科学者は、フォークの使い方を知る

pixiv再掲
石化前の二人が色々あってくっつく話。本能と理性の間で揺れるゼノと、じわじわ相手にわからせたいスタンリーの話です。すれ違いからのハッピーエンド。少女漫画みたいな話。
家の設定、宇宙センターの構造など全部捏造で書きました。ご容赦ください。
ケーキバースの話ですが、設定自体がふわっとしていますし、カニバはありません。
必ず一ページ目の注意書きをご覧ください。
ゼノの結婚の話、そして少しですが名前入りのモブが出てきます。ご注意ください。



(スタンリー)

 タバコを吸い始めてからしばらくは、まずい空気が肺に入っていくのを感じていた。
 タバコの煙を毒ガスと称して好ましく思っていないゼノを横目に見ながら、そんなにキレなくてもいいじゃん、と思いながら深く吸い込む。うまい、とは決して言えない。けれどどこか、やめられない。
 吸い出したきっかけは、曖昧だ。ただ飴を舐めるより、ガムを噛むより、自分の思考回路が澄んでいくような気がした。落ち着いて対処できるような気がした。
 何にって? ゼノのことに、だ。
 ゼノはそれまで、俺のそばにいた。俺もまた、ゼノのそばにいた。今までずっと出会えていなかった十年間を埋めるように、ひっついて昼寝をしていたときは親に笑われた。
 俺は足りなかった自分の半分を見つけられたんじゃないか、って気がしてた。ゼノも多分、そうだと思う。だって実際に言われたから。
「スタンと話していると、僕の足りないところが埋まっていくような気がする」
 ──そんなことを言われたら、目を見開くしかない。嬉しい、同じだ。とほほえみ返せば、互いに顔を赤くした。
 俺は特に用事もないのにゼノの家に居座ることが多くなった。親には呆れられる。迷惑をかけるな、と言われても、ちっとも迷惑じゃないと自惚れていた。ゼノの考えていることは科学のことについては全くわからなかったけど、感情とか、思惑とか、そういうのはわかる。今何が欲しくて、今何が困っていて、俺はどう必要なのか。
 だからどんな場面でも、
「できるよ」
 と言ってやりたかった。
 無理、無駄、やれっこない。そんな不可能を次々と成し遂げてきた男が頼るのは、いつも俺だった。頼られた俺は必ず可能にし、遂行し、完結する。ゆえに誇りを持っていた。
 俺たちは心が通じ合っていても、職業として歩んでいる分野がべつだ。離れている期間は少しずつ、俺の中でゼノの姿をおぼろげにする。
 思い出せ、自分の半身を思い出せ。
 何度もベッドでうなり、そこで気づいた。俺がゼノに向けるこれは、生半可な気持ちじゃない。恋と呼ぶには薄っぺらく、愛と呼ぶにはいびつ。
 俺が思い出すゼノは、いつも後ろ姿だ。白衣を着ている。くるっと振りかえって、実験の成功をニヤリと笑う。
『おおスタン! 来ていたのか、今日はな──』
 そこから何時間も聞かされる科学の過程。
 あんたにとっての大好きな道具ばかりが揃った部屋自体を包みこんで、いつまでもそこにいられるようにしてやりたい。自分の半身の生きがいごと覆って、誰にも邪魔をさせないように。もう半分である俺は、その外側を守ればいい。
 恋とも、愛ともつかない。けれど、全てをあげるならゼノがいい。今どき、どこのミュージシャンでも書かねえような寒気のする言葉だ。この感情をべつの何かで例えてみようとしても、うまい表現が出てこない。
 間違えちゃいけない、一歩一歩、確実に攻めよう。何せ相手は幼馴染だ。いきなり「ずっと一緒にいてよ」と月並みなプロポーズを伝えたところで、「当たり前だ、何を言っているんだ」と言われ、ゼノの数少ない人間関係のうちのトップに君臨するだけだ。当然のように下心もなく、「君は一番の友人だ、これからも頼む」とかってキラキラした目玉で言われるんだろう。
 一緒にいるってことはつまり、あんたと何でもかんでもしたいんよ、意味わかってんの? そう脅してやりたくなるような、清々しい顔で。
 はっきりと、自分の心構えだけはわかった。ちゃんと俺の下心も込みでわかってもらうためのロードマップ。長いかどうかは、ゼノ先生次第。それでもいい、何年かかってもいい。そう思っていた。
 ゆがんだ気持ちを整理して早数年が経つ。

