河童の皿箱
2024-11-24 22:37:17
8593文字
Public 遊戯王:短め(2024年度)
 

オルペウス/ひとりぼっちのオーケストラ/自鳴琴

ニンギルス(エンリルギルス)とワゴンが駄弁るだけ


 水平線から朝日が顔を出し、薄桃色の夜明けと、薄れゆく星々。そんな空の下で、どこか遠く異邦の地の物語を吟じては、風は鳥たちとともにその音を遠く遠くへと運んでいく。騎士の男はそっと目を開けては、感想を述べた。「確かに、死の国へ妻を追うだとか、見てはならないのに見てしまうだとか……。似ているな」、と。隣に座り、琵琶を弾いていた雅楽師は、それを聞いてにっこりと笑った。「そうでしょう。このような物語は、私の住む世界にはこのふたつではなく、さらに方々にあるようなのです」。そう聞いた騎士はふっと笑い、口を開き、けれど口を閉じては、水平線をじっと見つめた。湾曲していく砂浜をゆく子供たちへ、それから空を見て、もう一度、雅楽師に向き直る。「……そうだろうな」、と。雅楽師はまた穏やかに微笑んでは、静かに頷いた。
 「それから、神と詩人はどうなったんだ」。騎士はふと、雅楽師に尋ねれば、答える。「神はそのあと、穢れを清め、その身からいくつもの神を生み出しました。詩人は妻を連れだせなかった悲しみのまま身も朽ち果て、けれどその死によって、妻と再会を果たしましたとさ」、と。

 雅楽師は、次の言葉を待った。ざあ、ざあ、と。磯に波打つ。浜辺を歩いていく子供たちが、おおいと両手を振っている。ふと、ハッとした2人の男はそれに返事をして、遠くに行きすぎないようにと釘を刺した。特段しっかり者の能楽師が、「もちろんですー!」と大声で叫んだのを聞いて、まあ、あの様子なら大丈夫か、と。あれらは子供ではあるが、自分の行動に責任を持てない年ではない。男たちは腰かけた大岩の上で微笑みあっては、また波と風と琵琶の音に耳を傾けた。

 騎士は、ふと、ぽつり。「俺たちが暮らしていた村の外には、機械蟲たちが溢れていた。村の外に一歩でも出れば、襲われるのも日常だった」。雅楽師が琵琶を弾く手を止めて隣を見やれば、騎士は空と海の色を眺めては、昔々の出来事を語り始めた。村での暮らし、機械蟲の脅威、騎士はそれを追い払っていたこと、幼馴染と妹のこと、幼馴染は機械蟲の残骸から武器や防具を作っていたこと。そして、初めて楽器に触れたときのこと。

 あいつが……アウラムが、武器じゃなく、楽器を作って持ってきたことがあったんだ。ちょうど、お前が持っているようなリュートをな。村祭りのために、大人たちに習って作ってみたんだと。どうしてもって言うし、仕方がないから、畑仕事や討伐の合間に練習をしたんだがはは、弦で指が痛むんだよな。槍や鍬とも違う、指先から何度血が出たことか。でも、良い音なのに、弾けないのも悔しい。村の大人たちに習って、あいつらの前で初めて弾いて聞かせたとき、手を叩いて笑ってくれた。……それが嬉しかったんだろうな。村祭りが終わっても、あいつらは残骸から楽器を次々作っては、俺に持ってきて。俺はそれを練習して、あいつらに聞かせてやった。
 それから、ずっと時間が経って。動かないイヴを背負って、世界を放浪していた時。塔を作るために、遺物の時代の資料をいくつも集めた。どうすれば、星遺物を起動できるのか、とかな。あの時のことは……あまり覚えていないんだ。だが、イヴの体を作るために、いくつもの楽器を――試作品を作ったことは、よく覚えている。
 俺は試作品たちは自律して動くことを目標に、けれどどうしてか、失われた楽器の形を模して作った。確か、名前は……トランペットにトロンボーン、シンバル、オルガン、ハープ、ドラムとか。資料通りに楽器を作るのは、難しかった。ほんの僅かな部位の歪みで、音が汚くなる。……あれだけイヴのために躍起になっていたのに、そんな暇なんてないと切り捨てることだってできたはずなのに、研究が手詰まりになれば、その試作品の改良をした。滅んだ文明の楽譜をシミュレートして、失敗しては、もう一度試行して。何度もやっていれば、じきに部品だって摩耗する。物資と時間を割いて、どれだけ直したことか。……おかしいだろ? 音楽なんて、少なくともイヴの復活には全く関係のないことだ。なのに、俺はあの楽器たちを作り続けた。俺は自らを指揮者のように仕立て上げた。わずかな音の歪みすらも、許せなかった。……俺は確かに、音楽にも執着していたとしか、言いようがない。

 「……村での日々の様に、イヴに聞かせてやりたかった、からなのかもしれない。……いや、今でも……俺がどうしてあれほど楽器に、音楽に執着していたのか、わからないんだ」。騎士がそう話を結ぶと、雅楽師は何も言わず、ただ、頷く。水平線の日は、海から離れていく。海に浮かぶ光の道は、真っすぐに伸びている。ザパンと波が打ち寄せれば、きゃあと楽しげな悲鳴が上がった。
 「無理な頼み、かもしれないが」。騎士は雅楽師に尋ねた。「大事な楽器だ、ということは理解している。だがその。ビワ、だったか。触ってみたいと、思うのも確かで、その……」。何度かの口ごもりの末に、騎士は真っすぐに雅楽師をみては、とうとう口にした。
 「ビワを、少しだけ、貸してくれないか。もちろん、変なことはしない。……弾いて、みたい。お前の音楽、その、ガガクを……教えてほしい」。小さな小さな声の申し出に、雅楽師はぽかん、と。けれど、すぐに、これまでにないほどに、楽し気ににっこりと笑い、そして応えた。「えぇ、いくらでも!」と。

