Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
しちろ
2024-06-18 17:16:30
27145文字
Public
LOM・宝石泥棒編
Clear cache
Export ePub
宝石泥棒編 11
フローライトです。
1
2
3
4
誰か
……
誰か、来て
……
。
お願い
……
。
お願い
……
誰か
……
。
深い深い眠りの底から引き上げられるように、ゆっくりと意識が浮上する。
どこかから、誰かが呼ぶ声がする。
呼んでいる
……
いや、あれは、助けを求めている
……
?
――
誰の声だろう
……
。
うとうとと微睡みながら、そんな風に思う。
眠りとともに浮いては消える思いが、次第に明確な疑問に変わる。
誰かが、呼んでいる。誰を
……
自分を? それとも、もっと違う誰かだろうか。
カイの意識が鮮明になるにつれ、閉じた瞼の向こうに、奇妙な明るさを感じた。
誰か部屋の明かりでもつけたのか、それとももう朝なのだろうか。
……
それにしては、妙な気がする。
違和感を覚えつつ、カイはゆっくり目を開けた。
すると。
「
……
なんだ、ここ」
見たことのない場所に立っていた。少なくとも、自分の部屋では、絶対にない。
目を引くものは何もない。
それどころか色彩すら存在しない。
あるのはただ、灰色ばかり。それも、気の滅入るような濁った白と、水で薄めて伸ばしたようなぼやけた黒だ。
ぽかんとして、辺りを見渡してみる。
すぐに『何もない』というのは間違いだと気づく。これは、砂だ。砂でできた、広大な砂の大地。
大地というよりはいっそ砂の海と言った方がいいかもしれない。
灰色の空には丸い天体ととぼけた形の雲が張り付いているが、こちらもやはりモノトーンで、浮かんでいるのが太陽なのだか満月なのだかさっぱりわからない。よくよく見れば、灰色の空そして同色の大地と同化するかように、灰色の奇岩が遠くにいくつも見えている。
驚きながら自分の手のひらを見てみると、あろうことか、これまたモノクロになっていた。自分も含めて、世界の全てが墨絵か本の挿絵にでもなったかのようだ。
おまけに、
「寝間着だし、裸足だし
……
」
寝たときのまんまの、少し着古した、トップル木綿の貫頭衣。いつも着ている、ごく簡単な作りの寝間着である。当然、靴など履いていない。
困惑しながら、カイは背中まで伸びた灰色の髪をかきあげた。
こんな奇妙な場所は初めて見る。
墨色のインク一色で描かれた、どこまでも広がる、乾いた砂と岩の大地。
「これが、砂漠
……
って、いうのかな
……
?」
ファ・ディールとは広いもので、砂だけでできた酷暑の土地が、世界のどこかにあるのだという。過酷な死の世界だという噂だが、ここは暑くもなければ風も感じないし、砂を踏む感触もふわふわとして頼りない。
ためしに砂をひとつかみ、さらさらとこぼしてみる。
触ることはできるようだが、その感触にも今一つ現実味がない。
自然と、こんな台詞が口をついて出た。
「夢の、中」
自分で言って、納得した。
そうだ。ここは、夢の世界だ。夢の砂漠に自分は立っている。
「なんで、こんなところに来ちゃったんだろ」
道もない、目的地も分からない。
音も風もない。昼か夜かすら分からない。もちろん標などありはしない。
自分以外の時を止めたような、灰色の世界。
「
……
今の、あたしみたいだな」
これまで、わき目もふらずひた走ってきた。
だけど、こんな砂漠では先も後もわき道も、その一切が存在しない。
自分の行くべき道は、未来は、どこにあるのだろう。
乾いた砂を素足で踏みながら、カイはあてもなく歩きはじめた。
■■■
夢の世界はすなわち孤独の世界、というわけではないらしい。
「こんな場所でも、一人きりじゃないんだなぁ
……
」
何を思って、ここにいるのだろうか。
夢の砂漠のところどころにやはりモノトーンの住人たちがいて、各々が思い思いに歩き、思索にふけっている。
