さもゆ
2024-12-06 11:05:12
33408文字
Public BBB
 

【クラレオ】平眼球の全能支配者

ライブラに雑に大事にされているレオくんがちょっとBBにうつつを抜かすものの最終的になぜかクラレオになる話。
※名前のあるオリキャラが出てくる。
※義眼やBB、牙狩り等に関して捏造過多。
※クラウスさん最初と最後しか出てこない。
レオくんにしか見えない諱名を持つ吸血鬼とレオくんてどう足掻いてもバイオレンスなロマンス始まっちゃうな…って思ったら居ても立ってもいられない結果がこれになってしまった。

2020.9.2 たまごのお粥pixiv投稿作品



5


「オメーが一番気に病まなきゃなんねェことはな、旦那の容体でもクソクソ不気味なお目々のことでも、牙狩り本部からの勧誘でもありゃしねーんだよ。俺がよっく知ってるね、そーいうことは」

 とザップさんが不機嫌そうに言ってきたのは、事件から三日経った朝のことだった。
 
 人魚の魔窟事件から三日。そしてクラウスさんが入院して目覚めないままの三日でもある。

 スティーブンさんの言った通り、僕たちは多忙を極めていた。

 秘密結社の情報を知りたい輩、血界の眷属の情報が欲しい輩、HLで日常的に暴れ回る世界の危機、それらを躱しつつ自分たちのことを進めていくには骨が折れるというものだ。いまは外に出ているスティーブンさんのデスクには書類や書物がうずたかく積まれているし、チェインさんは忙しなくライブラと事務所を行き来していたし、クラウスさんの分まで街を守らなければならないのでK・Kさんはずっと外回りをかって出てくれている。ギルベルトさんも目覚めない主人の許と僕たちの手伝いでいつも以上に移動していた。
 ツェッドさんとザップさんは、交代ずつで僕の護衛についてくれていた。
 でも、一体何から守ってくれているのか? 僕はこの三日間でよく分からなくなっていた。

 情報が洩れることから、神出鬼没という牙狩り本部の調査員から、HL的ほかの脅威から、血界の眷属から……

 捕らえた血界の眷属はライブラの地下室で呪符や結界にきつく縛められて幽閉されている。

 ライブラ内の少数にこの情報を共有し、研究者や呪術師、科学技術師らとともに彼を調べ上げていた。血界の眷属を生け捕りにしたことは衝撃として彼らを突き抜け、熱心にさせる。むかし白黒映画で観たモルモットの実験のように好き勝手される吸血鬼は、やはり動くこともせず、じっと眼前を睨みつけ、余計に見る者をゾッとさせた。ゾッとするなかで、僕にも研究の対象は回ってくる。古の言葉を発してもう一度同じことができないか、義眼の調子はおかしくないか、あの化け物と意思疎通はできるのか、たくさんのことをつぶさに試し観察させられデータに纏められる。僕は疲弊しきっていた。こんな両目になったときからそういう視線は浴びてきたし、もっと言うと妹の車椅子を押していたときだってたまに他人からそういう視線を投げかけられていたから、平気だと思っていたのだが、とにかく気持ちの良いものではない視線を向けられ続けていくらなんでもへとへとだった。

 好奇心。畏怖。同情。嫌悪。

 そりゃ、そうだ、と思う。
 血界の眷属は、いままでライブラのひとたちを苛んできた憎き化け物である。
 それに立ち向かえる有効なものか、はたまた自分たちを脅かすことになる悪辣なものか、僕の両目はひとつずつの可能性をそれぞれ秘めているのだ。それも、戦闘力もなければ大して頭も良くない一般人の少年、なよっちいレオナルド・ウォッチの、だ。
 そりゃ、複雑な感情も抱くだろう。

 だからこそ、僕とて複雑な感情を抱かないわけがない。

 少しの休憩時間、執務室のソファで項垂れていた僕に護衛交代したザップさんが言ってきた言葉は、そういう意味のものなんだろうか。

 僕は疲れで眠りかけていた頭をようよう上げて答えた。
……おれ、わかってますよ。おれがいま異端児扱いされてるってこと。でも、仕方ないって……
 
「阿保かオメー」ザップさんは斜め向かいの一人掛けソファにドカリと腰を下ろし、霧と窓を透かし射しこむ朝の陽光から目を細めて僕を見つめた。「いや、阿保で軟弱な陰毛頭だ。自覚しろ」
……悪いっすけどいま口答えする元気もないんすよ……」少しだけでいいから、眠らせてください、と再びソファに突っ伏す。
 ザップさんはハッと鼻で笑った。
「おめーってやつァちょっと目を離したらすーぐ余計なことしやがる。今回のこともそう。力を知らねェまま使って、そんで自分を不利にさせる」
「なんとでも言ってください……
「そんでも相手がたとえばダチとか家族とか仲間とか、……まー百歩譲って全然知らねえやつでもいい、お前はそいつらを助けるために飛び出すだろ。義眼じゅうじゅう言わして。俺だってなー、そーいうとこは評価してんだ」
……ザップさん?」僕はまた首を動かして彼を見た。

