しちろ
2024-03-04 16:52:16
28442文字
Public LOM・宝石泥棒編
 

宝石泥棒編 10

アレクサンドル。


 夕刻の、集合時間になった。
 カイと真珠姫が宿の食堂で待っていると、間もなく瑠璃とシオンが店に入ってきた。
「二人とも。こっち、こっち」
 遅れてきた二人に向かって、カイが大きく手を振る。着席した瑠璃とシオンに、早速カイが尋ねた。
「鍵、見つけたの?」
「ああ。こちらは一つだ。そっちは二つか。見つけてくれて助かったよ」
 カイと瑠璃が鍵を見せ合う。瑠璃のほうは銅色で、緑の石が嵌め込まれている。
「誇りの鍵、だそうだ」
「こっちは苦悩と憎悪だって」
 憎悪、誇り、苦悩。三つの心の鍵が、テーブルの上に並べられる。これが見えるのは、この場では珠魅の二人とカイだけだ。
「真珠、どうだ?」
「ええ。これで鍵は全部みたい……
 真珠姫が核に手を添えて言った。
 金。銀。銅。真珠姫と瑠璃の核が、仄かに煌めく。
 揃った三つの鍵は共鳴し合い、合わさって一つの大きな鍵になった。
 バラバラだった三つのイメージがつながり、カイの中に流れ込んでくる。

 憎悪、誇り、苦悩。散らばっていたディアナの心のかけらたち。
 一人の珠魅として。一族を束ねる長として。誰かを愛する者として。
 それぞれの立場から深い苦悩を抱き、それを強固な意志がつなげ、そして強い意志の影に憎悪を押し隠している。その者が見せる一面がその者の全てではない。いくつもの感情が複雑に組み合わさり、矛盾と葛藤を重ねながら、それらがディアナという人格を形作っている。
 嵐のような一瞬が過ぎ、そして最後に、悲しい温かさがカイの心に残された。

「おねえさま?」
 気がつくと、カイの顔を真珠姫がのぞき込んでいる。
「おねえさま、だいじょうぶ?」
「どうした、急にぼーっとしちまって」
「えっ! うん、大丈夫」
 気が遠くなったのは、ほんの一瞬だったようだ。心配は要らないと笑ったカイは、一つになった心の鍵を見つめた。心が切なく悲しく、温かい。イメージの最後に見えたのは、赤く燃える炎だったように思う。
 鍵集めを終え、別行動で手に入れた情報を交換する。カイと真珠姫は、瑠璃に『ウェンデルの秘宝』での話を聞かされた。
「あれ、アレックスさんいたんだ?」
「ああ、まあな。店先でちょうど出くわした」
「なんだぁ、行き違いか」
 カイはあからさまにがっかりしたが、瑠璃は固い顔つきだ。初対面からどうも瑠璃とアレックスは相性が良くない。
「それから、お盆……ヌヌザックに話を聞いてきた。位の高い珠魅のなかには、自ら石化することができるやつがいるんだそうだ。おそらくディアナは、オレたちがジオを去った後、宝石泥棒に殺されるまいと石になったんだろう」
……そっか。だから……

 その日までわたくしは生き延びます。かならず。

 エメロードが死んだ日に、ディアナがした約束。
 核ごと石化した状態では、宝石泥棒が核を奪うことはできない。そしておそらく、彼女の鍵は、ディアナが認めた者にしか見つけることはできないのだろう。ディアナは約束を守ったのだ。
 カイはもう一度強く、心の鍵を握りしめた。決死の覚悟を決めた彼女の気持ちを、決して無駄にしてはならない。
「会いに行こう、ディアナさんに」



