今夜は秘密の幸せ定食

pixiv再掲
モブ視点です、高校の時から社会人まで
侑が最初、ちょっとクズ気味なのでご注意ください



 塾の帰り道、外は真っ暗で星も見えた。田舎、とまではいかないけど、夜道は結構危ないと評判の場所だから、早歩きで歩道を渡る。信号が変わると同時に走り抜けるように過ぎて、家にたどり着くまでの時間を少しでも短くしたかった。
 私の住んでるマンションの側はあまり治安が良いとは言えない。何でこんなところに引っ越し決めたの、と親に文句を言えば、安かったんだから仕方ないでしょ、と取り合ってもくれなかった。結局怖い思いをして歩く羽目になるのは娘なのに。
 ぶつくさ言いながらなおもスタスタ歩くと、物騒な喧嘩の声が聞こえてきた。どうやら女の人が大きな声で喚いているらしい。
 ほら見ろ。私は心の中で毒づいた。
「何やそれ、好きな人できたってどういうこと⁈」
「そのまんまの意味やん」
 私は思わず飛び退いて物陰に隠れた。男の方の声は紛れもなく、宮侑のものだ。
 ドクドク早くなる心臓をよそに、二人の口喧嘩、というより一方的な女性側の怒りに私は膝が震える。
 どこかで見たことあるんだよなあ……あの女の人。首を傾げて、ううん、と唸っていると、
「三組の女子やん」
「わあっ⁈」
 ぬうっとまるで妖怪みたいに現れた宮兄弟の弟、治くんがまたしても現れた。私は何度この人の登場に悲鳴をあげなくてはならないんだろう。心臓は無駄に早鐘を打った。ほんといい迷惑。
 口の前で人差し指を立てて「静かにしてよ!」って怒るけど「いやそれこっちのセリフやし……」と呆れられた。
 それにしても、治くんに言われるまで気がつかなかったけど、そうじゃん、三組のかわいいあの子だよ。あんなにきれいに化粧して服もおしゃれしてるから余計に美人すぎてわからなかった。地味めな服が多い自分と比べてチクリと胸が痛む。同じ年なのに天と地の差を感じた。
 そんなところで自分を悩ませても仕方がない。引き続き調査を進めることにする。
 相変わらず飢えている治くんはぱりぱりと何かを食べている。そんなに毎回毎回食べてて胃酸の分泌やばいんじゃないのか、私はちょっとだけこの人のお腹を心配しつつ(あと咀嚼音がうるさい)、件の二人の様子を見つめることを再開した。
 どうやら、いや、やっぱりと言ってもいいほど定番の痴話喧嘩だ。別れたくない女子と、面倒くさそうな侑くん。
 それにしても、さっき出たワードは聞き捨てならない。侑くんはあの子に何と言った? 好きな人ができた? 今まで侑くんの噂はさまざまなものがあったけれど、「好きな人ができた」なんて理由はついぞ聞いたことがない。いつもはぐらかすような適当な嘘でごまかされる女子たちだが、好きな人、という一番使えそうな話題を、侑くんは言わなかった。使えば憶測も詮索も干渉もひどくなるのがわかりきってたんだろう。
 でも今回はきっぱりはっきり言ってた。私もあの子も聞いてしまった。私なんかは拡散力がないから広める気はさらさらないが、彼女は男子にも女子にも人気のあるかわいい子だ。泣きながら友達に話してなんかみろ、絶対明日にはもうその話題でもちきりだ。
 治くんは食べ終わった口元を丁寧にウェットティッシュで拭いて、ふうんとのんびりした声を出す。ちらっと見たら、ちゃんとアルコール入りのウェットティッシュ。今時の高校生男子ってこんなに律儀?
「あいつ、本気なんやなあ」
「え、あの宮侑が? 本気で? 誰かを?」
 こそこそ静かに喋ってるはずなのに、私の体は熱かった。思わぬゴシップを拾って混乱してる。私には不相応だ。抱えきれない。言いふらしたら悪い気もする。
 まあ、隣にいる治くんだって相手が誰かまではまさか私には言わないだろうし。でも彼に聞いてしまいたい気持ちと、そうじゃないだろ! と叱咤する気持ち、くすぶったまま煮え切らない好奇心を飼い慣らしたまま、私は宙ぶらりんで突っ立っている。
 今、この状況下で横に治くんがいることは、ほんの少しだけありがたかった。不透明な何かを共有している秘密仲間。
「あいつだって、人間やで? 誰かを好きになることくらいある」
「そりゃ、そうだけど……今まで付き合った時なんて、どの子もひどかったじゃん」
「ううん、自分から好きにならんとだめなタイプやしな、ツム……それに、一筋縄じゃいかん相手やから燃えるんやろ」
「そんな、ゲームの攻略みたいな……それって、攻略できた瞬間もう興味無くすんじゃないの? 釣った魚には餌をやらない、みたいなさ」
 私は思わず相手に同情した。あの宮侑に好かれるなんてすごいことだが、付き合った後なんてたかが知れてるんじゃないだろうか。今までの彼女たちのように。
「いやいや、まずあの人を攻略ってところが難関やで」
「え? 先輩?」
「おん」
 私の知る中で、そんなすごく難易度の高い先輩がいただろうか? 美術部のあの背の高い先輩? それとも女子バスケ部のさわやかなあの先輩? さまざまな美女たちが次々に頭に浮かんでは消える。どれも侑くんと並んだらとんでもないビッグカップル過ぎる。頭がこんがらがり始めた私に、治くんはニヤニヤしてこっちを見ている。そのいやらしい笑顔に、ハッと私は閃いた。
 ……この手は、使えない、だろうか。
「卵焼き、あげるの増やすから……!」
「いくら積まれても、兄弟の大事な秘密教えるわけにはいかん」
 すげなく返された言葉に下唇を噛みまくる。治くんと言えば、いつも飢えている治くんのはずではないのか。そうか、さっき何か食べ終えていたから、今は満腹なのか。しまいに奥歯まで噛んだ恐らく酷い顔であろう私は「そんな顔されても……」と言われ引かれた。
 程なくして、痴話喧嘩は終わった。怒りながら長い足でズカズカ帰っていく彼女と、もう少しで鉢合わせるところだった。
 私たちは侑くんに話しかけるわけにもいかず、その場で解散するしかなかった。バレないようにこっそり帰って、私は家の玄関に着く。
 あの侑くんの、好きな人。
 いくら関係のないことだとは言え、直接見てしまった喧嘩の迫力と話題性が、私の心臓をまだバクバクさせていた。明日には周知の事実になるんだろうけど、今だけのこの秘密はどうやったら頭から振り払えるのかわからない。
 明日は卵焼きの日だ、多めに入れてもらおう。別に侑くんの好きな人を教えてもらいたいわけじゃない。何となく落ち着かないから、共犯めいた治くんに横にいてほしかった。
 ……そんなのはただの気休めだってわかってるけど。