「けど、今回はマジで駄目だ、レオ。お前自覚してねーのかよ」

「何をですか」

「あれに同情してンだろ、お前」

 褐色の手が床を示した。
 床、ではない。何階も下にある、隠し部屋、地下室。
 地下室で眠っている、僕が名前を呼んだ恐ろしい血界の眷属。

 ザップさんは月の瞳を半分にして僕の視線を受け止める。「……とぼけんなよ。誤魔化すな。そーいうのはうざったいしめんどくせえ」
……まだ何も言ってません」
「“そんなことないです”っつってんだよ、そのほっせえ糸目が」
「そんなこと……」ないです、はかろうじて飲み込んだ。

 ザップさんは僕があの血界の眷属に同情していると言う。なるほど僕の甘ちゃんな部分を一番知り、つき合わされている粗悪で面倒見の良い先輩が忠告してきてもおかしくない内容だ。

 僕は狼狽えることもなく寝返りを打った。

 とは言え本当は同情していた。
 同情? 哀れだと、かわいそうだと思ってるってことか? ……うん、たぶん。
 そもそものところ、僕には彼らとの歴史がない。牙狩りが遥か昔から相手をしてきた人界の敵、吸血鬼との間には、それこそ大河のような歴史が流れていることだろう。ぽっと出の、つい最近神々の義眼を押しつけられて空想が現実となった街HLに来た小僧との間には、涙の一滴ほどしか関係の歴史がないのだ。過去の諍いも、憎しみも、出来事も、何も根付いていない。
 けれどもライブラのひとたちを傷つけてきたという事実は存在していて、僕も少なからずそれを見てきている。怖いと思う。許せないとも。

 今回の吸血鬼だって、酒場に来た客を手下にし、挙句クラウスさんに深手を負わせた。

 だけど。
 なのに。

 僕はまた寝返りを打ち、ザップさんの方は向かず瞼を強く瞑った。

……でも、……ライブラのひとたちも、血界の眷属側にだって事情があることを、知ってるんでしょう。ザップさんもクラウスさんも闘技場でただ拳を振るうやつを見た。K・Kさんやスティーブンさんは、子どもの授業参観に参加するやつを。ツェッドさんは血界の眷属につくられ、育てられた。彼らはそりゃ、悪いこともしてきたかもしれないけど、それだけじゃない。……それって僕たち人間と同じじゃないですか。俺が名前を呼んだ彼だって、もしかしたら悪いだけのやつじゃな」

「お前はいつからあいつらのことを“彼”だなんて呼ぶようになったンだよ」

「ザップさん」

……あー……あーーもーー俺が予想した通りやろがい」目を開けたところ、ザップさんは忌々しげに溜め息を吐き出し捲し立てる。「完全に入れあげてるよ、“あれ”に。お前な、なんだ? ペットにでもするつもりか? 僕が初めて名前を呼んで従わせたやつなんですーって? 阿保か。まだ自分が何を仕出かしたか自覚がねえ。こんなもん番頭にでも知られてみろ、本部より先に洗脳されっぞ」おどけた仕草で頭を叩く。

 僕が何かを反論しようとして――力のない弱者である僕は言葉を失くしたら完全に敗北するのでとにかく口が開くようできている――身を起こしたが、ザップさんがまた先に口を開いた。

「確かに、お前の言う通りライブラは寛容だよ。証拠に、街中でお前がたまに報告してくる“吸血鬼見ました”に目の色変えたりしねーだろ」

「そう……そうですよ。そうですよね」

「けどそれとこれとは話が別だ。寛容と同情は違ェ。オメーは両方持ってんから厄介なんだろ。しかもその代わりに攻撃力も防御力もまるでミジンコレベル。同情した相手に牙向けられて血ィ吸われんのが落ちだわ」