場違いな寝間着姿であてどもなく彷徨いながら、カイはそんな人物に何人も出会った。中には知り合いに似た者もいて、もしかしてあの人は、などと思いながらすれ違う。ためしに幾人かに話しかけてみたが、会話は一方通行で、カイの声は聞こえていないようだった。
さみしい場所だった。
灯篭のように立つサボテンと、墓標に似た形の奇岩群。息絶えた獣たちの骨。
墓場のようだとカイは思った。
しばらく行くと、どこかから、さらさらと音が聞こえてきた。
「
……
水の音?」
眉をひそめて、じっと耳を澄ましてみる。
気のせいではない。聞こえる。
目的地も定まらず、自身の立てる音を除いては、ほとんど無音だった世界である。その、わずかな流水音の源を求めてカイが歩み出したのは、無理もないことだっただろう。
音を聞き逃さないよう耳に神経を集中させながら、慎重に進む。
幽かだった水音は次第に、着実に近づいて来、はっきりと聞こえるようになった。
「滝だ」
前方に、白っぽい滝が崖の上から滝つぼへ流れ落ちていくのが見えている。
ただし、水の代わりに流れているのは砂だった。細かな白砂が、絶え間なく砂地に落ちている。
その手前に、二人の人物が向き合って立っていた。
「あれは
……
」
カイが瞠目する。
いずれも、見覚えのあるシルエット。
「瑠璃!」
気づくなり、一気に駆けだした。まとわりつくスカートの裾が鬱陶しい。
「瑠璃、キミもいたの!?」
思わず呼ばわるが、他の者たち同様、反応はない。瑠璃はただ、自分の正面に立つ者を見据えている。
その、相対するもう一人は、レディパール。やはり、カイの姿は見えていないようだ。こちらに気付かない。
会いたかった二人を目前にしながら、なにもできず戸惑っていると、モノクロのレディパールが口を開いた。
「ラピスの騎士か
……
宿命は?」
「
……
無い」
目を逸らした瑠璃を、レディパールは嘲笑した。
珠魅たちのやり取りは、色彩がないせいかひどく現実味に乏しく、紙芝居の世界か、どこか遠くの出来事にも思える。
「守るべき者を持たずに騎士とは言うまい? 天涯孤独の珠魅など、砂漠に転がる石ころと同じだ」
「蛍姫の涙があれば、オレの宿命は息を吹き返す」
「ふざけるな! 守るべき者を死なせた、脆弱な騎士のために、我が姫の命を削れるものか!」
我が姫?
カイは引っ掛かりを覚えた。すると、レディパールは蛍姫の騎士だったということだろうか。
『守るべき者を死なせた』
……
どういうことだろう。
瑠璃に背を向け、立ち去ろうとするレディパール。そこから、半透明の影が蜃気楼のように分かれ出た。
「真珠ちゃん
……
」
るりくん
……
。
もう、あなたのためになみだをながせないの
……
ごめんなさい
……
。
悲しい謝罪の言葉だけを残し、真珠姫は跡形もなく消え去る。
「真珠姫!」
瑠璃は虚空に向かって叫ぶ。
「君を動かす力が怒りだけだと言うなら、玉石の光はこれからも人を傷つけ続けるだろう。太陽が与えた光で輝き、人を癒し、安らぎを与える、オレたちに定められた石の宿命。人が奪い続ける限り、オレたちは怒りの火を灯し、心荒ませ、癒す力を忘れ、それが巡るだけの宿命なら、すべてを叩き壊すと言うのか、レディパール!」
レディパールは瑠璃の言葉を聞こうとしない。
「レディパール、オレにお前ほどの力はない。すべてを叩き壊す力はない。オレにできるのはたった一つ、小さな出口を開けることだけ
……
」
レディパールは、瑠璃には応えなかった。
無言で瑠璃から背を向け、去っていく。
「
……
瑠璃」
カイは残された瑠璃にそっと近づき、声をかけてみる。
灰色の瑠璃は、ゼンマイの切れたねじ巻き人形か、それこそ読み終わった紙芝居のように、静止している。砂の滝だけは、変わらず流れ続けていた。
「瑠璃、聞こえる?」
聞こえないとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
すると、声が届いているのかいないのか。
動きを止めていた瑠璃が、誰ともなく話し出した。
「オレは瑠璃。珠魅の騎士。珠魅には騎士と姫がいて、騎士は姫を守り、姫は涙で仲間の傷を癒すことができる。珠魅の騎士にとって、姫は命に代えても守るもの。オレは自分の姫を守れなかった。それができなかったオレに、騎士として生きていく資格など無い」
