しろくまたたくはくしゅんさん
2024-11-17 20:09:00
14159文字
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Read【ヌヴィフリ】

Dearの続きです。
PDF版ができたら支部にもあげる



「ああ、ああ! なんてすばらしい機構だ! これを四百年前にはほとんど今の形に完成させていたって?」

 耳に飛び入るのは称賛の言葉。舞台上の人影は天秤の傍で綴られた紙束をめくりつつ、掲げ、抱きしめては演じる。
「信じられない! やはり我が一族は天才だ! 当たり前か神様の子孫なんだから、はっはっは! ああ、ここか、百年前に最適化したのは。──ふむ。小さな調整ではあるが先達では気が付かなかっただろう。閑雲師匠のからくりを学んでいてこその調整! さすが我が曾祖母。このような手馴染みの仕掛けが見られるとは思わなかった。それにしても本当によく作られている。四百年前、フォンテーヌで最も権威のある科学者、クロエ殿が今ここに居たならば握手して二度と離さない。離すものか! 璃月の我が家に連れて帰って、一晩中、いや三日三晩と談義するのだ。僕の考えを聞いてどう答えるだろうか。否、否、決まっている! 決まっているとも! 『我が子孫であればそうすると信じていた』と。褒めてくれるさきっと。天才に天才と言われるほど光栄なことは無い。もっとも、まずは成功させなくてはな、うん。マニュアルは何度も読んだ。心配あるまい。この若輩にも分かりやすく記されている。生憎僕は天才なので、鍵と一緒に贈られたこれを読み込み、意図せんとすることはすぐに理解した。最後の仕上げには十年かかった! 今日のために術式と化学式の可能性考え、占星を描き、神を認めさせ目を得たのだ! 失敗は許されない。五百年の時を経て、我が役割を今果たす時!」
 天秤に向けられていた体が急にぐるんと振り向く。黒く長い髪が弧を描き、スポットライトに濡れ羽色の輝きを残す。
 客席の間、階段の踊り場に佇む私を見つけるとその女性は笑った。彼女に似ていないのに、黒い髪と紫の瞳でほほ笑む姿がよく似ていて、かける声を失う。
「これはこれは麗しの最高審判官殿! よくぞ我が脅迫に答えてくださいました! 心より感謝いたします。」
 深々としたお辞儀、そして面をあげると表情が無くなっている。静寂が戻った舞台の上、その女性に向けて初めて言葉を投げかけた。
「はじめまして。君は、ヴィオレッタ殿で間違いないか」
「ええ。はじめまして。名前は覚えてもらわなくて結構。どうせすぐに忘れてしまうでしょうから」
 彼女はフリーナの孫であるエレナが璃月に渡り、以降紡いできた家系の末裔にあたる。手紙には璃月名とフォンテーヌ読みが併記されていた。彼女の父親がフォンテーヌ人なのでそう名付けたのであろう。
 彼女の手から少量の水が湧き出た。そして、舞台の奥、天秤の後ろにある壁を濡らしていく。すると壁は透き通り、大掛かりな装置を動かすための歯車が見え始める。エピクレシス歌劇場を建て変える時、クロエがそのように設計した。観客には見えないが少量の水をかければ全体が見えるように、と。私はしばらく見ていなかったが、構造が五百年前に見た時よりもかなり複雑になっている。
「奇跡だよ。こうして今日も、嘘偽りなく動いていることが……──」
 舞台上の彼女の隣に立つ。正確無比に回り続けている歯車の姿を、私は五百年ぶりに見た。彼女と────フリーナと、そういう約束をしたのだ。
 ひとつ、エピクレシス歌劇場の鍵を用意すること。
