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koto
34920文字
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れめしし😈🦁
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れめししシリーズ小説
れめ→ししの短編3連作になります。
原作101話までの内容を含み、それ以降は原作軸とは異なる世界での話となります。原作と乖離する捏造部分がありますのでご注意ください
・雲裏の流星群(pixiv:2023.01.16.公開)
タッグマッチ戦後の整理がつかないままの獅子神に叶から連絡が入る。用件は流星群観測のお誘いで……。
101話時点での創作になりますので、102話以降とズレがあります
・embrace(pixiv:2023.02.28.公開)
獅子神宅で寝入ってしまった叶は、目覚めた深夜にとあるトラブルに見舞われる。そこで偶然目にしたものは?
・サヨナラの質量(pixiv:2023.02.28.公開)
※原作と外れた多くの捏造を伴います※
ある日、突然カラス銀行の賭場から叶の姿が消える。告げられた別れの理由と叶が獅子神に残したものとは
1
2
3
embrace
瞼に閉ざされた視界の中、ふぅっと急浮上するように意識が覚醒していくのを感じる。叶はそれを拒むように小さく呻きながら寝返りを打とうとするが、すぐにその肩はソファの背に阻まれた。仕方なくそのままもぞもぞと居心地の良い姿勢を探るように身体を動かすものの、それでもその長い手足をソファは持て余してしまうので叶は観念して渋々うっすらと目を開けた。室内は柔らかな間接照明のみが点り、他に人の気配はない。家電製品か何かのモーター音が小さく聞こえるだけで、部屋の中は静まり返っていた。寝起きの頭でもここが獅子神の家だと分かるくらい叶にとっては馴染みのある場所だ。
のっそりとその上体を起こすと、狭い場所で無理な体勢を取り続けていたせいか、身体の節々が軋む。
「っ
…
ん゛ぅ
……
ぁ?」
背筋をぐいと伸ばしつつ引っ掛かりを感じる喉から発した声はいつもよりも低く掠れていた。ふいとサイドテーブルに視線をやると、そこに叶のスマートフォンと封の開いていないミネラルウォーターのボトルが置かれているのに気付く。叶はさっそくボトルを手に取ると、ペキリと蓋を捻り開け、飲み口に唇を寄せた。ゴクッゴクッと喉の中を流れていく水が微かに残った眠気も洗い流していくようだった。空いている方の手で小さく明滅するスマートフォンを取ると、ディスプレイに表示された時間はとっくに深夜だ。
寝起きの頭に断片的に残っているのは、その長い体躯でソファを占拠し、少々の眠気に襲われながらも配信動画のコメントをチェックしていた記憶。それと帰宅することにした真経津と村雨が聞こえているか怪しいものの、うたた寝の叶に別れの挨拶を告げ、それに対し辛うじてぶんぶんと手を振って応じた記憶がうっすらとあるくらいだ。
時間も時間なので、恐らく家主も寝床に着いたのだろうと叶は推測する。何度か客室に移動するように声をかけられた気もするが、それらに一切応じなかったようだ。それでも、見かねた獅子神が手に持ったままのスマートフォンを取り上げて移動させ、その横にペットボトルを添えたことは容易に想像でき、叶の口元に小さく笑みが浮かぶ。足元にはブランケットが丸まって落ちていた。凝り固まった首元を左右に数回伸ばすと、叶はシャワーを浴びるためソファから立ち上がった。
いつもながら感心するな、と叶は脱衣スペースに用意されたタオルなどを見て思う。獅子神は自身が招いていなくとも、訪れた来客にはできる限りのもてなしをする。相手が居心地よく過ごせるように自然と身体が動くのだろうが、客自身も意識していないレベルで不快や不便に感じる要素を見つけるのに長けている為、手をかける部分が通常よりも多くなってしまうのだ。本人がそれを苦に感じている様子は見受けられないし、それを来客が享受し居心地の良さそうな顔を見るのは満更でもなさそうなので叶達は今のところそれに甘えている。
