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さもゆ
2024-11-15 21:56:58
51182文字
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【A英】翌日NY各新聞社『きみたちは見届けたか? 夜の街中で起こった素晴らしい愛の物語を!』
『きみたちは見届けたか? 夜の街中で起こった素晴らしい愛の物語を! まだの人は、ぜひ、うちの新聞でご覧あれ!』
──情報提供者、マックス・ロボ。
アッシュを亡くして七年、怒涛の再会を経て再びアッシュと共に三年を過ごした英二は、三十歳の誕生日を迎える。けれど、翌朝、英二は彼の元から逃げ出そうと躍起になり……?彼らに優しいニューヨークと、はた迷惑な行動を起こす彼らの、へんてこで平和な愛のお話。
※大体のキャラが生きてる
※アニメと原作がごっちゃ(光の庭も含む)
※ちなみに、逃げ出したのがAだった場合、彼は完璧に英の動向を探りつつ逃げるはずなので、それを充分ご承知な英はひとまず自力で追いかけた後、街中で「きみから出てくれなきゃエンパイアステートビルから身を投げ打ってやるからな!!!」って叫んで、瞬間ビルに向かって駆け出す英とAの話になる
2019.9.5 たまごのお粥pixiv投稿作品
1
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3
4
「生娘じゃあるまいし。避妊する必要もない者同士だ。どこに逃げる理由が?」
……
英二とて、もちろん一生逃げ回るつもりはない。
崩れてしまったものを、もとのように建て直すまでの時間が、欲しいだけだ。一週間か、一か月か、一年かは分からないが、顔を合わさず、アッシュとの付き合い方を正しく取り戻すための、心の準備をしたい。そして今度は、絶対に崩れない強固な城を築いてみせる。最高の友だちという関係を守るためのものを。
そのためなら英二は、自分を嫌っている男に殺されても構わない気さえしていた。完全にヤケクソだった。
「お察しの通り」
察された内容に悪い顔色を更に悪くさせ、羞恥に頬だけ赤くさせるという器用で異様な顔つきを月龍に向けると、言った。
「僕は逃げてる。理由は、事細かに言うと、きっときみの胃に穴をあけることになるから、大雑把に。あいつのそばにいられないんだ。今、そばにいたら、顔を見たら、やばいことになる」
「やばいことって?」
「世界が
……
崩壊する」
沈黙。
月龍が、いつの間にか短くなっていた肩までの髪を、手持ち無沙汰に撫でつけた。英二はそれを見て、自分の無造作に伸びていた髪を切ったきっかけが、そういえば彼にあったことを思い出した。アッシュと再会し、それを仕向けていた月龍に殴り込みに行った時の、「なんだい、似合わないね」発言。しれっとした態度に腸が煮えくり返ったと同時、全くその通りだと納得したものだった。長髪は走るのに邪魔だ。飛ぶのに邪魔だ。敵から掴まれる箇所が増えてしまうし、そうなったら、あいつのお荷物になってしまう。今の僕には、似合わない。そう十九歳の頃に戻ったように、思ってしまったのだった。
……
ほざけ。髪を切った三十歳の英二が詰る。お前は三年後、十九歳の扱いを受けるのが嫌で、アッシュにみっともなく襲いかかるんだぞ。思い違いをしていたのは僕の方だ。僕は、無垢な、ティーンじゃない。くそったれ、なんで髪を切ったんだろう、あれさえありゃ手っ取り早くこの首絞めれたのに!