「そ、そんなこと……」ないです、はまた言えなかった。

「レオ、俺は心配だね」
 ザップさんが先輩らしく素直に真面目にそういうことを言うのは、本当の本当にそういうことになっているからだということを、俺だってよく彼のことを分かっていた。
「そんなんじゃ、本部の連中にいいようにされるだけだぜ、お前」 

……ザップさんも、牙狩りの本部のこと……――苦手なんですか。

「C棟二階の南角部屋周辺と上下階」
 彼は怠惰な仕草で葉巻を咥え、つまらなそうにジッポを取り出しぼそりと言う。

「え?」

「俺が燃やした。気に食わな過ぎて」

 カチリ。ジッポの蓋が鳴る。


6


 昼前まで仮眠を取り、ツェッドさんが買って来てくれた昼食を三人で事務所で食べたのち、引き続き外回りに行こうとしたツェッドさんをザップさんが無理やりに交代させて僕につかせた。僕の護衛は、事務所内で完結してしまうつまらなくて退屈な仕事だ、褐色の先輩は辟易していたのと、おそらく僕に対して「よく考えろ」という無言の訴えを表したのだと思う。本当にこのひとは。クズだが憎めないから困るのだ。

 けれどもあのザップさんが真面目に案ずるほど、事は深刻になっているということだ。皆ピリピリと緊張の糸を張り巡らし、それに不用意に掛かる餌を待っている。何せクラウスさんが入院しているこの三日間、多忙は多忙だがこれと言って大きな事件が起きていない。大抵そういうのは何かが起きる前触れで、しかもうちはいま地下室に吸血鬼という爆弾を抱えているのでいつ爆発して連鎖反応が起こるかもしれないと皆警戒していた。

 アムギーネの箱に乗り込み、ツェッドさんと地下室に向かう途中、僕は無言だった。
 
 地下へ下りれば下りるほど空気が冷たくなり、耳のなかを圧迫して重たくなる感覚に囚われる。たぶん、気のせいなんだろうが、それでも到底楽しい気持ちにはならない空気感。
 それに加えて、僕の心臓をどきどきとざわつかせる瞼の裏の緋い煌めき。
 最初に繋がった視線はいまもずっと繋がっていて、僕がライブラのどこにいようと僕と彼の距離を近くさせていた。初日はその慣れない縛めのようなものにゾッとして背筋を震わせていたけれど、三日ともなれば少し慣れて落ち着いてきていた。
 ただ、こうやって物理的に距離が近くなると、明確に緋色が主張してくる。“お前をずっと見ている”とでも言われていそうな強い視線。僕はぶるりと身震いし、薄い瞼を指で押さえた。うんともすんとも言わず、熱も孕んでいない。

 これまで地下では様々な実験をした。万全を期しての実験だ。彼は呪術と科学でぐるぐる巻きにされ、たとえ自由の身になったとしても容易には抜け出せない拘束をされている。
 僕は彼の名前を呼んだり、異界文学研究のひとから発音を教えてもらって古の言葉で彼に話しかけたり(『おはよう』と言っても『好きな食べ物は?』と訊いても『瞬きをして』と命令してもやはり彼は最初の“そこを動くな”の通りまんじりとも反応を示すことがなかった。縦に裂けた瞳孔に憎悪の血潮を巡らし眼下を見ている。部屋のなかで記録を録るひとは薄気味悪そうに動き回っているが、僕はその何倍も気味悪く思っている。だって、彼はずっとあのとき僕に飛びかかろうとしたままの目線で固定されているけれど、その先に繋がっているのはどうしたって僕の両眼なのだ。目を合わせているわけでもないのに、あのとき繋がった視線はいまもなお途切れていない)、とにかく何度も彼に義眼を向けたが、成果は芳しくなかった。

「レオくん。着きましたよ」

 ツェッドさんが箱から廊下へと出て行く。僕もそれに続き、パトリックさんやニーカさんがいる階層とは違う様相の地下回廊に足を踏み出す。ここはもとから実験室や研究室が連なり、角を曲がれば牢屋じみた部屋だってあった。牢屋、ではないとは思う。……清廉潔白なボスのいる組織には似合わない造りだから、そう思う。
「ツェッドさん」
「はい」
 声はたわんで響き合い、重たい耳のなか、目の奥、細いまつ毛まで震わせた。
「あの、……クラウスさんのお見舞い、行きましたか」
 治療はつつがなく済んだと聞いたけれど、目が覚めたという連絡はまだ来ない。
 この調子では、僕は当分事務所から出られそうにない。太い首から鮮血が溢れ出ていく光景を、早く包帯の巻かれた不自由そうな光景で上書きしたかった。
「はい。見回りの途中に。ルシアナ先生によると、驚異的な回復力だとか」
「はは、あー、そらそうっすよね」
……いつ目覚めるかは、まだ」
「あー……
 