 ■■■



「また、ビーナス像?」
 その日のうちに再訪した一行を見て、クリスティーは少し迷惑そうな顔をした。
「何度もごめんなさい。できれば今日のうちに会いたいんだ」
「私は別に構わないですけどね……あんな安っぽい石の像、コレクションに置いていてもどうにもならないもの」
 まるきりディアナをモノとしか見ていない。いかにも鼻持ちならない、金満家の物言いである。
 絶句し、あるいは気色ばむカイたちを他所に、クリスティーは「もう夜ですので失礼するわ」と言って本当に下がってしまい、あとには訪問者の四人と執事のサザビーが残される。
……あんな言い方、いくらなんでもひどいわ」
 真珠姫がめずらしく非難の言葉を口にしたと思えば、瑠璃に至っては不快感を隠しもしない。
「オレも人間はいろいろ見てきたつもりだが」これ見よがし鼻にしわを寄せている。「あの手の金持ちって人種だけは、いつまで経っても気に食わないな」
 人間のカイが聞いても酷いと思うのに、珠魅の二人は心中穏やかではないだろう。
「クリスティー様が不快な思いをさせてしまいまちたね。ああいう方なので私も困っているのですが……
 舌足らずな言葉遣いで、サザビーが申し訳なさそうに謝罪する。そして「ですが」と続けた。
「クリスティー様は、口先ではあんな風におっしゃいますが、ビーナス像の手入れは変わらず私にお命じになるのですよ」
「手入れ?」
「うっかり傷つけたり、埃などかぶって価値を損なわないようにと。最上級のダイアモンドがただの石になってしまったからと言って、大切な美術品を汚れたままにしておくような方ではないのです」
 クリスティーの欲深さは、深い愛情の裏返しでもあるらしい。それにしても、ヌヌザックにしろメフィヤーンスにしろ、誤解されやすいというか素直でない者の多い都市である。
……人間ってのは、トコトン難儀でひねくれた生き物だな」
……
 瑠璃がなぜかシオンを見て言った。
 地下に降りてみると、確かにサザビーが言ったとおり、ビーナス像は美しく磨かれ、白く滑らかな輝きを保っている。本当に要らぬものと扱われていたら、今頃彼女は埃だらけだっただろう。
「ありがと、クリスティーさん。サザビーさん」
 カイは階上を見上げて、クリスティーの心遣いとサザビーの勤勉さに感謝した。
 改めて、ディアナ像の前に立つ。
「鍵、使ってみるよ」
 カイは、一つになった心の鍵をディアナに向かって掲げた。
 赤、緑、青。三つの心を表わしていた鍵の宝石。
 心の鍵は三色の光を放ち、光は石になった核へと吸い込まれていく。
 そして、鍵と光が消えたとき。
……わたくしの心を見つけてくれたのですね。みな、よく来てくれました」
 冷たい石像は消え、代わりに、この世のものとは思えぬほど美しいダイアモンドの珠魅が、そこにいた。



「みな、よく来てくれました」
 輝きを取り戻したダイアモンドの核とともに、再び色を灯した紫の瞳が、その場に立つ一人一人を順に見渡していく。カイとシオン、人間の二人から始まり、瑠璃、そして真珠姫と目があった時、ラピスラズリと白真珠、そしてダイアモンド。三つの核が同時に煌いた。
 瑠璃がまず、口を開く。
「ディアナ。少し遅くなったがアンタの言った通り、オレの姫……真珠姫を連れてきた」
「ありがとう、瑠璃。そして、カイ。わたくしとの約束を守ってくれたこと、心から感謝いたします。真珠姫、そしてそちらの人間の方。初めまして。わたくしは珠魅の都市の族長を務めておりました、ディアナと申す者です」
……はじめまして、ディアナさん」
 ディアナと初対面の挨拶をかわしながら、カイから見た真珠姫の横顔には戸惑いの色がかすかに浮かんでいる。ただ、彼女の感じている違和感の理由は、真珠姫自身にもわからないようだ。
「前に会った時、アンタは言っていたな。宝石泥棒の目的は復讐だと。つまり、宝石泥棒の正体をアンタは知っている。そういうことでいいのか?」
……ええ。おそらくは間違いないでしょう」
 肯定したディアナの瞳には深い憂いがある。

 復讐。その言葉を聞きながら、カイの脳裏に浮かんでしまう。
『輝きを無くした、汚れた石に制裁を!』
 宝石泥棒が珠魅の核を奪おうするとき、必ず言う台詞だ。
 あの言葉を口にするとき、優雅な宝石泥棒は憎悪に燃える殺人者に豹変した。

「誰だ、そのふざけたやつは」
「もちろん、お話しいたします。ですが、まずは宝石泥棒が生まれた経緯……珠魅への復讐について話さねばなりませぬ」
 ディアナはカイに向かって「貴方も、聞いてくれますわね?」と確認してから、ゆっくりと話しはじめた。
「昔、珠魅は友愛の種族と呼ばれていました。己の命を涙に変え、傷ついた者に譲り渡すことで、種の保存を図っていたからです」
「癒しの涙。涙石ね……
 真珠姫が相槌を打つ。
 本来、石の再生には何万年という気の遠くなる時間がかかる。それを瞬時に為せる唯一の手段が涙石。涙石によって珠魅の命は支えられ、長く栄えてきた。
「しかし、大規模な珠魅狩りの時代を経て、珠魅は種の保存のため、その体質を変えました。命を他者に渡さない……すなわち涙を流さないように。そして珠魅は他種族との交流を断ち、珠魅だけの都市を築いて、隠れ住むようになりました」 
「そこが、珠魅の都市か」
「そうです……
 ルーベンスやエメロードから聞いていた話、また、ヌヌザックの推察と合致する。涙を無くした珠魅は種族としての延命を図るため、同族で集まり、自分たちを守ろうとしたのだろう。