「それで、まあ、きみは世界を崩壊させたくないと」月龍が言った。
英二は項垂れる。「
……
ほとんど壊してしまったんだけど、まだ、僕さえ逃げれば、修復可能のはずなんだ。そのための時間が
……
必要だ」
そう、時間はいつだって流れていく。川床の石が長い年月をかけて削られていくように、それは丸くなったり尖ったりする。七年が証明している。時間さえあれば、少しは、精神的な事態は都合の良いふうに動いていくことがある。僕は丸く治められるはずだ。アッシュとの関係を、どうにか。ああ、でも、と英二は思った。肉体的な事態は、どうすればいいんだろう。僕たちが一緒に暮らすようになったのは、何も良質な睡眠のためだけじゃない。たとえ年月をかけて心が安定し丸くなっても、体の傷の方は尖ったまま時間に転がされて鋭かった。あいつは刺された傷痕にナイフの刃を、僕は撃たれた銃創に銃の弾丸を、そのまま宿したような痛みに襲われることがままあった。それが二人一緒にいれば緩和されることに気づいたから
……
。いや、いやいや、問題ない。アッシュはこれから僕じゃない人と夜を越せるようになるんだ。僕よりもっと間接的な治癒力の高い人を見つけるに違いないんだから。その人と幸せになるはずなんだから。大丈夫だ。何も案じることはない。僕は僕の身の振り方を考えていくべきだ。
「時間?」
眉をひそめられる。
「僕のところに来れば、それがあるって?」
「少なくとも、街中を転々とするよりは。ほら見て、あの時計、こころなしかゆっくりじゃないか?」
棚上の時計がちくたく、ちくたく。
「眼科に行ってきた方がいいんじゃない? 待って。眼鏡はどうしたの」
「さっき落とした。ポーチの中。割れちゃって」
「
……
僕がきみに時間をやると思ってる?」
「思ってない! 話が済めば叩き出されそうな雰囲気だ。どうやって言いくるめるかな」
「ハッ」
鼻で笑われた、と思った。しかし、月龍は蔑みの顔を英二に向けず、そっぽを向き、肩を震わせ、くつくつ笑い出した。それはやがて大笑になり(英二は彼の笑いのツボが分からなかったので、彼の自律神経を駄目にしてしまったかと恐ろしくなった)、ひきつれた呼吸で曲がった姿勢を正すと目許を拭う仕草をした。「はー、おかしい」ほつれた髪を耳にかける。
「いつぞやは僕を人質に取ってまで僕ンとこから逃げ出したのに、今回は自ら取っ捕まりに馬鹿をやってるときた。きみ、やっぱり変わらないな」
「
……
きみの方は、変わったみたいだね。ユーシス。そんなに笑うの初めて見た」
「僕は結構笑うよ。きみが知らなかっただけ」
「
…………
」英二は黙考し、言った。「僕たちって友だちになれそう? はじめましてから始めようか、どう?」月龍は反吐を出しそうな顔をした。「反吐が出る。やめてくれ」「ごめん」自分で言ってて無理だとは思ったんだ。僕たちって、時間がどれだけ経とうが、尖りもしないし丸くもならない。油に垂らした水だ。でもこうやって生きていくと、そんな存在が凄く貴重だと思えてくるし、たまに縋りたくなるから不思議だ。「ユーシス」今の僕にはきみしかいない。「さっき眼鏡が壊れたって言ったよね。実はあれ、門番に押さえつけられた時に吹っ飛んで、彼に踏みつけられたから割れたんだ。僕が彼に襲いかかったのは一回。取り押さえるのは正当防衛だよね、一回。僕が彼を脅したのが一回。故意じゃないとはいえ、彼が僕の頬を地面に擦りつけたのが一回。二対二だ。でも、壊れた眼鏡の分を入れたら、二体三になる。更に言えば僕は一般人、そちらは悪名名高いマフィア。どちらが弱者か明確で、責任の取り方に疎くないことも世間に知られている」
扉付近に張りついていた見張りが、息を吐いた気配がした。思わずといった様子だった。それきり彼の存在は主を尊重してかまた希薄になる。月龍が虫けらを見る眼差しを向けてきた。「まさかとは思うが、脅してるつもり? ねえ、本気?」「まさかマフィアが一般人の眼鏡も直せないとは思わないよ」「マフィアが一般人の眼鏡を直すとでも?」「僕は一般人じゃない。カメラマンだよ。それなりに、名のある」むちゃくちゃな言い分に視線が絡み、睨み合う。溜め息を吐かれる。
「
……