 そっと差し出された琵琶を、騎士は両腕の中に迎える。半球状の円い胴体から伸びる首、均等に並べられた太さの違う4本の弦。騎士はすぐに、雅楽師がやっていたような抱え方をして、衝動の赴くままに弦をパチン、と弾けば、淡白な音色が。「琵琶は、貴方様も知っての通り、リュートの一種。ですが、雅楽では旋律のためではなく、拍をとるための楽器として使われています。旋律を追うのは……」。雅楽師がそう口にすれば、ふわり、と。その背後からは、騎士が見たこともない、いくつもの楽器が中空へと浮かび上がっていた。
 「これが、箏。一般的には、琴とも言われる楽器でございます」。雅楽師が自らの前にすいと浮かばせたそれは、長く、騎士の前にも浮かぶ。雅楽師はそわそわと、しかし活き活きと。その青白い指先でカラカラといじれば、騎士はまた、手を伸ばす。差し出されるままに弦を弾けば、瑞々しい異邦の音色が。その様子を見て、雅楽師はまた、笑う。そうして、雅楽師は一通り、自分が持っている楽器の名と、使い道を騎士に教えた。琵琶、箏、さらには笙に、鞨鼓に鼓に、たくさんの笛。
 騎士は次々と、どこからともなくやってくる楽器たちに、目を丸くした。そして、疑問を投げかけた。「こんなにたくさんの楽器を、どうして?」。すると、雅楽師は頬をかいて答えた。「雅楽は、本当は……伝統としては、ひとりでやるものではございません。私の国の外の言い方をするのならば、雅楽とはオーケストラ。多くの人の力が必要なのです。それに、例えば箏であれば箏にひとり、琵琶であれば琵琶にひとり、それぞれの楽器に一生を捧げることが、雅楽としての本当の姿。けれど私は……そうですね。深く考えたことはありませんでしたが……いうなれば、どの楽器もやってみたかった」。至極淡白な答えに、騎士は耳を疑った。「ただそれだけで、こんなに多くの楽器を?」と。

 雅楽師は一度、しばらく首をかしげては、ふふふ、と笑い出した。「そう、やってみたかった。今しばらく考えてはみましたが、ただそれだけでございます。故に、私はひとりで雅楽をやり続けました。そしてそれは、正しい雅楽ではなく。……正しさは、いつしか埋まらぬ深い溝となりました。それでも私は、全てを、思うがままに、奏でたかったのです」。雅楽師はふいに立ち上がり、大岩からトンと降り立っては、数多くの楽器を引き連れ、笛をひとつ、口にした。
 ひゅうるり、ひゅるり。笛の旋律に合わせて、鞨鼓がとんと拍をとる。長い長いその拍に、鞨鼓の周囲を取り囲む鉦鼓に撥がぶつかっては、チン、と甲高く鳴り響く。生まれた拍子の上にまたくるりと身をひるがえせば、大きな袖も、引きずるような鬘も、風を受けてはひらりひらり。もう一度騎士のほうを見るころには、笛ではなく、笙を手にしていた。顔も隠れるほど、大小さまざまな筒に取り囲まれたかのような吹奏楽器に、騎士はかつて、自分が作り上げた巨大なオルガンを思い返していた。仕組みとしては、あれに似ているはず。けれど、騎士はその音色を例える言葉を持ち合わせず、思い返す先もなく。長く、長く吹き込まれる息と、寄せては返す波の音。どくんと、舞い散る花々の錯覚を覚えては、雅楽師はふと、演奏をやめた。
 「私はサイキック……ほんの少しだけ、ものを浮かばせる力を持っております。それを使って何かできぬか、より多くの人にこの音を聞いてもらうにはと行きついたのが、この一芸。ひとり雅楽でございました。深い溝はとうとう埋まることはありませんでしたが、けれど、本来聞くはずのなかった人々にも、この音を届けることができたのです」。そうして、ただ、ただ、笑う。いくつと数えるのが正しいのかもわからぬ楽器の数々。それに囲まれた雅楽師の姿に、騎士はかつての楽器に囲まれた自らの姿と、空虚を満たす塔の響きを思い返しては、思わず噴き出し、大口を開けて笑った。

 ひとしきり笑った騎士は、口走る。「俺たちは、案外似ているのかもしれないな」と。再び騎士の隣に座り込んだ雅楽師もまた、笑った。「貴方様は悩みも多いのでしょう。複雑なことを、複雑に考えなさる。完璧を目指し、意志は硬い。貴方様は自らを執心深いとおっしゃいますが、私が貴方様のことをいうのであれば、熱心だ、と言葉にするほかございません」。そんな言葉に、騎士はまた、笑い返した。「あぁ、そうか。俺は……あの頃の俺は、俺自身も、イヴをあんなにした世界のことも、許すことはできなかった。でも、俺が音楽に向けていたあれは……」。

 離れていた子供たちが、片腕の中に何かをたくさん抱え込んで、こちらに歩いてくる。おーいと片手を振って、ちょこりちょこりと、小さく駆けてくる。雅楽師は最後に、小さな望みを口にした。「つかぬことを申しますが……私は貴方様と、一度でも音楽をやってみたいのです」。すかさず、騎士は応える。「あぁ。次に来る時はあいつらを連れてこよう。必ず、楽器を持ってきてくれ。そしてまた、教えてほしい」、と。

 空は青く、海もまた青く。煌々と照り付ける日は白く、星々はまた、眠りにつく。次の明けの約束に、2人は胸を躍らせながら、子供たちを迎えた。