しちろ
2024-02-14 16:17:34
20200文字
Public LOM・宝石泥棒編
 

宝石泥棒編 9

主人公サイドの番外編。20000字。

 
 マイホームをあとにしたシオンは、リュオン街道をとろとろ歩いていた。
 冬も間近なリュオン街道はすっかり日の入りが早くなり、早くも夕暮れ時を迎えている。もとより寒々しい景色の街道だが、木の葉が落ちて枯れ木が目立つようになると、輪をかけて殺風景に感じられた。乾いたふきっさらしの風が、足元の枯れ葉をさらっていく。細長い影がむき出しの地面を這うように、長く長く伸びていた。このペースだと、ドミナに着くのは夜になるか。夜は魔物が多く、また凶暴化するため、旅人はほとんど通らない。
 人気のない道を、急ぎもせず歩いていると。
 ぐにゃり。夕暮れの荒野が一瞬、ひどく歪んで見えた。
……あれ」
 くらっと頭が揺れ、バランスを崩す。そこでおり悪く、強風が吹いた。
「わっぷ」
 ばらばらと枯れ葉が飛んできて、シオンの顔面を直撃した。
 
 
 バドに小さな魔法を披露したシオンは、逃げるようにカイのマイホームから出てきてしまった。
 カイの書斎を見た、あの瞬間。正直なところ、よく声をあげずに済んだものだと思う。
 彼女の家に昔からあるという、出所不明の歴史書や魔導書、その他もろもろの専門書――それはシオンが長い歳月をかけ、世界中から集めた書物とまるで同じだった。
 それに、なにより……
 
『久しぶり、ダメ英雄。今日も変な頭巾かぶってるね』

 ……会いたくもなかった知り合いに、こんなところで会うことになるとは。
 
 嵐の収まった牧場で、騒動の元凶は悪びれることなく言った。
『あのイタズラ坊主、今度こそ私を読んでくれると思ったんだけどね。よりによって、アナタに邪魔されるなんてね』
 シオンの手で強引に発動を止められた魔導書はそう言うと、やれやれと溜息らしいものをついた。どうやらその声は、シオンにだけ聞こえるらしい。視界の端で、血相を変えたカイが駆け付けてきて、バタバタとバドに駆け寄るのが見えた。
 手に取った者に物騒な問いを仕掛け、時には誘惑し、地獄や未来のない世界を呼び寄せる。
 世界の有り様を根底から変えてしまう、とてつもなく非常識でふざけた本。その名も『禁断の書』。よその世界にも所持する者たちはいるが、ファ・ディールのどこを探しても、こんなアブなくて軽いノリなのはコイツだけだ。
『え? お前、なぜここにいるのかって? そんなの私にも分からないよ。聞くなら女神に聞いとくれ』
……
 ボロボロの頁をぱらぱらめくってみる。間違いない、シオンの知る史上最悪のクソ本だ。ふざけやがって、クソ女神。
『あとね。昔のよしみで忠告しておくよ、元マスター』

 ――もう、無理してマナなんか使わないこった。下手すりゃアナタの命のほうが尽きちゃうヨ。

 それきり声は聞こえなくなった。



 ■■■



 あるガトの夜、ひそかに一つの運命が変わった。そして、数日前のドミナでも。
 奇妙な小袋を大事そうにしまうと、カイはマイホームへ駆けて行った。
 それをシオンがぼんやり見送っていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「渡しちゃったんだ」
 どこか呆れた風でもあり、分かっていた、とも聞こえる言い方だった。
 シオンにとってはいやというほど聞き慣れた、澄み渡る風に軽やかに乗る、甘く伸びやかな、謳うような声。
「相変わらず、いい趣味ですね」
 振り向きもせずに言った。少し離れた後方に、漆黒の賢人が立っている。どう考えても目立つ姿格好のくせに、道行く人々は誰一人として彼を気には留めない。そういう点は、シオンと彼――詩人ポキールは少しばかり似てはいる。
 シオンからカイの手に渡ったのは、時の経ちすぎた奇跡の石。力を失い、もはや原形すらとどめない『あれ』が功を奏するかは、シオンでもなんとも言えないが……まあ、少しは効果があるかもしれない。
「怒る?」
「いいや。君の好きにしたらいいさ」
 鳥人はさらりと自分の羽を撫でた。
 事の重大さのわりに、どちらも深刻さはない。存在しない『涙』を渡してしまうなど、前代未聞だ。
「そもそも、あの子の運命を変えたのは君だもの。あの子の描く世界は、あの子の心そのままに、とても色鮮やかで豊かだよ。だからこそ、あの子は一人では魔法都市までたどり着けなかっただろう」
……
 珠魅のために涙する者すべて石と化す。人が珠魅を思って涙を流せば、そこで命は尽きる。
 マナの樹へと至る英雄たちの影で、道半ばで斃れ、女神のもとへたどり着けない者たちもまた多い。本来ならば、カイはルーベンスのために涙を流してしまい、石になってそこで人生を終えていた。はずだった。
 人一倍愛情深く、他者に心を寄せすぎる彼女は、おそらく、愛をたくさん受けて育ったのだろう。よく笑い、怒り、人のために何かを為そうとする。それはカイの美徳でもあるが、同時に大きな弱みでもあった。彼女は珠魅とともにあるにはあまりに涙もろく、情感が豊かすぎた。
「今のカイがあるのはシオン、キミがいたからだよ。彼女一人では失われていたかもしれない道を作り、つなげた」
 ただ……と、ポキールは空を見上げる。その先に、カイにはまだ至らぬ女神の領域がある。そして、心の地図を無くしたシオンにはもう見えない。
……わかってるよ。代償があることくらい」
 そんなことはとっくにわかっていた。断崖の町で、彼女をひどく傷つけてしまったあの日に。


 先日の、詩人との会話を思い出しながら、シオンは右の手袋を外した。
 この世界の、ありとあらゆるものはマナから成り立ち、マナで構成されている。
 ガトの夜では手のひらに隠れた月。街道の向こうに沈みゆく太陽が一瞬、手のひらの向こうに透けて見えた。



 ■■■



 さて、諸君。
 これは、珠魅たちの物語の裏側の、ささいな話だ。世界の誰も知らない、決して歴史には語られることのない小さな話。
 のちの世で、その功績を高らかに謳われ語り継がれる英雄たちがいる一方で、誰にも期待されず時にうずもれた、何も為しえなかった英雄も、中にはいる。樹のふもとで眠る者や、炎の燃える地の底に落ち、姿を変えた者たちすら。
 この物語の主人公は、そんななかの二人だ。
 本来マナの樹の御許へ至ることのできなかった少女と、明日を迎えることのできなかった少年と。
 彼らは、選ばれしものと呼べるような、特別な血筋ではない。人並み外れた優れた力も、持ち合わせてはいない。ただ、己に与えられた命を懸命に生きてきた、そんな人間だ。
 彼らの行く末がどうなるのかは、誰も知らない。誰も見ず、聴きはしない。
 この詩には、オルゴールの伴奏も、詩を彩る星の輝きもない。
 それでもボクは一人謳おう。名もなき英雄のために。 

 かくして、道半ばで止まるはずだった少女の時は緩やかに回り始め、
 長らく止まっていた少年の砂時計は、急速に落ちはじめた。



『忘れ花』 おわり