 ◇

 ついさっき、俺の耳にとある話題が聞こえた。
「ドクターゼノ、結婚するかもしれないらしいな」
「え、そうなのか? ……おいスナイダー、あんた知ってたか?」
 ふむ、と俺は顎に手を当てる。
 ゼノが、結婚。噂だけでは何も推測することはできないが、二通り考えられる。
 その一、政略結婚。ゼノが今いる部署は、政治家や高級を取ることしか頭にないバカな科学者の集まりだ。そんな中でゼノのように強く賢い人間がいることは、疎まれ、忌み嫌われる。手っ取り早くテリトリーに囲いこんで、言うことを聞かせるよう強制しようという試み。
 ……まあこれは、あのおてんばで我が道をいくゼノには効かない。何せブロディやマヤのように、気心の知れたごく少数の人間からわがままなプリンセスだ、とからかわれても、ふんぞり返ってせせら笑うような男である。支配下に置くことはできないし、俺がさせない。
 その二、ゼノはフォークだ。だからフォークの相手と言われているケーキを見つけた。
 以前ゼノは俺に「自分はフォークだ」と伝えてくれた。フォークは後天的な性別である。つまり、ゼノはどこかでケーキを出会った経験があるってことだ。だから他のケーキを見つけることだって、今のゼノには容易。
 つまり──ゼノが自ら結婚を決めたって可能性も、推測できる。
 噂になるぐらいだから十中八九前者で間違いはないだろうが、後者ってこともある。後者なら俺には連絡をくれそうなもんだが。
(もしもそうなら)
 もしも、そうなったら。
 ……答えは簡単だ。これはゼノが決めたこと。俺がどうこう言える立場じゃない。いつものようにまるごと受け止めて、外側を守ってやるだけ。
 無性にタバコが吸いたくなった。とにかく、無性に。そしてゼノに会いたかった。
 好都合にも、ヒューストンに呼ばれた用事がある。休暇前の体はクタクタだったが、足を無理やり動かした。いつも思い出す白衣の後ろ姿を、頭の描きながら。
 とっとと用事を済ませて(話をしていた相手は、俺が急いでいるのを、怒りと勘違いしてびくびくしていた)、ゼノの行きそうな場所を探した。
 資料室、研究室のA棟、B棟、格納庫。ジョンソン宇宙センター内の図を頭に広げて、次々と当たる。
「ゼノ、いる?」
「ドクター、どっか行ってんの?」
……あの大先生はどこよ」
 俺の思惑がことごとく外れて次々と部屋を出ていく言動は、どこで見てやがったのかブロディにばっちり捉えられていて、のちのち笑われることになる。
 通りすがりに、ゼノがあんまり良く思っていない研究員たちとすれ違った。びくついて俺に会釈をして去っていくけど、ニヤけてもいた。その媚びへつらった表情が一段と、ベタベタとして気持ち悪く見える。
 幾日か前、ゼノがここ数日の予定をメールしてくれた中に「conference(会議)」とあった。あいつらも出席したんだろう。研究員にとってニヤけるようなことがあったとすれば、それはゼノにとってクソほど腹の立つことだ。相変わらず、俺の守りたい人間は、置かれている立場が悪すぎる。
 となると。
 最後に一つ、思い当たる場所の前に立った。仮眠室、赤いランプが灯って、使用中になっている。ここだ、と俺は直感で思った。
「ゼノ、ここにいたんだ」
 扉を開けると、白衣の後ろ姿があった。俺がずっと忘れずに頭に残しているメモリーが、そのままぽんと世界に飛び出したように変わらない背中。
 その背中が振り返り、びっくりした顔でこっちを見る。手元にあるのは、見慣れない瓶だった。
 俺の知らないゼノの一部が、中に入っているキャンディみたいにころりと現れる。