「そして、涙を流せる蛍姫を、彼女の涙を保険に、戦争を仕掛けたわけだ。不死皇帝に!」

 突如響き渡った声は、激しい怒りと憎しみに満ちていた。
 ディアナがのけぞり、口を両手で覆う。
「宝石泥棒!」
「サンドラ!」
 真珠姫の悲鳴と瑠璃の声が重なった。武器をとれる者は各々武器を抜く。
 カイは神経をとがらせて声の出所を探るが、サンドラの姿はどこにもない。美術品の保護のために密閉された空間と、城主によって集められた数多の収蔵品。物品の多さが宝石泥棒の姿を隠し、声は四方八方に反響して音が割れ、居所が全くつかめない。
 暗い地下で、嘲笑にも思えるサンドラの声だけが高々と聞こえてくる。

「大した女ね。蛍姫を人柱に、不死皇帝との全面戦争。そうよ、蛍姫の涙さえあれば、珠魅は不死身。だけど、蛍姫はどうなるの?」

 蛍姫。涙を流すことのできる、唯一の珠魅。エメロードから聞かされた幻の姫が、現実の存在として語られている。
「ということは、まだ蛍姫は生きているのですね?」
 ディアナがまるで臆するそぶりなく、冷徹に言い放つ。
「それはよろしい。すぐさま連れておいでなさい。この子たちの時代には、再び涙石が必要になるでしょう」
 ディアナの表情も声もサンドラとは真逆で氷のように冷たく、人間味を感じさせない。
 それが、サンドラの逆鱗に触れた。
「なぜ……?」
 サンドラの声が変わる。
 声音が怒気に満ちている。隠しきれない殺意が空間を支配する。
「何故、心優しく生まれついた蛍姫が、命を搾り取られ、死なねばならない!」
「それが、儚く生まれた珠魅の生き残る道です。彼女も承知のこと」
「黙れ! お前も同じ目に遭わせてやる! 蛍姫と!」
 いつの間に、そこにいたのか。
 サンドラがディアナの真後ろにいた。身体をぴったり密着させ、すでに胸のダイアモンドへに向かって真っすぐナイフを振り上げている。誰も間に合わない。
「ディアナさ……!」
「まって!」
 鋭い制止が飛んだ。とっさに宝石泥棒の手が止まる。
 そして、叫び声の主をぎっと睨みつけた。――同じように見返してくる、真珠姫を。
 武器を持たぬ真珠姫は、それでも小さな身体を精一杯に膨らませて、悪鬼の形相で睨みつけるサンドラを真っ向から見据えた。
「殺してはダメよ。わたしたち、涙をとりもどさなくちゃ」
 真珠姫の、白い拳が強く握られる。「憎しみじゃ、誰も救われない。みんなが昔みたいに、お互いのこと好きにならなくちゃ」
「貴女は、またそう言うのか……?」
 サンドラが唇をかみしめた。ナイフを握る手が、かみしめた唇がわなわなと震えている。
「なら、貴女が涙を流せばいい! 蛍の代わりに、人柱になれば!」
 激高したサンドラが、真珠姫に向かってカードを投げつけた。確実に急所を狙った凶器が真珠姫の核に向かって一直線に飛ぶ。
「真珠!」
「真珠ちゃん!」
 瑠璃とカイが反射的に進路を妨害するように武器を出し、カードをはじき返す。弾かれたカードは近くの壁に突き刺さり、煽りを喰った真珠姫が体勢を崩して倒れこんだ。周囲の美術品がいくつも巻き添えになる。
 その隙をつかれた。
 ディアナの核は一瞬のうちに抉り取られ、サンドラの手の中にあった。
「ディアナさん!」
「ディアナ!」
 大きな空洞から血を溢れさせ、ディアナがその場に斃れる。
 鮮血の滴るダイアモンドを無造作に握りしめ、サンドラは姿を消した。
「出来もしないことを。お前が誰かを守れるものか! 自分の姫一人、守れなかったお前が!」
 消える間際、宝石泥棒が残した台詞は、真珠姫に向けたものなのか。
「ディアナさん!」
 美術品に埋もれていた真珠姫は瑠璃の手を借りて身を起こすと、すぐさまディアナの元へ駆け寄る。