 ひとつ、鍵は遺産として相続していくこと。
 ひとつ、壊れた諭示機はフォカロルスから引き継いだ遺産とみなせるため、管理は今後一族でしていくこと。またその管理について一切口出ししないこと。
 鍵と装置の譲渡について、私は当時もちろん疑問をもち何度も確認した。遺産というのはこじつけであるし、この装置を用いてなにかしようとしていることはさておき、修理や維持には負担がかかる。五百年もの間フォンテーヌのために尽くしてくれたことへの褒美にそぐわない気もしたが、権利の譲渡は私のできる最大限のお目こぼしであるし、公衆への秘匿など手間がかかるのはむしろ私への負担である。五百年の対価としては貰いすぎなくらいだと彼女が言うので、私がそれに無理矢理納得した形になる。もしこれがフォンテーヌや劇場の観客に害を及ぼす計画であったらと考えることもあったが、フリーナという人間を信頼しているが故の譲歩であったとも言えよう。
「ここに招待されたということは、私はようやくあの装置が何の役割をするのか教えてもらえる、ということでよろしいか」
「おや、最高審判官殿。あなたのことならこの装置がどのようなものかおおよそ推測がついているのでは?」
彼女の言う通りである。フランシスカをはじめ、その子孫たちから散々確認されてきた。「最高審判官を辞める気はないか」「長い休みが欲しいと思わないか」「他の国を周遊し、源泉から湧き出る水を飲む。そんな贅沢はいかが?」と。私を休ませようという目論見、神の像の台座と諭示機の残骸、それを流用し動く歯車。ここから導き出される答えは。
「最高審判官に成り替わる審判システム及び、」
「フォンテーヌのマシナリー機構維持装置────ご名答!」
 私の言葉の続きを言い当てた、頭二つ分下にある賢そうなこめかみを見つめる。
 彼女は舞台の奥、天秤の前に移動するとまた私を振り返った。
「我々は諭示裁定カーディナルの完全版を作ったのさ。最高審判官、もとい水元素の龍王をこの国のしがらみから解放するために、ね」
「フリーナが考えそうな事だ」
 ち、と舌打ちが聞こえた気がした。「失敬」とまったくもってそう思っていない声色が聞こえた。
「そう、そうとも。このアイデアは元々、我らがご先祖であるフリーナさんがそう願ったから作られたモノ。いつ、どんなことがあろうと、あなたが『最高審判官を辞する』時や『フォンテーヌを離れたい』時が来た時、引き止めないようにするために。彼女はずっと考えていた。
 水神フォカロルスが招待したとはいえ、五百年縛り付けたのは己である。だから、解放し自由にする手段もまた己で用意しなくてはならない、と」
 神の像の台座を欲していた頃から、予想はしていた。私はフォンテーヌの行く末と共にあるのだから、君が用意している手段は無駄になると止めることも出来たがそうしなかったのは、フリーナが誠意をもって取り組んでいたからだ。その慈悲の気持ちを止めることなど、私にはできない。
「あなたはフリーナさんに甘すぎる。血を分けた子孫にもね。そうでなければフォンテーヌのシンボルともいえるエピクレシス歌劇場の鍵なんて渡さない」
 痛いところを突かれる。だが法律を無視したわけではない。「管理者」としての権利を鍵の譲渡と共に引き継いできたのだからなにも問題は無い。ただ、私から渡せる限りの地位としては公爵と同じくらい高い権限ではある。
「それで、君も私に問いにきたのか。いや、粛清しに来たという方が正しいか。フォンテーヌの惨状を見て、今の私ではこの先滅びゆくのを見かね、この国から離れさせようとしている。そうだろう?」