 ◇

 タバコを吸いながら、考える。
 さっきのゼノは、妙によそよそしい気がした。再会のハグもなく、笑顔も少ない。今回の任務は長かったし、ゼノもそれをわかっている。だから存在を確認するようなあのハグを、俺は結構気に入っていた。
 ……もしかしたら、「後者」かもね。
 そう思うと、うっすらと手に汗をかいた。
 政略結婚ではない、ゼノが相手を見つけたパターン。フォークやケーキなんていう、男女の性別とは違う性を恨みたくなる。運命とか赤い糸とかっていう幻想に、勝手に名前をつけてんじゃねえの、と最初は疑ったけど、この目で俺も一度見たことがある。フォークの男が、ケーキの女と結ばれるのを。普通の恋愛なんかじゃ見えてこないような、強固なつながりを感じた。そしてそれはどこかしっくりきた。
 そんな風にゼノも、半身だと思っていた友人より強いつながりがわかった今、もう俺に近さを感じることはないんだろう。
(さて、祝ってやんなら、何がいいか)
 軍人の俺が顔を出す。冷静に、沈着に。タバコの灰がアッシュトレイに落ちていくのを見つめながら。
 通気口から、寒空に吹く風の音。窓から見える木の葉は黄色と緑が入り混じる。短くなったタバコを捨てようと、口から離してみれば、フィルター部分が噛みすぎて潰れていた。
 隣の仮眠室に備えつけられたベッドは、休暇前の俺には馴染み深い。休んで家に帰った後、何をしようかまどろみながら思う。すっかりホコリの溜まっているであろう家の扉を開けて、片付けて、飯を食って、くだらないコメディを流して、それから。
 いつもなら、ここでゼノにコールする。
 暇になったから、家事でもしにいこうか。「おお、それはいい、ハンナが休暇を取れる」そう言って、ハウスキーパーのハンナに電話を代わる。俺たちを小さいころから知っているグランマみたいな人。ハンナは腰が悪くなっているから、喜ぶ。ゼノ先生はいつも食事の時間が不規則な上に少ないときもあるから、キッチンに立つ回数は少ないけど、それ以外の庭掃除も屋根裏の研究器具の後片付けも、ハンナが一人でやっている。俺が手伝うと、「スタンリーがいないと、ドクターは何もできないんじゃないかしら」って横で嘆く。「そんなことない」って腰に手を当てて怒るゼノがいて、いくら科学研究で作った部品が溢れるからって、こんなデカい家を息子に残して、とっとと違う家を買っちまったゼノの親のことをみんなで思う。
 ……でもそれも、もうしなくていい、伴侶ができんなら。
 俺はベッドに横になりながら、そっと枕に額をすりつける。
 眠気が少しずつ襲ってきて、俺のこの小さくてささやかな過去を押しつぶしていく。寝入る前に、たまにこうして塗り固められ、たった少しの幸せを享受することを許してもらえない。
 今日のは特に、ひどく真っ黒に世界を覆っていく気がする。目頭がじりじりと熱くなるのを感じていた。
 ──夢さえ見ないほど、深い眠りだった。しかし時間にしてわずか十分足らず。本当は一時間ほど眠っていたかったのに、まだ体が疲れすぎていて、うまく機能していない。
 俺はパッと目を覚ますと、自分の周りに薄い影がかかっているのに気づいた。自然と体が身構えようとするが、敵意のなさそうな気配にホッとする。影の正体は、俺に毛布をかけてくれようとしていたゼノだった。
「起こしたか、すまない」
 毛布をかけようとした手を引っ込めて、ゼノは謝る。俺はさっき頭に描いていたうっすらとした思い出を振り払うように、頭を動かす。
「いや、いーよ。寒いからかけようとしたんだろ?」
「そう……だね」
 いまいち歯切れの悪い返事を残したまま、ゼノは毛布を渡してくる。俺はありがたくいただくと、仰向けになってそれをかけた。
