藤咲
2024-11-14 16:40:06
8633文字
Public 創作企画
 

汚染区域428

Twitter企画:汚染区域428(@428_osen)のまとめ


『それは甘く、香しく』(新藤明)
林檎の天使ログイン作品ですが天使は出てきません。林檎の香りにあてられた新藤の話。殺人表現注意。


男がナイフを引き抜くと、ほんの数分まで共犯者であり友人でもあった男が血を撒き散らして崩れ落ちた。ひび割れたアスファルトに広がる深紅。ぱっくり裂けた喉が、ごぽり、と嫌な音を立てる。あまりに突然の出来事で呆然とする俺をよそに、汚れた刃を無造作に拭った男は深紅に染まった右頬をゆるりと持ち上げた。

「ああ、こんばんは。良い夜ですね。」

淡々としているようで、しかしどこか楽しげに弾む声。顔見知りに挨拶でもするような穏やかさに、先程の出来事は夢なのではないかとさえ思えてしまう。しかし目線を落とせば、そこにあるのは血溜まりに転がる友人の虚ろな目と、血を吸って重くなったスニーカー。喉元に深々と突き刺さったナイフの銀色がフラッシュバックする。

……う゛」

痙攣する胃の中身をそのままぶちまけて、吐瀉物が浮く血溜まりに膝をつく。歯の根が合わずガチガチと耳障りな音を立てる。畜生、目の前で人が死ぬなんて日常茶飯事だってのに、どうして、震えが止まらねえんだ。滲む視界の隅に革靴の爪先が見えて顔を上げると、青白い月を背にした男の金の瞳が鈍く輝いていた。

スーツに革靴なんて小綺麗な格好で夜道を歩くなんざ馬鹿な男もいたものだと笑い合った数分前の俺達は、格好の獲物を見つけたと信じて疑わなかった。いつも通り2人で襲えば楽勝だと。馬鹿は俺達だった。よく考えるべきだったんだ。俺達のような野盗が蔓延る都市部の廃虚群を悪魔も連れずに平然と歩く男が、普通の人間の筈が無いのに。
切り揃えられた黒髪。皺の無い黒地のスーツ。背こそ少し高めなものの体格は至って普通。さして特徴もない男は今、ナイフを片手に真っ白な頬を血で汚したまま微笑んでいる。なあ、何であんたは笑えるんだ。ついさっき、人を殺ったばっかで、返り血だって乾いてないってのに、どうして。

「果実の香りが、頭から離れないのです。鼻の奥に纏わりつくような甘い香りがどうにも不快で。血の匂いで上書きしてしまいたくなるものですから、堪えるのは大変でした。」

目の前に跪いた男の白い手が俺の首筋を撫で上げ、ぬるついた掌が頬に添えられる。眼前にある切れ長の目が弧を描き、澱んだ金色に息を飲む。

「それなのに信徒共ときたら無防備に祈りを捧げているものですから、危うく目の前の項を掻き切ってしまうところでしたよ。」

口調こそ穏やかだが、掠れた吐息が混ざるその声は毒のような甘さを孕む。歪んだ視界の中で、唇の隙間から覗く舌が妙に鮮やかだ。

「通り魔のような真似は趣味ではないのですが、さすがにもう、我慢の限界でして。」

不意に香るのは、果実の香り。眩暈がするほどに甘い、腐りかけの林檎のような。

「誰でもいいから、殺したくて殺したくて、仕方がなかったんです。」

死んで、くれますよね?

男の両手が俺の首にかかり、食い込んだ親指に喉仏を押し潰される。容赦なく締め上げる男の両手に爪を立てて藻掻くも力は強まるばかりで、打ち上げられた魚のように喘ぐことしかできない。俺も、死ぬのか。こんな奴に、殺されるのか。抵抗する指先が痺れる。寒気が酷い。

ふ、ふふ」

点滅する視界の中で、男は笑っていた。待っているんだ。俺がコイツの手で殺されるのを。コイツは人間なんかじゃない。コイツは……
そこで俺の意識は途切れた。


「ふふ、ひとを悪魔呼ばわりなんて、ひどいですね。」

動かなくなったそれを投げ捨てて、もう用はないとばかりに踵を返す。猛禽類を思わせるその目がにんまりと細まった。

「あんな奴等と一緒にするなよ、馬鹿が。」

ああ、まだ足りない。