シャワーコックを捻り、少し熱めの湯を浴びていると凝り固まった身体がほぐれていくようだ。もうもうと立ち込める湯気の中、身体は特段意識しなくても習慣化された行動を全自動でなぞっていく。視界がぼんやりすると夢うつつを彷徨っているみたいな曖昧さが頭の中を占めてきた。色んなことが徒然に頭に浮かんでは消えていき、連想ゲームのように数珠つなぎに思考が飛んでいった。
そうして、何個目の連想で浮かんだかは定かではないが、叶の脳裏に薄曇りの夜空と指に絡めた髪の感触が想起された。こうして今洗っている自分の髪の毛とは違う質感のあれは何に近かっただろうかと叶は考える。整えた髪をぐしゃぐしゃにされたことに文句を言いながら、獅子神は帰路のハンドルを握っていた。でも、本当は別に怒っちゃいないことも、それが叶にはバレていると分かっていることも、それでもそういう態度に出ずにはいられないくらいに親愛を示す行為に慣れていないことも、全部叶にはお見通しだった。叶は車の中で笑いながら軽い謝罪を口にするだけだった。
そういえば、獅子神と二人になるのはあれ以来だという事実に気付く。まあ、二人になるも何も寝落ちしたオレをそのままに晨君と礼二君が帰っただけの話なんだけど、と叶はそこまで考えた後、それでも朝食くらいは二人で食べることになるかもしれないと思い直す。半分以上は、朝と呼べる時間帯に叶が起きることができるかどうかにかかっているのだが。
そのためにもさっさと就寝準備を済ませようと叶が決めた瞬間、急に浴室の電気が消えた。突如拡がった暗闇に、浴室だけじゃなく脱衣スペースの電気も落ちていることに気付く。そして、更にその数秒後。
「冷たっ!」
先ほどまで温かなお湯を吐き出していたシャワーからは冷水が降り注いできた。思わず後方に飛びのき、その冷たさから逃れるが立ち込めていた湯気の感覚は肌から消え、冷え冷えとした空気が浴室内を満たし始める。
「クッソ!ふざけんなよ」
早々に浴室から出れば良かったのだが、生憎叶の頭はまだ泡まみれの状態で流石にそのままというわけにもいかない。若干抵抗はあったが、逡巡している間にもどんどん身体が冷えると判断した叶は仕方なく冷水で頭を流すことにした。
「あぁー、ほんと最悪だ」
頭から被った水は全身をくまなく流れ落ち、叶の体温を奪っていた。軽く震えながらも浴室のドアを開け、暗い室内で手を伸ばすとほぼ正確にタオルを取り上げる。これ以上体温が下がらないように叶は手早く体中の水気を拭き取り、更に新しいタオルを使って髪の毛を念入りに拭き上げた。この状況下ではトリートメントまで手が回らず、髪の指通りに多少の不満はあったが背に腹は代えられない。
着丈の関係上、自分のために用意された海外製のバスローブに袖を通すと叶はスマートフォンを手に取りライトを点けた。最初はブレーカーでも落ちたのかと思ったが、獅子神の家の設備を考えれば数秒後には自動で復帰するはずだ。次に住宅内の電気系統が故障でもしたのかとも考えたが、脱衣所の明り取りから入る光量も少ない。ということは、この辺りの地域一帯が停電をしている可能性も考えられる。もしそうならば復旧には時間がかかるかもしれないし、こちらでできることはない。叶の自宅ではあらゆる理由から停電時の自家発電機能を備えているが、普通は住宅にそんな機能つけないだろうことも理解している。
「打つ手無しだな」
まあ、それでも幸い夜であったのであとは寝ればいいと、取り敢えず叶は客室に足を向ける。足元を照らしながら廊下を歩いていると、やはり家中の電気が使えなくなっているようで先程微かに聞こえた家電製品のモーター音一つしない。慣れ親しんだ場所の非日常な場面に出くわし、叶はなんだか肝試しでもしているような心地になる。
「この状態だと、オバケよりはゾンビのが出てきそうか」
そんなことを独り言ちながら進むと、獅子神の寝室が近付いてくる。獅子神の存在を認識すると連想ゲームのように頭に思い浮かんだのは食事、そうしてそこから冷蔵庫という単語が飛び出してくる。停電ってことは冷蔵庫の中身とか大丈夫なのか?そんな疑問が頭をもたげる。夏ではないからすぐに悪くはならないが、どこかに家庭用の非常電源がしまってあるなら冷蔵庫だけでも復旧させた方がいいのか。果たして獅子神を起こして確認するべきかを考えたその時だった。