 長い廊下の先に重厚な扉が見えてくる。
 緋いオーラが羽を広げて俺を待っている。

 なんて綺麗で禍々しく、目を奪う色だろう。俺の義眼と一緒だ。誰かは美しいと言うけれど、誰かは恐ろしいと言う。

 妙な共感さえ覚え始めている。これは、駄目だ。たったの三日、あの緋色を見続けたせいで、十九年の人生で最も高貴な赤色を、クラウスさんの赤毛を、血で戦う姿を、遠いものとして感じさせている。

 駄目な、やつだ。ザップさんの言う通り。

「早く……」扉まであと半分というところで、こめかみまで重くなってきて指で押さえた。「早く、クラウスさん、退院できるといいんすけど……」でも、そうしたら。

 そうしたら、あの血界の眷属はどうなってしまうんだろう?

 隣でツェッドさんがそうですねと深く頷いてくれる。僕は、それに頷き返しながら、嫌な汗をじっとり掻いていた。汗がつぅと流れて落ちていった。



 扉に入るころには誤魔化せないほど汗みずくになっていた。
 さすがに異変を察したツェッドさんがレオくん? と硬い声音で訊いてくれたが、僕は答えられる余裕を根こそぎ喉から奪われていた。気のせいな感覚なんかじゃなかった。繋がった目に見えない視線が震え、心電図のように頭のなかを脅かしていく。

 真昼の明るさを保っている地下室、その中央、呪符と結界、拘束具で縛られている彼がいる。
 手指の爪は僕を切り裂こうとした形のままだし、見開いた瞳には煮え滾る殺意が爛々と灯ったままだ、何も変わっていない。

 でも僕には彼の苦しみが分かっていた。
 彼は苦しんでいる。痛みを感じている。動かすことのできないほぼ不老不死の肉体に、抗いようのない責め苦を科されている。

 その感覚が繋がっている視線を伝って僕の頭に流れ込んできていた。

 僕はそばで呪術器具の準備をしていたひとを捉まえ「何をしたんですか?」と訊いた。後ろでツェッドさんがまた僕の名前を呼び、目の前の呪術師は訝しげに眉を動かし「何?」と訊き返してきた。僕は自分でもマズいと思いながら泣きそうな声音で再び訊ねた。「彼に、何をしたんですか? 何か……ひどいことを?」若い呪術師は更に眉根を寄せ「彼? ひどいことって?」困惑とちょっとの不審で身を引き、僕が掴んでいた手を振り解いた。百パーセント僕の訊き方が悪かったのだが、僕は謝ることすら惜しくて苦しんでいる血界の眷属に向き直って義眼を使った。

 青い方陣が精緻な検査を施し、彼のこめかみに貼られた呪符が一等強力な呪いを放っていると知らせる。僕はそちらへ駆け寄りながら背後に声を張った。
「あの呪符は?」
「え?」
「こめかみに貼ってある、あの真新しい呪符です!」
「ああ、えー」呪術師の男は明らかに戸惑い近づこうとしなかったが答えてくれた。「呪文を血で書いたものです。……ミスタ・クラウスの」 

 そりゃ苦しいはずだ! 僕は叫びそうになったのを堪え、同じく駆け寄って来てくれたツェッドさんの三度目の呼びかけには今度こそ「すみません」とおそらく半分断りの気持ちで謝って血界の眷属に手を伸ばした。
 
 人体には影響を及ぼさない結界を擦り抜け、爪先立ち、手指を伸ばして呪符を剥ぎ取る。

 地下室にはほかにも数人僕の奇行を様子見していたが、誰もが息を呑んだ気配がした。

 彼らには、まだ、この呪符が強力に効いていることが分かっていなかっただろう。僕の目で見た報告を待っていたはずだ。色々な実験をしてきた。どの呪具が効くか、縛めはこれで充分か、何か綻びはないか――それは完璧だった。僕の目には、クラウスさんの滅獄の血がなくとも充分、動くことのない血界の眷属を封じ込めていたことを映していた。
 だから、これは、単なる虐めだ。
 いまの彼にはこの呪符は強力で、不要すぎる。