「ディアナさん、しっかり!」
 ディアナの顔からみるみる生気が失われていく。
 珠魅の煌めきを思わせる、透明な光の粒子が彼女の身体から立ち昇りはじめていた。光がひとつ増すごとに、ディアナの姿は薄くなり消えていく。核を象徴する色彩と煌めき……ルーベンスの時と同じ。
 宝石泥棒に相対したときの、石化した時よりはるかに冷たい石のようだった彼女。冷酷で非情で、機械的にすら思える指導者の顔。
 だけど。
 苦悩、憎悪。誇り。三つの心の鍵。
 カイにはわかる。ディアナが若き珠魅たちを守ったこと。珠魅の指導者として、一人の珠魅として、そして、珠魅という種族を愛する者として。新しい世代の珠魅たちに、彼ら自身の未来を託したこと。
「ひとつの光は、もうひとつの光に隠されています……止められるのは、レディパールだけ……
 彼女を探して……
 瑠璃がディアナに手を伸ばそうとするが、触れることは叶わなかった。
 ディアナは瑠璃と真珠姫に言葉を遺し、光となって消え去る。
「ちくしょうっ!」
 瑠璃は激情のままに頭の飾りを引きちぎり、床に叩きつけた。ラピスがあしらわれた髪飾りは粉々に砕け散り、宙に舞ったその破片が、ディアナの遺した最後の煌めきに反射して星のように光った。
……ディアナさん」
 壊れたダイアモンドとラピスの光。
 二つの光を呆然と見ながら、カイはその場にへたり込んでいた。カイの鞄には今日も精霊のランプが提げられている。
 炎をくれたルーベンスはいなくなり、ルーベンスが救いたかったディアナもたった今亡くなり、小さな火だけが遺されてゆらゆらと灯っている。
 そして、ダイアモンドの最期の煌めきが完全に消えたとき。
 ディアナがいた場所には、一つの石が残されていた。
「宝石……?」
「ディアナが残したものだ……
 それは、小石ほどの小さな宝石だった。瑠璃が片膝をついて拾い上げ、手のひらに乗せる。独特の色合いをしており、向きや加減によって青にも緑にも見える。
 だが、緑の宝石がカイの持つランプの火に照らされたとき、様相が変わった。
「いろが、変わって……
 緑に見えていたはずの宝石は魔法のように色を変え、赤紫へと変化する。
「この石、いったい……
 これが、ディアナが今わの際に、命を捨ててまで伝えようとしたこと。瑠璃たちに託したこと。ただし、その意味を伝える時間まではディアナに残されてはいなかった。
 瑠璃は不思議な宝石を握りしめ、ゆっくり立ち上がる。
「考えよう、真珠。オレ達のこと、珠魅のこと。宝石泥棒のことも……
「ええ……
 瑠璃はへたり込んだままのカイを一度見ると、くるりと背を向けた。
 彼にしては、その様がやけに他人行儀に見えて、カイは思わず顔を上げる。
「カイ」
 いつになく、改まった声。
「アンタも考えてくれ。オレ達と関わりを断つなら、今がいい……
「え」
 戸惑いの声を上げたカイには、応えない。
 瑠璃は砂のマントを揺らしてカイの横を通り過ぎ、そして一度もカイを見はしなかった。
「アンタはオレ達といるには優しすぎる。アンタを巻き込みすぎた……
「ちょ」
 ちょっと待て、瑠璃!
 とっさに立ち上がりかけたカイの前に、真珠姫がすっと立った。
……真珠ちゃん」
 カイに無邪気に甘えるいつもの真珠姫とは、やはり様子が違う。
 真珠姫は悲しそうにカイを見下ろすと、丁寧に頭を下げた。
「さよなら。おねえさま……
 そう告げるなり彼女もまた踵を返し、小走りで瑠璃を追っていく。
 二つの足音が階段を上がり、姿が階上へ消えて行っても、カイは追いかけることができなかった。
 脱力して再びその場にペタンと座り込み、瑠璃と真珠姫がいなくなった地下には、人間の二人だけがぽつんと取り残された。



『アレクサンドル』 おわり