じられ、思わずフリーナは喉を鳴らした。

 こうしてフリーナは、鍾離と恋人という名の茶飲み友達となった。