 ヴィオレッタは深くため息をついた。この問いかけがお気に召さなかったらしい。
「それも一つの結末────物語の終わりでもある。
 さて、この装置の仕組みをあなたにもわかりやすく説明しよう」
 ぱちん、と一度手を合わせると、彼女はステージを降りていく。後ろ手に招かれたのでついて行くことにした。
「フリーナさんはまず神の像の台座を手に入れると、この歌劇場ではなく別の場所に納めてテストすることにした。さすが五百年神を演じただけのことはある。失敗が許されない中、慎重に事を進めることに関して彼女の手立ては正しい。彼女は丁度小規模な劇場を完成させていた。いや、このテストのために建てたとも言うべきかな?」
「君が言っているのはもしや──ルエトワール劇場のことか」
是的 そのとおり! 彼女はこの大舞台ではなくまず自分の劇場で台座に神の心に近い能力が残っているかどうかを試した。具体的には人々の信仰心を溜める力、すなわち動力を蓄える能力が残っているかどうかを、ね!」
 開かれる裏舞台の扉。今では久しく見なくなった、神の像の名残がそこに据えられていた。そしてその上にまばゆく光るプネウムシアエネルギー。フォンテーヌ廷のアクアロードターミナル前にある噴水のように球体となりバランス状態を保つそれは、絶えずうごめき回転していた。
「私の供給網には関与していないエネルギーだ」
「では、このエネルギーの供給源はどこからだと思う?」
……人々の信仰心ではないな。プネウムシアエネルギーはフォンテーヌの地脈、そして」
「フォンテーヌの生物に宿る。もちろん人間にも」
 フォンテーヌにとって当然の理。当然の知識。当然の科学。神の目を持つ者が顕著にその力を示せるが、そうでない人々や野性の生物も微力だがエネルギーを発露できる。「綺麗だね、ヌヴィレット」不意に彼女の言葉が頭の中で響いた。ルエトワールたちが瞬く夜に、君が踊っている姿。
「例えば苦痛に耐えるとき、危険な目にあっているとき、興奮したとき────つまり、感情の波が大きい時にエネルギーは体外へ出て行く」
「成程。この装置をエピクレシス歌劇場に設置した理由はわかった。昼夜を問わず審判と歌劇が繰り返されるこの場では人々の感情の波が大きく揺れ動く。わずかながらではあるが人々がプネウマやウーシアのエネルギーを発散しているのは、私も観測している」
「そう。だからここはうってつけの場所と言える。ここでは人々は泣き、笑い、喜び、怒るのだから!
 この装置はそのわずかなエネルギーを吸収し、バランスをとるよう調合され、この コアにため込んでいく。日々の微々たるものでも馬鹿にならない。現にここにあるのは五百年間吸収したエネルギーさ。流石にフォンテーヌ廷のマシナリーを何万年分も動かせる力は溜められなかったけれど、立派なものだろう?」
 目を細め、光を見る。計測するに、数千年ほどのエネルギーだ。だが、律償混合エネルギーとは質が違う。あちらは岩盤のように硬く芯のあるエネルギーであったが、ここに集められたエネルギーは不安定ですぐに解けそうな柔らかなものであった。少なくとも、神座を壊すのには向いていない。
「律償混合エネルギーと最も違う点は、今後もメンテナンスをしていけばフォンテーヌ人はこれからもしばらくプネウムシアによる恩恵を得られる、という部分。まあ、年々人口が流出していけばここで生産されるエネルギーは少なくなっていくのだけれど」
 そこに皮肉はあれど、責めるような声色でないことに驚く。それでも謝罪の気持ちが湧き「すまない」と口にすれば、彼女は肩をすくめた。
「それで? あなたの気持ちは如何ほど?
