河童の皿箱
2024-11-24 22:37:17
8593文字
Public 遊戯王:短め(2024年度)
 

オルペウス/ひとりぼっちのオーケストラ/自鳴琴

ニンギルス(エンリルギルス)とワゴンが駄弁るだけ

 かつて。この世界には神を目指さんとする高い高い塔と、それを作り上げた男がいた。その男が築き上げた塔は、その研究成果をすべて盗み掠め取った者によってすっかり姿を消していたが、主たる男は健在――いや、姿かたちを変えて、今もなお、新たなる神の祝福を受けては騎士として生まれ変わり、男が神を目指すきっかけとなった愛しき妹の旅路を、この世界の向かう先を、遥か遠くから見守っていた。
 かつての塔の主、世界の守護者の席に任ずられたそのものの名を、ニンギルスと云う。かつては旅ゆく妹と同じように人間であったが、果てない紆余曲折を経て、今は機械の体にその魂を収めている。ぼうと、暗闇の中で光るホログラムは、朝の霞の様に淡い紫髪のたなびきを演算し、薄れていく星々と、明けていく空を、じっと見つめていた。

 「どうも。ご機嫌はいかがですか」。ふと、騎士は背後から声を掛けられて振り向く。そこにいたのは、ここらでよく話すようになった旅芸人の一団、その一員である雅楽師――その男の名を、ワゴンと云う。騎士から見ればあまりにも派手な、幾重にも折り重なった布布を纏い、頭にはまるで獅子の鬣のような鬘をかぶり。袖の内からすいと取り出されたその男の手は黒い手袋に覆われていたが、その指先だけは青白く、光を放っている。なんとも奇妙な出で立ちに、瞳も見えぬ細い目に、騎士ははじめ警戒していたが、雅楽師はおっとりとしていて穏やかで、敵意などは持ち合わせていなかった。彼が求めたのは、この世界のあちこちに散らばる物語――特に、騎士の持つ物語であった。
 そう面白がるものでもないだろう。全てを背負うようにと定められた勇者が神となり、ありとあらゆる妄執から世界を解き放った物語だ。けれど騎士は、どうにも雅楽師を邪険に扱う気にはなれず、遠くの浜辺でともに遊ぶ連れ立つ妖精と、能楽師たちの姿を見ながら、ぽつぽつと話し、月の満ち欠けが一巡した。騎士は時に、己の行動を恥じ、黒幕の女に激しい憤りを覚え、けれど、それよりも、先を歩いていく妹の姿に安堵し、そして、空の果ての友を想った。雅楽師は決して、騎士たちを笑うこともなく、静かに、ただ静かに、耳を傾け続けた。

 「ご友人ですか?」。雅楽師が心地よい声で尋ねれば、騎士は頷いた。「今も、俺たちを見ているんだろうな、と」。空の果てから目が覗くことなどない。水平線の向こうから昇る朝日が、海に反射して揺らめき、きらきら光る。磯の辺にざあ、ざあと波が寄せてくれば、きゃあきゃあと声を上げて、子供たちが遊んでいる。騎士の連れの、かつて機械であったそれは、妖精の空席を神に任ずられ、騎士と共に生まれ変わった。対するは、雅楽師の連れの、3人の能楽師たち。ぼんやり顔と、しゃっきり顔と、そしてきりっと顔。三つ子のような3人は、踊り始めた妖精の足跡と、波しぶきを追いかけていく。
 「お隣、失礼しても?」。雅楽師が再び尋ねれば、騎士も再び頷いて、隣に座らせた。どこからともなく、青い鳥が磯の辺に飛んできては、波を飛び越えていく。「貴方様のお話を聞いて、ひとつ。私共の国に伝わる神話を思い出しまして。1曲、いかがでしょうか」。そういうと、雅楽師は背負っていたリュート――琵琶、というらしいその楽器を、腕の中に収めた。撥で掬い上げた弦は、出番を待ちわびている。騎士はそっと頷き、目を閉じては、あの青白く光る指先が弦を抑える姿を見た。

 昔々、あるところに。仲睦まじき夫婦が居りました。2人は海をかき混ぜて小さな島を作り、そこを新たな国として、作っている最中でございました。夫と妻の間には多くの子がおり、そして妻の腹にもまた、新たな命が宿っておりました。しかし、その子を産み落とすとき、妻は腹の子の放つ炎で大やけどを負い、そのまま死んでしまったのです。
 あぁ、なぜと。夫は嘆き、悲しみ、とうとう死の国にも赴いて、妻を連れ帰ろうと。死の国の入り口を通り、深く、深く、死の国の神々に妻を連れて帰りたい、と。そこには、探し求めていた、妻の姿もありました。けれど、妻は悩みに、悩み。そうして、なんとか決心をして、自らも死の国を出ようと、神々のもとへと赴き、けれど話をしている間、決して中を覗いてはならぬと、妻は夫と約束を結びました。
 しかし――待てども待てども、なぜか、なぜか、妻は出て参りません。はて、どうしたことかと、夫はふと、神々の部屋を覗き込んでしまいました。そこにあったのは、語るも無残な妻の姿でございました。蛆に集られ、その身から数々の子を産み落とす姿に、夫は悲鳴を上げて、あれやこれやを投げて、なんとか何とか、死の国を脱しては、その入り口を大岩で塞ぎました。
 「よくも約束を破ったな。お前の国の人々を、日に1000人殺してやる」。妻の嘆きと怒りの声に、夫もまた、大声で叫びました。「ならば、私は産屋を建てて、日に1500人、産ませよう」と。
 こうして、2人の神々は決別し、我々の国では、死と生を象徴する神になったのでございます。

 琵琶の節、朗々と物語を吟じる声、その穏やかな気性に見合わず、異様に物騒で残酷な話を聞かされた騎士は、目を丸くした。「……お前は、そんな物語も知っているんだな」、と。ようやく絞りだした言葉に、雅楽師は苦笑をこぼした。「ふむ、やはりこの話は重すぎましたな」、と。続けて、「これが、私共の国に伝わる神話、国生みの物語の1つでございます。夫婦の神が海をかき混ぜて作り上げた小さな島……それが我々が暮らしている島国でございますが、大陸と隔てる海を越えて、遥か遥か先――おおよそ世界の半分ほどの距離の先にある国にも、似たような話があるのです」。
 そういって、雅楽師は撥を服の中にしまい込んでは、今度は指先で弦を掬い上げ、節ではなく、旋律を奏でる。「そんな遠くで、同じような話が?」。騎士が尋ねれば、雅楽師は微笑む。「えぇ。夫が詩人であるなどなど、細部に目を向ければ違いは多くありますが、不可思議なことにおおよその本筋は同じく。せっかくですから、今度はそちらを」。騎士は頷き、また瞼を朝日に透かしては、琵琶の音色に身をゆだねた。