riririnf
2024-12-07 11:50:03
25900文字
Public
 

岩の舞台で踊る、踊る

ヌヴィフリ逃亡書いてみた③
捏造過多。鍾離先生が出張ります。ヌヴィレットの出番は少なめです。

 空は澄んで晴れ渡り、ぷくぷく獣も食べ過ぎで太ってしまいそうな、けれど少々肌寒くもある秋の日のこと。フリーナは異国情緒溢れる街を歩いていた。
 此処は、璃月港。フリーナが愛しい祖国から出奔し、次なる舞台として選んだ地。
 ……あれからもう、三年か。
 璃月に来て一年目は、年中通して温暖で気温差が少ないフォンテーヌとは異なり、明確な四季が存在する風土に翻弄され、季節の変わり目の度に体調を崩していた。
 それでも気温の変化によって齎される景色の移り変わりは実に雅で美しく、異国で独り過ごす寂しさを和らげてくれた。
 二年目からは幾分か余裕が出てきて、やっと仕事に集中出来るようになってきた。今の仕事は舞台演出や演技指導が主で、要するにフォンテーヌに住んでいた頃と差程変わらない。万が一にも正体が露見しないよう、より裏方に徹するようになった、というくらいか。
 最初の内は胡桃や鍾離のツテに頼っていたが、近頃は彼らを通さずとも依頼を貰えるようになってきた。それは異国においても自らの力量が認められつつある喜びと、入国前から随分と世話になり、並大抵のことでは返しきれない程の恩を積み重ねてしまった胡桃と鍾離に、これ以上の迷惑をかけなくて済みそうだ、という安堵をフリーナに与えている。
 長らく自分のことで精一杯であったフリーナは、三年目になってようやく、彼らへの恩をどう返していけばよいか、そういうことを考えられる程の生活基盤を整えたのだ。

 ざあ、っと冷たい秋の風が吹く。巻き上がる紅葉を、なんとはなしに目で追いかけると、空中に浮かぶ巨大な城が目に入った。
 あれは、群玉閣。璃月を治める七星が一人、「天権」凝光が住まう空中宮殿で、彼女の地位と権力を象徴するものなのだという。
 実はフリーナは一度彼女に会ったことがある。璃月に来てすぐの頃、同じく七星の「玉衡」刻晴と共に、フリーナの自宅を訪れたのだ。
 彼女達は多くを語らず、ただ笑みを浮かべてこう言った。「岩の国は貴方を歓迎します」、と。
 彼女達は間違いなくフリーナの正体──フォンテーヌの元神であること──に気付いていて、それでも深くは触れず、フリーナが彼女達の土地で暮らすことを許してくれたようだった。それはフリーナにとって、非常に有り難いことである。
 実際のところフリーナは『人間になった元神』ですらなく、『神だと偽っていた罪人』にすぎないのだ。他国における自らの評判がどのようなものか明確には知らないが、もし元神と接点を持つことが有益だなんて判断されてしまっていたら、今頃フリーナの生活は大変息苦しいものとなっていただろう。
 罪の露見を恐れるのは勿論のこと、彼女達が求めるだけの利益や知見など持ち合わせていないのだと、失望されてしまうに違いない。
 短い会話を交わしただけでも分かる程、彼女達は優秀だった。そして統治者としての威厳と矜恃を持ち合わせていた。
 それは五百年の時を生きても、ついぞフリーナが持ち得なかったもので、それらの能力が必要な時は、焦りが悟られないように必死に取り繕っては、適切な人物に助けを求めていた。殆どはそう、彼に────…………
 気付けばフリーナは立ち止まっていた。それは今脳裏を掠めた人物が、未だフリーナの奥深くに陣取っているという証明で、そんなことでは、と思うのに、それでも足は重く頑丈な鎖に縫い止められているかのように張り付いて、一歩も動いてくれなくて。
 ああ、駄目だな、とフリーナは思う。あれからもう三度目の秋だというのに。……やはり駄目だ。季節を、そんな風に数えてしまう時点で、今も。

「あっ、フリーナ!この間の舞台、すっごくよかったよ!アタシの作った料理が小道具で出てきてさ、なんか感動しちゃった!時間があったら、また万民堂に来てね!メニューにないものでも作れるからさ!」
「~♪」
 元気よく現れ、そして慌ただしく去っていく、狸のような不思議な生き物を連れた彼女は、きっとこれから街の外へ食材を求めに行くのだろう。
 創作料理が苦手なフリーナではあるが、人懐っこく情熱満ち溢れる彼女につい絆されて、何度か試食を引き受けたことがある。結果はまあ、お察しだ。
「ああ、フリーナ。万文集舎の新刊はもうチェックしたかい?素晴らしい武俠小説が入荷されていたよ。また今度感想を聞かせてくれ」
 片手に本を持ち、それでも何にぶつかることもなく器用に歩き去る彼とは、万文集舎で知り合った。異国の書店の情報量に圧倒されて、何から目を通したら分からなくなっていたフリーナに声を掛けてくれ、お勧めの本を教えてくれた。
 彼の見立ては実に的確で、本の面白さは勿論のこと、璃月という異国文化を理解する上で大いに役立つ内容ばかりだった。お勧め本の中にいくつか武俠小説が差し込まれていたのはご愛嬌だ。
「よう!こないだは獣舞劇を見に来てくれて、ありがとな!今度はオマエが演出する舞台も見に行くよ!」
「先日は劇団の舞台演出にご協力頂き、ありがとうございました。温故而知新……とてもよい舞台になったと思います。よければまた、ご一緒しましょう」
 此処で出会った縁が、次々に通り過ぎていく。
 ──やはり、この国に来て正解だった。
 気付けば身体から余計な力は抜け、フリーナの足を絡めとっていた鎖は解けていったようだった。
 ……大丈夫。僕は歩ける。歩いて、いける。 
 ふぅ、とフリーナは息を吐き出した。そうして一歩を踏み出そうとした、その時。