瑠璃もまた、レディパールとは逆方向へ歩いていき、そして消える。
「
……
。瑠璃
……
」
これは、現実ではない。ただの夢。
だが、カイはこんなにはっきりと瑠璃の怖れを目にしたことはなかった。瑠璃はいつも、何も言わないから。
ジオでの瑠璃や真珠姫との会話、そして、先日のシオンとの喧嘩を何故か思い出して歩くうち、同じ滝の裏側に出た。
「また
……
」
瑠璃とレディパールが、滝の向こう側に立っている。
今度のレディパールは、瑠璃を拒絶するかのように背を向けていた。
流れ落ちる砂に邪魔されて、カイは二人に近づくことができない。ただ、成り行きを見守ることになる。
「真珠!」
瑠璃が一歩進み出、レディパールに向かって呼びかける。いや、引き留めようとしているのか。
「もう一度キミを守りたい
……
」
「私は真珠姫では無い。黒真珠を核とする騎士。宿命は蛍石。胸に脈打つふたつの心臓のひとつ、黒き血の核が本当の私自身。立ち去れ、瑠璃」
冷徹に切り捨てるレディパールへ、瑠璃が食い下がる。
「蛍姫にはアレクサンドルという騎士がいる
……
君こそが天涯孤独の石ではないのか、レディパール!」
カイは眉をひそめた。
アレクサンドル? 初めて聞く名前だ。
「私の黒き核は一度死んだ。その時に私は蛍姫をアレクサンドルに託した」
「その黒い核を断てば、真珠姫に戻るというのか、レディパール!」
「やってみるかい? お前の力で」
レディパールは鼻で笑う。瑠璃は黒真珠に向けて、運命の剣を抜いていた。
「レディパール
……
騎士は、ただ一人の姫を守れればそれでいい」
瑠璃は運命の剣に目を落とし、それをしまう。
「誰もが小さな力を持ち、小さな力を合わせ、一つの民となる。何を守ろうと言うんだ、レディパール!」
「蛍は全ての珠魅のために涙を流した。だから私は戦う。珠魅の脅威となる全ての敵と」
瑠璃とレディパールの視線は一度も交わることなく、互いに背を向けている。
「オレに背を向けるな、レディパール
……
お前の背中は、オレの守るべき宿命、真珠姫だ」
二人の騎士は最後まで交差することのないまま、その場から姿を消した。同時に、カイと瑠璃たちを隔てていた砂の滝も、幻のように消え失せる。
「
……
今頃、消えてくれたってさ」
二人のいた場所に立ってみたところで、肝心の瑠璃とレディパールはとっくにいない。
ここでのカイは、本当に何もできない。
会いたい人々の姿を見ることはできるし、会話を聞くこともできる。
だが、それだけだ。
何一つ手出しできずに、再生される映像を唯々諾々と見せられているだけ。なぜ自分はこんな夢に迷い込んでしまったのだろう。
「なんだろう、この夢
……
何か変だ」
これは現実ではない。
けれど、ゆめまぼろしとも言い切れない。
どこか、現実に通じるものがある。
現実の者たちが隠している姿が、声が、ここでは露わになっている。
自問しながら歩いていくと、奇岩の向こうにまたしても黒い人影が見えた。
遠目に確認できる、一方はレディパール。
しかし、もう片方のシルエットは明らかに瑠璃ではなかった。
「あれは
……
」
それが何者か分かるなり、カイは全力で駆けだした。
「サンドラ!」
ここには、宝石泥棒までいるのか。どうして。
急いで近づいてみれば、対峙するサンドラとレディパールの間には、一触即発の空気がある。
「レディパール、私と貴方の目的は同じのはず。何をしに来たの?」
「奈落への水先案内。お前がこれ以上珠魅を傷つけぬよう、闇に閉ざす」
触れれば切れそうな、レディパールの眼光。
対するサンドラはむしろ、慈悲すら感じさせる笑みを浮かべてみせる。
「たかが1000人の珠魅の命で、蛍姫は元気になるのよ。蛍姫が何人の珠魅を救えるか、よくご存じでしょう?」
「愚かな
……
すべては繰り返すだけだ! 彼女の力を喰いつくした後は、珠魅の命を狩って力を回復させる
……
そんなことをいつまで続けるつもりだ!」
「私たち珠魅に生への執着がある限り、永遠によ」