 我が一族が作り上げたこの素晴らしい装置があれば、あなたがフォンテーヌを離れて暮らしても問題は無い。もっとも、あなたの存在を受け入れてくれる場所なんてグレート・フォンテーヌ・レイクの底にすら無いかもしれないが」
 最高審判官の肩書を捨て、威厳を脱ぎ、戻るのはやはり水の中であることは認めるが……。確かに、そうかもしれない。水底に沈んだとしても、私の居る場所には雨が降る。光のない浅い水辺はどの生物にとっても生きづらく、酸素を生み出せなくなった海藻が死を迎えるだろう。──首を振る。
「離れるという選択肢は、無い「と、あなたが選択することなんて、わかりきっていた事なんだ。フリーナさん以外は、ね」
 ヴィオレッタはそう言うと、少し奥の作業場らしきところへ足を向けた。そこに置かれていたのはブリキの缶だ。どこにでもある、菓子詰めの缶。錆付き、着色が色あせまたは銀の地肌を見せるそれは大切にされてきたとひと目でわかるものであった。
「そのデザイン、は、」
 懐かしい、と思った。彼女がよく通っていた洋菓子店の、長年愛されてきた菓子缶だったからだ。神時代も人時代も、その缶を茶会で開けてはいつも持ち帰っていた。「このくらいが丁度いいんだよね」という言葉と共に。
「フリーナさんの手紙缶だよ」
 ここにあったのか、と目を細めた。彼女の愛おしい記憶とともに、小さくなって眠っていた。
「読みたい?」
「いいや。その中身は彼女のプライベートな部分だ」
「さすが公正公平な審判官殿。今読んでも罰はくだらないと思うけれど」
「善悪や公正公平などではない。彼女の大切にしていたものを私もまた、大切にしたい」
 言っておいて、今の私ではその思想に矛盾していると気づく。彼女の大切にしたかった子孫を守る事はできず、正義の国を滅ぼそうとしているのだから。
「この手紙缶にはあなたからもらった手紙をはじめ、当時の友人たちの手紙もたくさん残っている」
 かぽ、と空気の含んだ音がした。かたん、と薄い金属音。蓋で抑え込まれていた手紙の束が膨らんだ。
 五百年前と変わらぬ見慣れた文字。私からの手紙がリボンで結ばれていた。そして、薄く小さく、四つに折りたたまれた紙片が床に落ちた。
「フリーナの文字……?」
「そうだよ」
「なぜ手紙缶の中に、」
「手紙缶の中にあるからには手紙さ────まあ普通、手紙は宛名があって、想いがあって、自らの手を離れ相手へ送られるモノだけれど、」
 彼女は落ちた紙片を拾い上げ、月光に透かした。その手は軽やかであるが、故人の遺物を大切に捧げているように見えた。死者を扱う家系であるから、扱いは心得ているのであろう。
「けれど、すべての手紙が相手へ送られるとは限らない。送れない手紙をこうして自分の手紙缶へ納めて、ずっと仕舞っておいたんだ。まるでそうすることで、あふれ出しそうになる気持ちを閉じ込めるように」
 ふと、身に覚えがあり視線を逸らす。
 知っている。送れない手紙という存在を。引き出しの奥に溜まっている紙の束を思い出す。あふれ出しそうな想いを書き留め、送ったつもりで満足したそれら。日記のように見返すことも無いのだから、宛名の無い紙片は積もる一方だ。
「この手紙のほとんどは、ラブレターだ。若い時の熱烈なものから、年老いて慈しみ深くなったもの。死に行く己を悲観して、恨みつらみを書き綴ったものもあった。たった一人に向けて、ね」
 ゆっくりと手は下ろされ、そして私に向かって差し出される。
「〝親愛なる、キミへ────〟」