ダンッッ!!と何か重いものを落としたような鈍く響く音が叶の耳に届く。音の発信源は斜め前方にある獅子神の部屋からで、それを認識するとすぐさま叶は部屋に駆けつけドアを少し開き耳をそばだてる。すぐにでも中の様子を確認したいところであったが、万が一、この停電が何か獅子神に怨嗟のある人間が引き起こしたものだとしたら、セキュリティを無効にして家主の部屋に押し入るという可能性もある。そうしたいくつもの可能性を頭に思い浮かべながら神経を集中させる。だが、どうやら複数の人の気配も揉み合うような声も無さそうで叶はドアを更に開ける。遮光カーテンがひかれたそこは一つの明かりも無く真っ暗だった。叶は音の出所を探そうとその暗闇に向けてスマートフォンのライトをかざす。するとすぐにダンッダンッと不規則に床を叩きつける音が聞こえ、反射的に叶はその方向へライトを向けた。
またこの感覚だ、と獅子神は思った。あの日から幾らか日数が経ち、気持ちの切り替えができたつもりになっていたのは表向きの話だった。たとえば、脚を固定された硬い座り心地の電気椅子、汗ばむ手で握りしめる札の感触、筋細胞を収縮させながら身体を走り抜ける電流、四人で取り囲んだテーブルの板面の色と質感。そして、それを眺める観衆。意識の下に沈む無意識の底では未だにあの時の光景や思考が、古い映画フィルムのコマのように区切られ、細切れにされたそれがぐるぐると撹拌されるように獅子神の中を渦巻いている。それぞれの瞬間は、時系列などめちゃくちゃな状態で映し出され、更にはまるで質の悪いイタズラのように実際には存在しなかったシーンまでも紛れてくるのだ。
今、獅子神は観衆であるVIP達から好奇の眼差しを一身に浴び、自身の選択ミスにより致死の電流を浴びる段になっていた。もちろんそんな過去は存在しないのだが、あの時の分岐から避けられたはずの未来が再び獅子神の足元に絡みつきながら這い上る。存在しない情景を圧倒的な解像度で追体験するほどに、あの時感じた死への恐怖は獅子神の中に根深く残っている。
何度か繰り返された悪夢は、何度も繰り返されたからこそ、獅子神は目が覚めさえすればこの夢から逃げ延び、現実に戻れるということを覚醒しきっていない頭でも感覚的に分かっていた。どんなにリアリティがある夢でもその目を開きさえすれば、いつもの天井や壁やサイドテーブルなど日常の光景さえ目に入れば、そうすればこの場から抜け出すことできるという一心で獅子神はどうにか瞼の上下をこじ開けた。
だが、獅子神が求める光景はそこには無かった。どこまでも広がる黒、黒、黒。それが果たして黒なのかどうかも判別できない闇がただ広がり獅子神はわけが分からなかった。何も見えない、暗闇だけが自分を包み込む感覚に、起こしたつもりの身体が果たしてどんな体勢になっているのか前後も上下も分からなくて、獅子神は半狂乱でなにか確かなものを探るように必死にその腕を伸ばす。
そして、その手が獅子神を支えていたものの縁から外れて空を掻いた瞬間、その身体はバランスを崩すと落下し床にしたたか打ち付けた。衝撃に一瞬息が詰まる。夢ならば目が覚めてもおかしくない位の衝撃なのに、それでも獅子神の目の前は依然として真っ暗だ。
もしかしたら、と、ある可能性が獅子神の脳裏を過ぎる。もしかしたら、あの場で勝利を収め村雨と帰路に着いたことの方が無かったことで、そんな幻覚を死の間際に見ていただけで、自分は今死にゆく只中にいるのではないかと。苦しい。吸っても吸っても呼吸ができている気がしない。助けを求めるように、なにかないかとその手を必死に動かすが冷たい床を打ち付けるだけで何も手に入らない。死んでしまいそうだ、いや、もう
…
?そんな思いが獅子神の頭の中を占めた時だった。真っ暗闇の中で獅子神は微かな明かりを感じ取る。それが良いものなのか悪いものなのかは分からなく、またそれを確かめる余裕も今の獅子神にはない。ぼんやりと感じたその光りは、次の瞬間には眩しいほどの光線となって獅子神を照らした。
