藤咲
2024-11-14 16:40:06
8633文字
Public 創作企画
 

汚染区域428

Twitter企画:汚染区域428(@428_osen)のまとめ


『或る信徒の話』(新藤明)
新藤明の自己紹介SS。書きたい事を詰め込んだら長くなりました。グロ・殺人表現注意。時系列としてはまだ天使の襲撃頻度が多くない頃。


とある街の郊外に、古ぼけた大きな教会があった。天啓と共に神の雷が落とされたあの日、他の建物が原型を留めないほど徹底的に破壊された中でその教会だけはまるで見放されたかのように手付かずで残されていた。とある敬虔な信徒が「神の慈悲に違いない」とその教会で祈りを捧げたことも、やがて行き場を無くしてさ迷っていた信徒達が集まり大規模な活動拠点となったことも、自然な流れであった。

「はい、これで大丈夫ですよ。」
「先生すごーい!あんなに血が出てたのに!」
「もう転ばないように気をつけてくださいね。」
「はーい!先生ありがとー!」

膝に手当てを受けた女の子が、母親らしき女性の元へと駆けていく。頭を下げる女性に礼を返し、向かいに座る男に向き直った。老若男女様々な信徒が集まるこの教会で、先生と呼ばれた白衣姿の男―――新藤明は唯一の医者として働いていた。

「いつもすまねえなぁ先生。」
「構いませんよ、僕にはこれくらいしかできませんから。」
「そんなに謙遜しねえでくれ、俺達はいつも先生に助けられてんだからな。」

ノンフレームの眼鏡の奥、元々細い目を更に細めて口許を緩める新藤に、つい先程まで手当てを受けていた初老の男は白い歯を見せて笑った。右腕に包帯を巻いたこの男は新藤とほぼ同時期に教会に来た古株の1人であり、魔徒狩りのため積極的に全線へと向かう狂信者であった。新藤の手当てを受けるだけでなく左目と左脚に後遺症が残る新藤の護衛役を勤めることも多く、男が打ち解けるのに時間はそうかからなかった。

「しっかし、最近は何処へ行っても瓦礫と死体の山だ。天使様の姿も見えねえし、一体どうなってんのかねえ。」
「天使様でないのなら反抗軍か魔徒の仕業でしょうね奴等は何を企んでいるのでしょう。」
「さあな。ま、神様に楯突く奴は人間だろうと悪魔だろうと殺すだけだ。」

男が快活に笑う。その笑顔に似つかわしくない物騒な言葉に新藤が曖昧に頷いたところで、男を呼ぶ声が響いた。傍らに置いた日本刀を片手に立ち上がりながら、男は声を低くする。

「ここにいれば大丈夫だろうが、先生も気を付けてくれよ。」

神の慈悲があらんことを。祈るように呟いて、男は教会の奥へと去っていった。


多くの信徒が教会で寝泊まりする中、新藤は自宅で夜を過ごす数少ない内の1人だった。自宅と言っても数年前に倒壊してしまったそこは傍目から見れば瓦礫の山と言っても差し支えない有り様であり、唯一倒壊を免れた1階のリビングらしき部屋もかろうじて雨風を凌げる程度でとても家と呼べる状態ではない。教会からそう遠くない場所とはいえそんなところで夜を明かすのは危険だと止める者もいたのだが。

「妻と娘が帰ってくるかもしれませんから。」

目を伏せてそう言えば、初老の男も含め強く反対する者はいなかった。雷が落ちたあの日、混乱の中で離ればなれになった妻と娘。数年経った今も見つかっていないが、死体が発見されない限りは生きていると信じたい。かつて肩を震わせてそう語った新藤を知る信徒達は、皆一様に同情と心配が綯交ぜになった表情で新藤を送り出す。

「では、また明日。」
「おう、気を付けて帰れよ。」

初老の男の見送りを背に、通い慣れた家路を歩く。破壊の跡が色濃く残るかつての住宅街は空が広く、夜道を照らす月は街灯よりも明るい。
人どころか生き物の気配さえ無い夜の道を歩きながら、殆ど度が入っていない眼鏡を外して懐にしまう。整えられた前髪の奥で切れ長の目が薄く開かれ、冬の月のような瞳が冷たく光る。

まったく、信徒というものは扱いやすくて助かる。天啓などという不確かなものを信じているからなのか、彼等は人智を越えた存在が跋扈する現状を然程憂いてはいないようだ。天使によって与えられる死こそが救済ということらしいが、拠り所があるという安心感がそうさせるのか彼等は揃って身内に対する警戒心が薄い。天啓を受けたと言って同調する素振りを見せれば彼等は疑うことなく寛容に、特に弱者と呼ばれるべき者は丁重に受け入れる。例えば、女子供、老人。または、何らかの理由で身体が不自由な者。寛容は美徳であり余裕の表れだが、多くの場合余裕は慢心を生む。

「信徒を選んで正解でしたね。」

口元だけで緩やかに笑う。妻と娘が見つからないのは当たり前だ。雷が落ちたあの日、娘は天使に、妻は悪魔に殺された。そして2人の死体を処理したのは俺なのだから。俺の獲物を奪った奴等に救済などどうして求められるだろう。
剣呑な光が宿ったのはほんの一瞬で、閉じた瞼が再び開かれたその時には、金色の瞳は穏やかに凪いでいた。
決して馬鹿にするつもりはない。混沌に堕ちたこの世界で今日死ぬかもしれない不安を抱えながら生きるためには、偶像なり薬なり、現実から逃避するための何かが必要なんだろう。この世界の方が過ごしやすい人間なんておそらく俺くらいのものだ。何故なら―――