 受け取り、古く崩れそうな紙片を丁寧に開く。フリーナの文字をなぞり、彼女の言葉を追う。インクが薄れてもなお、気持ちはひとつも失われていない手紙が鮮明に語り掛けてくる。



『キミのことを待っていたら、傘を持った紳士が現れた。彼は家まで送ってくれて、それから、次の日も「風邪をひいていないか」って心配して訪れてくれた』
『不思議な人……変に話そうと気を使わなくていいし、リラックスして横で過ごせる。時々お茶をすすって。悩みを聞いてもらって。心地が良い。なんだか、キミとも話が合いそうな気がする』
『すごく悩んだ……。プロポーズは嬉しい。でも、僕は……キミが、好きだよ。まだ────』
『明日は結婚式。招待はしたけれど、なんだか、複雑だ。きっと泣いちゃうんだろうな……泣いたっていいよね? 失恋の涙を一緒に流したって、いいよね?』
『子どもが生まれた……。かわいい。あったかい。キミが腕に抱くと、なんだか悲しくなった。ごめん。ごめんね。僕はまだ、キミのことが好きみたい』
『聡い子だ。僕の計画の意図を汲んでくれた。でも、「母さんの思い通りにはならないよ、きっと」だって。そうかなあ。でも、いつか必ず必要になる。その時までに────この気持ちが捨てられているといいけれど』
『びっくりした。酔っぱらった夫が離婚しようって言い出すから。僕があの日、雨の中で待っていた人こそが愛する人だろうって。でもキミとはバレていないみたい……。そういうところが、なんというか、夫のかわいらしくて愛くるしいところなんだけれど。ともかく、離婚はしない。決定事項だ』
『幸せだ。穏やかな日々、二人の娘と一緒に、物を書き、ご飯を作って、洗濯物を取り込んで、夫の帰りを待つ。ささやかすぎて他人に笑われるかもしれないけれど、ありふれているこの日常こそが僕の幸せなんだ』
『キミへの想いは、慈愛に近い。水底の奥深く、根を張り、ゆっくりと揺蕩っている……。もう伝えたいとは思わない。墓まで大切に抱えて行くよ。だから、どうか、許して欲しい。こんなものしか用意できなかったけれど、キミがいつか自由に暮らせるように。キミの長い長い後ろ髪が引かれないように』
『フォンテーヌを出て、メリュジーヌ かのじょたちと旅をするキミの夢を見た。そこでキミはメリュジーヌたちと国を築くんだ。水の中、人間は居ない国。キミは幸せそうに笑っていた……──夢の中だけれど、キミが笑っているのを久しぶりに見た。やっぱり、彼女たちと一緒に過ごすことが幸せ……そうだろう?』
『夫への愛は、日向にいるみたいにぽかぽか温かいものなのに……キミへの愛は、深海のように暗い場所で、ただ泡のような想いを叫び続けている』
『僕のせいだ……。僕の、…………
『キミのせいだなんて、言わせない。言わせたくない。キミがいなかったら、僕は、僕たちは、』
『結局、僕はなにもできなかった。あたりまえだよね、今は神でもないし地位も無いんだから。最期に、フォカロルスみたいに、キミの役に立ちたかったけれど』
『いつかきっと、キミを自由に……。その願いが叶いそうでよかった。僕の力だけではここまでできなかった。娘や孫たちが頑張ってくれたおかげだ。僕からの贈り物────気に入ってくれると嬉しいな』



「フリーナ!」
 彼女がここに居る。今、確かにここに居るのだ。時を越えて想いに触れても、その想いに応えることはもうできないというのに。肺に空気を送り、ただ彼女の名前を呼ぶことしかできない。もう一度呼ぶ。それ以上は胸がつまって呼べなかった。
「、ぐ、!」
 目が燃えるように熱い! 眉を寄せても目を閉じても、内側からあふれてくるこれは────涙?