「敬一君?!」
息が上手くできなくて顔も上げられない獅子神だったが、その声が耳に届いた瞬間にその光りは一縷の希望になった。床に突っ伏した状態のまま、どうにか顔を横に向けると苦しさから涙で滲んだ視界に明かりと共に近付く見知った姿が映る。獅子神の顔にかかった髪をかき上げ、表情を確認するように覗き込む存在に獅子神は安堵し、そして恐怖した。その存在がもし次の瞬間にも目の前から消え失せてしまったらと考えると怖くて堪らなくて。仮にこれが都合のいい幻だとしても、一人は嫌だ。苦しいんだよ
…
。震える手を伸ばし、消えないようにその手首を掴む。切実な獅子神の思いが、掴んだその手に力を込めさせた。
「敬一君、大丈夫。息できてるから、いっぱい吸わないでいいぞ?」
「か
…
の
……
おれ
…
死
…
んで
…
」
「ん?寝惚けて分かんなくなったのか。そんなに苦しいから死んでないな」
叶の傍らに置かれたスマートフォンのライトは天井を照らし、その周囲にぼんやりとした明るさを与えている。薄暗い中で浮かび上がる叶の姿をただ見つめてると、空いているもう一方の手が伸ばされ獅子神の背を上下に擦る。自分以外の存在がその身体に触れることで、獅子神はようやく夢と現実の混濁から抜け出せた気がした。
「たぶん過呼吸だな。吸って、吐いて、吐いて
…
吸って、吐いて、吐いて
…
」
それでもまだ苦しさから靄がかかったような頭に叶の声だけが耳に届く。繰り返される言葉が呪文のようで、獅子神は言われるがままに呼吸をする。徐々に息苦しさは軽くなり、手足にあった痺れも散っていくように感じた。そうして初めて、獅子神は叶の手首を掴んだままだったことに気付きその手を離した。
「叶、悪ぃ
…
」
どうにか呼吸が整い声が出せるようになると、獅子神は床にうずくまっていた身体をゆっくりと起こす。目の前にはバスローブ姿の叶がいた。軽く視線を左右に動かせば、そこは間違いなく獅子神の寝室で、当たり前のことなのだがほっとして少し力が抜ける。目が覚めてしまえば、あんなのはただの夢だと理解できるのに、それでも脳が感じた恐怖の感触は消えず過呼吸のせいだけではない震えが獅子神の身体に残っていた。
「あー、なんで叶がここに?」
気を紛らわせるように、先ほどまで自分を介抱してくれていた友人へ獅子神は思った疑問を口にした。自分が寝るタイミングで再度声をかけたものの叶は反応することなく、そのままソファで眠り込んでしまっていたことを思い起こす。
「ソファで目が覚めて、さすがにちゃんとしたとこで寝るかーって思ってシャワー浴びたんだよね。で、客室向かう途中で凄い音聞こえたから様子見たってわけ」
獅子神はそう言われ、自身の左後背部が痛むことに気付く。恐らくベッドから落ちた際に反射で受け身を取ろうとして打ち付けたのだなと納得した。それにしても何故こんなに室内が暗いのだろうかと獅子神が改めて疑問に思った時だった。
「っくしゅ!!」
思考を遮るように、叶が大きくくしゃみをする。
「あー、ダメだな、これ
…
」
「何がだ?」
「なんか今、停電してるっぽくてさー。オレがシャワー浴びてる最中にいきなり真っ暗になるわ、水になるわで最悪だった。髪洗ってる最中で泡ついてたから、仕方なく水で流したんだけど冷たくって
…
」
そう言って、ほら、と首元に手の甲をつけられると、その冷たさに獅子神はビクリと跳ね上がってしまう。
「つっめて!」
「だろー?だから
…
ちょっと邪魔するぞ、敬一君」
叶はそう言うと、光源のスマートフォンをひょいと手に取り先ほどまで獅子神が寝ていたベッドに上がり腰を下ろす。
「うっわ、充電がヤバいな。ライト点けてたせいか、そろそろ切れそう」
ディスプレイを睨みつけ不服そうにそんなことを言う叶を獅子神はただ眺めている。スマートフォンのライトを消し、一先ずディスプレイの明かりだけを点けた状態にすると、叶はその場に座り込んでいる獅子神に向けて手招きをした。真意は分からないまま、獅子神は取り敢えず促されるまま立ち上がるとベッドの端に腰掛けた。