目の前の宿敵に、レディパールは抗することができなかった。
苦悶の表情でがくりと膝を折り、その場に倒れ伏す。
「ふざけ
……
る
……
な
……
」
必死で震える手を伸ばすが、サンドラには届かない。
「終わりね
……
レディパール。砂漠では、あなたの黒い心臓も長くは持たないみたいね」
サンドラは笑みを消し、冷たい刃のような眼差しで苦しむレディパールを睥睨した。
その時だった。レディパールの傍らに、白い影が浮かんだ。
「
……
真珠ちゃん
……
」
半透明の真珠姫は、黒真珠の騎士のそばにしゃがみ込み、励ますように髪をなでる。
『おねえさま』が助けに来てくれる
……
もうすこしがんばって
……
。
「助けなど
……
いるもの
……
か
……
」
一言だけ伝えて消えた黒真珠の半身は、何を意味するものだろう。
サンドラは瀕死のレディパールを一瞥し、無慈悲に去っていく。
たまらずカイはレディパールに駆け寄った。
「パール。レディパール!」
汚れるのも構わず砂地に膝をつき、大きな声で呼びかける。
だがやはり、レディパールには声が届かない。歯噛みして助け起こそうとすれば、カイの手は霞か霧のようにするりとすり抜けた。
「なんだよ、ここ! 仲間を助けられもしないのか!」
行き場を失った拳を、砂に打ち付ける。拳の勢いに見合わない、とぼけた砂の手ごたえが、カイの苛立ちをいや増した。
そうする間にも、黒真珠の生命力はみるみる細っていく。
現実の世界で珠魅は次々と死んでいった。それも多くはカイの目の前で。本当の世界では守ってやれず、せめてもの、夢の世界でさえ助けらない? どこまで行っても無力。のけ者、そんな程度か、自分という人間は。
「なんだよ、あたしは
……
」
地に倒れ伏すレディパールは、死に瀕してなお拒絶に満ちている。
彼女にカイの声が届いたとて、きっと彼女は助けの手を振り払う。現実でもこの夢でもそうだ。瑠璃が何を言おうと、レディパールは応えようとはしなかった。彼女はなぜ、そうまでして頑ななのだろう。
……
おねえさま。
「真珠ちゃん?」
呼ばれた気がして振り向くが、誰もいない。
その先はちょうど、サンドラが立ち去った方角だった。
灰色の砂漠を苦々しく見やって、カイは反芻する。今のレディパールとサンドラの会話。
信じたくはなかった。
信じたくはないが、あの中に真実が含まれているのだとしたら。
「珠魅
……
サンドラが、珠魅? そんな馬鹿なこと
……
」
レディパールとサンドラが旧知の仲、というのは事実だろう。
メキブの洞窟で真珠姫が姿を変えたとき、サンドラはレディパールを恐れ、そしてレディパールは宝石泥棒に真っ先に尋ねたのだから。
『蛍は無事なのか?』
「
……
なんてこった」
その事実に気がついた瞬間、カイの背筋が凍りついた。
「サンドラの本当の、目的
……
珠魅
……
『サンドラ』」
蛍姫の騎士『アレクサンドル』
アレクサンドル
……
アレキサンドライト。
……
サンドラ。
『へえ。それ、何年前の話?』
ああ、なんてことを訊いてくれた。シオン、キミの問いの答えはこれだ。
サンドラが珠魅であれば、話が通る。珠魅の命は人間よりはるかに長い。
蛍姫を都市から攫った珠魅の裏切り者。そして結果的に、珠魅一族の崩壊の引き金を引いた者。おそらくそれは、蛍姫の騎士だった者。
アレクサンドルの前任であったレディパールは、信じて己の姫を託した人物に、最悪の形で裏切られた。
『蛍は全ての珠魅のために涙を流した。だから私は戦う。珠魅の脅威となる全ての敵と』
カイは、レディパールの指に触れた。
触れることは叶わない。
彼女の白い指先が温かいのか冷たいのかも、カイにはわからない。
一人で蛍姫を守ってきた、黒真珠の騎士。きっと、彼女は強い。
カイよりも瑠璃よりも、おそらくは珠魅の仲間の誰よりも強く、強く、誰の手を借りることもなく、一人であらゆる敵に立ち向かっていけるほどに強く
……
そして、だからこそ。
「
……
レディパール」
カイは再び手を伸ばし、レディパールの手を握った。
やはり、触れることはできない。それでもよかった。