 ふと、鼻や頬に違和感を覚える。まただ、またやっちまった。どうやらドライアイのせいか、寝ているうちに涙を流していたらしい。ゼノにはもう何度か見られたことがあるから、別に今さら気にしないが、眠るまえの幻と重なって、それは本当に泣いていた跡のように思えてしまい、恥ずかしくなる。
「スタン、顎に傷があったよ」
「ああ、まえにどっかでかすったやつな」
「君のファンにまた目ざとく見つけられるんじゃないか」
 俺が居心地悪く思っている間に、子どもみたいに笑うゼノは、さっきよりも表情が緩やかだ。白衣にポケットに手を入れて、近くにあった椅子に座る。
「ファン……ね、鬱陶しいったらねえな」
 事実、黄色い声をあげてそこらへんでうざったく叫ぶ女を、俺はファンと呼びたくもない。演習場の中にまで勝手に入ろうとして、金切声をあげていたやつもいる。
「君は好意を向けられるとつまらなくなるタイプかい?」
 珍しく、ゼノが恋愛に関することを言う。ふふ、と笑ってはいるが、こっちを見ようとしない。風の鳴る音はいつの間にか止んでいた。俺が吸ったタバコの匂いも、換気設備の良い空調のおかげで、もうしない。
 ああ、もしかして、これは。
 ──俺に、結婚の話をしたいんだろうか。
……好きなやつに向けられんなら嬉しいよ」
 ゼノは目を丸くした。幼馴染のこんな恋バナ、聞いたことないもんな。
 それにしても……眠るまえに会ったときにも思ったけど、ゼノのクマがひどくなった。今日の会議までに用意することはそんなにないはずだ。研修生たちがうまく準備を進めているとか、なんとか言っていたし。
「ゼノ、ちゃんと寝れてんの?」
「え、あ、ああ……心配はいらないよ」
「痩せた?」
 不意に頬に触れた。こんな接触も久しぶりな気がする。ゼノは大人になるにつれ、少しずつ、少しずつ体の距離を取るようになっていた。馴れ合う年頃じゃないって言いたいのかと思っていたんだけど。
(もしかして、そんな前から、もうお目当てのケーキがいた?)
 案の定、ゼノは体を固めてしまう。触れられることが怖いとか、そういう訳ではないんだろう。もしかしたら、ケーキである相手は男で、そいつを思い出すのかもしれない。フォークだから、本能を抑えるのにずっと毎日我慢をしているのかも。
 眠れないのも、無理はない、か。
「痩せた、かもしれない……体重はたしかに何ポンドかは減ったが」
 だんだん声が凍ったように固くなる。話が核心に近づいているとき、人はこういう声音になるな、と敵軍の捕虜を捉えたときを思い出した。こういう状況下、威圧もいいが、ゼノ相手に効果的ではない。
「そんなにゼノ先生を悩ませてんの、何?」
 俺は二人しかいない空間なのに、密やかに言った。ゼノに穏やかに、やさしく、道を作ってやった。ゼノの顔は大きく歪む。言いづらい、とでも思ってくれてんのかな。ずっと内緒にしてたから?
「ゼノ」
「それは……その」
「言っていいんよ、怒ってない」
 責めてんじゃない。俺のことを半身だと思ってくれてたことへの罪悪感なら、もういらねえ。あんたのその口から言ってほしいだけ。
 ついに自分はケーキを見つけたんだ、ってほほえんで、俺を撃ち抜いて、粉々にしてくれたらそれでいい。
 今さら、だけど、俺は結構ゼノのこと、後戻りできないぐらい愛しちゃってんだな、と気づいた。
 薄い笑みを張りつけて、俺はすでに起こしていた上体をゼノにさらに近づける。涙の跡が見られるかもしれないが、構わない。さあてゼノは、どんな顔をしてるのやら。
 ──そして、俺は、真っ赤になったゼノの顔を見て、今度は自分が目を丸くする番だった。
「君の涙を、食べていたんだって言ったら……引くだろう?」