脅迫は相変わらず下手だけど、英語は上手くなったんだね。あの頃の拙さが懐かしいよ」
「どうも。おかげさまで」
「話し合えばいいのに」
「これが僕ときみの精一杯のコミュニケーションだと思ってる」
「僕とじゃない」
英二は言外のマトモな助言に気づいたが、せっかくの優しさを聞こえなかったふりをした。月龍が肩を竦め、睨み合うのをやめると、存在をなくしている見張りに目を向けた。
「縄を解いてやれ。あと、湯と食事の用意を使用人に言いつけて、それから眼鏡の修理も」
「ユーシス!」英二は感極まり、そして自分が拘束されていて良かったと心底思った。両手が自由だったら、飛び上がって彼に抱きついていたかもしれない。危ない。貴重なチャンスをふいにするのだけは死んでも御免だ。良かった。
運は自分に向いてきている。
※
広くて良い香りのする風呂場で寝こけてしまいたかったのだが、それは叶わなかった。
いかんせん見下ろす体がひどい。眩暈がする。腹の銃創周りのキスマークが特にえげつない。似たようなものを彼につけたかと思うと怖気が走る。皮膚が薄いから、唇を寄せられるたび反応してしまって
……
あいつはそんな僕に気持ちが悪くならなかっただろうか。酔っ払っていたのに、酔っ払っていたからか、僕は本当に痴態を晒した。自分の感情ばかりを優先して、アッシュがどう思おうがお構いなしに。あいつ、どんな顔して僕を抱いてくれてたんだろう。それすら分からないんだ。ただ
……
、泣いてた。
僕たちは、揃いも揃って、泣いてたように、思う。
僕は自分の浅ましさと、どうしようもない悲しさに。きみはなんの涙だったんだろう。考えれば考えるほど
……
会いたくない。会えない。いくら周りからセックスしててもおかしくない関係だと思われていても、気づいたでしょ? あの瞬間、おかしいって。だってきみは『最高の友だち』の僕が何より愛しかったはずだ。そこに性行為は含まれない。むしろきみはそういう行為は忌むものだと思っていて、でも、はは、僕相手だと許しちゃうんだね、そんなの、そんなのは
……
絶望だ。
僕はいつでもきみと離れられる覚悟を決めなくちゃいけないのに。どうしてなんだろう。ごめん、十九歳の頃のように、僕がきみのそばにずっといられるとは、もう思えないんだ。肉体的な意味でだよ。きみが、また、自分の意思で、どこぞにいくというのなら
……
たとえばそれが地球の裏側とかで、きみが僕を慮っての行動なら全然追いかけて行くけれど。ほかごとのために、誰かのもとへ行ったり死にゆくことがあるならば。僕はきみを縛りつけはしない。きみの意思を尊重する、覚悟を、今のうちにつけとかないといけないんだ。さもなくばまた七年かけてしまうから。本当に。僕がこんなに臆病な大人になったのは、きみのせいだ
……
。
「あの、もしもし? 大丈夫です?」
ごぽり、口の中から泡が噴き出た。閉じていた瞼を開け、不明瞭な光景に、あ、やべ、ぽこぺこ泡を吐き出す。慌てて沈んでいた上半身を湯から起こす。「もし、えっ、死んでます?」浴室外から不慣れそうな英語が飛んでくる。風呂場まで案内してくれた若い中国人男性を思い出し、英二は頭から滴り落ちる水滴を拭い払った。「死んでないよ」あるいは、死にかけたかもしれないけど。寝こけるよりよっぽど悪い。
そうですか、良かった、彼はそう息を吐くと、「ここにタオルと、あと、手当ての用意を置いておきます。私は部屋の外に控えて
……
、いる、」
「おります?」
「おります、ので。御用の際は、どうぞお声をかけてください。すみません」
「いや。ここに来て日は浅いの?」
浴槽に、思いのまま滑り落ちて呼吸が止まらないよう、しっかりと座り直す。扉向こうで、退出しようとしていたらしい彼が、動揺して言葉に詰まる気配がした。「
……
はい、浅いです」英二は自分を面倒なオヤジだなと思いつつ、申しわけないけど、ぐつぐつとしたひとりごとに付き合ってほしいと言葉を投げかけた。
「中国語の方が、得意?」
「はい。もちろん」
「大変だよね、英語覚えるの
……
」本当に大変だった。
「あなたは、とても、流暢ですね」
