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犬蓼
2024-10-29 00:58:48
8864文字
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周回軌道の変化に因る惑星の接近とその影響について
せつなさんが風邪を引いた話。
外部さんたちがうどん食べてても平気な方向け。
ほとんどせつなさんとみちるさんしか出てきませんがベースは、はるみちでできています。と思います。
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人の気配、手の気配、触れられている感触がして数度、瞬いた。ぼんやりと見上げると部屋明かりを遮って覗き込む影がある。
「勝手にごめんなさい。起こしたかしら?」
手は、影は離れていく。白い布地が相変わらず表情のほとんどを隠してはいるが、海の色でもってそそがれる眼差しには思慮が深い。せつなが身動ぎ体を起こそうとすると、しなやかな腕は再び伸び来て動作を支えた。寝ているから外そうとしてくれたのだろうマスクの紐を、もう一度掛け直す。解いた記憶のない髪が指にはらはらと触れ、それもきっと彼女の気遣いだ。
寝ていました、と謝ると、構わないと言ったわ、と目元がゆるむ。涼やかだ。渺とした海の青が熱をさらう心地さえする。その眼差しが小さく苦笑した。
「運びましょうか?」
口に合うと良いけれど、と示されたのはライティングデスクに置かれた角盆と乗せられた丼鉢。並べ置かれた水差しが鉢から昇った湯気に汗をかいている。
ふ、と。みちるがドアを見た。けれど何事もなかったようですぐに視線をせつなへと返す。
「そちらで」
じっと見る海の色を見つめ返す。これは虚勢ではないはずだ。不安定な布団の上で万一にも傾けてはことだから。そう言うと、返答のようにみちるが手を伸べてきた。弓と絵筆を自在にする右手。
「はるかに叱られそうですね」
指先まですんなりと揃えられたやわらかな掌に、せつなが自分のそれを重ねると、そこまで狭量ではないと澄まして返された。
「拗ねて見せるくらいよ」
歩様に合わせて案内、椅子を引いて出迎え、腰の降りるに合わせて押す。日常的には彼女が受けているのであろう完璧なエスコートは、ただ漫然と受け取っているだけでは逆の立場をこうも易く演じられるものでないだろう。水差しからグラスへ注ぐ仕草もそれを置く所作も名店で見るかのよう。だが名のある店のウェイターがそうするようにそっと下がって控えられては、そこまでは、と再び言った。
「一人でも食べられますから」
彼女自身の食事もあるし、階下にはまだ身の回りを整えてやる必要のある娘も待っている。そう言うと、青い海の色に漣が立った。
「はるかがね」
と言って小さく眉根が寄る。
「ダメなのよ。寝てれば治るなんて言って抜こうとするから」
一つ瞬き。でもあなたは違うわね、と謝って、みちるは引き下がった。踵を返し戸口へ。向かいかけて、歩が止まる。ドアが鳴った。
部屋の主人に代わってみちるが応じると、ノックの相手は驚かず、手にしたものをそのまま差し出した。
「どうなの?」
「大丈夫よ。今、食べてもらうところ」
みちるの背のさらに向こう側に揺れて見える亜麻色の髪。目前の相手に俯きがちになった表情までは見えないが、もちろん誰何の必要はない。
「お帰りなさい」
せつなが声をかけるとみちるが体を開き、秀麗な立ち姿が現れた。コートのまま、帰り来たそのままで、帰途に買ったものを渡しにきたのだろう。
「ただいま」
目が合って、表情が作られた。ように見えた。自分の笑顔の価値を知っている人の柔和さを、はるかは持っている。
「お大事に。ゆっくり休むんだよ」
それだけ告げて、視線は足元に落ちた。よく見れば長い足にしがみついた小さな手がある。黒髪が揺れて木の後ろから伺い見る小動物のように春の野花の色の眼差しが覗いた。
「ほたる。ほら、おいで」
促されて、手を振って立ち去る。せつなが手を振り返してやってもまだ、心残りの様子だった。聡く賢しく、背景もあって大人と同じ聞き分けのできる子だと、せつなは考えていたが視線を残したまま掴んだ裾に引かれて行く様子は、世間一般の同じ年頃の子のように見えた。
しかし、はるかが見ているならば安心だろう。病人とは言え、ほたるを放って成年に着く判断をみちるがするのが不思議だったが、もう一人の手が戻っているならば納得だ。
みちるは、はるかに手渡されたグラスを角盆の横に置き、さらにビニール袋の中身をサイドテーブルに並べ置いた。
「どれかお好みはある?」
アップルジュースにネクターにハニーレモン、そしてスポーツドリンク。カップのゼリーやプリン、ヨーグルトも。
「買いすぎでは
……
?」
呆れてうなると、かばうような苦笑が返された。そうね、と詠う声の音は彼女の楽器にも似ている。
「風邪薬が必要になるかもしれないと思ったから、頼んだのよ」
そちらも選り取り見取りとパッケージが小袋の中で折り重なっている。同じ風邪薬も薬効は個々に様々だ。備えがあれば憂いはないだろうというはるかの思惑が透けて、呆れながらも、笑みこぼれるのをこらえられはしなかった。
スポーツドリンクと元々家にあった解熱鎮痛薬一包を残して他は引き上げてもらうことにする。ジュースやゼリーはほたるが、あるいは買ってきた本人が消費するだろう。薬はなければ良い出番のためにしまっておけば良い。安心を買ったようなものだ。
未来の選択肢は多いに越したことはないわ、と、みちるは別の言い方をして、それらをビニール袋に戻して一纏めに抱え上げた。はたりと波打つ髪を翻す背に、寝入り端の思考を思い出してはっとする。
「ありがとうございます」
立ち止まり、振り返り。海の色が深く、マリンスノーの舞う海底のように深くやわらいだ。
「かまわないわ」
そしてドアは閉ざされる。ひとりきりになった部屋はしんと耳鳴りのしそうなほど静かだった。
一つ息吐き、肩を下げ、膳に向かった。鉢から湯気は香り立つ。饂飩だった。澄んだ汁ととき卵の中に短い太麺が揺蕩っている。他の具材も一口ほどに揃えられているから、病床の口に合わせてくれたのかもしれない。手を合わせ、箸でなく添えられていた蓮華を取った。
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