「ほら?」
ヘッドボードに背を預けると、叶は軽く脚を開いて座り膝を立てる。そして両手を広げて見せる叶に獅子神は訝しげな顔を見せる。
「敬一君、それは無理でしょ。理由は分からなくても、オレが意図していることは分かっているはずだろ?」
「それが分かってるなら、理由を言ってくれよ」
あからさまな仕草に、叶が何を求めているのかは分かるものの理由が皆目見当つかず獅子神は不平を口にする。
「身体冷えてちょっと温まりたいから、敬一君カイロになってよ。敬一君、筋肉多いからあったかそうだろ?」
「さすがにカイロは無理あんだろーが」
叶が言いたいことは分かったものの、獅子神は躊躇する。それは気恥ずかしさもあるにはあったが、それ以上に、叶に触れてしまえば自分の今の精神状態など筒抜けになってしまうことが明らかだったからだ。こうして事も無げに叶と対話をしているが、さきほどの恐怖や不安がまだ尾を引き、獅子神は微かな震えと収まらない動悸を抱えたままだった。
「オレ、明後日、銀行でゲームあるんだよね」
「え?」
突然変わった話題に獅子神が思わず叶の顔を見ると、叶は心底困った顔をして見せて言葉を続ける。
「まあオレが勝つのは当たり前なんだけど、このまま風邪でも引いたら体調絶不調でちゃんとやれないかもなー
…
。勝っても満身創痍になる可能性も
…
」
「っっ!
……
それは、卑怯だろ
…
」
あんまりな脅し文句に獅子神は苦情を申し立てる。が、冗談じみて言ってはいるものの寒さからか叶の身体が小刻みに震えているのも見て取れ、心なしかその唇もいつもより青ざめて見える気がする。
「敬一君、は
―
や
―
く
―
」
叶の催促に獅子神はいよいよ諦めて大きくため息をつき、観念したようにベッドに上るとそのまま叶の近くへにじり寄った。いざ叶と向かい合わせになるものの、どうしたものかと逡巡する。
「もー、ほらっ!敬一君、オレの体調的に一刻の猶予もないんだよ」
そう言うやいなや叶の長い両腕は獅子神の首と背に伸ばされ、そのままグイっと引き寄せられる。反動で倒れこんだ獅子神はしっかりとその腕で捕獲される。暖を取りたがっていた叶の身体は確かに小刻みに震えていて、先ほどの言葉通りカイロの代替品となった獅子神から少しでも熱を奪うようにぎゅうぎゅうと密着して抱き込んでいた。自分の寝間着越しでも分かるくらい想像以上に冷えていた叶の身体に獅子神は面食らうと、動きを奪われ少し不自由な手でベッドの上を探りブランケットを引き寄せる。それに気付いた叶は獅子神の首元に回した方の手で器用に受け取り、二人を丸ごと包み込むように身体をブランケットで覆った。
「あー、あったまる
…
」
「確かにこんだけ冷えてたら風邪ひくわ」
「なんか遭難してるみたいだな」
「笑えねーよ」
自分のセリフに呆れたような声を上げる獅子神の体から強張りが少し和らぐのを、叶は触れている部分から確認する。冷えた鼻先を首筋にくっつけると、冷たさからか一瞬獅子神の身体が跳ねた。だが、それ以上咎めることはなく、大人しくじっとしている。頸動脈の辺りから伝わってくる脈拍も自身のものと比べて異常は無さそうだなと叶は判じる。
獅子神の症状が過呼吸だと見当が付いたのは過去にその症状を画面越しで見たことがあったからだ。モニターの向こう側で何もしちゃいないのに苦しみ出した奴がいた。どんなに苦しそうに悶えても死ぬことはなく、それを何度か繰り返すのが目に入り、気が向いた叶はそれについてざっと調べてみた。結果は過換気症候群、いわゆる過呼吸だ。極度のストレスやパニック下に陥るなどなんらかのトリガーによって起こるらしい。本人は息が吸えていないと思い込み、必死で息を吸おうとした結果、血液が正常よりもアルカリ性に傾くことにより呼吸困難、胸の痛み、めまい・動悸、手足のしびれ、けいれんなどを起こす。本人がどれだけ苦しんでいても、過呼吸だけで死ぬことはない。事実、画面のソレも過呼吸が原因で死ぬことは無かった。街中で垂れ流されてるCMほどの価値もないくだらないその光景はすぐに叶の興味を失せさせたが、そこから知りえた情報は叶の中に蓄積されていた。