「必死だったからね」アッシュの死を、彼の国の言語で、肯定か、否定をするために。おそらく英二がネイティブのように喋れるようになったのは、それが大きいだろう。もう訛りが強いなどとからかわれない。だというのに、なぜ、愚かな行動を
……
。話し合えばいいのに。月龍の言う通り。それだけでなく、アッシュは、日本語を少しずつ話せるようになってきている。その経歴ゆえに国外への飛行は許されていないけれど、それでも、いつかのためだと笑って
……
。待って。だめだよ。ああきみったら、どうしていつも僕ばかりなんだ。きみの世界の中心が僕じゃだめなんだよ。
「
…………
」
ずるり。ひと滑りだけ、排水口に引きずり込まれる。
「
……
死んでます?」
「はは」
訊き方がおかしくて思わず笑った。「死んでないよ。どうして、そんな質問を?」
「月龍さまが」
「月龍が?」
「あなたは、殺しても死なないけど、死ぬ時は死ぬ、と」
「それは
……
、」アッシュのことじゃないかなあ。「うーん、女の股から生まれた者はマクベスを倒せない、とかそういう屁理屈かな」
「誰もあなたを殺せない? 自害以外では?」
「月龍は僕をなんだと思ってるんだろう
……
」
「でもあなたはタフそうです」
「え、そう?」
「あなたのことは
……
」彼は声をひそめた。小人か何かに囁きかける調子だった。「都市伝説だと、思ってました」
「えっ、なに?」ざぷん。英二は身を浴槽の縁から乗り出した。「都市伝説っ?」風呂場に素っ頓狂な声がこだまする。
「あの、はい。使用人の間で、語り継がれてます」
「何が?」
「だいぶ前に、月龍さまが捕らえた日本人の話です。軟禁状態から抜け出したくて、給仕を花瓶で殴ったり、窓をぶち破ったり、月龍さまを人質にとったり」
「あーあーあー、待って、嘘だろ」
「嘘なんですか?」
「ぜんぶ事実だ。待って、そうすると今日、その都市伝説に、門番に襲いかかって捕まりに来た話も追加されるってこと?」
「既に噂で持ち切りです」
「あ、待って、」溺死したくなってきた。
「よく生きてますね」
感心し、彼が自得したように付け加えた。「なるほど。殺しても死なない」
英二は早急に会話を打ち切りたくなった。「喋ってる場合じゃない、きみは早く持ち場に戻るべき。僕はもう出るよ」話しかけてきたのはそっちではないですか、彼の心の声が聞こえた。ごめんよ若人くん、僕は最初の都市伝説の時からきみらにとって理不尽の塊なんだ。ようく覚えておくように。これからのためだ。
……
こんなこと、三度目はないと、思いたいけども。
着ていたシャツはアイロンがかけてあったし、頬に貼った絆創膏はちょっといいやつ、しかも風呂上がりの食事は胃に優しい中国粥ときたものだから、英二はさてはこのまま殺されるなと思った。注文の多い料理店だ。あの終わり方とは違い、最終的には化け猫か山猫かの腹の中に問答無用で詰め込むというのを、月龍ならやりかねなかった。英二はこの家の住人が極悪非道、冷酷無慈悲な裏稼業の人間であるとよく知っていたので、その可能性を重々承知していた。そうとなればやることは一つだった。最後の晩餐。人生悔いなきように。永遠の眠りにつく前に仮眠をとるべきだ。
食べ終わった食事に行儀よく手を合わせて、給仕に礼儀正しく謝礼を述べ、彼らが主を呼びに行くと出て行ったところで、英二はソファに横になった。普段なら有り得ない無体さだった。疲労困憊だった全身はほどよく温まり、酒とつまみとその他で荒れていた胃は滋味溢れた粥でくちくなったし、頭を悩ませている原因のアッシュはいない、端的に言えば凄まじく眠たかったのである。睡眠欲だけが満たされていなかった。あくまで仮眠だ。そう、永眠の準備期間。少しだけ。二時間くらい。
アッシュはもう起き出しているだろうか。バディにちゃんと朝ご飯をあげる余裕でいてほしい。英二は両目を瞑った。
現実が悪夢的な事態に陥っていたおかげか、夢はひとつも見ずに良眠できた。ぐぐぐぐっと伸びをして、呻き声を噛み殺す。べきばきぼき、至るところの関節がかしましく鳴った。ふと首を横向け、見えた窓の向こうが橙に染まっているのに瞠目する。瞼を閉じる。開ける。「オーマイガー」神様、ひょっとして悪戯に一日の進み具合を変更したりしました? 一日を六時間とかにしてない? あれはもしや夕焼けじゃないか?