真実を追い求める自分たちの影で、レディパール、あなたはたった一人だけ、最初からすべてを知っていたのだ。
「
……
レディパール。あたし、少しわかった気がするよ。あなたの気持ちが。そして、あなたが誰なのか」
誰よりも強く、気高く、一人で戦い続ける孤高の騎士。
けれど、レディパールは真珠姫でもある。
愛を知り、優しさを知り、仲間とともにあることを知り、自分を守ってくれる人の温かさを知っている、彼女の半身。孤独な黒真珠と背中合わせの、無邪気な姫の顔。
黒真珠と白真珠は表裏の存在。
だとしたら、それを知った自分にできることは、ある。
『レディパール、オレにお前ほどの力はない。すべてを叩き壊す力はない。オレにできるのはたった一つ、小さな出口を開けることだけ
……
』
そうだ、瑠璃。それはキミだけじゃない。
自分にだって、ごく小さな力しかない。自分だけで何かをしようなんて、そんな大それたことができる人間じゃない。
カイの心のどこかで、黒い何かがささやいている。
今見ている、これは夢。ただの夢。目の前のレディパールだって、現実の彼女ではない。助けたところで、何になるわけでもない。自分は珠魅に拒絶されたのだ。
「いいや。今は、それでも」
カイはもう一度レディパールの手を強く握り、低い声で呟いた。
「あたしが今見ているモノが、たとえ夢でも嘘っぱちの世界でも、構わない」
カイの手に、『冷たい』感触が触れた。
その手をそっと離すと、カイはぐっと顎を上げる。
砂漠が鳴動している。カイが見据える視線の先、砂の中からなにかが生まれ出ようとしている。みるみる小山のように盛り上がる砂の合間から、怖気を振りまく鈍い光が見えている。
「これが夢だとしても。あたしは今、できることをやるだけだ」
咆哮を上げ姿を現す、巨大なジュエルビースト。
対するカイは、簡素な寝間着姿のまま。武器はおろか道具ひとつ持ってはいない。
それでも、魔物に向かって駆けだした。
裸足の足に蹴りあげられて、灰色の砂が巻き上がる。
その時、世界が色づいた。
モノトーンの砂漠は黄色い大地へ、巻き上がる砂もまた灰から黄へと変わっていき、くすんだ空は澄み渡る青天へ。
地表をなでるように吹き渡る風は辺りに砂塵を起こし、空には真昼の白い月。
そして色を失くしていた人々は、本来あるべき色彩へ。
「今のあたしにできるのは、あなたとあなたの騎士を、もう一度出会わせることだけ!」
瑠璃が、レディパールが踏み出すことを恐れているのなら、私が出口を開ける。
大きな助けにはならなくとも、立ち止まる彼らに、後ろから手を添えることくらいのことなら、きっとできる。固く閉ざされた扉を、ほんの一筋開くことなら。
この世界の名は、ファ・ディール。
世界は見る人によって変わるもの。
世界はイメージ。
「槍!」
無手だったカイの手の中に、槍が生まれた。冒険を始めたころから共にある、使い慣れた三日月型の三叉槍。
厚い毛皮のついた靴が砂を蹴り、腕には赤い布でできた腕当て。
頭の棒がみょうちきりん? それで結構、それが私だ。大胆に切れ込みの入った衣装は、女の旅装束にしては派手すぎると言われることもある。だけど、これが動きやすい。
「ごめん、あなたはきっと誰かの悪い夢」
魔物の哭き声が、黄色い大地を震わせる。
誰かの怖れを、悪夢を体現したかのような崩れかけの石の魔物。黒、白、青、緑、赤
……
。魔物の核はあらゆる色が複雑に入り混じり、不気味な光を放つ。
「もしかしたら、あなたが悪いわけじゃないかもしれない。だけど、あなたにここにいてもらうわけにはいかないんだ」
ジュエルビーストは歪な咢をばくりと開き、獲物をかみ砕こうとする。疾走するカイはとっさに身を低くし、それをかわした。
そして、跳ぶ。
中空で身をひねりながら、ジュエルビーストの身体を踏み台に、もう一段高く跳躍した。
驚くべきことが起きた。
身体を宙に舞わせながら、自分の仕業に目を丸くする。
背中に翼が生えたかのように、あるいは重力がないかのように、カイの身体はジュエルビーストより高く、高く、砂漠の空高くまで飛び上がっていた。砂塵を見下ろす青天が、天空に浮ぶ白い月がぐっと近い。
