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太公望と普賢
心臓
修行時代のドドメの話です。連載中。太公望と普賢にもう一人同期がいたらという話。オリキャラが出てきますので、苦手なかたはご注意ください。
4/10 1話「もう桃の花は咲いたか」
4/15 2話「そんなに怖い顔をしなくても。……“望ちゃん”」
4/22 3話「なぜおぬしは普賢を選んだ?」
5/26 4話「考えられるパターンは二つある」
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季節はすこしずつ移ろっていた。
肌を刺すほど冷たかった風はわずかにまろやかになり、水に氷が張る日も減っている。修行中、冷えた手を無意識にすり合わせることも少なくなって、杜光は「春がやってくるんだ」と目を細めた。太公望は一瞬(確かに普賢はそんな顔をした)とその横顔を見つめたが、死の前に、人はすこしずつ感覚を手放していくのだと彼は言った。もしかしてこれは普賢のふりでもなんでもなく、本当に心から、空の青さや鳥のさえずりに感激しているのかもしれない。
「じゃあ、俺はこっちへ」
道が分かれるところで、杜光は立ち止まった。
「そっちは玉泉山では」
「玉鼎真人さまに剣術を習うんだ」
へえ、と太公望は目をみはる。
「普賢は剣術にはあまり長けてはおらぬはずだが」
「だからだよ」と杜光は笑った。
「できないところをこそ、鍛える必要があるだろう」
生真面目なやつよ、と肩をすくめて、太公望は別の道を行く。「お前こそ、サボってばかりいると、あっという間に普賢に追い抜かれるぞ」と背中から声がしたが、振り返らずに手を軽く上げた。
ここのところ、太公望は時間があれば書庫に足を運んだ。杜光はああ言ったし、引き受けると言った、だがそれにはもっといろんなことを調べなければならなかった。現実問題、杜光が他人の「心臓にいる」という状態はいったいなんなのか。それで仙人になったとして、ほんとうに普賢は大丈夫なのか。「普賢に体を返す」とはなんなのか
——
自分の意志でそんなことができるのか。
仮に彼がなんらかの術を習得していたとして、その効力がいつまでもつのか。時間があまりないという言葉を信じるなら、それは具体的にどれくらいまでか。そして、仙人になれなかった場合、どうなるのか。手を貸すにしても知らないことが多すぎた。
(今の状態がなんであるのか
……
せめてそれがわかれば、あるいはなにか手がかりになるやもしれぬ)
崑崙山に医術、仙術に関する書は山のようにあるが、だからこそピンポイントで知りたいところにたどり着くのは容易ではなかった。頂上が見えない山の草むらを、やみくもにかき分けている心もちだったが、それでもやめようとは思えなかった。杜光のいうように、彼の理由がどんなものであったとしても、どちらかだけを選び、片方を諦めるという選択肢はなかった。
棚から手当たり次第に書簡を抜き出しては広げ、また戻し、をもう何十回も繰り返していたとき
「あれ、太公望?」
集中していて誰かが入ってきたことに気がつかなかった。そこにいたのは崑崙十二仙の清虚道徳真君で、困惑ぎみに覗き込んでいる。手元の書簡をあわてて巻き取り、一礼してみせると、道徳はいつもの笑顔を見せた。
「なんだ、またサボりか」
「道徳真君さまこそ、書庫にご用など珍しいのでは」
この人が普段、書庫に来るかどうかなんて知らないが、動揺を悟られないようそう訊ねると、彼は「そうか?」と首を傾げた。
「わりと来ている方だけどなあ」
肉体派で、日がな一日筋トレとロードワークに費やしているというイメージがあったが「そんなわけないだろう」と肩をすくめる。
「やたらめったらトレーニングしたところで、体力には限界があるからな。オーバーワークにならないように鍛えるには、案外科学的な視点と知識が必要なんだ。なかなか興味深いぞ、伝説の仙人たちの人体改造の記録。きみもどうだ」
笑顔ですすめられ、けっこうです、と断りかけて踏みとどまった。書庫には他に人はいない。聞くならいましかない。
「あの、一つ質問してもいいですか」
「おっ、珍しいな! 筋トレでもするのか?」
うれしそうに目を輝かせる仙人を、太公望はまっすぐ見上げる。
「道徳さまは、人体に詳しい仙人ですよね」
「人体
……
?」
道徳は面食らう。
「体といえばそうだけど、生物学的なことなら雲中子のほうが」
「いえ、そういうのではなく。人の体の動き、肉体の鍛錬についての話です」
ほかの仙人たちに話してはいけない、という杜光との約束を思い出しつつ、太公望は慎重に言葉を選んだ。
「人の魂が、魂だけが、別のだれかの肉体の中に入り、生きていけるということはあるんでしょうか」