「もう一度寝るべき?」
枕に頭を埋め直した。
……
枕?
「寝物語でも語って聞かせようか?」
跳ね起きた。かかっていた布団を捲り上げ、ぐるっと部屋内を見渡し、自分が寝転がっていたのがソファでなくベッドであることを視認する。さっき食事をした部屋とは別の部屋だった。広いが、簡素な部屋だ。最低限の家具。あの窓は
……
どうだろう、防弾ガラスなら為すすべないが、いざとなったら割って抜け出せそうな窓枠だ。いや、外に見える木が高い、落下の危険性が浮上してきた。そうじゃなくて、こういうこと真っ先に考えるの宜しくないだろ、寝物語? 軽く混乱している頭を振る。ベッド脇に月龍が座っていた。涼し気な表情の内に、呆れ、嫌悪、諦めと、
……
興味? なんに対して。ぱちっ、瞬きする。「
……
どんな物語があるの」訊ねてみる。
「中国の民間伝承。虎と木こりの話とか、狐と人間の話とか、花妖と仙人になった男の話とか。神々の話もあるよ」指を一本ずつ立てていく。
「ハッピーエンド?」
「大概はどちらかがいなくなる」ひらり、手を振った。
「バッドエンドだ」
「残されたものにとっては、もしかしたらね。きみはよくご存じのはずだけど」
「凄く
……
深読みするけど」英二は寝起きの重怠い瞼を揉んだ。「僕が自殺しないよう説得してくれてる?」
月龍は片方の口角を吊り上げた。
「慣れないことをしてるんだ。気づいてくれたようで何より」
えっ、自分の喉から間抜けな一音が漏れる。皮肉で返してくるだろうと思っていたのに。目の前の美しい男を凝視した。本物だ。映画でよくある一人二役の影武者とか双子とかに見える。つまり本人だ、らしくない。
思えば最初から、らしくなかった。英二は本気で覚悟していたのだ。殺されはしないまでも、針でどこかしら刺されたり悪趣味な事象に付き合わされたりするのではないかと。月龍は昔ほどアッシュに執着しなくなった。英二には、変に突っかかりはしないが、自他共に相容れなさを持っていると感じている。アッシュにとって盲点、そして彼の味方でも敵でもないからここへ一時的に逃げ込んできたが、果たして月龍はこんな横暴で非常識な日本人に、親切心で逃げ場所を提供してくれる人物であったか? あんな脅しにもなっていない文句を受け入れて? まるで味方のように。そんなわけないだろう。だって僕たちは
……
友だちじゃない。
ぎし、ベッドが軋んだ。膝で乗り上げ、白魚のような指が伸びてきた瞬間、英二は咄嗟に身を引いた。露骨すぎた。あ、ごめん、言うより先に彼がわざとらしく眉を下げた。
「ひどいわ英二、僕のこと警戒してるの?」
その言い方はアッシュが年下らしく年上を詰ってくるときと同じだった。
「
……
少しだけ」
英二は正直に答えた。「ようやく、冷静になってきた」
「素晴らしい」
大仰に頷かれる。ベッド上に片膝立てて座り、膝頭に顎を乗せると、肩までの艶やかな黒髪がさらさら音を立てて流れていった。
英二は寝癖頭をがしがし掻きながら、ええと、考える。
「体の休息がとれた今、冷静になってみると」
「うん」
「かなり、とんでもないことをしでかしたと、これはまあ、ずっと思ってる」
「へえ、そうかい」
「きみのところには、何か、お詫びをしないと」
「気にしないよ」
「寝室まで運んでくれたみたいで」
「起こすのも悪いかと思って」
「何も訊かずに、時間をくれた」
「ここにはそれがあるって、きみが言ったからね」
「なぜそんなに優しいんだっ?」