ここで自分が居合わせようがそうじゃなかろうが、獅子神の命に別状が無かったことを叶は理解している。獅子神が抱える恐怖は彼が直接対峙してどうにか折り合いをつけてやっていくしかないということも承知している。それでも。普段伸ばすことのないその手が、夢うつつの中にしろ助けを求めて伸ばされていた。苦しみの中、空っぽの手を握りしめ諦める瞬間の一歩手前。そこに間に合ったことは本当にただの偶然だが、単純に喜ばしかった。苦しさの多寡を他の誰かと比べるなんて不毛なことだと叶は知っている。だから、たとえば何百何千の人間の死にたくなるような苦しみが消えるかどうかなんかよりも、目の前の獅子神の苦しさや寂しさを少しでも拭えることの方が価値があり、それは強く思う必要が無いくらいに叶の中で疑いようのない道理だった。
「あ
…
」
「あー、切れたな」
傍らに置いたスマートフォンが最後の力で振動したかと思うと、次の瞬間には静まり返り部屋の中は真っ暗になる。僅かばかりの明るさだったが、それでもその光りに目が慣れてしまっていたため、視界には何も映らずにただただ闇だけが占めている。目をつぶっても開いても大して変わらない状態だ。
面白いもので、五感の内の一つが作用しないと他の感覚が補うように鋭くなる。今も叶の耳には控えめな獅子神の呼吸音がはっきりと聴こえ、首元にうずめていた鼻腔には香水でも柔軟剤でもない柔らかな匂いが届いた。もしも、この眼が視力を失くして視ることが適わなくなったとしても、その気になればいくらでも観ることはできるなと叶は再確認した。
獅子神の体勢が少しきつそうで、叶は顔を離すと腕の力を緩め少し身体を離す。身体の自由が効くようになり獅子神は身じろぎ体勢を少し整えたが、それでも叶の長い手足とブランケットで囲われたその空間から逃れることはしなかった。相変わらず暗い空間で、叶は獅子神の肩位置からあたりを付けてその頭部へと手を伸ばす。側頭部に着地したその手をそのまま後ろへ回すと、髪の毛の間にその指を差し込みゆっくりと撫で回しては指に絡む髪の毛の感触を楽しんだ。
「なんか、こう
…
犬を飼う奴の気持ちが分からなくもない気がする」
「
…
言いたいことは色々あるが、気の迷いで飼うのは絶対やめとけ」
叶の動作につっこむことは早々に諦めた獅子神はそう忠告する。
「オマエ、ペットとか飼ったことないだろ?」
「たしかに、愛玩目的で生き物を飼ったことはないな」
「この先もずっとやめとけ」
言外に含まれた意味を汲み取った獅子神が呆れたような顔をしているのが、叶の目には見えやしないのによく分かる。獅子神は少し誤解をしているかもしれないが、叶は意味もなく能動的に生き物を傷めつける事自体を楽しむような趣味はない。それは別に建前でもなんでもなく、名もない生き物に対して叶がそこまで興味関心を引かれること自体が無いからだ。事実、彼のテラリウムに生息する生き物にも生命維持に必要な最低限の物資を与えていた。
「じゃー、犬飼わない代わりに敬一君で我慢するか」
そう言って叶は楽しそうに何度も何度もその髪に手櫛を通す。そして、そのまま顔へ手を滑らせるとその指で眉骨や鼻筋、頬骨や顎先を丁寧になぞっていく。その一つ一つの形や配置を指で覚えていくようだった。
「人の顔をオモチャにしてんじゃねーよ」
そんな獅子神のクレームに叶はクスクスと小さく笑う。
「かわいそうな犬の被害を出さないためにも、敬一君が身代わりに愛玩されてよ」
「俺はかわいそうじゃねーのかよっ」
「敬一君は丈夫だから平気。これからの更なる成長が楽しみだなー」
そう言って再び手を頭へ戻すと、少し乱暴にわしゃわしゃと撫でる。文句は言うものの、獅子神に狭いブランケットの檻から逃げ出す気配はない。暗闇の中そこまで発想が至っていない可能性も十二分にあるのだが、それでも叶はご機嫌だ。
「そんなに舐めてっと、そのうち手噛まれて痛い目見んだからな」
やられてばっかりの獅子神は、ウーッと唸らんばかりの心地で憎まれ口を叩く。そんな獅子神の言葉に一瞬叶は目を見開くと、いよいよ楽しくなって笑いだしてしまう。
「それは、気を付けないとだな」