ごめんね、静かにお休み。
心の中で語りかけ、地を這う哀しき魔物に狙いをつける。
狙いをつけながら、槍を大きく振りかぶり、意識を集中させた。
イメージ。
可視化された力はひとつひとつが細かな光となり、槍の穂へと集まっていく。それは金にも銀にも白にも、虹色にも見える。喚び主の声に応え、現れる、その光。この世界を構成する、ありとあらゆる色に移り変わりながら煌めくそれが、マナの光だと、カイは知らない。
凝縮したマナの輝きは槍の刃を青く光らせ、青い光は刃から漏れ出て一気に膨れ上がる。
それが極限に達した時、カイは満身の力を込めて槍を振り下ろした。
解き放たれた力は青い龍の形を取り、眼下のジュエルビーストへ激流となって押し寄せる。魔物目がけて一直線に駆け落ちながら、竜はジュエルビーストのそれよりはるかに巨大な咢を無慈悲に開けた。
もはやジュエルビーストに逃れるすべはない。
逃げることのできない悪夢の魔物を、青龍が一口で飲み込んだ。
「
……
す、すご」
不安定な砂地に危なげなく着地したカイは、思わず自分の手と槍を見比べる。たった今、自分の為したことが信じられない。
「ん?」
ジュエルビーストの消えた場所で、何かが光っていた。
「鍵だ」
拾い上げたそれは、親指ほどの小さな鍵だった。なんの鍵だろう。くすんだ金色の素材に、淡い緑色の石がついている。
カイは鍵をポケットにしまい込み、レディパールが倒れていた場所へ急ぎ駆け戻った。
「あれ? あれは
……
」
「真珠!」
目を凝らしたカイの前に、青い人影がマントを翻して割って入った。
「
……
瑠璃
……
」
カイより早く、瑠璃がうつぶせに倒れる真珠姫に駆け寄っていく。先ほどまでは、レディパールがいたはずの場所だ。
真珠姫は小さく呻いて身を起こすと、心配する瑠璃に向かって「わたしはだいじょうぶよ」と言った。実際、彼女の血色はよく、どこも問題はなさそうに見える。
「レディパールは? 彼女はどこへ? どうして君に戻ったんだ?」
世界や人物が色を取り戻しても、やはり瑠璃たちにカイの姿は見えないらしい。
瑠璃は真横に立つカイに気づく様子もなく、真珠姫に疑問を投げかける。
「るりくん
……
わたしはだいじょうぶ。るりくんは、だいじょうぶ?」
「オレが? 大丈夫かだって?」
思わぬことを訊かれて、瑠璃は目を丸くした。
「だってるりくん
……
すこしへんよ
……
」
真珠姫に真顔で言われて、瑠璃は何度か瞬きをした。それから、ふっと笑った。
「
……
行こう、真珠姫」
「うん! わたしも行くっ!」
砂漠を歩きはじめた瑠璃の後を、真珠姫が軽い足取りでついていく。
どんなに現実めいて見えても、ここは夢の国。ここにいる瑠璃も真珠姫もレディパールも、みな夢の世界の住人だ。自分の声は届かないし、彼らにカイの姿は見えない。カイが彼らに関わることはできない。
けれど、カイの気持ちは不思議と晴れやかだった。ああ、きっと、あの二人は大丈夫。
これは夢なのに、夢だとわかっているのに、カイには不思議とそう思えた。
……
おねえさま。
「え?」
小さくなりかけていた真珠姫が、こちらを向いていた。
瑠璃にカイの存在がわからないように、彼女にもカイは見えていない。そのはずなのだけど。
真珠姫はまっすぐにカイを見つめると、花開くような笑顔で片目をつぶった。
そして、それを最後に世界は白い閃光に包まれた。
もうやめて
……
誰か
……
。
光とともに遠ざかる、不思議な夢の砂漠。
どこかでまた、声が聞こえた。
ああ、自分がはじめに聞いたのは、この声だ。
白い光に包まれながら、カイは思う。
初めて聞く声だった。誰だろう。あまりにもか細くて、今にも消えてしまいそうな。
「ねえ、教えてよ。さっきから『泣いてる』あなたは、誰
……
?」
もうやめて
……
。
お願い、『アレク』
……
。
1
2
3
4
Reaction
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.
Custom color
Reset color
広告非表示プランのご案内