「初めての涙は、どう?」
「っ、──…………この世に存在する水元素の中で、最も不安定と言えよう」
 唇の端から流れ込む味に、覚えがあった。その時私ははじめて、フリーナが神を降りる間際ずっとずっと泣いていたのだと知る。ルキナの泉は、彼女の涙の味をしていたのだ、と。
 会いたい。
 無性に、フリーナに会いたかった。
 会って何をするというのだ。謝るのか、これまでのことを。君の涙を味を知ったからと慰めるのか。
 歪む視界の中、ヴィオレッタが歩き出す。
「かつて────時を止めた神がいた。未来を予言した魔女がいた。けれど、未来から過去へと戻った者はいまだ現れない」
「何の話だ、過去へ遡るなど……
 彼女は私の言葉を聞いていない。興味が無いのだろう。
「それもそのはず。時間を遡行し過去に戻った者は未来を覚えていない。記憶も、存在も、すべてが巻き戻るのだから。そうでないと公正公平じゃない。子どもでもわかる摂理だ」
 ヴィオレッタの手が装置に伸びる。ガシャン、という金属音がすると、歯車が配置転換し、回りだす。その様子に目を細めると、彼女は「うん、僕って本当に天才!」と自賛をつぶやいた。
「夢だ。────そう、これは夢」
 バランスの取れたプネウムシアエネルギーが揺れ出す。違う、内側から外に向かって、まるで水が沸騰するようにぐらぐらとあふれ出ようとしている。
「夢は過去に似ている。そして、未来にも似ている。人々の空想から未来は導かれ、歩むことで道ができていくのだから」
 煮立っていたエネルギーが急に止まった。と思えば、二本の細い線が伸び始める。あまりにも細すぎて気が付かなかったが、糸のような誘導体が張り巡らされていた。
「未来へと歩む道はいくつかの収束点 うんめいがあっても、そこまでの行き方は自由だ。いろんな道があって、迷い、まっすぐ行く道もあれば曲がりくねる道もある。枝葉のように分かれた可能性の未来。進む可能性のあった道だ。いや、実際にその道を進んだ未来も存在する。すべきなんだ。並行した世界が常に展開されている、というべきか。
 その時々の可能性を人々はすぐに忘れてしまうものだ。まるで、夢のように。そして、ふと思い出したりもする。あの時ああしていたら、未来はどうなっていたんだろうと想像して、また忘れていく」
 光が練られ、わかれ、つながり、わかれ、そして綺麗な円を描いた。精巧な術式だ。ひとつも乱れの無い、完璧な円の形が出来上がった。
「あなたの過ごしたこの五百年は、まるで夢だったかのように」
 記憶が駆け巡る。
 死者が見るという、走馬灯のように。愛おしい記憶に別れを告げるように。
「ヴィオレッタ殿!」
 名を呼ぶと同時に、完成した術式がまばゆく光る。この装置はまさか、
「今すぐこれを止めるのだ!」
「なんだ、気づいてしまったか。ああいや、ちゃんと完全版諭示裁定カーディナルとしても使えるんだよ? でもそれは表の機能。僕たちはずっと。この五百年ずっと、もう一つの機能を研究し開発してきた。あなたの予想通り、ただ一人を過去にさかのぼらせる。その名も〝タイムマシーン〟!」
「このままでは君たちが消えてしまう! 存在が、存在すら、無かったことになる……!」
「わからないよ? もしかしたら同じ未来になるかもしれないし。
 それに、それが────僕たちの願いだとしたら?」
 まさか、あり得ない、と否定するには────フリーナの娘たちは、子孫たちは、賢く、優しすぎた。急に、頬が叩かれたように痛む。ああ、あの時の怒りは最もだったのだと今更理解した。それでもなお、私に慈悲を与えようと一族がこの時のために紡いできた装置を、なんとかして破壊できないかと手を伸ばす。
 手のひらに元素力を集約させるも、出力した傍から霧散した。術式が一層輝き、風が巻き起こる。
「お力添えをどうも! あなたの力はバランスがとれたプネウムシアエネルギーだから、吸収効率が良いんだ」
「っ、! ────過去にさかのぼるなど、そんなことができるなど到底、出来るはずがない!」
 ヴィオレッタは風で乱れる長い髪をそのままに、高い声で笑った。
「我が先祖は五百年も神を騙り、その演技 こうせきは神の領域に至ったのだ! 我々が五百年かけた機械仕掛け マシナリーが神の領域に至って何が悪い!」
 風が強い! あの術式に向かって、吸い込まれている。足が浮いて────強い光に網膜が焼かれ点滅する視界。何か摑まるものが無いかと手を伸ばす。金属だ、指にかかり、掴んだ。内側からはばたいていくこれは、フリーナの、