肩を震わせながら、どうにかそう返す言葉も震えてしまっている。それだと言葉的に手を噛むときには飼い犬になっている前提だということに獅子神は気付いているのかいないのか。急に笑い出した叶に戸惑いを隠せない様子だった。
そんな中、不意に強い明かりが室内に差し込む。急な明るさに驚きそちらを見ると煌々と光る廊下の電気が半開きになった部屋のドアの隙間から室内を照らしていた。叶は片手で固定していたブランケットを手放す。内包されていた温かな空気が途端に霧散するのを感じながらベッドサイドに置かれたテーブルランプのスイッチを入れると、それはきちんと機能しベッド周辺を照らし出す。
「停電、戻ったみたいだな」
「そーだな」
「一時間前後ってとこか?このくらいだと冷蔵庫の中は無事か」
部屋の時計を確認すると、叶がシャワーを浴び終えてだいたい一時間というところだった。
「あー
…
そっか、そうだな」
獅子神はそこまで頭が回っていなかったようで、叶の指摘により改めて頭の中に冷蔵庫の中身が思い返されたようだ。冷蔵庫もドアを開けなければ一定時間は冷気を保てるため、恐らくは大丈夫だろうと頷く獅子神の髪は、本人は気付いていないもののくしゃくしゃに乱れていた。その様に口角が上がりそうになるのを叶はキュッと引き締める。
「じゃあ、オレはもう一回シャワー浴びてから寝よっかな」
傍らで静まり返ったスマートフォンを手に取り、ベッドから下りて立ち上がる叶の一連の動きを獅子神は眺める。叶のバスローブ一枚の姿が改めて寒々しく獅子神の目に映った。
「敬一君のお陰で小康状態保ててるうちに、温めなおしてくるわ」
そう言ってひらひらと片手を振り、おやすみーと告げると叶は部屋を後にした。
「はぁー
…
」
本日二度目のシャワーを浴びながら、叶はその温かさに思わず声を漏らす。たしかにブランケットの中は温かかったものの、冷水シャワーのせいで芯まで冷えていた身体にはふんだんに降り注ぐお湯の温度がありがたかった。冗談半分で言っていたにも関わらず、本当に風邪をひいたらシャレにならない。叶自身、自分の免疫能力にいたってはそこまで信用していないので気を付けるに越したことは無いとは分かっていた。
それにしても、と叶は思う。それにしても、晨君といい、礼二君といい、二人ともなかなかの置き土産してくれちゃってるよね、敬一君に。そんな風に叶は胸中で思わずぼやいた。もちろん、二人が能動的に残したというよりは、獅子神自身がそれを望んで残しているというのが正しいことは叶も分かっている。それでも真経津は獅子神が己の矮小さと直面し成長するきっかけを、村雨はハーフライフに立つ上で獅子神が元来持っている武器を認識し選び取るきっかけを、それぞれ右手の傷跡と心の深くに刻んだ死への恐怖とともに残している。獅子神の血肉となり馴染むまでは当分消えそうにないそれらを思い浮かべると、叶はやはり、二人ばっかりいいなーと思ってもしまう。
「オレも一緒に賭場に立ったら、なにか渡せるのかな」
そう戯れに口から零すものの、そんな場面はそうそうにやってきはしないことも分かっている。
十分に身体が温まると叶はシャワーを止め、湯冷めしないうちにと浴室を出ると手早く水気を拭き取る。背中にタオルを回したとき、叶は鈍い手首の痛みに顔をしかめ、その箇所を確認した。先ほど獅子神が強く握った箇所が少し痛むのは認識していたが、手首を動かした角度でよりそれを強く感じたらしい。改めてそこを見て、叶は少し目を見開く。そこには獅子神の指の形が赤黒く残されていた。叶はまじまじとそれを見つめると、その口元をゆっくりと綻ばせる。それは普段吐き出すことに慣れていない獅子神の恐れや苦しみが凝縮して滲んだもののようにも見える。
「イイものつけてもらっちゃったな」
そう言い嬉しそうに目を細めると、その痕へそっと唇を寄せた。
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マシュマロ
読後の一言などいただけたら大喜びです
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