……フリーナ殿?」

 ──瞬間、全ての音が、消えた。
 その声を、聞き間違える筈がない。数百年の間何度も何度も、誰よりも、何よりも、フリーナはその音を聞いてきた。
 平坦な、しかしいつだって冷静で、時に温かささえ滲ませるその音色に、長く孤独な舞台を支えてもらっていたのだと気付いたのは、フリーナが役を降りて暫く経ってからのことだった。
 折角自由を得たというのに、その音色が聞こえないと、どうにも物足りなくって、恋しくて恋しくて堪らなくなって、フリーナは勢いのままに想いを口にした。
 あの頃の自分は、生まれて初めて自由を手に入れて、何なら神の目までも手に入れて、どこまでも浮かれていた。昔痛い目に遭わされた地方伝説に何度も挑んでみたりもした。
 失敗の経験だって輝いていて、仮に玉砕したって、それもいい思い出になるだなんて、そんな呑気を抱いていた。
 そんな浅慮が、その時手にしていた幸福だけでは満足出来なかった強欲が、全てを壊す羽目になるなんて、考えもしなかった。
 そして、そんな過去の愚かさの象徴が今、フリーナの前に立っている。

……ヌヴィ、レット……

 みっともないくらいに掠れて震えた声。動揺しているのが丸わかりで、感情に疎い彼にだって、きっと伝わってしまっただろう。
 しかし、そんな彼の薄い紫色の双眸もまた驚きに見開かれており、フリーナの失態を突く余裕などないようだった。彼はただ食い入るように、フリーナを見つめてくる。
 ……まさか、偶然?
 その様子にフリーナは悟る。せめて出奔を追い掛けてきてくれただとか、そんなドラマティックな展開なら、まだ救いがあったのに。
 どういう経緯で多忙な彼がフォンテーヌ・レイクを越えて璃月にいるのかは知らないが、ワーカホリックな彼のこと、どうせ仕事関係なのだろう。
 フリーナは自らの行先を隠してはいない。彼にこそ伝えなかったが、共通の友人は何人かいるのだから、一言聞けば済むことだった。皆、彼相手なら口を割るだろう。
 しかしこの驚きようからして、彼はフリーナが璃月にいることは知らなかったらしい。つまり、誰にも行方を訊ねなかったということだ。
 それは望んだ通りの展開で、せめてそのことには安堵しなければならない筈なのに、フリーナが今抱いているのは、全く相反した感情だった。
 彼にとってフリーナ・ドゥ・フォンテーヌという存在は、行方を聞くにすら値しない、その程度の女なのだと、まざまざと突きつけられて、フリーナの胸は滑稽な程に軋んでいた。
 そんな理不尽な憤りに支配されるフリーナは、あの日と変わらず、惨めで救いようのない女のままだ。
 どうやら運命というやつは、何処までも残酷で適当なものらしい。母国も友人も仕事も、持てる全てを捨てた逃亡の果てに用意された再会は、異国の地で必死に積み重ねてきた努力を嘲笑う、あまりに雑なものであったのだから。
………………
………………
 ただ二人、何も語らず見つめ合う。まだ音は聞こえない。時間すら遠のいてしまったようで、もうどれほどの時が経ったのかも分からない。
 停滞する二人に助け舟を出すように、秋の冷たい風が吹く。ヌヴィレットの銀の髪が揺られて、長い前髪が彼の美貌にかすかに影を作って、それはあの日の光景と全く同じで。
 ……やめてくれ。
 落ち着け、冷静になれ、と理性は叫ぶのに、身体は馬鹿馬鹿しい程正直で、胸の痛みがどんどん鋭く増していく。
 彼はあの日とまったく変わらず、それは長命種である以上当たり前のことで、でも、自分は。
 ……僕は、どう映っているんだろう。
 彼の薄い紫色の瞳に、自分は。
 ──やめろ。そんな要らぬ興味が、全てを終わらせる合図になったのだろう。やめろ、やめろ、見るな、

「フリーナ殿」

 杜撰に過ぎる邂逅が始まってから初めて聞こえたその音は、天上から垂らされた一筋の糸のようにも感じられた。フリーナは反射的にその声に縋り、声の主の背に身を隠す。
 視界が遮られると、ハアッ、と息が口から飛び出した。途端に肩が上下して、鼓動が煩く、頭がガンガンと揺れる。いつの間にか、呼吸すら止めていたらしい。
 しばらく息を整えて、思考と視界が少しずつクリアになって、ようやっと、自分が未だ長身の影に隠れたままであることを思い出した。
 つまり彼の人は今、彼とフリーナの間に挟まれている状態で、それは本来全くの無関係である人を置くには、あまりに不適当で迷惑極まりない配置である。フリーナの血の気が引いた。
……っ、ごめ……っ」
 慌てて離れようとしたフリーナの腕を、しかし彼の人が掴んだ。振り向きもせず、フリーナから表情が窺えない彼の人の名を呼ぶ。

「鍾離、先生……?」

 それでも鍾離は振り向かなかった。
「──俺の連れに、何か用か?」
 鍾離はただ真っ直ぐに前を見ていた。静かな声で、特段語気を荒らげている訳でもないのに、その言葉には強い力が宿っているように感じられる。
 問いを投げかけられた相手が息を呑むのが、気配で分かった。
「用がないのなら、これで失礼する。行こう、フリーナ殿」
「え……、ああ、うん……
 掴まれたままの腕を引かれて、フリーナは従った。今はただ、逃げ出したかった。
 もう、薄い紫色の瞳を覗こうなんて、そんな短慮は浮かばなかった。