 身動きできない状態で、ただ痛みを与えられるだけのもの。

 だって彼は、瞬きも、喋ることも、痛みを誤魔化して眠ることだって許されていない。

 それを許すことができるのは俺だけだった。

「ごめん」
 また自分の奥底で知っていたはずの言語が湧き起こってくる。血のように緋い視線が閃き、彼は僕に意識を向け、僕は彼に感覚を寄せた。こめかみが痛い。彼はまだ痛がっている。たぶん、しばらくは痛みが続くだろう。それほどクラウスさんの血は彼にとって脅威で、恐るべき弱点なのだ。かわいそうだ。容易に死ぬこともできず、眠ることもできず、憎々しく思っている僕にもその爪を振り下ろせない。「ごめん」俺は呟き、背伸びをして彼の額に額を合わせた。周囲から悲鳴が上がった。視界の端でツェッドさんが血法を展開するのが見えた。俺は彼の頭に両手を伸ばした。

 そして湧き立つ言葉を掬い取って言った。

「リッドルト――“眠れ”」擦り合わせた額、青い眼光に照らされた瞳孔が僅かに痙攣したのを間近にした。彼は強張った瞼で一度緩慢に瞬きをし、殺意と憎悪で収縮する瞳孔で僕の命令に抗う素振りをしたが、僕がもう一度強く命じるとその瞳を半分にした。
「“眠れ”、それから……“姿勢を楽にしろ”」
 慣れない下手くそな命令は、それでも彼を従わせた。
 いまにも襲いかからんばかりだった手をだらりと垂らし、両足を地に着け、首も前に垂れる。背伸びをやめた僕の眼前で、ゆるゆると薄い瞼が閉じていく。「いい子だ、そう……“お休み”」完全に閉じきる前、血の色が透けた目が僕を睨み、そうして閉じた。

 すう、すう、と呼吸に合わせて胸が上下しているのを見届けたあと、僕は大きく息を吐いて義眼を閉じた。

 彼は眠った。痛みもきっと、鈍くなるだろう。そして、次に目覚めるのは、俺が命令した時だ――

 がくりと膝の力が抜け、痛みがなくなったこめかみの代わりに目の奥が熱を上げて煙を噴かした。くずおれた僕をツェッドさんが支え、心配を寄せてくれる。
……っ!」
「レオくん」
「だい……大丈夫です」眠っていても、彼と俺の視線は、この奇妙な関係性は、途切れていない。「大丈夫……です」身の毛のよだつほど、それに安堵している自分がいた。全然大丈夫なんかじゃなかった。自分がひどく異質なことをしていて、ライブラを裏切っている心地になっていた。普通のはずなのに。僕は、敵と言われている相手にも甘ちゃんな同情を抱いてしまうほど、普通のはずなのに。
「僕はレオくんが誰の味方でも構いませんよ」
 この世でたったひとり、ひょっとしたら不老不死の血界の眷属より孤独を強いられるかもしれない、僕の優しい後輩で強い友だちが背中を支えながら口を開いた。「雁字搦めにされた……このひとを見て、僕が伯爵の水槽にいたころを、思い出したりもした」にわかに慌ただしくなってきた地下室で、その落ち着いた声が何より頼もしく通り抜けていった。「だから……大丈夫です。きっと。すみません、上手く言えませんが……
「ツェッドさん」
「きみの言う大丈夫は、本当はあまり信用できないけれど。でも大丈夫です。だからレオくん、どうか無茶だけは……
「ツェッドさん、はい、……はい、ありがとう、ございます。大丈夫です……
 煙を噴き上げる異質な義眼から涙が滲み、じゅうと音を鳴らした。ツェッドさんの心配が有り難くて、気遣いが嬉しくて、声を上げて泣いてしまいたい気分だった。

 それと同時に、とてつもなく不甲斐なさを感じて蹲りたくなった。
 クラウスさんはどう思うだろう。あなたの敵を、あなたの仲間やあなた自身を傷つけてきた敵を……彼に心を砕いてしまっている僕を、どう思うんだろう。
 きっと、あのひとのことだ、軽蔑はしないだろう。でも、胃を痛めて苦悩する。優しく、不器用なひとだから。

 あのひとは僕の見方を、埋め込まれた罪の証である義眼の使い方を、改めさせてくれた、尊敬する大事なひとだった。

 そのひとに、もし、拒絶されたら……拒絶されることをしてしまっているとしたら。

 僕はもう、どうすればいいのか分からない。