堪りかねて声を上げると、月龍が微笑をたたえ、手に持っていたものを掲げた。英二の眼鏡だった。傷一つないレンズがぴったりはまり込み、フレームが正しい曲線を描いている。本当に直してくれたのか! 白黒している目に、手ずから眼鏡をかけられ、輪郭がくっきりした世界で最初に捉えたのは彼の背後にある扉だった。そちらに目がいったのは音がしたからだ、どた靴で迫ってくるような、大きな足音。
バンッ、扉が開かれた。
「おい若様ッ、あんたを探すために俺がどれだけ──」
「謀ったなユーシス!」
英二はベッドから転げ落ちるようにして扉から離れた。
「人聞きの悪いこと言うなよ、シンとは先に約束してたんだ」
ベッドに腰かけたまま月龍が言う。
部屋に飛び込んできたシンは、一寸、狐につままれたような顔をすると、みるみるうちに唇をわななかせ、わっと彼に詰め寄った。
「月龍! まさかあんたが英二を攫ったのか!? アッシュが血眼ンなってこいつ探してるっていうのに!」
「お前も人聞きの悪いことを
……
。誰がこんなやつ攫ってくるもんか」
「シン! アッシュが僕を探してるって言った!? それってどのくらいのレベルかな!?」
「えっ何
……
カトリーナくらい」
「最も破壊的なハリケーンの一つじゃないか! もうおしまいだ!」英二は身を翻すと窓に駆け寄り、手近にあった椅子をひったくると振り被った。「何やってんだッ」ぎょっとしたシンが猛然と飛びかかりに行くが、一足遅い。椅子は窓に叩きつけられ、そして、椅子の足だけが歪に曲がった。「前は簡単に割れたのに!」絶叫する英二をシンが取り押さえ、それらを静観していた月龍が呆れたように胡坐を掻いた。「対策してるに決まってるだろう」「対策っ?」「もう二度と破壊されないように。ありがとう。きみは我が家の防犯向上に尽力してくれた、伝説の存在だよ」「そのうち門番がAIになったりしないだろうな!?」「するかもね。きみを弾き飛ばせるように」「ひどい!」シンプルな罵声に、にんまり笑われる。「お生憎、非道な人間なもので」
どうどうどう、肩で息する英二を羽交い絞めで宥めるシンが、二人を交互に見やって首を振った。
「サッパリ分からん。どういう状況っ?」
「
……
誤解を正そうか。まず一つ。英二、シンが来たのは、仕事のためだ。数日前からの。別にアッシュと組んできみを袋のネズミにしに来たわけじゃない。それから、シン。僕はそいつを攫っちゃいない。自分からここに来たんだもの」
「自分から? なんで
……
英二、アッシュがお前を探してる。俺だって心配してたんだぞ、急にいなくなったって」
とにかく何かに縋りつきたくて壊しかけた椅子を強く握り締めた。それを反抗の初動と思ったのか、シンが取り押さえる腕に力をこめる。あんなに小さかったきみがこんなに大きくなって、泣けるぜ。英二は自棄になって笑った。
「心配させたのは悪かったと思ってる。でもシン、ユーシスの言う通りなんだ。僕は自分から逃げ出してきた。あいつ、探してるって? 捕まるわけにはいかないんだよ。わけは訊かないでくれ。お願いだよ、僕がここにいることも決して連絡しないでほしい。頼むよ。抵抗はやめるから」
ごとん、椅子を床に落とした。攻撃も防御もできず、心許なかった。そう感じた自分はやはりあの頃より醜い人間になっている。イノセントは死んだのだ。
「あー
……
」
シンが弱り果てて呟き、英二をそっと離した。
「分かった。何も訊かない。なんとなく、そう、察しはついてるというか。アッシュがお前を探す勢いが、たまの家出より、凄いから。ニューヨーク中の監視カメラをチェックし始めてもおかしくなかった。俺もすげえ疑われて
……
」