見慣れた瓦礫の手前で足を止め、周囲に何もいないことを確認して崩れた壁を乗り越える。砕けたコンクリートやガラス片が革靴に踏まれてジャリジャリと音を立てるなか、汚れないようにと脱いだ白衣を抱えてリビングだった場所を進んでいく。程なくして辿り着いたのは何の変哲もないドアだった。どこの家にもあるような蝶番のドア。――ドアが付いている壁もドア自体も不自然なくらい綺麗に残っていることを除けば。
ドアノブを回し、ゆっくりと引く。現れたのは地下へと続く階段だった。打ちっぱなしのコンクリートに裸電球がいくつかぶら下がっているだけの薄暗い階段を降りた先にある、ところどころ錆び付いた鉄の扉。蝶番が耳障りな音を立てる扉を新藤は躊躇い無く押し開けた。扉の先に続いていたのは、通路と同様にコンクリートの壁に裸電球が吊るされている、クローゼットと簡易ベッドがあるだけの薄暗い部屋。しかし明確に異なるのは、うっすらと漂う決して良いとは言い難い臭い。そしてくぐもった何かの鳴き声。奥の扉から漏れ出ているらしいそれらを新藤は特段気にする様子もなく白衣をクローゼットにしまい、黒のジャケットを羽織って更に奥の部屋へと進む。入り口以上に錆の目立つ扉を押し開けると、途端に溢れ出てくるのは血と脂とアンモニアが混ざり合った臭い。嗅いだ瞬間に腹から酸っぱいものが迫り上がり怖気が止まらなくなる、噎せ返るほどに濃厚な、生き物が腐り落ちた臭い。まともな人間ならばとても正気を保っていられない臭気を纏いながら、それを感じさせない笑みで、扉の内側にいるそれに新藤が笑いかける。

「ただいま帰りました。良い子にしていましたか?」

この場に不釣り合いな程に穏やかな声音を向けられたそれ―――もといビニールシートの上に座り込んだ女は可哀想なくらいに身体を震わせて、目脂で上手く開かない目から涙を溢した。腕を縛られ首輪を嵌められ、部屋の隅に鎖で繋がれた女は、かつては新藤と同じ教会に身を寄せる信徒であった。知り合った当初から新藤に好意を抱いていたらしい女はとにかく新藤のことを知りたがった。新藤に妻子がいると知っても女は諦めなかったが、純粋な好意を向けるだけならば新藤に監禁されることはなかっただろう。3日前、自宅に帰る新藤を尾行し、殺人現場を目撃するなどという愚行を犯さなければ。

「おや、漏らしてしまいましたか。いけない子ですね。」

女が穿いているズボンの股の間がぐっしょり濡れているのを見て淡々と新藤は言うが、拘束された身ではトイレはおろか動くことすらままならない。こうして気まぐれに話しかけられるくらいで食事も与えられず、ただここに転がされていたのだ。何かを訴えようにも猿轡を噛まされていてはくぐもった声が漏れるだけ。それを新藤が知らないはずはないのに、ペットか何かが粗相をしたみたいな言い方をする。まるで女が人間ではないかのように。しかし女に出来ることは、俯いて耐えることだけだった。いつか新藤が飽きて自分を解放すると信じて。

「そんないけない子は、捌いて出荷してしまいましょうか」

その希望はいとも容易く打ち砕かれた。捌く。出荷。まるで肉か魚を売るかのような物言いを女は一瞬理解出来なかった。女から少し離れたところにある作業台に並べられた工具の中でも、一際鈍く光沢のあるそれが大きな鋸であると気付いた瞬間に、混乱していた頭が急速に冷えていく。成人男性が横たわってもまだゆとりがある大きな作業台に、並べられていく鋸やネイルハンマー等の工具の数々。どれも綺麗に洗浄されているが、台の真ん中あたり、ちょうど人が仰向けに寝れば収まる位置にある赤黒い染みであったり、刃や爪の隙間にこびりついた赤茶色の汚れが何なのか、知ってしまうのが怖い。答えはとうに出ているのに、頭が理解を拒否している。

「女性の遺体をバラバラにして売ってほしいという人がいましてね。防腐処理を施して玩具にするのだとか。私はそういう趣味は無いのですが、死体を引き取っていただけるというので依頼を受けたんです。利害の一致ということですね。」

このひとは、なにをいっているの?最早理解を諦めた女の頭の中を、穏やかな声が滑っていく。死体を処理するのが楽になったとか、誰が行方不明になっても足がつかなくて良いとか、他にもおぞましい言葉が耳の中を這いずって脳みその奥へ滑り落ちていく。いやだ、うそ、うそ、だってわたしは、こんなひとだったなんてしらなくて、こんなはずじゃ、わたしはわるくない、わたしは、

「貴女は何も悪くありせんよ」

ただただ動物のように唸る女の言葉を聞き取ったかのように、新藤は微笑む。慈悲深ささえ感じる微笑みを浮かべながら、金の瞳は残酷なほどの無邪気さを湛えている。右手に握られたサバイバルナイフが白く煌めく。そこでようやく女は悟る。理由など無いのだと。承認欲求でも快楽でも食欲でもなく、ただの気まぐれで、自分の命は奪われるのだと。なんて、理不尽なのだろう。強張った瞼の隙間から、涙が滲んだ。

「それでは、さようなら。」

白い切っ先が細い喉を掻っ切り、女は血の泡を吹いて絶命する。作り物ような頬を真っ赤に染め上げ、新藤は子供のように笑っていた。