「
……
なんだそれ」
「例えばの話です。昔の書を読んでいると、伝説の仙人にそういう人がいたという記述があったので気になって。肉体は魂の容れ物であると考えると、道徳様のように体を鍛えれば、複数の魂を入れておけたり、出たり入ったりできるようになるんですか」
「ええ、どうだろう」
道徳は考え込んだ。下っ端の、サボってばかりの道士の突拍子もない質問だ、てきとうに受け流されたり、そんなくだらないことを言っていないで他にやるべきことをやれと、いなされると思っていたのだけれど。
書庫は水を打ったようだった。耳をすませば窓の外で鳥が鳴くのが聞こえた。冬を別の場所で過ごした鳥が、春を待てずにこの山に戻ってきている。これから木々が緑を茂らせるのに合わせて巣をつくり子を育て、飛び立っていくまでまたにぎやかになる。そういう小さな季節の変化を、そういえば普賢はいつも楽しみにしていた。
数羽の鳥がさえずり合い、ちいさな羽音を残してふたたび静かになるまで、たっぷり思考を巡らせてから、道徳は口を開いた。
「一つの肉体に魂は一つと決まっていて
……
いや、己の中に多重な人格をもつ人間もいないわけではないし、詳しいことはちゃんと調べてみないとわからないけれど」
そう前置きをして、道徳は続けた。
「確かに人間は魂と肉体とで成り立っている。が、それはバランスが取れているからこそであって、バランスが崩れたらきっとその人間はおのれの自我を保てなくなる。これは普通の人間であっても同じことだし、仙人道士でも起こりうる。体を鍛え上げていても、戦闘のプレッシャーに耐えられない戦士は多い。だからこそ筋トレだけでなく、瞑想などの精神修養も必要だと、俺は考えている」
「そう
……
ですか」
「鍛えたからといって、そのバランスがうまく保てるかどうかはわからない。仮に、何らかの鍛錬によって他人の肉体に乗り移ることができたとして、それで別人として生きられる可能性は限りなく少ないんじゃないかな」
「少ない
……
ゼロではないんですね」
そう、と道徳は頷く。
「考えられるパターンは二つある。一つ目は、もとの人間の魂がすでに死んでいる場合。これはごくわずかだが仙人界でも前例がないわけじゃない。でも、俺の知る限り、結局は心身のバランスを保てずに命を落としている。もう一つは、もとの人間の魂を押さえつけられるほど、その人間の魂が非常に強力である場合。もしかしたら、きみが読んだという書に書いてあったのは、それだったのかもしれない」
「強力。なるほど」
「ただ、その魂がいつまでも力を維持できるとは限らない。無限ではないはずだ」
杜光が病床にいる間に、もしかしたらなにかしらの方法を編み出したとすれば考えられなくはない。だとしたら、力が弱くなったタイミングを見計らって、魂を普賢の体から引き剥せるかもしれない。
「それから」
頭の中でせわしなく算段をしていると、道徳がややかたい口調で付け加えた。
「ほぼないという前提で、もう一つ思いついたのが、もとの人間がそれを受け入れた場合」
「受け入れ
……
?」
「ほとんど迷信、野生の獣と話し合ってから戦えというような、ある意味おとぎ話のようなパターンだけど、なくはない」
「迷信
……
」
言いかけて声がかすれた。
これだ、という確信があった。普賢なら甘んじて受け入れる、それがどんな状況であっても。
「その場合、肉体への負荷は軽減されるんでしょうか」
「されないだろうな。そもそも一人のために用意された椅子に二人が座っているようなものだ。そんなものを受け入れるのは、よほど自分のキャパに自信があるか、逆にまったく無知であるか
——
太公望?」
呆然と目をみはったままの太公望を、道徳が覗き込んだ。
「いずれにしても、俺の想像でしかない。まずはきみが読んだという書を教えてくれるかい。俺もあらためてくわしく調べて
——
」
「いえ。
……
いえ。わしもそれがどこで読んだか覚えておらず、探しているのにまだ見つからなくて」
道徳は不思議そうに、それでも「そうか」と息を吐いた。
「なあ、太公望」
じっと目を向ける。隠し事を疑っているというよりは、ただ純粋に目の前の道士を心配している口ぶりだった。
「きみは頭がいいから、自分でなんとかできると思っているだろうけど、まるでできないことまで一人でなんとかしようとする癖がある。もしなにかにひどく困っているなら、いつでも相談に来なさい」
目を合わせないまま、黙って頭を下げた。
「勘がいい」のは太乙真人だけではない、そう警戒してしまっていることに、申しわけないと思いながら。
(続く)
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