「ごめん」
「俺はいつでも英二の味方だ」
「ありがとう」
「だから悪いけど、連絡はさせて貰う」
俯けていた顔を上げた。見下ろす瞳と目が合う。「僕の
……
聞き取りが、下手だったかな。なんて?」くしゃっと顔を歪める。じりじりと後退った。シンが怯える小動物を相手にするように、両手のひらを向けてくる。「その顔やめてくれ、英二。罪悪感が」「は、はは、シンだけに?」「ブラックジョークが言える元気はあるみたいで良かった」片方の手をポケットに突っ込んだ。取り出したのは端末だった。間髪容れず英二は扉に向かって突進した。シンの気持ちはよく分かっていた。七年間、共に騙され続けていた仲だ。英二がどれほどアッシュのことを想っているか、彼はよく分かっている。その逆も。シンは二人の絆を守り、それ以上に、彼は自分の絶対的な味方だった。だからといって、英二の望むことをしてくれると思うのは、お門違いだ。罪? まさか。あの子はいつも自分の大事なもののために最善を尽くす。そりゃ連絡するだろう。僕のために、天邪鬼を買って出てくれる。お互いの信頼ある認識だ。遠慮はいらない、断罪はしない、ならば僕は全力で逃げよう!
ベッドを回り込むのももどかしく、そのまま乗り上げ疾走しようとしたところ、彫像のようだった月龍が動きを見せた。飛び下りる寸前、英二の胴に腕を回す。「ぎゃあっ」ベッドに倒れ伏し、スプリングが喚き声を散らした。「何するんだ!」起き上がろうとする英二の膝に乗り、胸を押しながら、月龍が「まあまあ」と宥めた。
「もう少しお喋りに付き合ってくれよ。まだきみの質問に答えてない」
「質問?」
「“なぜこんなに優しいのか?”」
「その質問取り消したい」
「簡単だよ。僕はね、英二」
そこで彼はシンに顔を向けた。「シン。何も今すぐ知らせなくてもいいだろう。どうせ街に出ればすぐ見つかるんだ。少しくらいこいつにハンデをやってもいいんじゃない?」シンが絶句した。英二に擁護的なのが信じられない様子だった。それは英二もだった。
言葉をなくしたこちらに向き合うと、月の光のように控えめに微笑む。
「僕はきみが嫌いだよ。庇護欲なんざちっとも感じない。きみが不幸になって、アッシュも失意にくれればいいと、変わらず思ってる。でも、腑抜けになった彼には、もう突っかかるだけ無駄だ。敵にも、味方にも、なるつもりはない。だからきみは僕のもとへ来たんだろう」
「
……
そう、だけど。ユーシス」
「僕たちは友人にはなれないよ。けど
……
面白すぎる。きみが、自ら彼のもとから逃げるだなんて」
英二と同じ黒い瞳はきらきら瞬いていた。とことん宵の人だった。昔より明るい。その微かな光でさえ今の英二には眩しくて、両目を眇めた。
「ねえ、手を貸したくなった。ほんの少しね。だって友人じゃないんだ、これくらいが妥当だろ? きみがアッシュから逃げ切れるとは到底思えないし、逃げ切れるようサポートするつもりも毛頭ないけど」
「うん」
「時間をあげる。次の隠れ場所に辿り着くくらいの。僕は面白がってるんだ、優しさだと思うならそう思えばいいさ」
「ユーシス
……
」英二は言葉を選んだ。「きみって
……
きみって最高の悪役だ」
そして彼に抱きついた。するとみぞおちを指で一突きされる。げほっ、噎せた。月龍が白い歯を見せて笑い、罵倒した。「やめろよ、気持ち悪いな」
「
…………
若様どうかしちまったのかよ」
シンが鳥肌の立った腕を擦り合わせていた。
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